№7 トマトソース入りサンドイッチとグルートエールとプリン 6
久方ぶりに見たその姿に感動しつつまずはクリーム部分だけを口にすれば、しっかりした卵の味と蜂蜜のほのかな甘さが広がりツルリとした感触が喉を楽しませてくれる。
冷たいプリンが胃の中に降りていく感覚までしっかり味わいつつ、二口目はたっぷりのカラメルソースと一緒に。ほろ苦くも甘いカラメルと合わさることで卵は主張を控え、その代わりに牛乳のまろやかさが際立ち、思わずほぅと吐息が漏れた。
…………しあわせだわ。
しっかり焦がされたカラメルは苦さと甘さが絶妙のバランスに仕上がっており、少し卵が強いクリーム部分を飽きさせることがない。
お菓子の学校に通い始めた頃、カラメルをマスターするために飽きるほどプリンを作った甲斐があったようだ。お米の炊飯同様、繰り返し練習し身に着けたものは数年のブランクがあってもそう簡単に忘れたりはしないらしい。
でも、蒸し器がないっていうのは意外だったな……。
プリンを味わいながら私は市場での記憶をふと思い出す。
私が暮らしているオリュゾンは自生している植物を見る限り日本によく似た風土の島国だが、新興国ということもあり様々な国からの移民が多い。そのため食材や調理器具や服などを様々な国から輸入しており、種類が豊富だ。
しかし中国などアジアを思わすような品はなく、自宅で使う人は減ったものの日本人にはポピュラーな調理器具である蒸し器が見当たらなかった。
そう考え思い出すのは、数年前に大学で詰め込んでいた知識。
蒸し器の祖は古代中国で発見された甑という米を蒸すのに使われた土器であり、竹や木で編まれた同目的の物は蒸籠といった呼称されるという。古来より米を主食としてきた中国や日本などでは蒸すという調理法が使われた料理が多く、包子などの点心やまんじゅう、粽や団子に茶碗蒸しなどを誰しもが簡単に思い浮かべるだろう。
しかしヨーロッパは直火焼きや鍋での煮込み料理などが一般的で、密閉容器や葉で包んで食材に直接火を当てず蒸すように加熱する蒸し焼きはあっても、蒸し器などを使って水蒸気の熱で調理するという方法はなかったとも聞いたことがある。フランスやイギリスの伝統料理を調べると、蒸すにあたる作業工程が見当たらなかったりもするしね。
この三か月間に集めた情報によるとこの世界は大中小様々な島国があり、その国の風土に沿った文化が発展している。イメージ的には地球では陸続きにあるフランスやイタリアが、バラバラになって海に浮いているといった感じだ。
そして大国と呼ばれる広大な土地と多くの国民を抱える発展した島が持つ文化は、ヨーロッパの国々に近い。
だからこの世界でお米が食材として普及しなかったのかな……。
魔王の影響で植物が巨大化していた、というのも大きな要因かもしれない。
小麦一粒がテニスボールほどあり魔法によって腐らせることなく長期保存できていたとくれば、不作により小麦粉が不足してパンが食べられないなんてことはなかったはず。そんな状況で新しい主食を探す人などいないだろうし、お米を美味しく食べるために新たな調理法が発見される可能性は低い。
女神と取り代わりこの世界を支配しようとする魔王一派との戦いで忙しかったみたいだし、あながち私の考えは間違っていないではないだろう。
お蔭でお米が安く手に入って、家計的にも大助かりなんだけど……。
米食文化で育った身としては複雑である。
米を粉にしてみた人くらいはいそうだけど、蒸すという概念がなかったのなら食べ物として定着しなかったのも納得である。
上新粉などを使った料理や菓子には大抵蒸す工程が入るし、グルテンがなく粘り気のない米粉だけでパンを作るには生地の粘度調整という作業が入る。現代のスーパーなどで売られているパンが作れる米粉には、増粘剤にあたる物が入っているからね。
ちなみに水を加えて捏ねたあと茹でれば食べられる白玉粉は別名寒晒粉と呼ばれ、吸水させたもち米を粉砕して液状にしたあと漉し布などに入れて絞って乾燥させて、と上新粉や新粉よりも作業工程が多い。小麦粉が大量にある状況下で、そこまでして米粉を美味しくいただこうという気概が湧かなかったとしても仕方ない。
それに大国と呼ばれる国々にある稲の系統は長細いインディカ米であり、日本人が好む楕円形のジャポニカ米はここオリュゾンで初めて発見された品種らしいからね。そもそも、といった状況である。
ちなみに私達が普段白米として食べているのはうるち米と呼ばれる半透明なもので、白玉粉の原料にもなるもち米は白く不透明である。フェザーさんから分けてもらっているものはうるち米、オリュゾンにもち米が存在するかはわからないので製法を知っていても白玉粉を作ることは今のところ不可能だ。
動植物や気候、太陽の動きや日の移り変わりとかは地球とよく似ているくせに、なぜこれほど米文化が発展しない状況が揃ってしまったのか。
異世界だからと言ってしまえばそれまでだけど……。
不思議だわ、と心の中で呟きながら最後のひと口をすくいあげる。
美味しい料理の最後の一口は嬉しくも物悲しかった。
もっと食べたかったな……。
空になったお皿を見詰めながらそう思ったのはレイスも同じだったようで、切なさを含んだ声が私を呼ぶ。
「マリー」
アンバーの瞳が見つめるのは、キッチンに置かれたままだったフェザーさんとカリーナさんに渡す予定のプリン。
それは甘い誘惑だった。
しかし私は心を鬼にして首を振る。
「マリー」
「駄目よ」
「……」
「あれはフェザーさんとカリーナさんの分だから駄目」
無言で訴えかけてくるレイスに負けることなく再度首を振れば、その瞳に落胆が浮かぶ。彼にもお世話になってるけど、フェザーさんとカリーナさんにはこちらに来て右も左もわからない頃から色々と面倒をみてもらっているのだ。
それはレイスだって同じ。就職先を紹介してもらった恩があるフェザーさんとカリーナの名に彼は諦めたのか、静かにスプーンを置いた。
見るからに落ち込んでいて可哀想だけど仕方ない。
「牛乳と卵と蜂蜜はあるから黄色いところはまだ作れるけど、買って来た白砂糖は使い切っちゃったから茶色いソースが作れないもの。ソースなしじゃ悲しくなるだけだわ」
カラメルのないプリンもありと言えばありだけど、完成形を食べてしまったあとでは物足りない。生クリームとかヴァニラビーンズとかラム酒とかがあってクリーム部分をリッチに仕上げることができるなら話は別だけど、どれもすぐに用意することはできないので今日はお終いにした方がいい。
名残惜しいけどこれは仕方のないこと。
だって貧困から抜け出したといっても、裕福ではないのだからね。
静かになったレイスを気にしつつも、空っぽのお皿をみていると悲しくなってくるので片づけようとしたその時だった。
とても真っ直ぐな光を灯したアンバーの瞳が私を射貫く。
「買ってくる」
「レイス?」
「白砂糖があればいいんだろう?」
「え。まぁ、そうだけど買いに行くの?」
「すぐ戻る」
「いやいや。白砂糖高いし、今日はもう諦めましょう」
立ち上がり出かける気満々なレイスをそう言って引き留めるも、彼は引かなかった。
「相手が貴族だから受けるか迷っていたが、割のいい仕事があるから大丈夫だ」
「割がいいって、それ危ない仕事じゃないの」
貴族が持ってきた割のいい仕事という怪しい響きの内容に心配してそう尋ねれば、返ってきたのはあんまりな答えで。
「自前の護衛を連れてくるし、森を案内するだけの簡単な仕事だ。師匠の知り合いだそうだが男ばかりで気乗りしないから俺にやらないかと」
「そのお師匠様、本当に大丈夫な人?」
思わず真顔で聞いてしまった。
アイザさんの店では飲み込んけど、限界だった。これ以上、見てみぬふりなどできない。
いくら知り合いだとは言え、お貴族様からの依頼をそんな理由で断るなど許されるものなのだろうか? 私の常識では一社会人として完全にアウトだ。
「仕事の腕だけは確かだ」
しかしレイスは気にしてないのか、それともすでに慣れ切っているのかそう答えると、マジックバックを片手に「行ってくる」と言って小屋から出て行ってしまった。
フェザーさんが紹介するくらいだから、悪い人ではなんだろうけど……。
色々と不安である。
私とは別の意味で世間知らずなレイスが、悪い影響を受けないか頗る心配だ。
とはいえ、会ったこともない人についてあれこれ悩んでも仕方ないわけで。
レイスはプリンのために颯爽と走り去ってしまったので、帰ってくるまで詳しい話を聞くこともできないし、想像を巡らせたところでお師匠様であるベルクさんについて知ることなどできない。
プリン持って行った時にカリーナさんにも聞いておこう……。
すでに慣れてしまっているレイスやアイザさん、私が興味を持たないようにはぐらかすフェザーさんよりも正確な情報を教えてくれるに違いない。
そう結論付けた私は、とりあえずレイスが返ってきたらすぐにプリンを作れるように準備を済ませておこうと、空になった食器を持ってキッチンへ向かったのだった。




