悪役令嬢は笑わない
僕は静かに目の前の光景を見る。大広場だというのに辺り一面、人ばかり。ある者は腕を上げて歓声を上げ、ある者は大声で罵倒する。そんな喧騒に包まれている広場の中心には、彼女がいた。
金の髪と赤い瞳が特徴的な彼女は、少し高めに作られた舞台の上で両手を縛られている。普段であれば流行りのドレスを身にまとい、幾多の男性を魅了していたんだろう。だけど今は質素な白いドレス。まるで死に装束のよう。その横顔は罵倒を浴びせられ、投げられた小石が当たっても無表情。目の前には絞首台が無慈悲にも見えるというのに……。
彼女の名前はリサディア・スタンフォード・ローリー様。有名なミラー侯爵家の娘です。この国で影響力が強く、王の次に偉いのは彼女の家だと言われていました。そんなリサディア様がなぜこのような事になっているかというと、リサディア様は悪女と恐れられる程に酷く残忍な性格の人だったからだ。
「リサディア・スタンフォード・ローリー。貴様の罪状を読み上げる」
そんな声が聞こえてきて、あれだけ騒がしかった周りが一瞬で静かになる。彼女の隣に立つのは元婚約者でありこの国の王子、ジーン様だ。その隣には彼の今の婚約者、エレニナ様がいる。
「貴様は過去に何の罪もない西側の国民達を殺してきた。これについて何か異論はあるか?」
「異論? そんなのあるわけ無いでしょう。西の人間を殺して何が悪いのですか?」
それは当たり前だと言わんばかりにリサディア様は言う。
この国は西側と東側で人種が違う。元を辿れば同じだろうがいつからか二つに別れてしまい長年、いがみ合ってきた。それをジーン様の先祖の時代で起こった戦争によって東側が全てを統一することになったのだ。そんな過去があるからか、負けた側の西側の人々は人権を無視された扱いをされ続けている。
だけど、リサディア様のそれは度を越していた。処刑のやり方に東側の国民でさえ多くが震え上がったのだ。時に見世物のように処刑し、時に罪に問われた一家を赤子含めて火炙りにした、だのと噂が飛び交っている。しかも東の人間であっても不敬を働いたとして処刑された事もあるのだ。
「さらにだ、君はエレニナに対して嫌がらせをしていたそうだね」
「そこの者は西の分際で身分を弁えず、ジーン様に近づいた不届き者です。私はただ注意をしただけにすぎません」
「注意……危うく私が死にそうになった事があったのに、それをただの注意というのですか!」
リサディア様はそう反論するジーン様の隣に立つ美しくも儚い女性、エレニナ様をキッと睨みつける。ジーン様がその視線から守るように立つと、険しい表情でリサディア様を見ます。
エレニナ様は西側出身で平民でありながらも、特例で貴族しか入学できない王立学園に入学した優秀な生徒だそうだ。ただの庭師でしかない僕とは比べ物にもならないね。そんな彼女は学園でジーン様と知り合ったようだった。
それをよく思わなかったリサディア様が彼女に対して嫌がらせ、チャンスがあれば罪を被せて処刑を企んでいたんじゃないかと言われている。
「これ以上君と会話を続けるのは不愉快だ」
ジーン様はリサディア様から背を向け、集まった広場の国民たちに向けて話し始める。
「これより、悪女リサディアの処刑を行う!」
その声に歓声が答えた。集まった人々は西も東も混在だ。長いこの国の歴史の中で、この二つの人々が同じように並び立ち、歓声を上げる様はあっただろうか。
「今回の処刑方法は貴様の好きだった絞首刑だ。嬉しいだろう?」
リサディア様に向けてジーン様は言う。リサディア様はそれには答えずに促されるまま絞首台へと登っていった。
それは酷く簡単に、静かに終わった。首に掛けられた縄がリサディア様の細く白い首を締め付け、彼女の息を、命を奪っていった。吊るされる瞬間でさえ、リサディア様の表情は無表情。微動だにしなかった。
――もう一度君の笑顔が見たかったよ、リサ。
僕は歓声の止まない人混みの中で、もう変わることのない彼女の顔を見つめていた……。
***********
僕の名前はフィッツ。庭師だ。父親が侯爵家お抱えの庭師だったから、僕も庭師になったんだ。貴族の庭園で働いているとはいえ、貴族だとか上流階級の人間とはきっと関わらない平凡な人生になると思っていたんだけど……
「ねぇ、ここの花壇を任されているのは貴方かしら?」
いつもの仕事の時間帯だった。不意に声を掛けられて、僕は声のした方を見る。
「リ、リサディア様!?」
思わずそんな素っ頓狂な声が出る。仕方ないだろう、いつも姿を遠くでしか見たことのない、この侯爵家の令嬢であるリサディア様が目の前に居たのだから。僕は慌てつつも、失礼にならないように言う。
「はい、確かに僕がこの花壇の面倒を見ています」
僕も花壇を見る。今の時期は春だから季節に合わせた花が植えてある。黄色や白、それにピンク。種類は全部同じだけど、色が沢山あって綺麗な花だったから僕は植えたんだ。
「やっぱり! ずっと後ろ姿を見ていたからすぐに分かりました!」
「え、見てたって……」
「あそこ、あの部屋は私の部屋なのよ」
リサディア様が上を見上げて、指を差す。そこは丁度花壇が見下ろせる位置の二階の窓がある部屋だった。
「貴方がこの花を植えている時からずっと見ていました」
「……全然知りませんでした」
作業中はこの窓から背を向けている。まさか見られていたなんてまったく気が付かなかったよ。
「綺麗な花ですね。早く咲かないか待っていた甲斐がありました」
そう言ってリサディア様は花を見ながら笑う。その笑顔はリサディア様の優れた容姿もあるだろうけど、なんだか輝いて見えた。
「その花の花言葉は、「笑顔」って言います。リサディア様にぴったりだと思って……」
ずっと見ていたのは君だけじゃない、僕もなんだ。いつも遠くから見ていたリサディア様。こうして今みたいに話す機会なんてないと思っていたから、彼女のような花を植えてそんな夢を無くそうと思っていたんだ。
「私の為に植えてくれたの? ありがとう!」
そう言ってリサディア様は僕の土だらけな手を掴んでブンブン振った。とっても嬉しそうで、やっぱり笑顔が眩しい。
「私、ずっとお礼が言いたかったんです。この花壇を見ていると不思議と元気になれた。嫌な事があっても忘れられた」
「あ、ありがとうございます」
僕は驚いた。僕の作った花壇をリサディア様が見てくれていた事、そして励ましていた事に。僕はただ、庭師の仕事をしていただけだ。こんな風にお礼を言われるなんて思っても見なかったけど、花壇を褒められて、僕は嬉しかった。自分の仕事を褒められたのだから当然だ。
「リサディア様、何をしておられるのですか! そんな不用意に使用人に近づいてはなりません。勉強にお戻りください!」
遠くからリサディア様の家庭教師からの叱咤が飛んでくる。そんなとは酷い言い草だけど、確かに年頃の娘であるリサディア様がこんな泥だらけの男に近づいちゃいけないよな。
「ごめんなさい、私は戻ります」
そういうと僕の手を放して、戻ろうとする。だけど、不意に足を止めてまたこちらに振り返った。
「ねぇ、貴方の名前は?」
「フィッツです」
「フィッツね。私の名前は知ってると思うけどリサディア・スタンフォード・ローリー。この素敵な花壇に免じて特別にリサって呼んでいいよ。それじゃ……またお会いしましょう、フィッツ」
優雅にスカートの裾を広げお辞儀をした後、リサディア様――リサは去っていく。僕は自分の名前を呼ばれた瞬間から、魂が抜けたようにその場にしばらく立ち尽くしていた。
それが彼女との出会いだった。
***********
リサディア様が変わられたのは、あのジーン王子との婚約が発表されたあたりからだ。今までは周りに笑顔を振りまいていた彼女だけど、人が変わったかのように彼女は笑わなくなり、その顔は常に無表情だった。
「リサディア様……」
今日も僕はいつもの様に庭師の仕事をしていた。そして彼女の部屋から見下ろせる花壇の手入れをしていた時、またリサディア様が現れたのだ。
「それ、元気が無いのですね」
リサディア様が花壇を指差す。きちんと手入れしていたにも関わらず、植えられていた花の元気は見て分かるほどにない。
「最近天候が悪くて……」
「そう……まるで今の私ね」
俯くようにしてリサディア様は花を見つめる。僕はそんな彼女の横顔を見ていた。
「大丈夫です、もう少ししたらきっと天気も良くなります。だからまたあの時のように綺麗な花壇を見せてあげますよ、リサ」
僕の言葉にリサディア様が反応する。その時、俯いたままだったからどんな表情をしていたか分からない。
「……そうしてくれないと困ります。貴方は立派な庭師なんですから」
そう言い残して、リサディア様は僕の前から立ち去っていった。それから僕はリサディア様とはあまり会っていない。彼女が王立学園に入学したからだ。全寮制だったため、彼女は家を離れていた。
でも、僕はたまに帰ってくるリサディア様の為に花壇の手入れは欠かさなかった。その結果、僕は冬を除いてあの花壇に彼女のようなあの花を、絶えず咲き続けさせることができたんだ。
そんな僕の元にもリサディア様の噂は伝え聞いていたよ。それでも僕は彼女の花を植えることを止めなかった。
――昔ように、あの時初めて会った時のように、彼女にまた笑って欲しかったからかもしれないね。
***********
「すまないね、フィッツ君。こんな事になってしまって……」
「いえ、お気になさらずに旦那様」
僕はミラー侯爵に頭を下げる。いや、もう侯爵じゃなかったけ?
リサディア様の死刑が執り行われてから数日後、僕は彼女の父親であったミラー侯爵と会っていた。侯爵家はリサディア様の罪により、爵位は剥奪されたんだ。本当だったら一家全員処刑なんてありえたけど、ジーン様は寛大だったのかそれだけで免れた。
でも、爵位を剥奪されたと言う事は僕の仕事場が無くなってしまったわけだ。それを憂いたミラー侯爵は僕達使用人に新しい職場を紹介してくれた。僕は今からその新しい職場に出発する所だ。
「フィッツ君、行きの馬車は手配してあるからそれに乗るといい。新しい職場は私の知り合いの家だ。たとえ落ちぶれた家の元使用人であっても、暖かく迎え入れてくれるだろう」
「本当にありがとうございます、旦那様」
旦那様が手配してくれなかったら僕達使用人はどこの家にも雇ってくれず、路頭に迷うことだったろう。だけど、僕達よりも旦那様の方が心配だ。
「旦那様は……これからどうされるのですか?」
「私にはあてがある。だから心配しなくていい。それより、フィッツ君。実はもう一人君と同じ職場に行かせる子がいるんだ。馬車にもその子も一緒だから」
「分かりました」
旦那様にそう言われ、ふと思う。同じ使用人の中で僕みたいに違う職場に行く者は何人もいた。そうでない者は引退する者が多かったけど、それ以外の人は皆もうすでに新しい職場に向けて出発した後だ。
僕が最後の一人だと思っていたけど、まぁこの家の使用人は何人もいるし僕の思い違いだったみたいだね。
「フィッツ君……どうかその子をくれぐれもよろしく頼む。」
「はい、もちろんです」
旦那様はどこか真剣な表情で僕にそう言った。どうしてそんなに真剣に頼むのか不思議だけど、もしかしたらその使用人というのは、旦那様が気に入っていたのかもしれない。
でもそんな人なら、僕の耳にも入っているはずだ。僕は少し、疑問に思いながら旦那様と別れて用意された馬車がある所まで行った。
***********
馬車はすぐに見つかった。少し人目に付きにくい場所だ。僕は馬車に乗り込む。その中には誰もいなく、まだ旦那様の言っていた子はいなかった。しばらくして、それらしき人物が馬車に乗り込んだ。フードに隠れていて顔は見えないけど、女性だと分かる。彼女が乗り込むと、静かに馬車は動き出した。
しばらく静かに馬車に揺られる。ずっと沈黙なのも考えものだ。同じ元職場の仲間だし、これからも同じ職場で働く仲間だ。僕はその人に話しかけた。
「えっと初めましてかな? 僕は庭師をしていたフィッツだよ。君は何をしていた人?」
「……もう少し待って欲しい。せめてこの街の門を通りすぎてから」
僕の質問に答えず、彼女はそう答えた。僕は不思議に思いながらも、彼女の言う通りに黙る。それにしても彼女の声はどこかで聞いたことがある気がした。まぁ、同じ使用人だったんだ、どこかで聞いていたのだろう。
そして馬車は門を通り過ぎた。離れていく街を眺めていると、彼女がフードを下ろした。フードが隠していた彼女の顔を見て、僕は人生で一番驚いたかもしれない。
「リ、リサディア様……!?」
輝く金の髪に、宝石のような緋色の瞳。その顔は間違いなく、リサディア様だった。
「久しぶりね、フィッツ」
彼女は驚く僕の事など想定済みだと言わんばかりに言う。僕はまだ驚いていた。だってリサディア様は、処刑されたはずだって思っていたから。
「どうして……処刑されたはずじゃ……」
「あんなの、演技よ。最初から計画されていた事をしたに過ぎない。それとも、私は処刑されていた方がよかった?」
「いえ、とんでもない! むしろ良かった……」
僕の驚きも少しずつ治まってきた。そして次に現れた感情は、嬉しさだった。リサディア様が生きていた事に、僕は嬉しくて思わず涙を浮かべていた。
「でもどうして……どうして貴方が生きているんですか?」
「知りたい? なら特別に教えてあげる」
リサディア様は教えてくれた。その何年も掛かった計画と今までの彼女の計画を。
始まりは……と言うか全ての元凶はジーン様だった。彼はこの西と東で別れた国の境界を無くしたいと思ったらしい。その計画に、リサディア様は使われたのだ。
「彼は何百年も続いた因縁を消え去る為には、それ以上に凶悪な悪が必要だと思ったらしいのよ」
「その悪に、リサディア様をしたのですか?」
「その通りよ」
悪女リサディア。それはジーン様によって作られた彼女だった。それから彼の計画にはリサディア様だけじゃない。もう一人、あのエレニナ様も含まれていた。
「この計画には西の人間も必要だった。だからあいつはエレニナという自分の言う事を全部聞く、都合の良い女を何処からか調達してきて、学園に無理やり入れ込んだ。その後の事は分かるでしょ? 私の嫌がらせなんてなかった。でも全部あるように見せかけた、ジーン様の計画の一部」
ジーン様はこうして舞台を整えた後、頃合いを見て計画を最終段階に移した。リサディア様を処刑するという行為に。その頃には東も西も関係なくリサディア様は恨まれていた。しかも、西の人間であるエレニナ様を東の人間であるジーン様が婚約者に選べば、もう東や西なんて括りは無くせるだろう。
「どう? これが今まで起こった事の全ての真実よ。あの偽善者は私やエレニナを使ってこの国を平和にしたのよ。いい話でしょう?」
「いい話……そんなわけないじゃないか」
僕の声にリサディア様は驚いていた。僕も驚いたよ、自分でここまで低く怒りに満ちた声が出せたなんて。でも僕は許せなかった。
「だって、君は本当は悪く無いのに国民から嫌われてしまった。それだけじゃない学園生活はきっと楽しい物になるはずだったのに、君はその権利を彼に奪われてしまったんだから」
「……やっぱり、貴方に付いてきて良かった」
「えっ……」
「あの時から、私が変わってしまった時から変わらず接してくれたのは貴方だけだった。私の花をあの花壇に植えてくれた。それが今までの支えになってくれた」
リサディア様はそう微笑みながら、外套の下からあるものを取り出した。それは僕が花壇に植えていたあの花だ。
「いつまでも変わらずに、花を通して私に笑顔を届けてくれた。本当に今までありがとう」
そう言ってリサディア様は笑う。あの時見た笑顔以上に素敵な笑顔で。
――やっぱり君は昔のままだ。だって……
「本当に君にはその花が似合ってるよ、リサ」
***********
それからどうなったか? 国自体はあのジーン様が上手く回しているみたいだよ。それに今までみたいに西や東の因縁は無くなったし。
僕たちは新しい職場で働いた。僕は庭師を、彼女もその手伝いをしてくれた。
だから今日もこの庭には、笑顔が咲き誇っている。いつまでも、いつまでも――。
悪役令嬢は笑わない (完)