[第参章]エピソード・エイト3/3 ―内ナル闇ノ解放―
――斬撃。何の抵抗もなく、魔物の身体は真っ二つになった。
「随分と調子が良さそうだね」
『最果ての旅団』の団長、マリアン・ローエンハートは、口笛を吹いた。
「流石、エイト様です!」
二人の賞賛に、僕は気恥ずかしくなり、頬っぺたを掻いた。
マリアン団長に『最果ての旅団』にスカウトされた僕とエルフィーは、マリアン団長に案内され、冒険都市アンファングより少し離れたところにある『試練の山』に来ていた。この山の頂上にある魔石を取ってくること、それが『最果ての旅団』の新人に与えられる洗礼だそうだ。しかし、僕とエルフィーは今のところ苦戦するようなことはなかった。理由は二つ。一つは、エルフィーの回復・補助魔法のお陰でダメージを最小限に抑えられていること。そしてもう一つは、マリアン団長からもらった剣だ。
「でも、その剣を使って本当に何ともないの?」
マリアン団長は、心配するような瞳で、僕と僕の持つ剣を見つめる。
「いや、これといって異常はないよ。むしろ、調子が良いくらいだ」
僕は剣を持つ方の腕をグルグルと回した。勿論、僕の言葉に嘘偽りはない。マリアン団長は、そんな僕の姿を見て、安心したような、感心したような声を漏らした。
「冥闇滅天の剣ドグラ・マグラ。前にダンジョンの最深部で見つけたものの、アタシでさえソイツの闇の力に発狂しそうになったって言うのに、それを平然と使えるんだから、大したもんだよ」
僕は『最果ての旅団』の拠点に補完されていたドグラ・マグラを初めて触ったときのことを思い出した。
『力が欲しいか』
「お前は?」
『我が名は、冥闇滅天の剣ドグラ・マグラ。深淵が溢れ返らんばかりの血を吸い、天に浮かぶ星々よりも多く命を奪ってきた。さあ、答えよ人間。汝、我が力を欲するか?』
「いらないね。そんな力」
『なに?』
「お前のちっぽけな力なんて、必要ないと言ったんだよ」
『貴様、我が力を矮小であると……こ、この力は!?』
「気付いたか? そうだ、多くの血と命を吸ったお前よりも、僕の力の方が遥かに上だ。今度は僕がお前に尋ねる番だ。その身で、僕の全力を味わってみないか?」
『汝の、全なる力だと?』
「店に売ってる剣じゃ、僕の全力どころか一〇パーセントの力にも耐えられないみたいなんだ。でも、お前は違う。お前なら僕の全力を受け止めることが出来る。僕の剣となれ、ドグラ・マグラ。僕ならお前を満足させてやれる」
『クク、フハハハ! 面白い、面白いぞ、人間! 我がこの世に存在を始めてから幾星霜。我が誘惑に負け、我に喰われた愚か者は数え切れぬほど居たが、我を逆に誘惑してきたのは貴様が初めてだ! 良いだろう、今日から汝は我が主。この力の全て、主のために使うことを誓おうぞ!』
僕は手元のドグラ・マグラを見る。ドグラ・マグラは魔物の血を吸えたことで、満足そうに紫色に光っていた。
「さあ、休憩はおしまい! 山の頂上までもう少しだから、頑張ろう! 魔石さえゲット出来れば、キミたちも晴れて『最果ての旅団』の一員だ!」
「あれ、まだ僕たちは『最果ての旅団』のメンバーじゃないんですか?」
「言葉の綾、言葉の綾!」
マリアン団長は笑いながら、腕で僕を抱きよせた。僕の頬っぺたに、柔らかい何かが当たる。こ、これは、もしや、マリアン団長の胸!?
僕は目だけを動かして、マリアン団長を見上げる。相変わらずマリアン団長は笑っていて、僕の顔がマリアン団長の胸に当たっていることに気が付いていないようだ。……じゃあ、いいか! と思った瞬間、背後からとてつもない殺気が僕に向けられてきた。
「エ~イ~ト~様~!」
エルフィーだ。この姿勢では彼女の顔は見えないが、今の彼女はきっと般若のような顔をしているだろう。
僕は慌ててマリアン団長から離れる。
「ち、違うんだよ、エルフィー。これはその、深い理由が」
「エイト様の、バカーッ!」
エルフィーのグーパンチが僕のお腹にめり込んだ。恐ろしいことに、彼女の動きは僕でさえ反応することが出来なかった。僕はその場にうずくまりながら、そんなに強いパンチが打てるのならヒーラーよりファイターの方が向いてるんじゃないかと考えていた。
「山の頂にある魔石って、どんなものなんですか?」
「空の雫。魔力自体は大したことないんだけど、売ると良い値段になるんだよ」
「えぇ、お金儲けのために、ここまで駆り出されたってこと?」
「まあまあ、細かいことは気にしない。お金があれば、良い道具が買える。そしたらクエストも楽になる。良いこと尽くめじゃない」
「なーんか、騙された気分だ」
そんな雑談をしながらも、僕たちは順調すぎるペースで山道を進んでいた。試練の山だとか洗礼だとか言う割には、魔物とのエンカウントすることも少ないし、マリアン団長は僕たちを脅かすために、わざと大げさに言ったのかもしれない。
「うーん、おかしい。この山は、もっと強い魔物でゴロゴロしていたはずなのに」
マリアン団長は首を傾げた。どうやら、今の状況は彼女にとっては予想外のことらしい。
僕は精神を集中させ、周囲の気配を探ってみた。特に凶悪な気配は感じない。
「貴様ら、そこで何をしている!?」
代わりに、奇天烈な存在感を感じた。
振り向くと、そこには金色の鎧で全身を固めた騎士が居た。
「げ、あいつは……」
金色の騎士を見たマリアン団長は、いかにも嫌そうな顔を作る。
「団長さんは、あの方を知っているんですか?」
「あれは『王国騎士団』の騎士、アルバレオ・スローイア・バルハ。実力は確かだけど、それを台無しにする性悪さで有名なんだ」
すると、僕たちの会話を耳聡く拾ったアルバレオが鬼の形相で近付いてきた。かなり小さな声で話していたはずなんだけど。
「聞こえているぞ、マリアン・ローエンハート。この山は、栄誉ある『王国騎士団』の訓練地。貴様らのようなクズ共が入って良い場所ではない」
「お生憎様。あたしたち『最果ての旅団』は、王様直々に入山許可を頂いてるの」
「ちっ、何故陛下は貴様らのようなネズミにそこまで入れ込んでおられるのだ……!」
「あんたたち『王国騎士団』より、あたしたちの方が優秀ってことでしょ」
「貴様、我ら栄光の『王国騎士団』を愚弄するつもりか!?」
「あれ、『王国騎士団』には本当のことを言っちゃいけないってルールがあったの? それは失敬」
「き、貴様ぁぁ!」
僕は二人の会話を半分呆れながら聞いていた。つまり、どうやら『王国騎士団』と『最果ての旅団』は犬猿の仲というヤツらしい。
アルバレオという騎士は、確かに腕は立つみたいだ―身のこなしを見れば分かる―けど、頭の回転の方は残念なようで、マリアン団長に論破されて、顔を真っ赤にしていた。
「貴様、こうなれば我が剣の錆に……ん?」
怒り狂ったアルバレオは剣を抜こうとした。流石にまずいと思った僕は二人の仲裁に入ろうとしたが、その前にアルバレオの手が止まる。
茂みの中から、一匹の魔物が出てきたからだ。
「か、かわいい……」
エルフィーが思わず声を漏らす気持ちも分かる。命を奪うことに特化した姿の魔物と違い、今、僕たちの前に現れたのは、猫のような、犬のような、とにかく魔物というよりは愛玩動物に近い姿をしていたのだ。だけど、なんだろう。この違和感は……。
「フ、フフ、丁度むしゃくしゃしていた所だ。今の私の前に現れるとは運がなかったな。今の私の機嫌は、貴様の運より遥かに悪いのだ!」
アルバレオは今度こそ剣を抜き、こちらをじっと見つめている魔物を叩き斬ろうと、剣を振り上げた。
僕は、アルバレオと出会う直前のことを思い出した。
あの時、僕は周囲の気配を探った。だけど、その時に感じた気配はアルバレオのものだけだった。そうだ、僕が感じた気配の中に、あの魔物は存在していなかった。つまり、あの魔物は気配を殺すことが出来るということか。それも、マリアン団長よりも上手く――。
「やめろ、アルバレオ! そいつに手を出すな!」
「こいつに愛着でも沸いたか! 魔物を外見で判断するような素人は引っ込んでいろ!」
「外見に騙されているのは、お前の方だ! そいつは――」
そこで、僕は言葉を失った。言葉をかける相手がいなくなったからだ。
ごとり、と嫌な音を立て『何か』が僕たちの目の前に倒れる。その『何か』は、噴水のように真っ赤な液体を噴出している。
それが、頭を失ったアルバレオの胴体であることに気付くのに、数秒の時間を要した。
「い、いやぁぁぁ!」
エルフィーが悲鳴をあげる。マリアン団長が絶句する。魔物の口は、真っ赤に染まっていた。アルバレオの血だろう。その姿に底知れぬ恐怖を感じた僕は、ほぼ反射的にドグラ・マグラを抜き、その魔物を真っ二つにした。
そのあまりの手応えのなさに、呆気にとられたのも一瞬。真っ二つになった魔物の肉体は、ゆらゆらと宙を舞い、精神を抉るような声で僕を嘲笑った。
二つの肉体は、赤、紫、ピンク、緑と次々に色を変えながら、粘土のように混ざり合う。
最初に出来たのは、腕だった。その腕の先端から、身体が生え、足が生え、頭が翼が尻尾が角が牙が生え、生え、生えた。
そして出来上がったのは、異形の悪魔であった。その顔は、どことなく羊を思い出した。
「あれは、バフォメット!? そんな、アルカナ級の悪魔が、どうしてこんなところに!?」
マリアン団長の声は震えていた。
「あ、アルカナ級って、一匹で街一つを滅ぼすことが出来るっていう、あのアルカナ級ですか!?」
エルフィーの悲鳴に、マリアン団長は無言で頷いた。確かにバフォメットは、僕がこの世界に転生してから戦ったどの魔物よりも強い、というよりも、次元の違う存在であることは明白だった。
「逃げるよ、二人とも! まともにやりあって勝てる相手じゃない!」
マリアン団長は、僕たちの前に出て、撤退の指示を出した。僕たちが逃げるまで、しんがりを務めるつもりのようだ。
(どうする、エイト。ここはマリアン団長の指示に従って、撤退するか!? だけど、マリアン団長を置いて行くわけにはいかない! だけど、エルフィーにはバフォメットと戦える力はない! どうする、どうす……)
突然、目の前が真っ白になった。続けて、大きな爆発音がした。
………。
『主よ、いつまで眠っているつもりだ』
頭に響く聞き覚えのある声に、僕は目を開けた。
「う……そうだ、目の前が真っ白になって……?」
『バフォメットの攻撃魔法だ。それを受けて主は意識を失ったのだ』
僕はハッとして、跳ねるように起き上がり、辺りを見回した。そこには、意識を失って倒れるエルフィーとマリアン団長の姿があった。
「エルフィー、マリアン団長! ドグラ・マグラ、僕は一体何時間気絶していたんだ!?」
『三秒だ。上から来るぞ』
ドグラ・マグラに引っ張られるように、ドグラ・マグラを天に構える。次の瞬間、上空から急降下してきたバフォメットの角が、ドグラ・マグラに激突し火花が散った。
「ぐっ、うおおお!」
僕は体勢が崩れないように、全力で踏ん張った。徐々に足が地面に埋まる。このままでは身動きが取れなくなる。その時、一瞬バフォメットの力が弱まる。その隙を逃さず、僕はドグラ・マグラを握る手に力を込め、バフォメットを弾き飛ばした。数メートル先の地面に叩きつけられたバフォメット。休んでいる暇はない。僕はすぐさまバフォメットに飛び込み、ドグラ・マグラでバフォメットの喉を突き刺した。手応え、ありだ。
「ハァ、ハァ……やったぞ」
『主よ、何を呆けているのだ。アルカナ級の魔物は、喉を潰した程度では死なんぞ』
「え……?」
身体に強烈な衝撃が走る。車のタイヤより大きなバフォメットの拳をノーガードで喰らったのだ。今度は僕がバフォメット吹き飛ばされた。意趣返しのつもりか。
『主よ、まさか死んではいまいな?』
「見ての通りさ。……ぐっ、肋骨が数本やられたみたいだけどな」
僕は痛む脇腹を抑え、もう片方の手でドグラ・マグラを杖代わりにして、何とか立ち上がる。
(どうする……どうすれば、ヤツを倒せる)
僕はバフォメットとの距離を一定に保ちながら、攻略方法を探す。しかし、ドグラ・マグラでも仕留められなかった相手をどうやって倒せば良い? バフォメットの荒い息遣いと、横たわるエルフィーとマリアン団長の姿で心が乱される。しっかりしろ、と自分に言い聞かせても思考はまとまるどころか、より一層グチャグチャになる。喉を貫いても生きているような魔物をどうやって倒す? 腕を斬るか翼を断つか角を折るか何を斬ればいいどうやって斬ればいいバフォメットは本当に斬って倒せる相手なのか――
『主よ、いつまで遊んでいるのだ』
雑念に溺れる僕に助け船を出してくれたのは、以外にもドグラ・マグラだった。
「遊んでいる? 僕が? お前には今の僕が遊んでいるように見えるのか?」
『あの程度の魔物に自ら弄ばれることを選んだ酔狂な姿を、遊んでいると言わずして何と言うのだ?』
「一体、お前は何を言っているんだ?」
『……主よ。まさか、その肉体の内に眠る大海の如き魔力に、気が付いていないのか?』
一瞬、ドグラ・マグラの言葉の意味が理解出来なかった。前の世界では、魔法も超能力も使えなかった僕が、魔力を持っている?
『それほどの魔力を自覚しておらぬとは、つくづく面白い人間だ』
いつものように淡々と喋るドグラ・マグラだが、今のこいつの言葉には心無しか感情がこもっているような気がした。
『主よ、汝の力を以てすれば、アルカナ級など恐るるに足らず! 唱えよ、自覚なき超越者よ! 解き放て、汝の全てを! そして証明するのだ、我らこそが全てを滅する英雄であるとッ!』
その時、僕の中で何かが弾けた。
武器屋でエルフィーの涙を見た時と同じだ。
僕の中の、あるはずのない力が、僕の感情を糧に、この世界に顕現する――!
「……深淵に沈みし大いなる獣よ。我が命に従い、今、光満る世界に永劫の闇を齎せ」
僕の周囲の光が消える。いや、違う。――僕が光を食べている!
バフォメットは悲鳴のような咆哮をあげ、僕に突進してきた。だけど、もう遅い。
「我が魂をも漆黒に染める汝の名――エーヴィヒカイト・ドゥンケルハイト!」
この一瞬、世界は闇に包まれた。
「……あれ、私たち、一体……」「アルバレオが捕食されて……そうだ、バフォメットは!?」
しばらくして、意識を取り戻したエルフィーとマリアン団長は、飛び跳ねるよう起き上がった。
「やあ……おはよう」
あの大技により、すっかり力を使い果たした僕は、木に身体を預けながら、二人に声をかけた。そんな僕の様子を心配した二人が、僕の元へと駆け寄ってきた。
「だ、大丈夫ですか、エイト様!?」
「見ての通り、生きてはいるよ」
「バフォメットの姿が見えないけど、もしかして、エイトが?」
僕が頷くと、マリアン団長は信じられないという顔をした。まあ、無理もない。何せ僕自身でさえ、信じられないのだから。
「お、教えて、エイト! どうやって一人で、あのアルカナ級の魔物を倒したの!?」
「ちょ、ちょっと、マリアンさん! そんなにエイト様の身体を揺らしちゃダメです!」
「だ、だってエルフィー、貴方、信じられる? アルカナ級よ? あたしでさえ、一対一じゃ勝負にならないアルカナ級を、エイトは一人で倒したのよ!?」
「……私は、信じます。だって、エイト様ですもの」
エルフィーの顔は、何故か赤かった。まさか、バフォメットの攻撃によるダメージが残っているのか?
『主はもう少し、女心というものを知った方が良い』
(剣のお前に言われたくない! ていうか、人の心を勝手に読むな!)
『我と主は一心同体。それは無理な注文だ』
(お、お前なぁ!)
まったく、何て剣と契約してしまったんだ。これから、ずっとこいつと一緒に過ごすことを考えると頭が痛くなった。
(だけど……)
エルフィーとマリアン団長は、絶え間なく僕に賞賛の言葉をかけてくれる。
ドグラ・マグラも生意気な剣だけど、それも僕の力を認めているからこそだろう。
生まれ変わる前の僕が、散々夢見てきた光景が、今ここにある。
そう思うと、どんな苦難も喜びに変わる――そんな気がした。