№9 オリュゾン国王太子 ルクト・ノーチェ視点 2
***
森を歩き始めて三時間ほど経った頃。
朝から歩き続けていたこともありいったん休憩しようと腰を下ろしたその場所で、レイスは一人トマトを集めていた。彼はベルクと同じく普段から山や森を歩き回り食材採取や狩りをしているので、慣れている分疲れにくいのだろう。
赤々と実ったトマトを手際よく集めていたのだが、その量がやけに多い。綺麗な色合いからたまに飾ってあるのを王城でも見かけるが、それにしたって取り過ぎだ。どこかの貴族がお茶会の飾りにでも使うのかと思うような量をかき集めているレイスに、もしや我々の案内を請け負っておきながら他の仕事を捌く気なのかという考えが頭を過る。
それはジャンも同じだったようで、真面目な彼は眉を寄せながらレイスに話しかけた。
「先ほどからトマトを大量に集めているが、どこかから採取依頼でも受けているのか?」
棘のあるジャンの物言いにもうちょっと言葉の選びようがあるだろうと頭を抱えつつレイスの返答を待てば、彼は特に気にした様子もなく答えた。
「いえ。マリーのお土産に」
ベルクを彷彿とさせる台詞にジャンの顔が歪む。
女ったらしなベルクと真面目なジャンの相性はすこぶる悪い。そのため今回はレイスがやって来て私達もジャンも内心喜んでいたのだが、もしやこの男もベルクと同類なのか。
まぁ、仕事に支障をきたさなければ私生活がどうであろうとも構わないのだが……。
ベルクと違い、レイスは「男ばかりだとやる気が出ない」などと口にしてジャンを怒らせることもなかったし、森歩きに不慣れな我々への気遣い方や道を阻む獣の排除も手慣れたものでいい仕事ぶりだった。
今後も彼に頼もうかと考えていたくらいだが、ジャンと相性が悪いとなると困る。今後のためにもレイスがどうジャンに対応するか見ておこうか。
そのくらいの軽い気持ちで会話の行く末を見守っていたのだが、結論から言うととんでもなかった。
「マリー? 女への贈り物か?」
「ええ」
「随分な量を強請る女だな」
ベルクとそのご友人たる女性達の所為でやや潔癖症気味のジャンの言葉は、聞いていて気持ちのいいものではなかった。こういった面以外は信頼のおける素晴らしい部下なのだが、色恋を匂わせる女性が関わるとジャンはちょっと面倒な男である。
とはいえ、マリーという女性のことを知らないのに、今の台詞はさすがに怒るだろう。そう思いとフォローの言葉を模索するも、レイスは特に気にした様子もなく答えた。
「前回持ち帰った分は全部食べてしまったようなので、今度は飾る分が残るようにと」
「は?」
またかという顔で見守っていた同僚も私も、もちろんジャン本人も固まる。
――今、マリーという女性がトマトを食べたって言ったのか?
予想外な返答に目を瞬かせていると、我々の反応に首を傾げていたレイスがしばらくして得心がいったように頷き、丁寧に説明してくれた。
「飾るものだと知らなかったようで、調理してソースに。野菜や卵と一緒にパンに挟まっていて美味しかったです」
「美味しいのか?」
「ええ、とても。そのままでも食べても美味しいと」
「そ、そのまま、だと?」
「マリーが言うには」
声を荒げたジャンに構うことなく冷静に答えたレイスはそう言って、再びトマトの回収に戻った。
ベルクから彼はつい最近まで貧困街で暮らしていたと聞いている。だから世間知らずなところもあるかもしれないが、仕事の腕はまぁまぁいいから大目に見てやってくれと頼まれていた。
しかし、今の話はそんな簡単に流していい話ではないだろう。
トマトを食べるって……、しかも美味しいって……。
信じられない話であるが大変詳しく聞きたい。
飾るものだと知らなかったとはいえ、思いもよらない行動を取る女性がいたものである。トマトはあんなにけばけばしい色をしているのというのに、食するのに躊躇いはなかったのだろうか。
疑問や思うことは沢山ある。
しかし、己に課せられた任を思えば今するべきことは一つだ。
「一つ、もらえるかい?」
「ルクト様?」
「なりません。せめて持ち帰って調べてからにしてください!」
私の発言にレイスが頷く前に、我に返った臣下達に大慌てで止められる。
マリーという女性とレイスがすでに食しているのだから危険はないと実証されているというのに、口うるさい者達である。
しかしこの身は王太子。
彼らの言いたいことも理解できるので、大人しく引き下がるとしよう。
「わかった。その代わり大丈夫そうなら試してみたいから、採取しておいてくれ」
「「「畏まりました」」」
臣下達は腰を折ると、私の気が変わらないうちにとでもいった様子で何人かがレイスの元に向かい、トマトの取り方を教わり採取を始める。
ちなみにジャンは衝撃が抜けきらなかったのか、固まったままだった。
彼は、女性に夢を見ているタイプだからね……。
そんなこんなで回収してきたトマトは城に戻るなり毒物検査にかけられ実食となったのだが、鼻につく青臭さはあるものの瑞々しく程よい酸味が美味しかった。初めに感じた青臭さも慣れれば気にならず、料理長も料理にいいアクセントを与えてくれるだろうと感心していたくらいだ。
レイスの話によると、マリーという女性は米も食すらしい。
そして奇抜な調理方法が多いが、彼女が食べさせてくれる料理はどれも美味しいそうだ。
ベルクとは異なりあまり饒舌でないレイスからマリーについて聞き出すのは大変だったが、米を美味しく食べることができるというのは有力な情報だった。
――本当に美味しく米を食べることができるなら、食糧危機を回避できるかもしれない。
ジャンや家臣達は家畜の餌が美味しいわけがないと嫌そうな顔をしていたが、戦をするよりはましだと私は思う。レイスがいうには常食しているらしいし、腹持ちもいいらしい。
まずい物を流行らせることは難しいが、味さえよければあとは演出の仕方で家畜の餌というイメージは払拭できるはずだ。いや、そのくらいはどうにかしてみせる。
そのためにもマリーという女性が持つ、米を白くして柔らかくする技法を知りたい。
どうにか彼女に近づけないものか……。
調べれば調べるほど、マリーという女性への興味が己の中で深まっていく。
本来の用途を知らなかったとはいえ、トマトやアーモンドを躊躇なく食したその気概も気に入った。食の大改革を行うには、彼女みたいな人材が必要だろう。
しかし一般人、しかも天涯孤独の移住者であるマリーという女性を取り立てるのは難しく、周囲の反発を抑えつつ取り込むには誰の目にもわかる大きな功績が必要だ。
年頃と言えなくもない女性であることが判明したことで、色恋沙汰を危惧したジャンや臣下達の煩いこと煩いこと。
我が国はまだまだ発展途上で、大国と異なり人材にも余裕がないのだからベルクのように使える人材なら多少のことは目を瞑るべきだと思うのだけど。国というのは効率だけではやっていけないから難しい。
なにか、策を考えないといけないな――。
経歴が書かれた調査書を眺めレイスから聞いた彼女の武勇伝を思い出しながら、私はマリーという女性との出会いの時をそっと思い描いたのだった。




