[第二章]鳴海悠馬編 ―ペンデュラム―
鳴海悠馬は、バスに揺られながら新聞紙を広げていた。今の時代、科学の発展や人類の革新に伴い、犯罪も多様化してきている。旧時代の人間がこの新聞を見たら、そのとんでもない内容に頭を抱えるだろう。
さしあたって興味の惹かれる記事のない紙面に目を滑らせながら、悠馬は欠伸をした。
「ふふ、今の悠馬さん、カバさんみたいでしたよ」
隣のシートにちょこんと座っている姫矢真弥が、口に手を当てくすくすと笑う。笑い方一つにも見られる上品さは、彼女の育ちの良さを物語っていた。
「いつものことだけど、依頼のために学校を休んでもらっちまって悪いな」
「いえ、大丈夫です。今回はことがことですし、克己さんのためにも早期解決を目指さなければいけませんから」
(克己のため、ねぇ)
悠馬は、真弥とその家族に押し切られる形で婚約を結ぶことになったが、本人に他意はなくても、彼女の口から水嶋克己の名前が出ると不機嫌になるくらいには、真弥のことを慕っていた。決してロリコンというわけではないのだが。
『次は、第二中学校前、第二中学校前』
「あ、わたし、ボタン押します」
真弥は、悠馬の返事を聞かずに目を輝かせながら降車ボタンを押す。家柄もあり、年齢不相応にしっかりとしている真弥であるが、行動や思考の節々に残る子供らしさが、彼女の魅力の一つだと悠馬は感じていた。
八建市立第二中学校。悠馬と真弥は、田辺栄人の情報を集めるために彼の母校へと足を踏み入れた。学校施設の防犯対策の強化が謳われる近年、関係者以外は敷地内に入ることすらままならない。そんな中、二人が第二中学校に気兼ねなく入ることが出来るのは、依頼主である克己の、正しくは八建警察署の口添えがあるからである。
悠馬と克己は、水と油の関係であるが、悠馬は自分たちの仕事に対して理解のある克己を通して、警察という国家権力が後ろ盾に付くことの頼もしさを感じていたし、克己も悠馬と真弥の民間人ならではのフットワークの軽さを買っていた。『喧嘩するほど仲が良い』というのが、二人に対する真弥の見解だ。勿論、本人たちは口を揃えて否定するだろうが。
校長室へと招かれた悠馬と真弥の前に座るのは、第二中学校の校長と、田辺栄人の学級担任であった。それぞれ名を錦織と皆木と名乗った。
「俺は『さがしや』の所長、鳴海悠馬だ」「姫矢真弥です」
二人の紹介を受けた校長と学級担任は互いに顔を見合わせた。
「あの、失礼ですが」と校長。「警察の方から話は伺っていたのですが、その、随分とお若いのですね」
「鳴海さんはともかく、姫矢さんはまだ小学生ですよね?」
「先生たちの言いたいことは分かってるぜ。だけど、今回の事件の解決には……いや、『さがしや』にはこの子の存在が必要不可欠なんだ。なんて口で言っても伝わらねぇことは百の承知だ。だから、百聞は一見に如かず。まずはこの子の力を実際に見てから、俺たちが信用出来るかどうか判断してくれたら良い」
相手の反応を予想していた悠馬は、あらかじめ用意していた台本を読むように話を進めた。真弥も慣れた様子で悠馬に続く。
「先生方は、『ダウンジング』という言葉をご存知でしょうか?」
「銀の棒を使って宝を探す、あれですか?」
「はい、そうです。端的に言えば、わたしはダウジングが出来るんです。ちなみに、わたしが使用するのはロッドではなく、方位輝石と呼ばれる不思議な石を使った『ペンデュラム』です」
そして、その力を使って探し物を見つけるのが『さがしや』の仕事である、と悠馬が付け加える。
「それは、つまり、超能力ということでしょうか?」
「超能力か魔法か、その区別は明確にはされていませんが、似たようなものだと思って下さい。……あの、信じられませんか?」
「まあ、何と言いますか。八建市は『そのような力』には無縁な都市でして、そんな都市で生まれ育った私ですから、実際に『そのような力』を使える方に出会ったのは初めてなので、少々驚いております。なあ、皆木先生?」
困惑した面持ちで校長は学級担任に同意を求める。
「え、あ、はい」
校長の胸中を察した学級担任は、半ば脊椎反射のように同意の言葉を口にした。しかし、彼の表情には校長ほど困惑の色は見られなかった。
校長の反応を見て、このまま口頭で説明しても埒が明かないと考えた真弥は、右手に方位輝石を乗せる。そして、校長に見せるように右手を差し出した。
「悠馬さんの仰る通り、百聞は一見に如かずです。校長先生、何でも宜しいですので、この部屋に置いてある物を一つ挙げてもらえませんか? それをわたしが、このペンデュラムを使って探し当ててみせます」
「う、む。そういうことならば……。では、私の鞄の中にある携帯電話を」「校長、置き場所を伝えては意味がありませんよ」「そ、そうだな。では、万年筆。そうだ、万年筆でどうでしょうか?」
「はい、分かりました。万年筆ですね」
真弥は両手で祈るように方位輝石をぎゅっと握りしめた後、方位輝石を乗せた右手を開く。すると方位輝石は淡い赤色の光を放ち、数秒ほど宙に浮き、そして主である真弥の元へと帰るように彼女の掌に着地した。
「見つかりました。万年筆は二本。一本は机の、座って右手側の引き出しの中に、もう一本は校長先生の胸の内ポケットの中にあります」
真弥の言葉に、校長は口をあんぐりと開く。
「お、おお、正解です。一体、どんなトリックなんですか?」
「トリックというか、これがわたしの力なんです。信じて頂けましたか?」
校長はしばらく腕を組んで唸っていたが、最後は観念したように首肯した。
「実際に見せられては、信じないわけにはいかないでしょうな。しかし、それほどの力があるのでしたら、私どもを訪ねなくても、田辺栄人くんの居場所を突き止められるのではありませんか?」
「そこからは俺が説明させてもらうぜ」能力を使い終わったばかりの真弥を気遣っての行動だ。「校長先生の言う通り、この子の能力を使えば、どんな探しモノも見つけることが出来る。でも、それには探しモノに関する情報、つまり手掛かりを集める必要があるんだ」
「手掛かり、ですか」
「そうだな、皆木先生。先生は『ドラゴン・オービット』ってゲームを知ってるかい?」
悠馬が学級担任に話を振ったのは、校長よりも話が通じやすそうだと判断したからだ。
「ええ、有名なゲームですから、学校の子供たちの間でも流行っていますよ。かくいう私も一作目からのファンでして……おっと、失礼しました」
「あのゲームに、必殺技ゲージってあるだろ? 攻撃をしたり、ダメージを受けるとゲージが溜まっていって、それが満タンになると必殺技が撃てる。この子の力も似たようなもんだ。今回の田辺栄人くんを例に挙げると、彼の性格、普段の暮らし方、好きな食べ物、交友関係など、彼の情報を集めることで真弥さんのゲージは溜まっていき、それが満タンになったとき、はじめて力が使えるんだ」ただし、と一呼吸置いてから自分の説明に補足する。「今回のように、あまり広さのない空間内にあるモノなら、固有名詞さえ分かりゃ探し当てられるんだけどな」
学級担任は、頷きながら膝を叩いた。
「推理とは情報を集め、それを分析し、本質を見出すという三つの過程からなります。なるほど、つまり姫矢さんの力は分析を飛び越え、集めた情報からそのまま本質を知ることが出来るのですね。探しモノの在り処も、一つの本質ですからね」
流石、教師というべきか。学級担任は、悠馬の説明だけで真弥の力を理解したようだ。
ちなみに、悠馬はゲームに喩えて説明していたが、真弥自身はこの力を『パズル』のようなものだと理解している。本質という名の絵柄を完成させるために、情報のピースを集める。そしてそのピースが揃えることが出来れば、後はペンデュラムが自動でパズルを完成させてくれる、といった具合だ。
なお、校長の方はというと、未だに理解し切れていない様子であったが、学級担任や真弥の手前、見栄を張って大げさに頷いていた。
「前置きが長くなっちまったが、ここからが本題だ。どんな些細なことでも良い、田辺栄人くんの学校生活について聞かせてもらえねぇか?」
校長のすがるような視線を横目に、学級担任は言葉を選びながら話し始めた。
「そうです、ね。栄人くんは、大人しい子でした。校則を破ったり、授業を妨げるような行動はしませんでした」
「真面目な方だったんですね」
「そう評価するには、まず何を以て真面目と定義するか、そこから考える必要がありますね」
「と、言うと?」
学級担任の回りくどい言葉に、悠馬は眉をひそめる。
「まずこれからの発言は、決して栄人くんを貶めることを目的としていないということをご理解ください」二人が頷くのを確認し、話を再開した。「彼は、問題行動こそ起こしませんでしたが、学校行事や部活動の参加には消極的でした。また授業中も静かにしてはいたのですが、その意識は授業ではなく、どこか別のところにありました。周囲との関わりを自ら断っていた、と言いましょうか」
「つまり、いつでもどこでも自分の世界に浸っていたってわけか」
流石に言葉にするのは憚れたのか、学級担任は無言で頷いた。そして、しばらく逡巡した後、人差し指を立てて口を開いた。
「それともう一つ。近頃、栄人くんはご両親と上手くいっていなかったようです」
八建第二中学校を後にした二人は、近場の喫茶店で一息ついていた。
「どうだ、真弥さん。田辺栄人の居場所は突き止められそうか?」
「いえ、まだもう少し情報を集める必要がありそうです」
「了解だ、どこまでも付き合うぜ」
『さがしや』の仕事は、真弥が居て初めて成り立つ。故に悠馬は仕事中、常に真弥の体調を気遣っていた――もちろん、自分の婚約者であるということもあるのだが――。また、それこそが『さがしや』における悠馬の数少ない仕事の一つでもあった。
「出来れば、より深い情報を集めたいのですが、悠馬さんは何か良い案がありますか?」
上目遣いで頼られ、悠馬は一瞬言葉に詰まった。しかし、ここで何もしないようでは男が廃る。悠馬は脳細胞を総動員し、そして一つの案を思いつく。
「あった、あったぜ、真弥さん。田辺栄人のことを最も良く知ることが出来る場所が」
「本当ですか?」
パァと浮かぶ真弥の笑顔に心を満たされるものを感じながら、悠馬は携帯電話の電話帳に仕方なく登録した番号を渋々と呼び出す。
『何の用だ、悠馬?』
何かと馬の合わない男であるが、毎回ワンコールで電話に出る律儀さは、悠馬も認めずにはいられなかった。
「克己、手配して欲しいことがある。真弥さんの頼みだ、もちろん断らねぇよな?」
『ほう。それで貴様は、私に何を乞おうと頭を下げるのだ?』
「田辺栄人の自宅を調べたい。そのための根回しをさせてやるって言ってるんだよ」