[序章2/2]鳴海悠馬の場合
八建市。特別都会でもないが特別田舎でもない、ありふれた中都市に鳴海悠馬が経営する事務所はあった。
『さがしや』と看板を掲げている建築物の外壁は黒色のレンガで構成されており、日本では珍しい意匠をしていた。しかし、規則的に配置された白色の窓がアクセントになっているため、決して陰気臭さを感じず、むしろ『可愛らしい』外観となっている。総じて、洋館チックなこの建築物は『事務所』というよりも『住宅』と表現した方が正しいだろう。
「この詐欺師!」
悠馬の起床は先日購入した安眠枕のお陰で快適なものであった。更に今朝のニュース番組の星座占いコーナーでは一位であったし、一週間前から解いていたクロスワードパズルも急に答えを閃き完成させることが出来た。今日は良い一日であると確信していたのだが……それは、目の前で喚き散らす厚化粧おばさんに台無しにされた。
「だから、ウチではそういうことはやってないって何度も言ってんだろ、おばさん。それに、金どころか依頼すら受けてないのに詐欺師呼ばわりされる筋合いはないぜ」
悠馬はうんざりした様子を繕うこともせず、応接用のソファーに背中を預けた。
「つーか、『埋蔵金の発掘』って依頼内容が抽象的すぎるだろ。せめて『赤城山に眠る徳川の埋蔵金を探して欲しい』くらいの具体的な依頼ならともかくよ」
「じゃあ、それよ!」
「無理ですぅー。そもそも赤城山に徳川の埋蔵金は眠ってないですぅー」
「ちょっと、それが依頼主に対する態度? お客様は神様でしょうが!」
天井の染みを数えながら、厚化粧おばさんの戯言を右から左に流し、悠馬は「触らぬ神に祟りなし」という言葉について考えていた。「手に余る面倒事には関わるな」という社会を生き抜く上で必要不可欠な姿勢を説いた非常にありがたいお言葉であるが、はてさて、では触りたくない神様が近寄って来たら、どうすればいいのか。無論、神殺しだ。……俺の神殺しの槍でテメェを貫いてやろうか、という言葉が一瞬頭を横切ったが、すぐさま吐き気を催し、思考を止めた。
とにかく、神殺しを決めたのなら、取るべき行動は一つ。
悠馬は背中に力を入れ、ソファーから返ってくる反動で身体を起こし、厚化粧おばさんの方向を見据えた。
「おい、おばさん。いい加減にしろよ。さっきから黙って聞いてりゃゴチャゴチャと。アンタのつまらん話も聞き飽きたぜ。こうなりゃ、出るとこ出てもら……あれ?」
悠馬は目が点になった。目の前に居たはずの厚化粧おばさんが見えなくなったからだ。部屋を見渡すも、先程までの喧騒が嘘のように、がらんと静まり返っていた。
「だあああ! あのクレームババア、また言うだけ言って帰りやがった!」
そう、そうなのだ。実はあの厚化粧おばさん改めクレームババアが悠馬の元を訪れたのは今日が初めてではないのだ。クレームババァの本名は、谷林伸子。今年で五十路を迎える彼女は内心悠馬のことをいたく気に入っており、時々こうしてちょっかいをかけに顔を出すのだ。もっとも、そんな伸子の本心など知らない悠馬にとって彼女の存在は不定期に出現する災害同然であるのだが。
「あら、もうおばさまは帰ってしまわれたのですね。折角、お茶をご用意しようと思ったのに……残念」
開いた扉の外からひょっこりと顔を出すように、彼女は現れた。
名を姫矢真弥という。ちなみに彼女は悠馬と違い、伸子の本心を理解している。
「茶なんか出さんで良い。代わりに塩だ、塩をまいてくれ」
「もう、人様にそんなことを言ってはダメですよ」
「分かった、分かった。真弥さんの前じゃ、もう人様の悪口は言わねぇ――努力はするぜ」
悠馬は降参の意思を示すように右手を振った。対して真弥は、悠馬の今一つ誠意に欠けた態度に不満を抱きつつも、そういう子供らしいところも彼らしいと思い直し、笑顔で頷いた。
「お茶と言えば……」真弥の笑顔に、身の置き場をなくしかけた悠馬は取り繕うように「知り合いから、美味いらしい紅茶が送られてきたんだ。俺は紅茶の良し悪しなんざ分からねぇけど、真弥さん、紅茶好きだろ? 今淹れるから待っててくれよ」
悠馬はそそくさと席を立ち、準備を始めた。
鳴海悠馬は、二十六歳である。自分の母親ほど歳の離れた女性を「おばさん」呼ばわりするような悠馬が、自分より年下である姫矢真弥に頭が上がらず敬称まで用いるのには、二つの理由がある。
「あれ、そういやあの紅茶、どこやったっけな?」
「お待ちください、悠馬さん。今、わたしが探してみますね」
真弥は胸元に下げたペンダント型のペンデュラムを手に取った。先端には明らかに天然物ではないが、人工物にも見えない奇妙な、だが美しい形状の宝石―真弥はこれを『方位輝石』と呼んでいる―が吊り下げられている。
真弥は両手で祈るように方位輝石をぎゅっと握りしめた後、方位輝石を乗せた右手を開く。すると方位輝石は淡い赤色の光を放ち、数秒ほど宙に浮き、そして主である真弥の元へと帰るように彼女の掌に着地した。
「悠馬さん。デスクの引き出しではなく、来客用のお茶入れの棚にしまってありますよ」
「なんで真弥さんと飲もうと思ってた物を、来客用の棚にしまったんだっけな……」
悠馬は首を捻りつつも、真弥の言葉を疑うことなく真っ直ぐと来客用の棚に向かった。
「どれどれ……っと、ビンゴだ。流石、真弥さんだぜ」
悠馬は満足そうな顔で、瓶詰の紅茶葉を手に取った。そういえば、これを片付けるときにデスクが散らかっていたので、ひとまず来客用の棚にしまったような気がする。
悠馬が真弥に頭が上がらない理由の一つは、先程真弥が見せた異能にあった。真弥はペンデュラムに念を込めることで、人が見つけたいと願うモノを探し当てることが出来るのだ。その精度は折り紙付きで、悠馬でさえ真似出来ない。そして、この異能こそが悠馬と真弥の『職業』の存在意義でもあった。
悠馬は真弥に礼を言うと、早速彼女に見つけてもらった紅茶葉に湯を通した。すると途端に芳しい香りが部屋中に広がった。悠馬は公言する通り紅茶の良し悪しなど分からなかったが、確かに友人が「美味しい」と評価するだけのことはあり、その香りはスーパーに並んでいる紅茶とは比べ物にならなかった――気がした。ちらりと真弥を見ると、香りを堪能するようにうっとりとした表情を浮かべているので、やはりこれは上等な紅茶なのだろう。
「悪いな、真弥さん。大事な力をこんな下らないことに使わせちまって」
紅茶と菓子が並べられた応接用のテーブルを挟み、悠馬と真弥は座っていた。
目の前で頭を下げる悠馬に、真弥は笑顔で応える。
「気にしないでください。わたしたちは『婚約者』なんですから、助け合うのは当然じゃないですか」
それが、悠馬が真弥に頭が上がらない二つ目の理由であった。
一年前、真弥の実家『姫矢家』のお家騒動に巻き込まれた悠馬は成り行きで解決に協力。更にその騒動の間、真弥を守り続けたことで、真弥を含む姫矢家からいたく気に入られ、婚約を迫られたのだ。初めこそは歳の差のこともあり首を横に振った悠馬だが、姫矢家総出の説得と真弥の強烈なアプローチに根負けし、今に至る。
「そういえば、真弥さん。今日の学校はどうだった?」
「はい、今日は体育でドッジボールをしました。いつもは最初の方でやられていたんですが、今日は最後まで残ってチームの勝利に貢献することが出来たんですよ」
真弥は誇らしげに、えっへんと胸を張った。
姫矢真弥は、今年で十歳である。
翌日、『さがしや』は一つの依頼を受けることになる。
「行方不明になった少年の捜索に協力してほしい」
「テメェは毎度毎度、物騒な話しか持ってこねぇな。で、その行方不明者ってのは?」
「少年の名は、田辺栄人」