№5 そぼろの二色丼 3
「私、今からお米で夕飯を食べる予定なので。よろしければ、一緒に食べますか?」
いまだ衝撃から復帰できていない窃盗犯にそんな提案をすれば、彼は息を呑んだあと目を瞬かせて私を見詰める。一体なにを言っているんだ此奴はとありありと語るアンバーの瞳にちょっと挫けそうになるけれども、ここまできたら後には引けない。
それに私には、どうしても彼に言わなければいけないことがあったから。
――女は度胸よ!
そう己を奮い立たせてもう一度口を開いた。
「たいした食事ではないですがご馳走します。だからその鳥達は返してください」
彼の腰に下げられた袋の中でもぞもぞと動いている子達を指差して告げれば、窃盗犯はハッと目を見開く。やはり、袋の中身はフェザーさんが育てている鳥達だったようだ。
大きさからいって恐らく鶉達で、縛られているのか鳴き声や羽音などは聞こえないけど身じろいでいるのか時折パサパサと羽が擦れるような音が袋から聞こえている。
仕事終わりに確認した時は鶉も鶏もちゃんと全員揃っていたので、私がカリーナさんの元へ向かったあとに忍び込んで盗ってきたのだろう。
こんな時に思い出すのは、こんなに可愛らしくなってしまってと嘆きつつも鶉達を優しく抱き上げて健康状態をチェックしていたフェザーさんや、母のように優しく微笑んでくれるカリーナさんの顔で。
鳥達の育成の秘訣を探るために誰かから頼まれたのか、それとも己で食べるつもりなのかはわからないけど、どちらにせよこのまま見過ごすなんてことはしたくなかった。
「フェザーさんが大切に育てている子達だから、こんな形で居なくなったらきっと悲しみます。貴方と出会ったことは誰にも言わないので、その子達は小屋に戻してあげてください」
だから私は、窃盗犯の正面に真っ直ぐ立ってそう告げる。
どれほど痩身であろうとも、自分より頭一つ分大きい男性だ。それにこの世界には魔法なんてものあるからもしかしたら痛い目に遭うかもしれない。
しかしそれでも、今ここで鳥達を取り返す努力もせずに今後ものうのうとこの鳥小屋でお世話になるなんてこと、私自身にはできなかった。
――私は小心者だからね。
誰かの好意にただ甘えるなんて怖くてできない性質なのだ。
家族や友人、同僚やちょっといい感じになった男性とだってそう。自分が相手の役に立ったから、なにかをしてあげたから相手も返してくれたのだと思えないと安心して甘えられずつい伸ばしてくれた手を断ってしまう。だから本当は全然大丈夫なんかじゃなくても「貴方はしっかり者だから大丈夫よね」と言われてしまい、苦労する破目になるのだけど今さらこの性格は変えられない。
フェザーさんやカリーナさんは目の前の窃盗犯を逃がしたところで怒ることはないだろうけど、私は間違いなく罪悪感に駆られて二人と顔を合わせることができなくなるから。
――逃げるわけにはいかないの。
ここで過ごした居心地のいい時間を思い出せば出すほど、その想いははっきりと己の中に浮かび上がる。だから私は僅かに震える自身の手には気が付かなかったことにして、目の前の男をまっすぐ見据えた。
そうして惑うように揺れるアンバーの瞳を見詰め続けること数分。
根負けしたのか彼はバツが悪そうに視線を逸らすと、ややあってため息と共に私の言葉に頷く。次いでおもむろにベルトに結び付けていた袋の紐を解いて外すと、鶉達を差し出す。
「悪かった」
自嘲するかのような声色でそう告げた男は鶉達を私に渡すと諦めたように、そしてどこか安心したように肩の力を抜いたのだった。
***
鳥泥棒との衝撃的な出会いから三十分ほど経った現在。
フェザーさんやカリーナさんに見つかることなく無事に鶉達を元の場所に戻した私と窃盗犯改めレイスは、夕飯を食べるためお借りしている小屋の中にいた。
鳥達を観察するための仮宿として建てられた小屋には、机と二脚の椅子に仮眠用の簡易ベッドが一つ、それから簡易キッチンやトイレなど生活に必要なものは一通り備え付けられており、中にある物は自由に使っていいと言われている。
キッチンには鍋とフライパンそれから包丁やまな板はもちろんボールやザル、木杓子やお玉も揃っているので大助かり。それにカリーナさんが色々と分けてくれるので塩や蜂蜜や醤油といった調味料や臭み消しなどに使われる香草も順調にその数を増やしており、ある程度の調理が可能となっていた。
そんな小屋の中には現在サーと小雨が降るような音が響いており、レイスが困惑の滲む眼差しで風魔法を駆使して壺に嵌め込んだザルの中でお米を回している私を見詰めている。
「……それはなにをしてるんだ?」
「精米と言ってまぁ、お米を美味しくいただくための作業よ」
「……そうか」
魔法に集中するあまり私が説明を放棄したことがわかったのか、レイスは大人しく口を噤んだ。
私はそんな彼へ目を向けることなく、撹拌式精米機と同じ要領でザル内の玄米を回転させていく。
撹拌式精米機についてはミキサーと似たような原理だと思ってもらえればいいだろう。中央にある刃が回転することで中の玄米が回り、ザルや米粒同士の摩擦により表面の糠が削れる。そして糠はザルの網目を通り壺の中に落ちるといった仕組みだ。
勢い余ってお米がザルから飛び出したり、割れたりしてしまわないよう集中すること十数分。
薄茶色かった玄米はすっかり白くなったところで風魔法を止めれば、自ずとため息が零れた。
ネットで見かける小説なんかではよく主人公がパパッと簡単に魔法を扱っているけど現実はそう甘くなく、なかなか使うのが難しい。
「終わったのか」
「ええ」
レイスの言葉に応えつつ、ようやく終わった精米作業に凝り固まった首や肩を回してほぐしながら白米が入ったザルを抱えて水を溜めた瓶の元へ運ぶ。
この世界での魔力というのはお腹辺りに溜まっており、それを感じとることは案外簡単だった。だって今まで感じたことのない生温い熱の塊が体の中にあるんだもの。わかりやすい異変だったので、異世界に来た時から薄っすら感じてはいた。
しかし問題は魔力の動かし方だった。
この世界の魔力は体の動きに沿って動く。つまり手や足に向かって腹筋や太ももやら胸筋やらの筋肉を順々に動かしていくことで移動させていく。ようはボディービルダーが左右交互に胸筋を動かしたり、背筋や腕の筋肉を意図的にピクピクと動かしたりできるあの能力が求められており、筋肉を伝い手や足といった必要箇所に移動させた魔力をイメージした事象に変換させるというわけだ。
ゲームや漫画を親しむ私にとって、事象をイメージすることは容易い。しかし部位ごとの筋肉など意識して使ったことなどないので、魔力の移動は一苦労である。
もちろん絶え間なくお腹に溜まっている魔力を動かし続けることなどできず、一定量の魔力を移動させて使い、尽きたら最初からもう一度といった方法でしか魔法が使えなかった。しかも移動させるのに数分はかかる。そのために、精米機ならば五分くらいで終わる量でも十数分かかってしまったというわけだ。不便極まりない。
恐らくだが、基礎魔法だという火球や水球がいまだに成功しない理由もそれだと思っている。どちらも火や水を作り出したあとに魔力で形を丸く整えるイメージらしいので、私が一回に動かせる魔力量では足りず成功しないのだろう。
となると解決法は自身の筋肉の把握、フェザーさん達は慣れれば意識しなくても魔力を自在に動かせるようになるよって言ってたけれど、はたしてそんな日は来るのやらといった感じだ。
この世界の魔法をマスターできた暁には、引き締まった美しい体が手に入れられそうだけどね。
「それをどうするんだ?」
「水で洗ったあと軽く水切りして、お鍋で炊くの」
「洗って、炊く……?」
「まぁ、見てればわかるわ」
お行儀よく椅子に座ったまま、不思議そうというよりも不安そうにレイスがお米の行く末を見守っていることには気が付いていたんだけど、説明するのが面倒だったので見なかったことにして、私は作業を進めて行く。百聞は一見に如かずというし、まぁ食べて美味しければ細かいことは気にならなくなるでしょう。
ということでまず精米したお米を小鉢サイズの入れ物で擦りきり十杯、大きめの深皿へと移してお米を研いでいく。
お米の研ぐ回数には様々な説があるが、我が家は水の取り替えは基本的に三回。一回目は吸水されやすいので二、三回軽くかき回して早めに水を捨てる。次いで濡れたお米に指を立てて優しくしっかりかき回して研いだあと水を注ぎ、底から軽くかき混ぜて洗い白く濁った水を捨てるという作業を二回だ。
これらの作業は十分以内に行うとよいらしい。
また、研ぐ際に掌で押し付けるように洗ったり早くかき混ぜすぎると米粒が割れてしまうので注意が必要となる。ちなみに作ってから一年以上経った古米の場合は掌を使ってギュ、ギュとしっかり洗った方が劣化した表面が綺麗になり美味しくなるみたい。
今回は新米なので優しく研ぎ、最後に浸水させるために綺麗な水を注ぐ。この時、お米が薄っすら見えるくらいの濁り具合ならそのまま浸水させ、お米が見えないほど濁っている場合は研いで洗う作業を一、二回足す。お米の量が多いと研ぎが二回では不十分な時があるからね。
浸水時間は大体三十分から一時間、半透明だった米粒が白くなれば終了である。




