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[第弐章]エピソード・エイト2/3 ―最果ての旅団―

 田辺栄人は目を開ける。

 そこは真っ暗で何も見えない、耳障りな異音だけが聞こえる世界。

(ああ、明晰夢ってやつか……)

 明晰夢とは、今自分が見ているものが夢であると自覚出来る夢のことである。

(でも、どうせならもっと楽しい夢が見たいよな……)

 田辺栄人は目を閉じた。


 むにゅり、と右手に柔らかい感触が広がる。今まで触ったことのない感触に僕は好奇心をくすぐられ、気の赴くままにそれを触り続けた。触れば触るほど気持ち良くなってくる。こんな物が世界に存在していたのかと、僕は寝起きのロクに回らない頭でぼんやりと考えていた。そういえば、これは一体何なんだろう。感触を堪能した僕は、重たい瞼を開け右手で掴んでいるものをみる。

 

「あっ、ん……」


 そこにあったのは二つの山。視線を上げると、目を閉じつつも頬が赤くなったエルフィーの顔があった。そこでようやく僕は、自分が触っていた、いや揉んでいたものが、エルフィーの胸だということに気が付いた。


「う、うわああああ!」

「ひゃあ! ど、どうしたんですか、エイト様!?」

「ご、ごごご、ごめん、エルフィー! ぼ、僕――」


 キミの胸を揉みまくりました、と正直に告げるべきだろうか。僕は床に叩き付けた額を少しだけ上げて、エルフィーの表情を窺った。どうやら、エルフィーは僕が頭を下げてる理由が分からない、つまり自分が胸を揉まれたことにはまったく気が付いていない様子だった。……じゃあ、いいか!

 

「あー、いや、何でもないよ。ははは」

「くす、変なエイト様」

「おーい、兄さん、大丈夫かい?」


 外から僕のことを心配する声が聞こえる。

 

「だ、大丈夫です!」


 僕は恥ずかしさを紛らわすように、大声で返事をした。

 僕はエルフィーから渡された水を飲み干すことで、何とか落ち着きを取り戻す。そして、ようやく今の状況を思い出した。

 今、僕とエルフィーは馬車に揺られて『冒険都市アンファング』に向かっている。


 きっかけは、昨晩のことであった。エルフィーの家に招待された僕は美味しい料理を堪能しながら、彼女からこの世界の情報を教えてもらっていた。僕の予想通り、剣と魔法のファンタジーな世界であったため、彼女の話はすんなりと頭に入った。

 その一方で、エルフィーからも僕自身のことを色々と聞かれた。とはいえ、異世界から転生してきたなんて言っても信じて貰えないだろうから、日頃から温めていた設定を使わせてもらうことにした。『幼い頃に両親に捨てられ、今まで誰に頼らず一人で山で生きてきた。しかし、その山は強暴な魔物が沢山いて、常に戦いの中に身を置いていた。だから自然と強くなっていった』こんな具合だ。試行錯誤を重ねて練った設定をエルフィーは目をキラキラと輝かせて聞いてくれたので、僕は嬉しくなった。

 僕の出自を聞いたエルフィーは、今の僕にうってつけだという都市を紹介してくれた。それが冒険都市アンファングだ。冒険都市アンファングは、その名の通り、多くの冒険者で賑わう都市だそうだ。冒険者ギルドも数多く存在し―特に『最果ての旅団』というギルドは国王から直接依頼を受ける全冒険者の憧れらしい―、実力さえあれば出自に関係なく誰でも英雄になれるという、正に異世界転生により超人的な力を手に入れた僕に相応しい都市であった。


「ここが、冒険都市アンファング……」

「ふふ、エイト様。さっきから、ずっと同じことしか言ってませんね」


 僕は恥ずかしくなって、鼻を掻いた。

 ここまで送ってくれた商人と別れを告げたあと、僕はエルフィーの提案で武器屋に向かっていた。ギルドに行く前に武器や防具を揃え、箔が付けておく必要があるからだそうだ。そんなのいらないと断ろうと思ったけれど、この世界における武器や防具は、前の世界におけるスーツみたいな物なのかもしれないと思い直し、素直にエルフィーに従うことにした。

 

「あ、エイト様、見てください。武器屋がありましたよ!」


 エルフィーは、まるで長年探していた物を見つけたような喜びようで武器屋の看板を指さしていた。流石、冒険都市にある武器屋だけあって、外観は煌びやかな……いや、これは、派手過ぎじゃないか? 壁から何まで全てが金色に輝く武器屋を見て、僕は目が痛くなってしまった。これ、大丈夫なのか?

 僕の嫌な予感は、入店してすぐに的中することになる。

 

「うわぁ、金ぴかですね、エイト様」


 店内も外観と同じく金一色であり、エルフィーはすっかり目を奪われてしまったようだ。しかし、僕はそれとは別のところに気が向いていた。

 

「おい、見ろよ、あいつら」「うわ、貧乏くせぇヤツら」「ガキのくせに冒険者気取りってか?」「恐らくあいつらも『最果ての旅団』に憧れて始めたクチだろ」「おいおい、聞こえるぞ」

(聞こえてるよ、おっさんたち)


 人を見た目で判断するなんて何て愚かな連中だろう。一度痛い目にあわないと、あの浅ましさは治らないんじゃないだろうか。だけど、今はエルフィーが横にいる。僕がここで動いたら、彼女に迷惑をかけてしまう。だから僕はぐっと堪えた。

 

「ねえ、エルフィー。折角案内してもらったのに悪いんだけど、別の店にしない?」

「ええ、どうしてですか? こんなに綺麗なお店で武器を買えたら、素敵じゃないですか!」


 もしかしたら美的センスに関しては、僕とエルフィーは一生相容れないかもしれない。

 しかし、エルフィーが目を輝かせている以上、「店は良くても、客の質が悪すぎるんだよ」とは、口が裂けても言えなかった。うーん、困った。どうしたものか。

 

「あのぉ、お客様。何かご入用でしょうか?」


 そんなとき、店員らしき男が僕たちに近付いてきた。物腰を低くして、媚びるような声を出す店員に僕は不快感を覚えた。しかし人の良いエルフィーは、そんな店員に対しても満面の笑顔で応える。

 

「あ、はい! 実は私たち、武器を探しにきたんです!」

「それはそれは、ありがとうございます。ところで、予算の方はどのくらいご用意されているのでしょうか?」

「えっと、これくらいなんですけど」


 エルフィーは腰にぶら下げた革袋から、片手分ほどの銀貨を取り出した。この世界の貨幣の価値は分からないけど、贅沢しなければ剣の一本くらい買えるだろうと僕は考えていた。しかし、エルフィーに銀貨を差し出された店員の顔を見て、それは間違いであることを知る。

 

「ふざけんじゃねぇぞ、ガキ」

「え?」

「こんなはした金でウチの武器を買えるわけねぇだろうが!」


 銀貨を見た途端、豹変した店員の態度に、エルフィーは戸惑いを隠せない様子だった。

 

「え、で、でも、普通はこれくらいあれば剣は買えるはずじゃ……」

「ウチは泣く子も黙る『アガライオ商会』だぞ! そんじょそこらの店と一緒にするんじゃねぇ!」

「あ、あの、でも……」

「しつこいんだよ!」


 店員はエルフィーの手を払う。エルフィーの手から銀貨が零れ、床に散らばる。

 

「あ、ご、ごめんなさい、今拾いますから……」


 エルフィーは何も悪くないというのに、律儀に店員に謝り、床に散らばった銀貨を集め始めた。そんなエルフィーの姿を見て、店員だけでなく、店中の客が彼女を嘲笑する。中にはわざと聞こえるように彼女を貶める発言をする人間もいた。そんな店内の様子にやっと気が付いたエルフィーは、顔を俯かせ「ごめんなさい」と呟きながら銀貨を拾っていた。


 僕の中で、何かが弾けた音がした。


「へぇ、どれも立派な剣ですねぇ」


 僕は店内に響き渡るように叫んだ。理由は二つ。一つは店中の人間の意識をエルフィーから逸らすため。もう一つは、そいつらに今から僕がすることを見せつけるためだ。

 

「きっと、切れ味も耐久性も抜群なんだろうなぁ」


 僕は近くに展示されていた剣をおもむろに手に取った。店員が止めようとこちらに近付くが、そんなの知ったことか。

 

「ちょっと、試し振りをさせてください……よッ!」


 そして、僕は全力で剣を横に振った。

 次の瞬間、店内に竜巻が発生する。その暴風は、店中の商品を巻き上げ、店の天井もろとも遥か空の向こうに飛ばしていく。

 やがて風が止むと、店中の品々は全て綺麗さっぱりなくなっていた。

 僕が使った剣を見ると、刀身が粉々に砕けてなくなっていた。

 呆然とする店員や客たちを無視して、床にうずくまっていたエルフィーに手を差し伸ばす。


「さあ、行こうか、エルフィー」

「は、はい」


 エルフィーの柔らかい手を握り、武器屋、いや、元武器屋を後にした。

 僕とエルフィーは店の追っ手を警戒し、念のために大通りを避け、敢えて路地裏を歩いていた。しかし、いつまで経っても追っ手の気配はなく、ようやく僕は胸をなでおろした。

 

「ふう、もう安心して良いよ、エルフィー。……エルフィー?」

「……どうして……」

「え?」

「どうして、あんな危ないことをしたんですか! 万が一、エイト様が捕まってしまったら、私、私……」


 エルフィーは肩を震わせながら、大粒の涙を流していた。エルフィーの言いたいことは分かっている。エルフィーは僕のことを心配してくれたんだ。

 でも、と僕は言う。

 

「僕は何も間違ったことはしていない。キミを傷つけたヤツらを懲らしめただけだ。これが間違いだと言うのなら、僕はいくらでも間違いを犯そう」


 僕はエルフィーを抱きしめる。何故だか知らないけど、こうするべきだと思ったんだ。

 

「……! エイト様……私……ううっ、ありがとう、ございます……」


 エルフィーの耳は、紅葉のように赤くなっていた。

 それから、しばらくしてエルフィーは落ち着きを取り戻した。だけど、何故かエルフィーの顔は赤いままだった。どうして赤くなっているのか、その理由を聞いてみたかったけれど……それは、気配を殺して僕たちを監視しているヤツと話を付けてからだ。

 

「ところで、いつまで隠れているつもりだ?」

「……驚いた。まさかアタシに気付いていたなんてね」


 建物の屋根から猫のように降りて来たのは、水着のように布の面積が狭い服を着た女性だった。見た目からして、二十代前半だろうか。

 

「僕たちが武器屋を出てから、ずっと尾けていたな。武器屋とは関係なさそうだから、今まで放っておいたけど、何が目的だ?」

「その質問に答える前にお姉さんの質問に答えてくれる? お姉さんは完璧に気配を消していたつもりなんだけど、どうやって見破ったの?」

「簡単さ。気配の消し方が綺麗過ぎるなんだよ。だから逆に違和感が生じるんだ」

「ふふ、あははは! なるほどね、綺麗過ぎるか。そんなこと言われたのは初めてだよ。……やっぱり、アタシの目に狂いはなかったね」


 女性の眼光が灯ったのを、僕は見逃さなかった。

 

「おっと。そう警戒しないでよ。アタシはね、アンタをスカウトしに来たんだ」


 女性は僕たちに手を差し出す。

 

「アタシは、マリアン・ローエンハート。『最果ての旅団』の団長さ」

「『最果ての旅団』って、あの……!?」エルフィーは目を丸くした。

「エイト。アンタを『最果ての旅団』の団員として迎えたい。この手、取ってくれるかい?」

「僕を満足させてくれるなら」

「退屈はさせないさ」


 僕とマリアンさんはニヤリと笑い合い、そして硬く手を結んだ。


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