№7 トマトソース入りサンドイッチとグルートエールとプリン
レイスという鳥泥棒との衝撃の出会いからはや三か月。
――チュンチュン、ピーピピ、コケッコー。
私はスズメなどの小鳥達に交じって聞こえる高らかな鶏の鳴き声を聞きながら、差し込む朝日を頼りに二人分の朝食を作っていた。
今日の朝ご飯はサンドイッチ。
というわけで、まずはカンパーニュに似たパンを一センチ幅に六枚。
次いで玉ねぎをスライスに、レタスの葉を二枚ほど外し一口大にちぎっておく。
終わったら魔石コンロにフライパンを乗せて温め、卵を三つほど割り入れて目玉焼きを焼く。
具材が出来上がったら組み立て。
薄切りにしたパンの上にレタスと玉ねぎを重ねたら昨日の夜に作っておいたトマトソースを塗り伸ばして、目玉焼きを乗せる。
頂上にもう一枚パンを置いて半分に切ったら、サンドイッチの完成だ。
ちなみにトマトソースは、品種不明の親指ほどの可愛らしいトマトから作成。
フライパンに油を多めに伸ばし中火で温め、ニンニク一片を炒める。
ニンニクの香りが出たら四つ切りにしたトマトと玉ねぎのみじん切りを加えて、透明になるまで炒めたら水をコップ一杯ほど加え弱火に落として煮込む。
トマトが煮崩れてきたら木杓子で潰し、塩コショウで味付けて、最後に刻んだオレガノとパセリを加えて出来上がりだ。
本当はトマトもスライスにして挟んで、マヨネーズをパンに塗りたかったんだけど……。
残念ながらこの世界にバルーン泡立て器がまだ存在していないのだから仕方ない。
私が知らないだけで存在している可能性はあるけど、地球でバルーン泡立て器が普及し一般的に使われるようになったのは確か十八世紀後半あたりのことなので、探し回るよりも作ってもらう方が早いと思われる。
ちなみにカリーナさんに確認してみたところ、現在この世界で泡立てる道具と言えばアシなどの小枝を束ねたものらしい。
もちろん地球にもそういう時代があったことは知っている。卵の膨張で力を使ってお菓子を焼くと膨らむのが発見されたのはルネサンス時代あたりの話であり、当時は小枝の束に桃の木やレモンの皮を挟んで卵白やクリームに香りづけとかしていたらしい。
ただし、パンケーキの卵の撹拌は三十分以上、大きいケーキを焼く場合卵白の泡立てにたっぷり三時間以上かけるように記されたれレシピもあるそうだ。そのため、料理に携わる使用人や奴隷は大きな屋敷だと何十人と居たと聞いたことがある。
調理器具が発展した現代日本でも美味しい料理やお菓子を作るには体力と筋力が必要だと思っていたけれど、卵白の泡立てに三時間はさすがにない。
というわけでそんな恐ろしい情報を思い出した私は、手動となると結構な労力のいるマヨネーズの製作を潔く諦めた。使い慣れた泡だて器でも疲れるのに小枝の束でなんて、私の体力ではとても作っていられないからね。
――職人さんに聞いてみて、お金が足りそうなら作ってもらおう。
泡立て器があるのとないのでは料理やお菓子の幅がまったく違うからね。
今日の予定に金物職人の訪問を付け加えながら私は出来上がったサンドイッチを綺麗な布で包み、バスケットの中に入れる。次いで洗い物を済ませ、魔石コンロなどの火の元を確認したあと昨晩用意しておいた荷物と先ほど作った朝食入りのバスケットを手に取る。
そうして小屋の外へ出れば、真っ青な空が広がっていた。眩しさに目を細めて手をかざせば、隠しきれなかった太陽光が指の隙間から漏れてその輝きに心が弾む。
――いい天気。
なんだかいい日になりそうな予感に頬を緩ませながら、私はこの異世界に来て初めてできた友人と過ごす休日を満喫するために歩き出した。
といっても、少し前までは一文なしだったこの身ではそこまで懐に余裕があるわけではなく、また泡立て器など道具も足りないため作れるものは限られているんだけどね。
しかし、お菓子を作って食べられる余裕ができたというのは大きな進歩である。
異世界にやって来てはやくも四か月。
フェザーさんが新しく育てている鶏達も増え始め、もう少ししたら飼育法も確立するので近々鳥小屋も本格的に稼働させるそうだ。
鳥小屋が順調なお蔭で私の給金も増え、こうしてお休みの日に遊びに行けるくらいには私の生活にも少し余裕が出てきたし、ありがたいかぎりである。
「マリー!」
ここ数か月を思い出し感慨に耽っていると鳥小屋の方から私を呼ぶ声が聞こえてきたので足を止めれば、手を振るフェザーさんの姿。
「おはようございます! フェザーさん」
「おはよう。レイスがいるから大丈夫だろうけど気を付けて。楽しんでくるんだよ?」
「はい!」
行ってらっしゃいと笑顔で見送ってくれるフェザーさんに大きく手を振り返して、私は再び歩きはじめる。その途中出会ったカリーナさんからいただいた「危ないと思ったらすぐ逃げるのよ」という注意に苦笑しつつ、私は迎えにきたレイスが待っているだろう門へ急いだ。
窃盗犯と目撃者という衝撃的な初対面から三か月弱。
二色丼を食べたあと紆余曲折を経て、フェザーさんの友人の下に弟子入りすることになったレイスとはあれからちょくちょく食卓を囲む仲となり。あの日以来お米を食すことに抵抗がなくなったレイスは今や白米好きな私の良き理解者であり、異世界初の友人となった。
フェザーさんとカリーナさんには「なんですぐ逃げないんだ!」としこたま怒られたけど……。
二色丼を食べたあとのことを思い出し、つい遠い目になる。
レイスが真摯に謝ったこともあり最終的には納得してくれたけれども、フェザーさんとカリーナさんは大変ご立腹で。
まるで幼子に注意するのかのごとく危ないと感じたらすぐに逃げなさい、逃げられないなら声を上げて助けを呼びなさいと言い聞かせられ、さらに護身のためと魔法の練習をみっちり増やされて筋肉痛に苦しむはめになり、その、色々と大変だった。
しかしそれは二人が私を大切に想い、心配してくれた証。
やっぱり魔法は苦手だけれども火球が作れるようになったので森や山の入り口辺りならうろつける可能性が出てきたし、フェザーさん達との大切な思い出として心の中にしまっておこうと思う。
――レイスも見違えたしね。
門の外でピシッと背筋を伸ばし待っているレイスの姿に、私はそっと目を細める。
フェザーさんの紹介で森や山での採取を生業にしている方に教えを乞うことになった彼はなかなか筋がいいらしく、充実した毎日を送っているらしい。
その証拠にところどころ破れ裾が擦り切れていた服は新調され、ボサボサだった栗毛はアンバー色のたれ目と端正なその顔がよく見えるよう綺麗に整えられている。骨が浮いて見えていた腕や足は筋肉に覆われ逞しくなり、相変わらず表情筋は死んでいるもののその顔はほんのり色づき血色がいい。
健康的な姿に様変わりしたレイスは少し細身の見目いい青年といった感じで、貧困街出身だと思う人などいないだろう。
「マリー」
朝日を浴びながら私を呼ぶ低音は穏やかで、あの時レイスから逃げなくてよかったと心から思う。
「おはよう。待たせてごめんね」
「いや」
フェザーさん達には沢山迷惑をかけてしまったからなにかお礼をしないとなぁと考えつつレイスに近寄れば、アンバーの瞳が私を映す。そしてすぐに私の手にある籠へと移った。
「それは?」
中身が食べ物だと察したのか、少し弾んだレイスの声にクスリと笑みを零す。
生きるか死ぬかの生活を脱したことでこれまでを取り戻すように体が作られているレイスはよく食べるので、用意したサンドイッチも喜んで口にしてくれるだろう。
「この前貰った秤のお礼には足りないけど作ってきたの。市場に行く前に食べましょう?」
「…………ああ」
秤のお礼と言ったところでもの言いたげな目を見せたレイスだったが、やはり食べ物は嬉しいのか間を空けて頷いた。そしてさりげなく、私の手から籠を取り持ってくれる。
裏路地でなにかと面倒を見てくれていたお爺さんと同居しているレイスは、仕事以外にも師匠さんやフェザーさんから色々教わっているようで順調に紳士的な立ち振る舞いを身に着けているようだ。
「ありがとう」
「ああ」
短く返すレイスの表情は動かずその心中を推し測るのは難しいけれども、泥棒に入ったのが信じられないほどレイスは真面目で優しいと知っているので私は構うことなくその隣を歩く。
あの時のことは気にしなくていいと伝えたもののレイスは大変気にしていたらしく、折角仕留めた大物を売って得たお金で私へのお詫びの品を買って贈ってくれたのはつい先日のこと。
そんな彼の律儀さが好ましく、また口に出さずとも欲していたものに気付いてくれていたことが恥ずかしくも嬉しくて、断ろうと思ったのだけれどもつい受け取ってしまった。
普段も森や山で取ったものを持ってきてくれるし、レイスにはすっかりお世話になっている。
そのお礼というにはあれだけど……。
秤があればお菓子作りもできるので、材料や道具を揃えて色々食べさせてあげる予定だ。といっても、それくらいしかしてあげられないというのが現実なんだけどね。
魔法の使い方がぎこちなく鳥の世話もやっとな私と違って、健康体となったレイスはそれなりに筋力や体力をつけており。色々な魔法も使えるらしく、森や山での採取を生業にしている若手の中でも有望株だと噂になっているそうだ。部屋を借りてなにかと面倒を見てくれていたお爺さんを養えるようになったあとも順調に稼ぎを増やしているそうで、今ではレイスの方が裕福だったりする。
羨ましい気もするけど、友人が幸せなのはいいことだ。欲しいものが手に入れられるようになったレイスへのお礼に私が頭を悩ませることくらい、どうってことはない。
そんなことを考えていると、低い声が優しく耳を打つ。
「なにを作ったんだ?」
「薄切りにしたパンで野菜と目玉焼きとトマトのソースを挟んだの」
「……トマトのソース?」
怒涛の勢いで自立していく友人への安堵や一抹の寂しさと羨望を感じていた所為か、私の発言にレイスが目を丸くしていたことなどまったく気が付かず。
「アクセントにみじん切りの玉ねぎを加えて、香りづけにニンニクとか香草を入れてあるの。美味しいわよ」
「……そうか」
トマトソースの説明をしながら、レイスと共に市場ヘ続く道を歩いていたのだった。




