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武力で制すとは

 気づけば、私はまったく知らない場所にいた。

 四方八方、すべてが光に溢れている。

 蜃気楼のようにモヤモヤした光で、なんだか不思議な感覚だ。どこか幻想的というべきか……


 ――あれ?

 私は自分の両手を見て驚いた。


 明らかに小さい。十六歳の女には似つかわしくない、幼すぎる小ささだった。


 全身を確認すると、こちらも幼児化していた。

 六歳……いや、八歳くらいか。エル君と別れた二年後である。


 いったいどうして、なにが起きている……?


「コトネ……」



 ふいに名前を呼ばれた。

 視線をあげると、随分高いところでナルルの顔が見えた。

 たくましい白ヒゲを生やし、優しい風格を滲ませているさまはさっきまでのナルルそのものだが――


 彼に、色がなかった。


 黄色がかった目も、茶色のローブも、すべてが色を失っている。

 この世界にあって、彼の姿だけが白黒だった。


 なんとなく、だけれど。

 ここにきて、私はすべてを察してしまった。


「これは……夢、なのね。ナルル」


「うむ。死に際にありったけの魔力を使って……最後に、おまえさんと話す時間を作らせてもらった」 


 死に際。

 という、ことは……

 私は、涙にかすれる自分の声を聞いた。


「私の、魔法が……あなたを……」


「いいのじゃ。ワシが人間を襲ったのは今日だけではない。これも報いさ」


「で、でも……」


 たしかに、ナルルのやったことは許せない。いかなる理由があろうとも、彼は人を殺したのだ。あまつさえ、戦争に関係のない子どもまで。


 だけど。

 だけど、彼をそうさせた理由も、痛すぎるほどにわかってしまうから。


「ごめんね」


 そうとしか言えなかった。

 私は今日、初めて魔物を殺した。

 その重責は、重すぎて、私には耐えられそうにない。


 そんな私を。

 ナルルは昔そうしたように、優しく抱きしめてくれた。


「謝るのはワシのほうだ……まだ若いコトネに、こんなことをさせるなど……」


 抱擁は一瞬だった。

 ナルルは時間がないとばかりにさっと身を離すと、小声で話し始めた。


「さっきも言ったが……ワシらとて、この破壊活動に疑問を持っておらんわけではない。逃げまどう住民や、力のない動物たち……みんな、恐怖に震えておった。愛する者と抱き合いながら逝く者もおった。まさにその光景は……数年前の、ニルヴァ市と同じ……」


 初めてナルルの声に涙が混じった。

 重すぎる沈黙が続いたあと、ナルルは話を再開する。


「いいか、コトネ。人間などと、対話だけで分かり合えるとはこれっぽちも思わん。平和条約など以ての外じゃ。だがな……だからといって武力で制しては、ワシのようになる」


「…………」


「おぬしは……まだ若い。だから示してほしいのじゃ。俗に言う《右派》でも《左派》でもない、大三の道を……」


「第三の、道……」


 たしか、エル君もルハネスと同じような会話をしていた気がする。

 世界のあるべき姿。

 ルハネスはまさに、理想の世界を目指すために魔王を務めているのだと。


「頼む。コトネ。ワシではなしえなかったことを……起こしてくれ……おまえさんなら、きっと……」


 そこで。

 無数の粒子となって、ナルルは空中に消えていなくなった。



 ★



「コトネ……」


 僕はそう呟かずにいられなかった。

 ナルルとの戦闘は、見事、コトネの勝利に終わった。


 だが、勝敗にいったいなんの意味があるだろう。

 勝者であるはずのコトネが、かつてないほどに、心に深い傷を負ってしまった。そのやるせなさの一部が、痛いほどに、残酷なまでに、僕にも流れ込んでくるから。


「…………」


 コトネはうずくまっていた。両膝を折り曲げ、顔面をおさえ、泣き声を懸命にこらえている。


 一方のナルルの姿はもうない。

 コトネの放った可視放射により、跡形もなく消し飛んでいった。僕がいくら辿っても、彼の魔力の残滓を見つけることはできない。


 そう。むかし大好きだった老人を、彼女が――


「コトネ……」


 だから、僕はもう一度呟かずにいられなかった。

 彼女のもとへ歩み寄り、その小さな身体を抱きしめる。


 小さな女の子は、最初だけびくっと震えたが、あとは無言のままだった。なにもしない。なにも言わない。


「お……おい、長が死んだぞ……」

「なんでだ……なんで魔物が魔物を殺すんだ……」

「俺たちは魔物のために……」


 取り残されたミール族が、口々に困惑の声をあげる。なかには、再び破壊活動を行おうとする者もいた。


 いくら同族とはいえ、これ以上の蛮行を放ってはおけまい。


 僕はふっと顔をあげると、ミール族全員にサイコキネシスを使用した。


「――帰れ。そしてもう、二度とこの地を踏むな」


「あ……」

「うぐ……」


 全身に力を失ったミール族たちが、両腕をだらんと落とす。意識を失ったかのように、ボソボソと小声で囁き始める。


「帰る……俺たち、帰る……」

「さよう、なら……」


 シュイン――

 転移術の音を響かせながら、それぞれ姿を消していく。


 脆いものだった。


 たとえどれだけ強固な信念を抱えていようが、僕のサイコキネシスにかかれば瞬時に言うことを聞いてしまう。


 ナルルにも催眠をかけておけば、この悲しい結末を迎えることはなかったかもしれない。


 だが――それは冒涜だろう。


「えっと、その、だな……」


 ふいに、いままで蚊帳かやの外だったサクヤが歩み寄ってきた。さすがの彼女も、いまばかりは沈鬱そうに両眉を落としている。


「俺が言っても空々しいだけかもしれないが……トリスクを救ってくれてありがとう。それと……すまなかった」


「すまなかったって……いったい、何を謝ってるんだい……?」


「……わからない。俺にも、この気持ちをどう表現したらいいのか……」


 だが、彼女の抱えている感情は少なからず理解できる。

 これまで、魔物とはすなわち悪魔だと思ってきたのだろう。だから殺すのが当たり前で、そこに躊躇ちゅうちょは必要ないと。


 だがいま、サクヤは見てしまったのだ。僕たち魔物の、知られざる一面を。


 だから葛藤している。

 本当に魔物とは悪魔なのか。

 本当に問答無用で殺してよかったのか。


 いままで、ギルド受付嬢として魔物討伐を受けてきたのは正しかったのか――


「村の復興は、ギルドの連中に任せることにする。……エル。いまから、すこしだけ時間を貰えるか?」


「時間……?」


「ああ。本当は黙っていようと思ったが、平和会議の裏で、ナイゼルがなにをしているのか――それを話しておきたい」


「平和、会議……」


 サクヤの発言に、コトネが小さな声で反応する。そのまま僕の手をぎゅっと握りしめると、再び呟いた。


「エル君……聞いてみよう。この会議……成功させたいから」


 そう言ったコトネの瞳には、かつてない、強靱な光が宿っていた。


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