新たなる地
その日の深夜
「お別れですね、アリシア」
優しく微笑むお婆様の横には迎えに来たスヴェン様が立っており、既に用意した荷物は飛竜の背に結び付けられて残すところはお婆様だけです。
「お婆様……」
お婆様はおそらくは喜んで行くというのに、私は悲しくて晩餐の時には我慢できた涙がこぼれてきてしまいます。
「まるで俺が人さらいみたいだな……。まぁ間違ってはいないが」
「これは正当な報酬ですわ、少ししなびてしまいましたけれど」
そんな私の目の前で交わされる会話に少し腹が立ってきますがぐっとこらえます。
「それじゃあアリシアとか言ったな。後は頼むぞ」
スヴェン様はそういうとお婆様を抱き上げて飛竜の待つテラスへと歩いていきます。
「さようならアリシア……」
スヴェン様の背で姿の見えなくなったお婆様からの言葉に、またもや涙が溢れてきてしまいます。
そして抱きかかえられたままのお婆様とスヴェン様が飛竜の背に乗り、今まさに飛び立とうという時に私の中で何かが爆発しました。
「私も……。私も付いていきます! お婆様のお世話は私がします!」
駆け寄る私に、2人は顔を見合わせて
「どうするカミーラ、お前次第だ」
「……そうですね、アリシアの好きにさせましょう」
「そうか。ならば飛竜の背に乗れ、だが後で後悔するなよ?」
「いたしません! ここで見送る方が後悔します!」
私はそう言いながら飛竜の背に飛び乗りました。2人乗り用の鞍に無理やり三人がまたがるようにするので少々手狭に感じますが、文句は言っていられません。
「あまりぐずぐずしてると見つかって面倒なことになる、行くぞ」
そして、私が乗るや否や飛竜は大空に飛び立ちます。あっという間に小さくなっていく王城を見ていたら底知れぬ恐怖に囚われてスヴェン様に背中から抱きついてしまいました。
「なんだ、大口叩いた割には怖いのか?」
からかうようなその言葉にも言い返す余裕がなく、ただただ強くしがみつくばかりです。
しかし、慣れてくると奇妙なことに気が付きました。恐ろしく速い速度で飛んでいるように思えるのに、いくらスヴェン様の背中に隠れるようにしているとはいえ風をまったくといっていいほど感じません。もしかすると何か魔術で防いでいるのでしょうか?
「……平気です。それよりも風を感じないのは魔術を使っているのですか?」
「そりゃそうだ、この速さで何もしてなかったら今頃は地面にころげ落ちてるぞ」
恐ろしいことを笑い含んだ声で返してきます。
「カミーラはどうだ?」
「そうですわね。なかなか愉快な気分ですけれども、地面が真っ暗で何も見えないのがいただけません」
「なるほど、それじゃ今度は日のある時にでも遊覧飛行してやろう」
「楽しみにしていますわ」
流石はお婆様です。私とは違いこの状況を心底楽しんでいるようです。
「まぁ、しばらくは何も見えないような夜空を飛んでいるだけだから寝てていいぞ」
無理です。絶対に寝るなんてできません。
「そうですか、ではそうさせてもらいますね」
ああ、お婆様……。
「そろそろ着くぞ、起きろ」
スヴェン様の声にはっとします。どうやらいつのまにかうとうとしていたようです。こんな大空で人様にしがみついたまま寝てしまうとは、案外私は図太いのかもしれません……。
東の空が明らんでおり、夜明けを迎えていることがわかります。
「どのあたりですの?」
「人間がキールとか呼んでる街の南にある森の中だ」
馬車で数日はかかるキールの街を一晩で飛び越すとは飛竜の何と速いことでしょう。
そして大きな湖が見えてきた辺りでまだ薄暗い森の中へと降りて行きます。
「ここが今日からしばらくの間の住処だ。3人になったのは予定外だが、ま、なんとかなるだろ」
飛竜が降りた先にあったのは、何と言いますか、とても普通な建物でした。
城や塔、巨大な館や果ては洞窟や地下など、魔族が済むのはどんな場所かと思っていた私としてはすこし拍子抜けです。
「こじんまりしてますのね」
「奇抜な建物なんてのは住みにくいからな、こういうので良いんだよ」
たしかに、一人で妙な城などに住んでいては手入れも大変でしょう
それにしても数部屋しかなさそうな木造の家とは思いませんでしたが……
「部屋は……、客間なんて一部屋しかないから2人は一緒でいいか。アリシアの分のベッドはその内なんとかするから、しばらくは床が嫌なら寝椅子でも使って寝てくれ」
「ふふ、スヴェンは変わりませんね」
仮にも一国の王女に対してあまりにぞんざいな物言いに絶句していると、お婆様がこらえきれずといった様子で笑います。
「一応かしこまった態度も可能だが、そっちのほうがいいか?」
「いえ、今のままがよいです。ねぇ、アリシア?」
「え、は、はいそうですね……」
お婆様が望まれるなら是非はありません。ええ、ありませんとも……
こうして奇妙な3人の共同生活は始まりました。
暮らし始めてすぐにこの3人のなかで一番生活力に欠けるのが私だという事を知りました。
スヴェン様は一人暮らしが長かったらしくなんでもご自分でできますし、……失礼なものいいですが、私と似たり寄ったりだと思っていたお婆様もスヴェン様の足手まといにならない程度には家事ができるようでした。
「城から追い出された5年間は侍女なんて上等なものは居ませんでしたし、その後もしばらくは人手不足に財政難で自分の事は自分でやらざるを得なかったのよ」
……私は城に居る時にはたしなみとして覚えた刺しゅうが上手と褒められていましたが、今この場所ではあまり役に立ちそうにありません。
「まだ若いんだしこれから覚えればいいだけだろう」
「そうですよ、やってみると存外楽しいものよ?」
そうですね、せめてお婆様のお世話くらいはできるようにならないといけません、そもそもがそのような理由でついてきたのですし。
そして慣れぬ家事に四苦八苦すること数日後の、とある朝にこの家に来客がありました。
「オウ、旦那に呼ばれてきたんだガ」
「え、あ……」
玄関のそばに居た私は、戸を叩く音に思わず出てしまい。そこで見たもので体が硬直してしまいました。
「しかし、旦那の家に他の人間が居るなんて珍しいナ。……ところでいつまでもそうしてないで旦那を呼んでくれヨ」
「どうした? ああ、来てくれたか、助かるよ。アリシア、お前のベッドを作りに来てくれたんだぞ、惚けてないで礼くらい言え」
「……は、はい。ありがとうございます」
なんのことかわからぬままに私は来客の方――実物を見るのは初めてですがオークですよね? ――に頭を下げます。
オークの方は良く見ると3名おられるようです、先ほどの方が一番位が高い方のようで、少し離れたところにあと2名いらっしゃいました。
そして、私を遠慮なく見まわしてきます。……もしかしてどこから食べようかとか考えているのでしょうか?
「そんな訳ないだろ。さっき言った通りお前の寝床を作りに来てくれたんだよ。俺とカミーラのベッドもこいつらのお手製だ」
……心の声が表に出ていたようです。
「またこんなちっこい奴の作るのカ。まるで玩具作ってる気分になるナ。寸法は大体理解したんで早速作るゾ」
どうやら私を見ていたのは体の大きさなどを確かめていたようです。そしてその場で持参した材料や道具でベッドを作り始めました。
どうやらこの方々はスヴェン様のお知り合いの様ですし、危害を加えるような事ないだろうと安心した私は、こうした家具を作る様子など見たことが無いので興味深く眺めます。見上げるような巨体に、大きく裂けた口から牙の突き出したご面相からは想像もできない、丁寧かつ素早い作業でただの材木からベッドが作られていきます。
その作業を私は飽きることなく見つめていました……。
「できたゾ」
オークの方々は一心不乱に作業を続けられ、昼過ぎには立派なベッドが完成し、そしてでき上がったベッドを軽々と持ち上げてお婆様ベッドの横に設置してくださいました。これに藁を詰めたマットレスを乗せて、その上にリネンのシーツをかければ私の寝場所のでき上がりです。
……ここにくるまでは藁をつかったマットレスなどというものがあるのを知りませんでした。
「ありがとうございました。これでやっと寝椅子から解放されます」
「気にすんナ。旦那には世話になってるからナ」
最初は恐ろし気に見えたお顔も、今となっては頼もしさすら感じるようになりました。
そして頭を下げて見送る私に軽く手を振ると彼らは森の中に消えてゆきました。
この他にも足りない下着類を――主に着の身着のままでついてきてしまった私の物を――どこからともなくスヴェン様が調達してきた綿布で作ったりと、暮らすために必要なものを増やしていきます。
こうして思わぬ住人となってしまった私も、徐々に住むための形を整えていくことが出来ました。