[第三章]鳴海悠馬編 ―セイクリッド・ファンタジー―
田辺栄人一家が住むマンションに着いた鳴海悠馬たちを出迎えたのは、水嶋克己だった。
「おい、なんでテメェが居やがるんだよ」
「私に田辺家の家宅捜査の根回しをしてくれ、と頭を下げたのは他でもない貴様であろう?」
「だから、なんで俺たちの仕事にテメェがついてくるのかって話をしてんだよ」
「常識で物を考えろ。見知らぬ二人組に『警察の許可があるから自宅を調べさせてください』と言われて、素直に応じる人間がいるか? もちろん、事前に警察側から貴様と真弥さんのことを言付けることも出来る。しかし、そんな回りくどい方法を取るよりも、警察官である私が同伴した方が手っ取り早いだろう」
「うぐ……」
あまりの正論に、悠馬はぐうの音も出なかった。
田辺家が借りている部屋は、マンションの五階にあった。
姫矢真弥はふんすと意気込み階段を駆け上がったが、余計な体力を使いたくなかった悠馬と克己はエレベーターを利用することを選んだ。若さには、勝てない。
「それにしても、一週間で公開捜査に踏み切るなんて珍しいな」
二人でエレベーターを待っているとき、悠馬が話を切り出した。
公開捜査とは、警察が民間人に捜査情報を開示し協力を求めることである。つまり、悪く言い換えれば「警察だけでは手に負えなくなった」と言う意思表明だ。また、公開捜査は通常の捜査とは比べ物にならないほど広い範囲から情報を集めることが出来るのだが、一方で被疑者に対し自らの手の内を晒すことにもなるので、警察は公開捜査の実施について慎重に判断しなければならない。故に悠馬は、田辺栄人が行方不明になってからたったの一週間――警察の捜査期間は実質三日――で公開捜査に踏み切った警察の対応に疑問を覚えたのだ。
「まったく、どうして貴様はこういうことだけは目聡いのだ。いや、耳聡いというべきか」
水嶋克己は、呆れたように二本の指で額を抑える。
「まあ、貴様にならば話しても良いだろう。今回の公開捜査は署長自らの指示でな。今、八建署は総力をあげて、ある連中を追っている。そのため、田辺栄人少年の捜索に人数を割けないのだ」
「行方不明者の捜索より大切なことって何だよ」
克己の言葉に苛立ちを覚えた悠馬は、彼を責めるように口調を荒げた。
「……ノープス真命会、名前くらいは覚えているだろう?」
悠馬は言葉を失った。
ノープス真命会は、人間の力を一〇〇パーセント引き出し真理に辿り着くことを目的としており、そのための手段として信者に『非合法脳開発』を施す、いわゆる『カルト教団』であった。最盛期には、その信者数は三万人にまで膨れ上がったともいわれている。
一〇年前、中学生の集団自殺を皮切りに、日本全国で一斉に集団自殺が発生した。それを裏で糸を引いていたのが、ノープス真命会であった。
家庭不和や将来への不安など、何かしらのコンプレックスを抱き、社会の中で自分の居場所を見失った者たちを言葉巧みに洗脳し信者に仕立てあげたノープス真命会は、彼らに非合法脳開発を施した。その結果、信者――刑事記録には『被害者』と記載――は「死こそが、自らの潜在能力を引き出す唯一の手段」という考えを植え付けられ自殺を図った、というのがこの事件の概要だ。
この事件後、警視総監自らの陣頭指揮により、ノープス真命会の主要人物が全員捕らえられ、死刑判決を受けたことで、ノープス真命会は事実上の壊滅となった。後に『ノープス集団自殺事件』と呼ばれるこの事件は、当時の日本を大いに騒がせた。このとき一六歳であった悠馬のクラスメイトの中にも、ノープス真命会の被害に遭い命を絶った者がいたため、悠馬を始めとする、当時学生であった世代には忘れられない事件であった。
「その残党が、この八建市に潜伏しているのだ。我々八建署は三か月前から、奴らを追っているのだ」
あまりに予想外の返答に、悠馬はしばらく何も言えなかった。
チン、と軽妙な電子音が鳴り、エレベーターの扉が開いた。
「この町で被害者は出てんのか?」
エレベーターの作動音だけが響く沈黙を破ったのは、悠馬であった。
「いや、幸いにも連中は表立って動いてはいない。ほとぼりが冷めるのを待つつもりだろう。……これは警察の仕事だ。間違っても探そうなどと思うなよ」
「確かに真弥さんの力なら、連中を見つけることも出来るだろうな」自分を律するように後頭部をエレベーターの壁に打ち付ける。「だけど、ヤツらに殺された人たちには悪いが、真弥さんを危険に晒すまでの因縁は感じちゃいねぇよ」
「それなら良い」
真弥の力でノープス真命会の居場所を突き止めるということは、真弥自らがノープス真命会の調査に加わるということだ。新雪のように純粋無垢な真弥の世界を、ノープス真命会という欲望と狂気を凝縮したような連中に踏み荒らされてたまるものか。それが悠馬と克己の――二人にとっては珍しい――共通見解であった。
エレベーターの振動と軽快な電子音が、目的の階についたことを告げる。扉が開くと、そこには息を切らせながら勝ち誇った顔をした真弥の姿があった。
真弥は二人の姿を認めると、ブイとピースをした。そんな真弥の愛くるしい姿に、二人は緊張がほぐれていくのを感じた。
「あーあ、真弥さんに負けちまったぜ」
「エレベーターですら及ばないその脚力、流石は真弥くんだ」
真弥は、柔らかい笑顔で自分に接してくれる二人のことが大好きであった。
「ここが、田辺栄人の部屋か」
警察官である克己を先頭に、田辺家を尋ねた悠馬たち。田辺栄人の母親に出迎えられた三人だが、克己はともかく、民間人であることに加え青年と少女という奇妙な組み合わせである悠馬と真弥は、露骨に警戒された。しかしそこは慣れたもので、真弥が田辺栄人の母親が数年前に失くした婚約指輪を見つけると、母親は手のひらを返したように二人を歓迎した。
「思春期真っ盛りの子供の部屋ってのは、どんなものかと思ったが、案外普通なんだな」
勉強机に本棚、ベッドとクローゼットに旧型のテレビ、壁にはアニメ――剣を構えた少年が複数の少女たちに囲まれている絵――のポスターが貼ってある。特筆する物のない一般的な子供部屋だという悠馬の評に、克己と真弥も同意する。
「一応伝えておくが、以前警察がこの部屋を調べたときには、彼の行方に繋がるような物は見つからなかったぞ」
「ありがとうございます、克己さん。でも、大丈夫です。今回、わたしが知りたいのは、田辺栄人さん自身のことですから」
「物事の本質を導き出すペンデュラムか……。具体的には、どんな物が好ましいのだ?」
「そうですね、一番良いのは日記でしょうか。日記には著者の本心が書き綴られていますから、田辺栄人さんという存在の本質を知るにはもってこいなんです」
「残念ながら、以前の捜索では日記は見つけられなかったが……」
「なに頭硬いこと言ってんだよ。田辺栄人の本心さえ知れりゃ、ラブレターでも何でも良いんだよ。な、真弥さん?」
「はい、頑張りましょう」
それから悠馬と克己は、目ぼしい物を見つけては、まるで宝の鑑定を依頼するように真弥の元へと集めていった。
しかし、一〇分後。目ぼしい成果を得られなかった三人は、部屋の中央で立ち尽くしていた。
「さーて、どうしたもんかな」
悠馬は、部屋中をくまなく探し回ったことで疲労した肉体を労わるように、身体を伸ばした。
「報告通り、目ぼしい物は見つけられなかったな。……そうだ、真弥くん。一つ訊ねたいのだが、真弥くんのペンデュラムで彼の行方に繋がる情報を探すことは出来ないのか?」
田辺栄人の行方をペンデュラムで探し出すために必要な情報をペンデュラムで探す。このトンチのようなアイディアにインスピレーションを感じた克己であったが、真弥は申し訳なさそうに首を横に振る。
「申し訳ありません、克己さん。わたしの力は、探しモノを正しくイメージすることで使用することが出来るんです。ですから、正しいイメージのために必要な情報群を、この力で探すことは出来ないんです」
「おい、克己。真弥さんを虐めるんじゃねぇ」
しゅんと落ち込む真弥を見た悠馬は、いつものように克己に突っかかる。
「言い掛かりはやめろ。私は、ただ真弥くんに質問をしただけだ」
「いーや、俺は確かに見たぜ。落ち込む真弥さんの姿を見て、ほくそ笑むテメェの卑しい姿を!」
「どうやら貴様は脳だけでなく眼の治療も必要のようだな」
今にも取っ組み合いそうな二人を見て、おろおろする真弥。真弥は喧嘩を止めるため、適当な話題で二人の意識を別の方向に向かせようと画策した。
「そ、そういえば、田辺栄人さんも、『ドラゴン・オービット』で遊んでいたのですね!」
真弥は、テレビボードのフリースペースに並べられた、ゲームソフトのパッケージを指さした。それに釣られるように、二人の視線はゲームソフトに向く。
「『ドラゴン・オービット』……聞いたことのある名前だな」
「はぁ~!? 国民的RPGの『ドラオビ』を知らないとか、テメェそれでも日本人か!?」
克己の発言に驚愕した悠馬は、思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。
「だ、黙れ。私は幼少期からゲームなどという、くだらん物とは無縁だったんだ」
「ゲームはくだらなくなんかないよなぁ、真弥さん?」
「はい。わたしも時々、悠馬さんと一緒にパズルゲームをするんですよ」
「ぐ……!」
真弥を味方に付けた悠馬に、克己は何も言い返せずにいた。
「しっかし、こいつも『ドラオビ』ファンだったとはな。何だか感情移入しちまうぜ」
克己を言い負かすことができ、すっかり気を良くした悠馬は、軽い足取りで本棚に向かう。並べられたドラゴン・オービットシリーズの攻略本を見つけたからだ。
「俺はⅤが好きなんだよな。壮大なドラマとオーケストラ調の音楽が最高にマッチしててよ……ん、なんだこれ?」
悠馬は、ドラゴン・オービットⅤのオープニングテーマを口ずさみながら、Ⅴの攻略本を手に取った。するとその奥に、本棚の壁に面がくっつく形で横たわる何かを見つけた。すぐに他の攻略本を取り出し、奥にある『それ』に手を伸ばす。
「おい、悠馬。貴様、何か見つけたのか?」
不自然な動きを見せる悠馬の背中に、克己は言葉を投げる。
「ああ、こいつを見てくれ」
本棚の奥に隠されていた物、それは一冊のノートだった。
「ん? それも『ドラゴン・オービット』とやらに関係するものなのか?」
『ドラゴン・オービット』のタイトルロゴはいわゆる装飾文字であった。ロゴを見れば誰もが一目で『ドラゴン・オービット』だと判断出来るが、その一方で真似をしようと思えば誰でも真似が出来るという、極限まで計算し尽されていたフォントデザインであった。その完成度は世界的デザイナーから「『ドラゴン・オービット』の世界観を表現しつくした傑作」と絶賛される程の物であった。
だから、パッケージや攻略本に載っているタイトルロゴだけを見た克己が誤解するのも無理はない。
そのノートの表紙に描かれていた文字は、まさに『ドラゴン・オービット』のフォントデザインを真似て作られたものであったからだ。
「それで、それは何と書いてあるんですか?」
悠馬は予感がしていた。
これが、田辺栄人を見つけるために必要な最後のピースだと。
だからかもしれない。真弥の問いに、悠馬は微かな緊張を孕んだ声で答えた。
「セイクリッド・ファンタジー」