遠き日の約束
「それでどうなったのですか?」
「帝国の将軍は部下の命を保証する事と引き換えに降伏を申し入れてきました。私たちはそれを受け入れて王国での戦いは終結しました。もっとも降伏と言っても身代金を期待でないような騎士未満の兵士は武装解除したうえで国外追放という形になりました。何千人もの捕虜を食べさせる余力はその時の私達にはありませんでしたし」
なんとも生臭い話ですが、それが現実と言うものなのでしょう。
「そういえばスヴェン様はなぜ最初から鉄巨人を使わなかったのでしょうか? 一度しか使えないなどの制約でも?」
「いえ、彼が言うには『あまり俺が目立ちすぎると後々の支配がやりづらくなるだろう』という事でした」
そんなものなのでしょうか、私にはよくわかりませんがお婆様はそれを当然だと思っているようです。
「まぁ、それは置いておきましょう。……王城を取り戻した私達でしたが、数日どころとかひと月くらいの間は戦勝祝いをする余裕もなく様々な後始末に奔走することとなりました。しかしそれも一段落してやっと王国奪還の祝いを王都全体でとり行う事となりました。……そしてその日は、私とスヴェンとの約束を果たさねばならない日でもありました」
「でも、お婆様は王国に残られたのですよね? まさか約束を反故にしたとも思えませんが……」
微笑むお婆様
「それは、今日のような月のない夜の事でした――」
「ここにいましたか」
朝からの大騒ぎと言っていいほどの王都全体での戦勝祝いは、夜のふけた今となっても続いています。
それはただ喜ぶだけでなく、失ったもののへの哀悼や今後への希望、そして不安を一時忘れるためのものなのかもしれません。
そんな中、私は王座に座り、数えきれない人々の挨拶を受けていました。しかしそれもやっとのことで途切れ、ずっと姿が見えずに気になっていたスヴェンを探していました。
「帝国人と言うのも存外風流なものだったのかもしれないな」
あまり実態を知らずに、ただただ非道な存在だと思っていた帝国ですが彼らが立ち去った王城は予想以上に、下手をすると私たちが以前暮らしていたときよりも綺麗なくらいでした。
「……この中庭の花々は私が見知ったものとは変わってしまっています。きっと帝国の物なのでしょうね、彼らはこの花を見て遠い故郷を思っていたのでしょうか」
喧騒から切り離されたような中庭にスヴェンはひそやかに立っていました。私はまるで誘われるように――そう、きっと彼の魔法によって導かれてここに来たのでしょう。
「約束を覚えているか?」
「はい、勿論です。一度たりとも忘れたことなどありません――しかし」
しかし、今はまだこの身をお渡しすることはできません。理由は、まことにもって自分勝手な理由ならばありますが、それを聞いたら彼は何と思うでしょうか? 所詮は人間がわが身可愛さに言っているだけだと仰るでしょうか? そんな私を軽蔑するでしょうか?
「しかし?」
「し、しかし今はまだご猶予を頂きたく思います。私は唯一残された王族としての義務を果たさねばなりません!」
そこまで言った後に私は、彼からの叱責を恐れてうなだれしまいました。
できる事ならば、ここから連れ去ってほしいという気持ちは伝えることは間違ってもできません。たとえそれが契約の代償などでなくとも一緒に行きたいと思っていても……
「まぁ、構わんよ。ならばなすべきを全て終えたら迎えに来るとしよう」
以外にも彼の口からこぼれたのはそんな言葉でした。そしてうつむいたままの私の右手をとるとそっとその甲に口づけをしました。
「え……」
驚いた私が顔を上げると、彼はいたずらに成功したような表情で
「これは手付だ、残りはそのうち取立てに来るぞ」
そう言い残して、私に背を向けて去っていきます。
そして私が呆然としてる間に中庭の闇の中に消えていきました。私が我に返って追いかけて探し回りましたが彼の姿はもうどこにもありませんでした。
「こうして、彼との約束が残されたのです」
語り終えたお婆様は、愛しげに右手の甲を見つめています。きっと遠い日の約束を思い出しているのでしょう。
「ところでお婆様、それからどうなったのですか?」
「それから……?」
お婆様は一瞬きょとんとした様子でしたが、何かが思いあたったように
「ああ、彼とはそれきりですよ」
「それきり……。まさかなんの連絡もなく、先ほどの来訪が50年振りだというのですか?」
てっきり、時折は連絡を付けていたのではと思っていた私は驚きました。
スヴェン様はどのようなおつもりなのでしょうか、人と魔の違いというだけなのでしょうか?
「なんにせよ、彼は私が踏み倒していたものをついに取り立てに来たのです。今度こそは支払いを済ませなければいけないでしょう。……自分で言うのもなんですが、大分価値は下がってしまいましたけれどもね」
「し、支払とは具体的にどのようなことをするのでしょうか? まさか魂を差し出すというような話では……」
私が、物語によく出てくるような悪魔との契約の話をすると、お婆様が苦笑します。
「さあ? 彼は充分な支度をして共に来いとだけ言っていましたね。さて、話はこれですべておしまいです。……そうそう、長話のお代として貴女も準備を手伝いなさい」
「え、はい。……わかりましたお婆様」
何をするのか分かっていませんが、私は――というよりも、この国でお婆様の言葉に逆らえるものなどおりません――お婆様の命令にただ頷くことしかできませんでした。
明けて翌日、遅くまで話を聞いていた上に、なかなか寝付けなかった私は眠い目をこすりつつ身支度をするとお婆様のお部屋を訪ねます。
「おはようアリシア、今日は良い天気ね」
すると驚いたことに、最近は寝たまま一日を過ごすことが多かったお婆様が起きており、何やら書き物をしている最中でした。
「おはようございます、お婆様。本日はお体の具合がよろしいようで何よりです」
「ふふ、やるべきことができましたからね。寝てばかりもいられません」
生き生きとした様子のお婆様を見ると私もうれしくなります、が
「アリシア、貴女は町で働くご婦人方が着ているような服を何着か、……そうですね、古着で調達してきなさい。私の体の寸法はわかっていますね?」
突然、思いもかけぬ指示に驚いてしまいました。そのうえ
「貴女が時折お忍びで町に行っている格好で、年配の者が着るようなもので良いのです」
更に、私のひそかな楽しみがお婆様に筒抜けだったのを知り、二の句が継げなくなってしまいました。
「あの……、その……」
「別にそのことをとがめる気はありませんよ。それよりもそんなところで突っ立っていないで言われたことをなさい」
「は、はい! 承知いたしました!」
眠気など吹き飛んだ私は、ほうほうの体でお婆様の部屋を飛び出します。
しかしどうしましょうか。いつものメイドに頼むしかないでしょうけれども、お婆様向けの服などなんと説明すれば良いのやら……
それからも様々なものを、――人目にはつかぬよう集めるよう命じられて、私は冷や汗をかきながらもなんとかお婆様の命令を遂行していきます。
その間お婆様は様々な人に会い、そして数多くの手紙を書いているようでした。
そして、そのすべての準備を終えたのは約束のその日の午後すぎとなってからでした。
「アリシア、ご苦労さまでした」
「いえ、何とか間に合ってよかったです……」
私はぐったりしながらも、――恐らく最後となるお婆様とのお茶の時間を楽しんでいました。
寝台の陰にちらりと視線をやると、そこにはここ数日の努力の結晶である大きなカバンがふたつ、人目につかぬよう置かれています。
「……スヴェンは今夜の深夜過ぎにやってきます。もしその気があるなら見送ることを許可します」
「お婆様……」
真剣な顔になったお婆様のその言葉に、その時がお別れになるのだとの予感を強くします。
……その日の晩餐は、王城に居る家族全員で取りにぎやかに過ごしました。特にこのところ体が弱り塞ぎがちであったお婆様を心配していたお父様は、いつもの謹厳な様子をかなぐり捨てたように浮かれていました。
その姿を見て私は涙が出てきそうになりましたが、何とかこらえて笑顔で食事をとり終えることができました。
こうして最後の夜は更けていきました。