№8 アーモンドクッキー(サブレ・ディアマン風)2
まずは台の上に小麦粉を篩う。
購入した小麦の種類は恐らく中力粉。パン屋さんの中でも柔らかめの食感を売りにしているところと同じものを教えてもらったのでたぶん大丈夫。
なぜ「恐らく」や「たぶん」といっているかといえば日本では薄力粉、中力粉、準強力粉、強力粉というたんぱく質含有量による区分が一般的だが、フランスなどではType45(灰分0.44%)、Type55(灰分0.55%)といった形で灰分、皮などの不純物が含まれている量によって区分されることが多いからだ。海外のスーパーなどだと、菓子用小麦粉やパン用小麦粉といった感じの名で売られていることが多いみたい。ヨーロッパのお菓子屋さんやパン屋さんはほとんどが個人店なので、地方ごとに挽いて使っている、という話も聞いたことがある。
そんな小麦粉のお話はさておき、ここは異世界。もちろん薄力粉や中力粉なんて表示はない。
しかし小麦粉は灰分が少ないほどソフトな食感になるはずなので、出来上がるパンの特徴や不純物の具合などを詳しく聞き恐らく中力粉だと思われるものを選んでみたというわけだ。
こればっかりは作ってみないとなんとも言えないのでドキドキである。
……薄力粉から強力粉までがずらっと並んだ日本のスーパーが恋しいわ。
泡立て器や蒸し器の不在と同様に異世界である不便さを感じつつ、次の工程に入る。
とその前に。
「レイス。このバターを冷やしてもらってもいい?」
「ああ」
呼びかけに応じて近寄って来てくれたレイスに先ほど完成したバターを差し出せば、数秒も待たずにひんやりした状態になった。私ならばここまで温度を下げるには十分はかかるので、レイスの器用さは羨ましいかぎりである。
「さっき俺が振っていたやつか?」
「そう。あとでパン用に塩を混ぜたやつ渡すからパンに塗って食べてみて。美味しいわよ」
「そうか」
想像したのか弾んだ声が耳元で聞こえた。艶のある低音なのにこういう時のレイスの声は子供っぽい響きがあるから、不思議なものである。
喜びを隠さない声色を微笑ましく思いながら、私はバターを振るった小麦粉の中に沈める。そしてスケッパーを真似て成形した小さな鉄板で冷えたバターを細かく刻んでいく。細かくなったら小麦粉に混ぜ込むようにさらに四方八方から刻み、最後は両手の掌を擦り合わせるようにして混ぜサラサラの砂状にしていく。
サブラージュ、と言って脂肪と粉を揉むように擦り交ぜサラサラの砂状にする工程だ。
小麦粉が薄っすら黄色くなるまでこの作業を行うのだが、冷やしたバターが温まって溶けてしまうとサクサクした食感に仕上がらないので手早く、体温が伝わらないように行う。
イメージとしては小麦粉の粉一粒一粒をバターでコーティングする感じ。これよって、グルテンが形成されにくくなりサクッとした食感が生まれる。
小麦粉とバターが混ざったら丸く盛った小麦粉の中央にくぼみを作る作業を行う。
丸く土手を作り真ん中に円形の空間を作ったら、ぽっかり空いた中央に蜂蜜と塩と牛乳を流し込み、指先でよく混ぜ合わせる。
ちなみにお菓子のレシピで見かける極少量の塩は省かない方がいい。
塩が入ることで小麦粉の粉の味というか麦臭さが抑えられるからね。あの少量があるのとないのとでは、出来上がりの味が結構変わる。
穴の中に入れた材料が混ざったら、土手を崩して混ぜ合わせていくのだがこの時、捏ねてはいけない。グルテンがどんどん形成されて仕上がりの食感が固くなっていくので、スケッパーなどで材料をまとめて掌で台に擦りつけるようにして混ぜていく。
生地がまとまったら切っておいたローストアーモンドを加えて先ほどまでと同様に擦るように混ぜて一まとめにし、薄く伸ばして冷蔵庫で休める。
といってもこの小屋に冷蔵庫はないので、作業を見守っていたレイスをそっと見やる。
「冷やすのか」
「うん。生地が固まればいいから少しひんやりすれば大丈夫なんだけど、お願いできる」
「ああ」
そう言ってレイスが手をかざした途端、固まった生地に便利だなぁとしみじみ思いつつお礼を言って再び生地を軽く捏ねてまとめ直す。この作業をしっかりやっておくと、アーモンドやクルミを入れたクッキーを作った時にできがちな生地とナッツの間の隙間ができにくくなるので、しっかりとまとめ直しておく。
あとは三十センチくらいの棒状にまとめ、レイスに頼んでもう一度冷やす。
クッキー生地が柔らかいとアーモンドの硬さに負けて、綺麗に切れないからね。
生地が冷えて固まっているのを確認したら、ここで砂糖をまぶしておく。棒状のクッキー生地を濡れ布巾の上で転がして表面を湿らせ、お皿に広げた砂糖の上で少し押し付けながら転がすのだ。
砂糖が生地の表面についたら、好みで五~八ミリの厚さに切り分けて生地作りはお終い。
あとは焼くだけである。
と言ってもオーブンを借りられるのは明日なので、焼くのはまたあとで。
今日は切り終えたクッキー生地をお皿に並べて、乾燥しないよう綺麗な布で包む。
すぐに焼かない場合は生地の水分で砂糖が溶けてしまうのでまぶさずに保存しておくんだけど、入れた時と同じ状態で保存できるマジックバックなら問題ないからね。
「それじゃ、これ預かってもらっていい?」
「ああ」
クッキーが形作られていくのを輝く瞳で見ていたレイスに声をかければ、彼はマジックバックを取りに向かう。
レイスが持つマジックバックは見た目以上の収納能力と軽量効果があるのはもちろんのこと、中の時間を止める魔法がかけられているらしく、道具や食料を入れた時とまったく同じ状態で保存できる。
クッキー生地は冷凍保存が可能だが、私は冷凍庫どころか冷蔵庫も持っていない。しかしオーブンを借りられる時間は限られている。そのためあらかじめ生地を作っておいてレイスのマジックバックで預かってもらうことにした。
もちろん預かり賃は焼きあがったアーモンドクッキーである。
マジックバックはなにかと便利なので購入したい気持ちはあるのだが、お値段は鞄の本体価格プラス十センチの立方体一個分の容量につき小銀貨一枚、お金を追加すればあとから拡張することも可能だそうだ。
レイスが持っているマジックバックは師匠のお古を譲っていただいたらしく、そのお値段は少なくとも私の一年分の給金を積んでも買えないと思われる。状態保存できるし持ち歩けるという点では大変魅力的だが、それならば私は勇者様印の冷蔵庫がほしい。
冷凍庫も付いてるタイプだと一番安い小型の冷蔵庫で金貨一枚……。
先日プリンのカラメルソースを作るのに使った小銀貨五枚も今の私にとっては大奮発だったのだから、冷蔵庫を手に入れるにはまだまだ時間がかかりそうだ。
しかし、お菓子を作ったりすることを考えたら冷凍機能はほしいので、悩ましいところである。
「マリー」
そうこう考えているうちにレイスが戻って来たので私は恭しく頭を下げながら、クッキー生地が載ったお皿を差し出す。
「お願いします」
「任せろ」
そんな私に合わせたのか大仰な様子で頷いたレイスは、お皿を受け取るとバックに入れた。入れてくれたのだがお皿を手にしてからバックに仕舞うまでに数秒のタイムラグがあり、その間彼はクッキー生地が載ったお皿に大変熱い視線を向けていたものだから、一抹の不安が胸を過る。
「一応言っておくと、クッキーは焼かないと食べられないよ」
ささやかな懸念を口にすればスッと視線が逸らさられた。ちょ、レイスさん!?
「……枚数覚えてるから、減ってたらすぐわかるんだからね?」
子供じゃないんだからという念を込めつつ釘を刺せば縋るような眼差しを向けられたけど、お腹壊すから駄目だと首を振る。
するとようやく観念したのか、レイスはたっぷり間を空けつつも頷いた。
「………………わかった」
至極残念と言わんばかりの声色だけ聞くと可哀想な気がしてくるが、恐らく二十歳は超えていると言っていたのでこの程度で慰めは不要。
でもまぁ、今日は色々手伝ってもらったし……。
ローストアーモンドだけでは可哀想な気がしないでもないので、簡単なおやつでも作ってあげようかな。
プリン以降、お菓子へ大幅な期待を寄せているレイスを思い出してそう考え直した私は、今ある材料で手早く作れるものを考える。
――塩を加えて有塩にしたバターを焼いたパンに塗って、蜂蜜かければいいかな。
チョイスしたのはバターハニートースト。
バニラアイスも加われば完璧だけど、ないものは仕方ない。
焼いて表面はカリッと中はモチッとした小麦香るパンに濃厚なバターをたっぷりしみ込ませて蜂蜜をかければ、十分豪華なおやつになる。
――バターの微かな塩味と蜂蜜の甘さのコントラストがたまらないのよね。
高カロリーなので地球に居た頃は滅多にやらなかったけど病みつきになる味だ。
魔法を使うために筋肉を意識しながら生活していたことで体が少し引き締まった気がするし、私もちょっとだけ食べようかな。
物悲しそうな雰囲気を滲ませているレイスを横目にそんなことを考えながら、私は再び包丁を手に取ったのだった。




