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穏やかなる日々

 そのような作業が終わったある日のことです。スヴェン様がおもむろに出かけようと言い出しました。


「今日は湖にでもピクニックに行くか?」

「あら、いいですわね」

「あの空から見えた大きな湖ですね、行ってみたいです」

「それじゃあ弁当作って出かけるとしよう」


 丁度急いでやらなければいけないこと、といったものもなくなった時でもあり、渡りに船とばかりに賛同いたしました。

 そうと決まればバスケットに軽食と瓶に入ったワインを2本――数年も前の物らしいですが驚くほどに酸味が無く、どのように保管しているのかぜひ知りたいです――詰め込んでいざおでかけです。

 杖が無くてはおぼつかないお婆様ですが、スヴェン様が腕をお貸しになられているおかげで、ゆっくりとした歩みではありますが問題ない様子です。

 こういうお姿を見るとスヴェン様も意外と気が利くものだと感心いたします。




 のんびりと自然を楽しみつつ歩いていきますと、さほど時間がかからずに森がひらけて湖が見えてきます。

 周囲をぐるりと森に取り囲まれたその姿はなかなかに壮観です。

 ふと、耳をすますとどこからともなく美しい歌声が聞こえてきます。一体どなたが歌っているのでしょうか?


「セイレーンが居るな、ほら」


 スヴェン様が指さした先を見ると湖の中にある岩場に腰かけた人影があり、どうやらあの方が歌っているです。


「セイレーン様はなぜあのような場所で歌われているのでしょうか?」

「くっ、ふふ」


 私が疑問を口にするとお婆様がこらえきれないというように笑われました。


「……何がおかしいのですか?」

「ごめんなさいね、セイレーンというのは水辺に住まう種族全体の名前であって、各々の名前ではないのですよ。……私も実際に目にするの初めてですけれどもね」

「近くで見れば良く分かるだろう。おーい!」


 私たちのやり取りを見ていたスヴェン様がセイレーンに向けて呼びかけながら手を振ると、こちらに気が付いたのか歌うのを止め、するりと水の中に滑り込みました。

 そして矢のような速さで岸まで泳ぎ着くとぷかりと浮かび上がりこちらを見上げてくる。

 ぬれぼそった金髪に美しい顔、何も身に着けていない滑らかな上半身、そして遠目には判りませんでしたが腰から下がなんと魚のようなうろこに覆われています。

 ……水中でよく見えませんが足はどうなっているのでしょうか?

 ――しかしもっと驚いたのはその点ではありませんでした。


「なんだ、スヴェンじゃねーか何の用だ? にしても相変わらずシケた顔してやがんな。ん、そっちの女どもはお前のつがいか? ババアにガキとはいい趣味してやがる」

「な……」

「あっはっは」


 絵画の中から出てきたような貴婦人然とした風貌からは想像もできないような言葉遣いに絶句する私と、逆に大笑いするお婆様。……お婆様が口を開けてお笑いになるところなんて初めて見ました。


「そっちも相変わらずだな。なに、この二人がお前さんを見物したいってんで呼んだだけだ」

「……俺は見せモンじゃねーぞ」

「いえ、素晴らしい歌声でしたので、どのような方なのかご挨拶を致したいと思いまして」

「なんだ、タダ聞きかよ」

「そっちが好きで歌ってんだろうに……。まあいいや、ここから好きなものを持っていけ」

「んー、それじゃコイツをもらってくぜ!」


 スヴェン様がバスケットを差し出すとセイレーンの方はそこからワインを一本抜き取ると、今度はわざと水しぶきを立てるようにして潜り、先ほどまでいた岩場まで戻っていきました。


「これでしばらくは好き勝手に歌ってくれるだろう」


 スヴェン様がそう言ったそばから岩場の方から美しい歌声が再び聞こえていきます。


「それでは、私たちも準備を……」


 私がバスケットの中身を広げるような場所を探してあたりを見回していると


「俺にまかせておけ」


 スヴェン様ががそういい、口の中で何かをつぶやきました。すると湖のすぐそばの土が盛り上がり、またたくまにテーブルと3脚の椅子のような形になりました。


「懐かしい魔法ね」

「土いじりだけは得意だからな」


 どうやらスヴェン様の魔法のようです。このように目に見える魔法と言うのは初めてで、どうなってるのか気になって仕方がありません。


「あの、座ってもよろしいのでしょうか?」

「構わないが、布くらいかけておくか。……それでは奥様に姫様、どうぞおかけ下さい」


 テーブルにはクロスを椅子にはハンカチのような小さな布をそれぞれかけると、わざとらしく一礼して席を勧めてくれます。

 お婆様に私、そして続いてズヴェン様が席に座り、セイレーンの歌声を聞きつつ昼食とおしゃべりを楽しみます。

 なんとも素晴らしい、そんな一日でした。






「今日は天気もいいし、飛竜で空でも飛んでみるか?」


 湖へのピクニックから幾日か過ぎた日、今度はスヴェン様より空へのお誘いがありました。


「それは素敵ね、ぜひ日中に空を飛んでみたいと思っておりました」


 お婆様は一も二もなく賛成いたしますが


「……私は遠慮しておきます。どうも空は少々苦手です」


 私は同行を遠慮しておきます。言葉に嘘はありませんが、お婆様とスヴェン様をお2人だけにして差し上げたいという気持ちの方が大きいです。

 私が無理を言って付いてきてしまったせいで、2人きりの語らいと言うものがあまりないように見受けられます。そのことを内心心苦しく思っていたこともあり、良い機会だと考えました。


「あら、そうなの」

「それじゃ2人で行くか?」

「ええ、どうぞ私は留守番をしています」


 思惑通りになり、ほっと一息つきます。

 そのそばでスヴェン様がなにやら懐から人差し指くらいの大きさのものを取り出して口に当てます、笛なのでしょうか? しかし音が出てくる気配はありません。


「ああ、これは竜を呼ぶ笛だが人間には聞こえない音が出るようにできている」


 私の疑問のまなざしを感じたのか、笛を吹き終わったスヴェン様が説明してくれます。

 そして話して間もなく、空から重々しい羽ばたきの音が聞こえてきました。今までにないくらい力強い音です、これが本来の飛竜の羽ばたきの音なのでしょう。


「よしよし、よく来たな。ちょっと鞍を取ってくるから待ってろ」


 地響きを立てて着地するかと思った飛竜ですが、以外にも静かに地面に降り立つと早速スヴェン様に甘えるようにまとわりつきます。

 その首筋をしばしなでた後にスヴェン様は鞍を取りに物置小屋へと入って行きました。


「見事なものねぇ」

「……はい、立派なものです」


 お婆様は飛竜に近づいて惚れ惚れするようにおっしゃいます。私はその意見には同意いたしますがあのようにすぐ傍までは怖くて行けません。

 胴の部分は大きな牡牛よりもふたまわり以上は太く、翼を広げれはちょっとした家くらいの幅があり、黒光りする鱗に全身覆われています。

 襲われたら丸呑み、とまでは行かないでしょうが一口で体の半分くらい食べられてしまいそうで、足がすくんでしまいます。


「あら、私にもなでさせてくれるの? 良い子ね」


 ――だというのにお婆様は笑顔を浮かべながら先ほどのスヴェン様の様に飛竜の首筋をなでています。 私もその内にあのような豪胆さが身に付くのでしょうか?


「仲良くしてるところ悪いが、鞍を付けるから少し下がっててくれ」


 物置小屋から戻って来たスヴェン様が大きな鞍を抱えて戻ってきました。どうやらこれをあの飛竜に乗せるようです。

 そして、そうこうしているうちに飛行の準備が整いました。風景が良く見えるようにとお婆様を前に乗せて、スヴェン様が後ろで手綱を握る格好です。


「それじゃ行ってくる」

「アリシアも一緒に来ればよろしいのに」

「……いえ、その。……一人になりたいときもありますので今回は遠慮をしておきます。お2人で楽しんできてください」

「わかりました。それでは行ってきますね」

「日が落ちるまでには帰る」


 そう言い残すとお2人は飛竜にのって大空に飛び上がりました。






「私たちの家がもうあんなに小さくなって、飛竜というのは本当に凄いのね」

「馬の全力疾走の倍以上の速さで飛べるし、こいつなら丸一日飛ぶくらいの体力もあるからな」

「そういえば、あの頃は飛竜など連れていませんでしたがどうされたのですか?」

「ああ、こいつは30年くらい前に拾ったんだ。どうやら母親は縄張り争いか何かで他の飛竜と争って相打ちになったみたいで、まだ幼竜だったこいつのそばで2匹が死んでいたよ」

「そうですか……」

「飛竜同士が派手にやりあってる気配があったから見に行ったらもうすべて終わった後だった。放っておくのもなんとなく可哀想で連れ帰った。まぁ、幼竜といっても既に子牛くらいの大きさだったがな」


 スヴェンの話によると、当然背に乗って行くことなんかできず、ひと月ほどもかけて山からあの家まで連れて行ったそうです。


「さて、これからどうするか。この辺りは森と湖しかないから眺めてても変わり映えしないだろ」

「これはこれで楽しいですけれどもね」


 私としては竜の背に乗って飛ぶこと自体が珍しいので、特段不満はありません。それに昼日中ひるひなかに都市の上になど飛んで行ったら大騒ぎとなってしまうでしょうし。


「そうだな、それじゃちょっと遠いがあそこに行って見るか」

「どこですか?」

「それは着いてからのお楽しみだ」


 何かを思いついたスヴェンは私の疑問をそのようにはぐらかすし、飛竜を操りどこかへと飛び始めました。

 飛竜は全力で飛んでいるのか、森が眼下をものすごい速さで流れ去っていきます。しかしそれを見ても不思議となんの怖さを感じない私は背をスヴェンに預けてそっと力を抜きます。


「お前は余裕があるなぁ。飛竜の背に乗ってそこまで気を抜ける奴はなかなか居ないぞ」


 スヴェンがそんな私をみて、苦笑するのを背中に感じます


「まぁいいさ、ちょっと時間がかかるから寝てろ」

「そうですね、最近少し疲れやすいようなので失礼しますね」


 そう答えた私の意識は早くももやがかかったようになり、やがて闇の中に落ちて行きました。






「そろそろ降りるぞ」

「ん……。到着ですか?」


 すっかり寝入ってしまった私を軽く揺らしてスヴェンが起こしてくれます。よく考えると前回飛竜に乗った時も寝てしまいましたね。

 空中で緩く旋回する飛竜の足元には森の中にわずかに開けた場所が見えます。あの場所が目的地でしょうか?


 そして、着地した飛竜の背からスヴェンの手を借りて地面に降りると確かな大地に足を下ろしたはずなのに、かえってふわふわとした気分になります。


「ここがどこだかわかるか?」


 スヴェンの言葉に頭を軽く振り、意識をしっかりさせてから辺りを見回します。すると小さな空き地のような場所にはそこかしこに錆びてボロボロになった剣や鎧が半ば地面に埋もれるように見え隠れしていることに気が付きます。

 当たりの草木の雰囲気といい、どこか記憶に引っかかりますがはっきりとは思い出せません。


「50年ぶりだが、俺も良く場所を覚えていたもんだ」

「え……? それでは、ここは」


 もう一度周囲に目をやると、50年ぶりと言う彼の言葉を手掛かりにして昔の記憶がよみがえってきました。そうです、ここは私をスヴェンが初めて出会った場所です。


「ここであなたと出会い、私は助力を願い出ました」

「お前はまだまだあの頃は小娘って感じだったなぁ」

「今でもあなたから見ればそうなのかもしれませんね……」


 人間よりはるかに長命なスヴェンからすれば、世間からは老婆という扱いである私も幼子のようなものなのかもしれません。

 そして、私はしばしこの場所から始まった物語を思い返します。


「スヴェン」

「なんだ?」


 私は彼にそっと抱きつき


「ありがとうございました」


 万感の思いを込めた、その言葉だけで彼は判ってくれるでしょうか。


「なに、良い暇つぶしになったよ。それに報酬のために働いただけだ」


 私を抱き返してくれながら、いつもの軽い調子で答えてくれます。

 それが嬉しくなり、私は抱きつく腕の力を強めます。

 ほんのひと時の間、私の心はあの頃の少女に戻っていたのかもしれません。






「おかえりなさい、空の旅はどうでしたか?」


 夕刻近くになり、大きな羽ばたきの音を聞きつけて家から出るとちょうど2人が飛竜の背から降りるところでした。


「とても素晴らしかったですよ、アリシアも一緒に来ればよろしかったのに」

「……次に機会があれば、その時にでもお願いいたしますね」

「ならば、明日にでも行くか?」

「そ、それは……」


 私が言葉に詰まると、2人は声を上げて笑います。出かける前と少し2人の雰囲気が変わったでしょうか?

 それにしても、友人という訳でもなく、恋人でもなく、無論夫婦でもない不思議な関係の2人ですが、とても何十年も会っていなかったとは思えないくらい自然に見えます。私にもそんな関係を持てる相手がそのうち現れるでしょうか?

 楽しげに語らう2人を見て私は羨ましくなります。




 穏やかにそして優しい時間が過ぎていきます。こんな時間がいつまでも続けばいいと、その時私はそんな風に思っていました。


 しかし、晩春にこの地にやってきて、夏を迎え、秋が去り、冬の足音が聞こえてくる頃に、終わりの時もすぐそこまで来ていたのでした……。

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