とある家のとある出来事の直前
少し広く感じる部屋を見渡す、
所々草臥れた椅子や机等の家具、
小さいけど、溢れるばかりの暖かさと思い出の詰まったベッド、
私の料理を楽しみに待つあの人を背中に感じながら立っていたキッチン、
そのどれもが愛おしくて、もしかして寝て覚めれば全てが夢だったんじゃないかって、日々そんなことを思っていた。
数週間前、この世界に「勇者」と呼ばれる人間が別の世界からやってきた。
その話自体はお婆ちゃんから聞いていたからなんとなく理解していたつもりだった。
『もしこの世界に勇者が現れたら私達は“世界の敵”になってしまう、勇者は敵(私達)を倒すために各地を旅する筈だから…見付かったらその時は全力で逃げなさい、間違っても勇者を倒そうなんて考えたらダメ、いいわね?悲しいけどー』
「…それが世界のルールだから」
それが…私を繋ぎ止めてる言葉、
愛する者を引き裂かれようと、蹂躙されようと、
世界がそうであるなら仕方ない、従うしかない。
あの人が好きだと言ってくれた長めの真っ赤なくせっ毛、最初のうちは照れて見さえしてくれなかった少し際どいらしい服、優しく撫でてくれた尻尾…それらを鏡で見ながら毎日決まって飲み干す仕方ないという言葉…その日もまた同じように幸せだった時間をなぞるだけのはずだった。
「なんだか外が騒がしいわね…」
そう、彼がこの世界に来たのはそんな日。