№9 オリュゾン国王太子 ルクト・ノーチェ視点 1
遥か昔、とある女神様によって創られアリメントムという名を付けられたこの世界は、穏やかな時間を過ごしていた。
一続きの大きな大地には一年を通して豊かな実りが約束されており、大陸を囲む海からは沢山の魚や貝や海藻が採れ、飢えることのない人間や動物達は時折光のベールと共に地上に降り立つ女神様の邂逅を楽しみにしながら仲良く過ごしていたという。
そんな緩やかな日々が崩れたのは今からおおよそ千年前。
魔王の誕生である。
彼の王はこの世に生まれ出でるや否や一つだった大陸を砕き割り、人々は大地ごと離れていく仲間達の姿に世界の異変を知った。
散り散りになった大陸の破片は島と呼ばれ、人々は共に住まう者達と身を寄せ合い協力して生きるようになる。やがて同じ大地を踏む人間を同族と呼び、名付けた島を国とした。
同じ日々を過ごしていた人々の間に差異が生じた瞬間である。
人々は己の国が一番女神様に愛されているのだと声高らかに主張し、争いへと発展していった。
そうして分かたれた人間同士で争うこと百年。
魔王が再び動き出す。
世界の隅にある小さな島が消えたのだ。
女神様のお力によって実りが約束されていた大地は荒野となり、食料を求めてその地で暮らしていた人間達は去り、荒廃した島は砕けて砂となり海の底へ沈んで行った。しかし離れ離れになった人々が世界の端で起こったその悲劇を知ることはなく、さらに二百年余りの時が経つ。
自国を一番にすることに夢中だった人々が世界の異変に気が付いたのは、ある年老いた男の言葉がきっかけだったと言われている。
――最近めっきり女神様の光をみなくなったなぁ。
空を見上げてそう呟いた老人の言葉に周りにいた人々が顔を上げて、同意した。そんな噂を耳にしたとある為政者は女神様がいらっしゃらないのはよもや自国だけではなのではと危惧して、近隣の国を調べたそうだ。隣国から探られていることに気が付いた国はその理由を知り、同様の不安からさらに遠く離れた島を調査する。
そうして波紋は徐々に広まっていき、人々はようやく女神様の異変に気が付いた。
そして密やかに行われていた魔王の所業を知る。
しかし時すでに遅く。
人々がより良い暮らしを求め広い大地や有能な為政者いる国に移ったことで無人になった島の大半は魔王の配下によって支配されており、多くの大地がすでに壊され海の底に沈んでいたのだ。
大地は女神様のお力の写し鏡。
多くの島が失われたことで女神様は力を失い、まどろみの中にいるのだと理解した人々はようやく人間同士で争うことをやめ、手を取り合って魔王討伐を目指し動き出す。
魔王勢力との戦いは容易ではなく、人々はその後七百年近い時間を費やすことになる。
人々の抵抗の甲斐あってか少しだけお力を取り戻された女神様は、力を振り絞って異世界より勇者様をお連れになる。
そして今から数か月前、勇者ユウトによって魔王は倒されて再び世界に平和が訪れた。
魔王の支配から解放された動物達は我々人間と共に過ごしていた時の姿を取り戻し、大地に宿る女神様のお力を吸い上げるため巨大化させられていた植物達も本来の大きさへと戻っていった。
程よく女神の力を吸い上げた植物達は人や動物の糧となり、生き物から漏れ出る魔力は世界へ溶け込み女神様のお力に還元される。
本来の循環構造を取り戻したアリメントムは、昔のように緩やかに回っていくだろう。
数百年ぶりに空を彩った光のベールに誰しもがそう感じた。
しかしこの世界は今、前代未聞の危機を迎えようとしていた。
***
輝かしい陽光が差し込む王城の一角に作られた専用の執務室の中で、激減した各国の収穫量が記された紙を手に私は今日も今日とて頭を悩ませる。
――足りない。
現在国として確認されている島は百余り。魔王勢力との争いに備えて各国に作られている大規模な食糧庫の中には魔法の効果で時間が止められた多くの食料が眠っているが、各国の人口と照らし合わせると全く足りない。
倉庫の食料を開放したとしても、このままの収穫量ではもって三年。
近いうちに、国同士での壮絶な食料の奪い合いが始まるだろう。
食料不足の原因はわかっている。
作物の大きさが縮んだことで物理的に収穫量が減ったからだ。
現在のアリメントムでは限られた島へ人口が集中しており、無人島となっている土地が多い。
女神様がお力を取り戻されたことでどの島も実り豊かになっているはずだが、そもそもそこに人間がいなければ食材があっても収穫されることはなく、我々の口に入ることはない。外敵のいない動物達が悠々と肉を蓄えていくのに一役買うだけである。
食料があるのはわかっているのだから移住すればいいと言いたいところだが、発達した文明の生活に慣れた人間が家もなにもないところに住みたいと思うわけがなく。人の手が入っていない島にある食料も換算すればきっと十分な量の食物がこの世界に存在するはずなのだが、現在の活動地域内で取れる作物は限られているため、近い将来人々は食料を求めて近隣の島々と争うことになる。
まだそこまで物価に変化がないので多くの民はこの事実に気が付いていないが、あと一年もすれば否が応でも理解するだろう。
そんな中、各国の上層部の行動は様々だ。
我が国オリュゾンのように移住者を募り新たな島を開拓して収穫できる土地を増やす者と、魔王の支配下にあった時と同じように作物を巨大化させる実験に精を出す者、来る戦に備えて軍事力に力を入れる国もあれば女神様に祈る、または食糧危機なんて起こらないと高をくくっている愚か者達も居る。
我が国は開発途上国ということもあり人口も少ないので、試算上は乗り切れる。しかし祖国である大国からの搾取には耐えられないし、近隣国と争えるような軍事力もない。
作付け量を増やして改善しようにも植える土地を開発しなければならず、間に合わないだろう。
――肥え太ったオークどもめ。
食料不足は困るが快適な自国からは出たくないし、何もない島に無理やり国民を送り出して顰蹙を買い謀反を起こされたくないという理由で開拓に消極的な大国の王族共どもを心の中で罵倒し、再び書類と向き合う。
今のアリメントムには食の大改革が必要だ。
パン以外の主食を食べ、これまでは口にしていなかった食材も消費するように民を誘導し、大国に籠っている豚どもが島の開拓に力を注ぎたくなるなにかを探さないといけない。
できなければ、待っているのは人同士での殺し合いだ。
折角異世界の勇者様に助けてもらって平和な世界を手に入れたというのに馬鹿らしい。それも一時の出費を惜しまず、労を厭わず働けば回避できる争いであるからなおさら馬鹿馬鹿しい。
食料を奪い合って戦争する方がよほど金もかかるし、下手したら折角永らえた命を落とすということがなぜあいつらは理解できないのか。
馬鹿どもの考えは私には到底理解できない。したくもないが。
王位争いの末、追い落とされたお爺様がこの島に送られた時は悔しくてたまらなかったが、今思えばあんな愚か者達と袂を分かつことができたのだから素晴らしいご英断だった。下手に抵抗して飼い殺死の目に 遭い、馬鹿どもと命運を共にするよりもずっといい。
――オリュゾンには指一本触れさせん。
祖父母が汗水垂らして開拓し、父や母が大切に育んでいるこの国や民を大国の豚共のいいように使われてなるものか。むしろ誰もがうらやむ国にして、訪問を懇願する奴らを鼻で笑って追い返してやりたい。いや、そうしてみせる。
オリュゾンの地にも民にも不満はないが、汚い手を使って祖父を貶めた恨みは死んでも忘れん。
いつか目にものをみせてやるからなと心の中で零しつつ、私は先日拾って来たアーモンドを摘まみ口に放る。殻から取り出しフライパンで煎り軽く塩が振られたそれはカリッと軽快な音を立てて噛み砕かれ、香ばしい薫りと油脂のうまみを口の中に広げる。
――私は生よりもこちらの方が好みだな。
あとで料理長に伝えておこうと、ローストアーモンドをポリポリ摘まみながら記憶に留めておく。巨大化していた時は殻の頑丈さと両端が尖った形状から投石機での攻撃時に有効とされ、岩がとれない場所には積極的に植えられていたのだがこれほど美味しいとは驚きだ。
武器として使われていたため食べるという意識がなかったがこの味ならば多くの者に受け入られるだろうし、どの島にも大抵植えられているので多少は食料難の解決に役立つだろう。
料理長も他の料理にも使えそうだと言って、砕いたりスライスしたり粉にしていたのでアーモンドが今後どのように活用されていくのか楽しみである。
今晩はトマトを使った料理だと言っていたし……。
現在観賞用とされているトマトだが料理の味によっては、食材として普及させることができるだろう。アーモンドやトマトは美味しいものだと教えてくれた、ベルクが紹介してくれた案内人には感謝しなければならない。いや、正しくは案内人を務めたレイスが惚れ込んでいるマリーという少女にだが。
ローストアーモンドを食べながら思い出すのは、先日食材探しに入った森でレイスと交わした会話。食料を巡る争いを防ぐべく、腹心であるジャンや伴を連れて森で新たな食材を探していた私達に彼は衝撃な事実を告げたのだった。




