№6 レイス視点
人目を避けて残飯を漁り、地べたに生える名も無い草を奪い合い、死体があれば我先にと身ぐるみを剥いで金目の物を盗った。町の人々に見つかるとゴミか虫を見るような眼差しを向けられ、運が悪ければ石を 投げられて殴られる。だから人々が活発に動く時間はなるべく人目につかない場所を探し、そこで見つからないよう息を殺しながら体を休めた。
そして太陽が沈めばまた食料を探す。
いつからそんな生活をしていたのかはわからない。
しかしそれがまぎれもなく俺の日常だった。
己がなんのためにそうしているのかさえもわからぬまま、同じように路地裏を彷徨う大人達を真似て日々を生き抜くことに疑問を感じたことなどなかった。
いや、死の恐怖から逃げるのに必死で、生きる意味など考える暇がなかっただけだったのだろう。
けれどあの日。
――――! ――――――!
絶え間なく上がる歓声に、閉じていた目を開けて町に出た。
太陽の光に照らされながら歩くのは久しぶりで、慣れない明るさに目を細めていると聞き覚えのある声が俺を呼ぶ。
「いいところに来たなレイス」
「この騒ぎは?」
「魔王が死んだんだと。喜んだ町の連中が誰彼かまわず食いもん振る舞ってるから、お前も行ってこい。酔っ払いばかりだから手早く持ってくればバレないぞ」
「そうか」
嬉しそうに食い物を抱えた爺さんの言葉にいいことを聞いたと思いながら、俺は町の中心部へと足を進める。普段の活動時間よりもだいぶ早いが、爺さんが持ってこれたのなら俺でも安全に食料を手に入れられるだろう。
日々生きていくので精一杯だった俺にとって、魔王討伐の吉報はその程度だった。
魔王が倒されたことで地を這う生活が変わるわけではないと知っていたからだ。
そういうものだと思っていたし、そうであることに疑問を抱いたことなどなかった。
しかし。
「魔王が倒されたぞ!」
「勇者様万歳!」
「お父さん、お母さん! 私あれ食べたい!」
「こーら。走らないの。危ないでしょ?」
「まぁまぁ。記念すべき日だ。少しくらいはしゃいだって女神様だって許してくれるさ」
薄暗い路地の間から覗きみた町は、これまでになく賑やかで。
赤ら顔で杯をぶつけ合い勇者を称える男達や、満面の笑みを浮かべた身綺麗な子供と走り回る我が子を優しく見守る親達。歌いながら手を叩く男達や音に合わせて華やかな衣服を翻して踊る綺麗な女達や道行く人々も皆が空を彩る女神のベールを見上げては笑みを深めて、側に居る人々と喜びを分かち合う。
それはまさしく別世界の光景だった。
――なぜだ。
路地裏の影の中に居る己と光の中に居る人々を見比べて、なぜこんなにも違うのかと俺はその時初めて考えた。
親に手を引かれる子供や楽しそうに歌い踊る彼らと自分は、一体なにが違ったのだろうか。
なぜ俺はこんな薄暗いところで一人立っているのだろうか。
なぜ彼らは光の下であんなにも幸せそうに過ごせるのだろうか。
とめどなく湧きあがる疑問に喉が詰まって息苦しい。眩暈がするようなその感覚に気分が悪くなり思わず壁に手をつけば、近くにいた男が俺の存在に気が付いて目を見開いた。
――まずい。
見つかった。殴られ追い払われる前にこの場から逃げねば。
そうは思うものの足は動かず、男と見つめ合うことしばし。
「――ちょっと待ってろ」
男はそう言って裏路地との境い目から離れると、そこかしこに積まれている食料を袋に詰めはじめる。仲間を呼ばれるのかと思い身を固くしていた俺は逃げることも忘れ、ただ男の姿を目で追っていた。そして戻って来た男に手渡された食料が詰まった袋を抱えて、立ち尽くす。
――これほどいい日はねぇからな。お裾分けしてやるよ。
酒で赤らんだ顔で上機嫌にそう言った男は、誰かに呼ばれてどこかに行ってしまった。
腕の中にある食料が詰め込まれた袋は重く、今まで食べてきた残飯と違っていい香りをしている。
荷の重さによろめくように裏路地の奥に下がった俺は、見えぬなにかに引っ張られるように座り込み袋を開けた。そうして一番上にあった、大きな葉に包まれた焼いた鳥肉を掴み取りかぶりつく。
微かに温かさを残すそれはこれまで口にしたなによりも美味かった。
けれども腹の底から込み上げる熱いなにかが喉をつまり、上手く飲み込めない。
だから何度も噛んだ。
滲む視界の中、喉元まで込み上げる感情をかき消すように味がしなくなるほど何度も何度も噛みしめて、ようやくゴクリと飲み込めば熱い雫が頬を伝う。
壁の向こう側で上がった楽し気な歓声を聞きながら見上げた女神の光は美しく、何処までも遠かった。
***
あの日感じた腹の底を焼かれるような苦しさを嫉妬や惨めと人は言うのだと俺が知ったのは、世界が魔王討伐の知らせに湧いてから四か月近く経ってからのことだった。
教えてくれたのは鳥小屋の主人に紹介されて出会った、元は俺と同じく裏路地を徘徊していたという立派な身なりをしたベルクという男だ。
「もう帰るのか? レイス」
「ああ」
森や山の歩き方や獣の狩り方を教えてくれたベルクに頷き、今日の戦利品とようやく手に入れた秤を手に歩き出せばからかうような愉し気な声が背中に飛んでくる。
「マリーちゃんによろしくなー」
聞こえてきた名に思わず足を止めて振り返ればニヤニヤと笑う奴がいて、舌打ちが零れた。
そんな俺を見て「おー、怖」と心にもないことを呟くベルクにもう一度舌を鳴らして歩き出す。
こんな奴に構っている暇はない。
彼女が欲しがっていた秤を抱えて足早に換金所を出てた俺は、まだ明るい町中を進む。
そんな俺に侮蔑の目を向ける者はいなかった。
初めて盗みに入った鳥小屋でマリーと出会ってからはや三か月。
ボロボロだった俺の身なりはそれなりに整い、痩せ細っていた腕や足にも人並みと言えるほどの筋肉がついている。悔しいがベルクの指導のお蔭で森や山に入り食材となる植物の採取や獣を狩れるようになり、それなりの収入を得ることができるようになったからだ。
数か月前までは裏路地を彷徨い死体や残飯を漁っていた俺が、今や屋根のある家で毎日温かいご飯を食べている。
それもこれもあの日、マリーが止めてくれたお蔭だった。
一度抱いた疑問は消えることなく胸に燻り、募った感情が惨めな己が生への不満だとも知らぬまま俺は何かに突き動かされるように盗みに入ることを決めた。
打ち捨てられたゴミや死体を漁るとの違い、他者に危害を加えて家財を奪うのは危険が伴う。捕まれば殴られ追い払われる程度では済まず牢屋行き、場合によっては殺される。
痩せ細った己の体では満足に戦うことなどできないため、成功すれば得られるものは大きいと知りつつも犯罪に手を染めることはしなかった。しかし己の境遇に疑問を抱いてしまった俺は、これまでの地を這う生活に甘んじることはできなかったんだ。
だからあの日噛み締めた鳥をもう一度食べようと、昔からある鳥小屋へ盗みに入った。
人の気配のしない鳥小屋に忍び込み鳥を盗み出すのは存外簡単で、ついでに金目の物を持っていこうと近くにあった小さな建物に入る。しかしそこは物置だったらしく、目ぼしいものはなにもない。
盗む物がなかったことに、己が安堵の息を吐いたことには気が付いていた。
しかし、気が付かなかったことにした。
いや、そうするしかなかったんだ。
だって俺の腰には奪った鳥達がすでにいるのだから。




