№7 トマトソース入りサンドイッチとグルートエールとプリン 4
飲み比べとかビアガーデン大好きだったなぁと夏の楽しみを思い出しつつ、私にとっては貴重なグルートエールを飲み干して人知れず幸せに浸っていると、急にアイザさんが「よし!」と大きな声を上げたためビクッと肩が跳ねた。
「あー、悪い。驚かせたか?」
「いえ、少しぼうっとしていたせいなので気にしないでください」
エールの味に浸っていたとは言えないのでそう誤魔化せば、アイザさんはならいいと言って流してくれたのでこっそり胸を撫で下ろす。飲料水代わりにされているエールに感動していたなんて言ったら、また要らぬ誤解を与えてしまう。
誤解や勘違いを利用して生き伸びてる身なので何を今さらといった感じかもしれないが、生活できるだけの環境は整ってきたのでこれ以上の同情は必要ないからね。
これ以上の罪悪感は耐えられなさそうなので墓穴を掘らないよう口を噤んでいると、レイスがゆっくりと口を開く。
「それで、できるのかアイザ」
「もちろんだ。任せな。工費はそうだな、小銀貨五枚でいい」
頼もしい返事とともに提示された値段に、私は思わず目を瞬かせる。
この世界は金貨、大銀貨、小銀貨、銅貨からなっており日本円に換算すると金貨がおおよそ十万円、大銀貨が一万円、小銀貨が千円、銅貨が百円くらいだと思われる。
ちなみに現在の私の給金は日当で小銀貨二枚。設備の整った小屋に住まわせてもらっていることや仕事内容を考えると、平均的な給料よりちょっと多くいただいているのだと思う。酒場のお姉さんの日当が銀貨三枚くらいらしいし。
金属の物価や手間賃の平均がわからないのでアイザさんの提示した価格がどれほど値引きされているのかはわからないが、私の給与などから考えるに間違いなく安い。
「そんなに安くていいんですか?」
アイザさんの頼もしい返事と破格の値段に驚きの声を上げれば、ニッと悪戯めいた笑みが浮かぶ。
「この間ベルクの奴が持ち込んだ素材が余ってるからそれで作るし、本業の片手間にやるから気にすんな。こっちは趣味みたいなもんだからベルクやレイスの頼みだって似たような値で受けてるし」
なぁ、と呼びかけるアイザさんにレイスが迷うことなく頷く。流れるような二人のやりとりをみる限り、本当に趣味で行っていてあまりお金を取っていないのだろう。しかし、材料を持ち込んでいるレイスのお師匠様やレイスと同じ価格というのはいかがものか。
アイザさんとは今日が初対面だし、レイスのお師匠様であるベルクさんにいたっては顔を合わせたこともないんだけど……。
「では材料費をベルクさんにお支払いした方が」
「「必要ない」」
会ったこともない人のお世話になるなんてと思いそう口にすれば、間髪入れずアイザさんとレイスから否定の言葉が入った。しかもばっちりハモっている。一体なぜ。
そんな私の疑問が顔に出ていたのか、アイザさんが説明してくれる。
「彼奴は女好きだからな。若い女の子にやったっていや怒らねぇよ」
「稼いだ金を女性に貢ぐのが生きがいらしい」
続いたレイスの言葉に、彼の職場環境が一気に不安になった。
女性に貢ぐのが生きがいって、その人本当に大丈夫なのだろうか……。
そうと同時に、私はフェザーさんやレイスが頑なにベルクさんを紹介してくれなかった理由を悟る。凄腕だと聞いたのでお金が溜まったら食材採取を頼みたいなと考えていたのだが、なんやかんやと誤魔化されて今まで会ったことがなく不思議に思っていたのだが、そういうことなのだろう。
レイスのお師匠様が女好き……。
なんだか想像できない。そしてレイスがお師匠様の影響を受けてないか心配になってきた。
レイスがやたらと物を分けてくれるのって、私の生活を哀れんでるのと就職口を紹介してもらうきっかけになったことへのお礼、それから異世界の料理を気に入ったからだと思ってたけどもしかして違うのだろうか。無意識にお師匠様の貢ぐせが移っているのだとしたら一大事である。止めさせないと。
「まぁ、そういうことだから値段はあんま気にすんな」
驚き過ぎてわけのわからない方向に思考を飛ばしていると、アイザさんの声が耳を打ち私はハッと我に返る。
いけない。お師匠様の情報が衝撃的すぎて、今完璧にアイザさんとレイスの存在を忘れてた。
「俺も細工の腕を磨くのにいい練習になるし」
「は、はい」
拭いきれない動揺のまま頷けば、アイザさんが満足そうな笑みを浮かべて「楽しみしてろ」と言い放つ。安くしてくれるのは大変嬉しいんだけど本当にいいのかな、これ……。
「ちょっと部品の加工に時間がかかるからそうだな……十日後にまた来い」
「わかった」
そんな私の心情を知ってか知らずか、二人はこの話はもう終わりだとでも言うようにサクッと会話を締めるとアイザさんは再び紙やインクの準備に取り掛かり、レイスは残っていたエールを飲み干して席を立つ。
「帰ろう、マリー」
「気を付けて帰れよー」
これが日常なのだとでも言うような疑問の欠片もないレイスの瞳とアイザさんの緩い声に、これ以上なにを言っても無駄だということがなんとなくわかったので、私は彼らの言葉に大人しく従い立ち上がる。
依頼をしに来たというよりも、レイスの知り合いとしてもてなされただけのような気がするのだけれどいいのかな……。
そんな疑問を胸に抱きつつ、お礼と退席の挨拶をするために私達に背を向けているアイザさんへ声をかける。
「アイザさん。エールご馳走様でした」
「おう」
「十日後を楽しみにしてます。お邪魔しました」
「ああ。任せてとけ」
胸を張るアイザさんにペコリと頭を下げて、待っていてくれたレイスと共に扉を潜る。
「いい職人さんを紹介してくれてありがとう」
「アイザは器用だからな」
「そうなんだ」
並ぶ刃物から目を逸らしつつレイスとそんな会話を交わしながら歩くこと十数歩。
――次に来る時にはお礼持ってこよう。
カランカランと軽快に鳴る鐘の音を聞きながら店を出た私はそんな決意と共に閉じ行く扉に軽く頭を下げて、レイスと共に賑わう市場へと再び足を踏み出したのだった。
***
トマトの位置付けやこの世界の食の発展度それからレイスのお師匠様のご趣味など、衝撃的な事実が盛りだくさんだった市場での買い物から数時間後。
我が家となりつつある小屋へ帰宅した私は気合いを入れるべく腕をまくり、少し伸びた髪の毛を一つにまとめ直してキッチンに立っていた。
――さぁ、気を取り直してお菓子作りを始めましょうか。
といっても泡立て器さえない状況で作れる品は限られているし、もちろんオーブンなどこの小屋の中にはない。なので今日はコンロとお鍋があれば作れるプリンに挑戦しようと思っている。
まず用意するのは白砂糖を百五十グラムと水を四十グラム、鍋敷きとそれからプリン容器代わりの鉄製の器。この器の本来の用途は不明なのだが、値段やサイズが丁度良かったので今回はこれで。
カラメルが零れると危ないので湿らせた布巾を広げて、その上に器を並べておく。こうしておくと器が滑らないし、万が一カラメルを垂らしてしまっても台につかないので安心である。固まったカラメルの掃除は大変だからね。
そうして型の準備が終わったらさっそくカラメル作りだ。
片手で扱える大きさの小鍋に砂糖を少しだけ入れて魔石コンロの上に置き、弱火と中火の間くらいの火加減で温める。
あらかじめ少しだけ砂糖を中に入れたのは、鍋の温まり具合を確認するため。入れておいた砂糖が溶けて透明になったら鍋の温度はオッケーなので、砂糖を四分の一くらい入れて軽く揺すって広げる。
そして鍋を火の上に戻し、砂糖が溶けるのをじっと待つ。
縁の方から溶けてくるので、鍋を回して中身が均一になるよう混ぜる。
この時木杓子などは一切使わず、鍋を回したり火の当たる位置を動かすことで溶け加減を調整していく。また溶けている砂糖が色づいているようだったら、火から離して中身を回し温度が上がり過ぎないよう調整する。
これを四、五回ほど繰り返して砂糖をすべて溶かしていくのだが、色づき始めてから焦げるまではあっという間なので透明から黄金色をキープできるよう集中力が必要である。
ちなみにカラメルを作る際は、コンロの火加減はいじらないことをお勧めする。砂糖は色づき始めると一気に焦げていくので、鍋から目を離して火を弱めているうちに大抵手遅れになるからだ。
なので温度調整は基本的に鍋の上げ下げで行う。濡れ布巾を用意しておいてもいいかもしれないが、冷まし過ぎると固まって飴になってしまうので心配な人は弱火で時間をかけて作る方が失敗しにくいと思う。




