招待状(8)
第一回学園会議イン屋上。
そんな件名のメールを宗弌が受け取ったのは、祐穂の口から異世界という単語を聞いた昨夜のことだ。学園の昼休みである今、普段ならば豪太と食事ついでに今後の指針を練る筈なのだが、宗弌は豪太とともに学園本館の屋上に来ていた。
予定とは違う行動だが、話す内容はあまり変わらない。
変化があったのは、そこに集う面子だ。
「はじめまして。君が御嵩君かな?」
用意されていたらしい場所に二人が行くと、金髪の男子生徒が握手を求めてきた。整った目鼻立ちに、透き通るような声。背も高く、金色の髪も染めたものではなさそうだ。制服の型や上履きの色が中等部のものとは違う、高等部一年のものだと宗弌は知る。
「御嵩宗弌です。そっちは重松先輩ですよね?」
容姿を見た瞬間から、宗弌は相手の正体を察した。重松英雄は高峰学園では祐穂に勝らずとも劣らない有名人だ。成績が優秀なのは宗弌も同じだが、英雄が有名なのはそこではない。
英雄には他の人にはない、カリスマ性というものがあった。
進んで指導役を担うことや、頼りやすい責任感。何よりも尊敬すべき点は、そんな気配りの利いた英雄の振る舞いに、一切の打算が含まれていないところにある。中等部で生徒会長をやっていたのも、そこから生まれた人望が原因だろう。
「あれ、僕のこと知ってるんだ」
心底意外そうな顔をする英雄。いや、あなた相当有名人ですから。自覚あります? と呆れたような顔をする宗弌。そしてそんな宗弌に対し、お前も十分有名人だからな、と呆れる豪太。
簡単な挨拶を終えた後、英雄は隣に座る女子生徒に目配せをする。
「それと、こちらが中等部二年の美佳栖さん」
「は、はじめまして」
見た目も声も普通の、特に目立つ点のない女の子だ。多少緊張していることがわかるが、宗弌と豪太は英雄と同じように自己紹介を済ました。
男同士ではないため握手は躊躇われたが、英雄の視線に促されて互いに掌を伸ばす。三人の握手を満足気に眺めた英雄は、最後に後方に座る女子生徒に目を向ける。宗弌たち四人とは少し距離を取った位置に座る彼女は、あからさまな壁を作っていた。それを感じ取った英雄は静かに苦笑し……その原因すらも知っている宗弌は、面倒臭そうに口を開いた。
「おい、美栗奈。お前も参加しろ」
その物言いにぎょっとした顔で宗弌を見る豪太。
宗弌にとってはこれが普段通り、つまりは画面越しで日々語らっている口調だ。だが祐穂は宗弌に目もくれず、トントンと靴底で床を叩き、苛立ちを表すだけだった。
「さ、さて。それじゃあ早速本題に入ろうか」
聞いた話では、祐穂と英雄には今回の異世界の件とはまた別のところで顔を合わす機会があったらしい。ならばこそ、英雄もまた祐穂の性格を知っているのだろう。
繕った笑みを浮かべる英雄に対し、宗弌は同情の念を抱いた。
「合流とか色々と考えることもあるけど……まずは、この招待を受けるかどうかだね」
英雄の言葉に祐穂を除いたその場の全員が頷いた。
立ちはだかるのは大きな選択肢だ。それは一人では到底太刀打ちできない代物で、だからといって集団で話し合っても結論を導くのは難しい。完全に個人の問題だ。
態々集まって話すような内容ではない。
それでもこの場にいるということは……既に、各々が各々の決断を済ませているからだ。
「俺は招待状を受諾します」
切り出したのは宗弌だった。後に影響を及ぼさないようキッパリと言う。
決断に至る要因は二つ。祖父母からの仕送りに対する罪悪感と、長年探し続けていた妹の存在が発覚したことだ。帰って来れないわけではないし、祖父母にはこことは遠い地で全寮制の学び舎に通っていると伝えればいいだろう。他の四人と違い、宗弌には両親がいない。親戚との関係も浅いもので、悪い言い方をすれば簡単に切り捨てられる間柄だ。
……こと自分に関しては極端に懸念材料が少ないのだから、先陣を切って当然だ。
「あ、俺も受諾します」
次に、豪太が口に出す。
その口調は場に似合わずあっさりとしたもので、普段の豪太らしいものだった。
立て続けに放たれた決意の言葉に、口を閉ざしていた三人の表情が変わる。英雄とその隣に座る栖は何とも言えない表情になり……さっきから顔すら向けようとしなかった祐穂は薄らと笑みを浮かべて宗弌に視線を寄越した。
「俺はともかく、豪太はこんな早く決めて良いのか? 期限はまだあるぞ」
「色々考えたけど、やっぱり剣とか、魔法とかを使ってみたい。別に帰れないわけじゃないんだし、向こうも早めに決めてくれた方が助かるだろ」
悩みとは無縁そうな顔してるもんな、と宗弌が笑うと、豪太はあまり面白くなさそうに宗弌を見た。どうやら珍しく真剣に考えたらしい。言葉に出さないのは美学のためか。
「美栗奈さんは、どうするか決めてる?」
肩の重荷が下りた気分になった宗弌は、英雄と祐穂のやり取りを第三者として眺める。二人はこれから行動をともにすることが多いだろう。部外者は混ざらない方がいい。
「……」
しかし、無視を決め込む祐穂。
貴公子と呼ばれる程のイケメンに声をかけられて、一体何に辟易したというのか。甚だ不思議で堪らない宗弌は、唐突に右足付け根部分に振動を感じ取った。
思い入れのない真っ黒な携帯電話の画面を見ると一通のメールが届いていた。英雄たちに断りを入れてからメールを開くと……差出人の欄に、美栗奈祐穂の名が書いてあった。
『私コイツ嫌い。何とかして』
画面に映し出される文面を見た宗弌は、無言で祐穂を睨みつける。
さっきから俯いたままでちっとも話を聞いていないとは思っていたが、よもや携帯電話を操作していたとは。しかもその内容が内容だ。
『重松先輩のことだよな? 結構良い人じゃん。隣の女子には頼めないのか?』
ブーブー、と携帯のバイブレーションが鳴る。
水面下で宗弌と祐穂が激闘(?)を繰り広げる中、無視された英雄は少し落ち込んだ表情で栖に同じような質問をしていた。
再度、宗弌の携帯電話に一通のメールが届く。
『変に思われたら嫌でしょ』
この期に及んで何を宣っているのやら。このまま問答を続けていても英雄に悪い。宗弌は少し怒気を孕ませた視線で祐穂を刺した。
「なによ」
「いい加減にしろ」
「……はぁ」
宗弌が割と本気で怒っていることに気づいたのか、祐穂は溜め息を吐いて英雄に向き合うよう体勢を変えた。しかし祐穂が他人の怒りを恐れるとはとても思えない。多分、これ以上対応することが鬱陶しくなったのだろう。
「私も受諾するわ」
要点だけを纏めた台詞を吐き、すぐに自分の世界に戻ろうとする祐穂。
普段今の生活について散々文句を言っている彼女だ。しかも剣と魔法の世界ときたら、祐穂にとっては大好物のようなものだろう。同じ廃人ゲーマーとして、分からなくもない。
どうせそうだろうと予測していた宗弌だが、他の皆は違う。英雄や豪太たちから見れば、祐穂は今の暮らしに十分満足していると思ったのだろう。宗弌だって事情さえ知らなければそう思っていたかもしれない。だが、実際の祐穂は寧ろこの場の誰よりも現実を嫌っている。
「で、そっちの二人はどうするの?」
珍しいことに祐穂が質問を繰り出した。
二人は唐突な質問に暫し間を開けるが、宗弌と祐穂が問答をしている内にしっかりと話し合っていたのだろう。互いに視線を交わして頷き、そして神妙な面構えで口を開く。
「僕も行くよ。やりたいことがあるんだ」
「わ、私も皆さんと同じです」
はっきりとした物腰で言う英雄に続き、栖もこの時ばかりは覚悟を灯した瞳で言う。
祐穂は「そう」とだけ呟いた。
これで全員が異世界への招待状に頷くと答えた。少し早計過ぎるような気もしなくもない……が、一人ひとりが覚悟を決めた結論だ。文句を言う資格が無ければ、心配する必要ない。まだ若いと言われようが、自分の責任くらい自分の責任で取ってみせる。
「じゃあ、まずは情報交換から始めよう」
英雄が話題を次のステップへと進行させる。
「僕たち三人はワスターフィア王国の王都に滞在する予定となっている。特異点も近かったし移動に困ることはないんだけど……御嵩君たちは、特異点について知ってる?」
英雄の問に対し、宗弌は首を縦に振った。特異点とは異世界とこの世界を繋ぐ境界がある場所だ。念のために豪太に確認を取るが、そちらも担当の案内人に話を聞いたらしい。
英雄に次いで、今度は宗弌が情報を提供する。
「俺たちはアッシュリブル王国の王都ラスカスという場所に行きました。特異点とは少し遠い場所にありますが、護衛がつくので問題はないそうです」
国と都市の名前を聞いて、英雄が考える素振りを見せる。しかし、やはり聞き覚えがないのか、口を閉じたまま首を横に振った。そもそも、この場にいる五人は異世界の土を一度しか踏んでいない。土地の名称なんて一番身近な所を知っているだけで十分だ。
「同じ場所で過ごせるように頼んでみるか?」
胡座をかいた豪太が言う。無茶な要望かもしれないが、あれだけ至れり尽せりの待遇が施されたのだから認可される可能性は高い。だが、英雄はそんな豪太の意見を否定した。
「一度目の見学に参加した時点で、所属国家は決定するんだ」
テスティアで魔車に乗る直前、レイチェルが手続きをすると言っていたことを思い出す。護衛や移動手段が理由だと思っていたが、手続きはどの場所でも等しく行われるようだ。
「だから合流するとしたら、どちらかが出向かないといけないね」
――合流。やはりその話題は避けられない。この場にいる五人は顔も名も知っていて、未開の地である異世界でも知人と一緒にいれば些か心強くなる。事情を知らないテスティアの人間とばかり触れ合っていると、心苦しくなることもあるだろう。そういったとき、何も隠すことなく全てを打ち明けられる人間が傍にいると精神的にかなり助かる。
故に、可能ならば合流はするべきだ……というのが一般論。
残念ながら、この場にはそんな一般論が通じない者が二人いる。
優等生の皮を被った変人と、憧れのお嬢様の皮を被った廃人ゲーマー。
即ち、宗弌と祐穂だ。
「国が違う時点で距離はあるし、最悪の場合だと大陸が違うなんてこともあるかもしれない。そうなった場合、まずは移動手段の確立から考えないといけないね」
真剣に悩む宗弌に、英雄が自分の考えを述べる。だが違う、宗弌は別にそんなことをこれっぽっちも考えていない。宗弌が思案しているのは、いかにしてこの話を有耶無耶にするかだ。
ぶっちゃけ合流なんて面倒臭い。
そんなことにかまけている暇があれば、一秒でも長く異世界を堪能したい。
この考えは祐穂だって同じはずだ。彼女は常日頃日常を嫌悪していたし、廃人ゲーマーである彼女は人一倍剣と魔法の世界に憧憬しているだろう。
「……あの、重松先輩」
合流なんてとんでもない。
少なくとも、自分は絶対に嫌だ。
このままだと有耶無耶にできる気配がしない。こうなれば真っ向勝負だ。
なんとかして言いくるめねば……しかし悲しかな、民主主義が採用されるこの国では、個人の力なぞ無に等しい。そのためには二人以上の団結が必須だ。
「合流って、別にしなくても――」
さあ、美栗奈。同意してくれ!
強い意志を込めた視線を祐穂に送る宗弌。
しかし、彼女の口からは宗弌にとって、まさに予想外の台詞が発せられた。
「――合流は必須よ」
「はぁっ!?」
思わず、声を荒げて立ち上がる宗弌。
「合流は必須、いいわね?」
有無を言わせない鉄壁の声で言う祐穂。普段通り……いや、普段よりも一層強いその口調が、宗弌たち四人の心境に影響を与える。
だが、しかし。
――嘘だろ、だってお前……どう考えてもそーいうの嫌がるタイプだろっ!?
そう思っていたのは宗弌だけのようで、
――おいおい、あの才女が必須と言ってるぜ。
――だ、だったらこれは必須なんですねっ!
――うん、それじゃあ決定だね。
宗弌にはわからない視線のやり取りが交わされる。
そして三人は一様に頷き、揃えてこう言った。
「合流だな」
「ご、合流しましょう!」
「合流しよう」
宗弌は、今度こそ声も発せない程に驚いた。
流石はお嬢様ポジションに君臨しているだけはある、人を従えるその様には貫禄があった。しかしまさか学年という壁を超えてまでそれが発揮されるとは、最早畏怖するに値する。英雄までもが流されるとは思いもしなかった。あんた俺たちより一個上だろ、そんな雰囲気に流されるような判断をしてもいいのかよ、と宗弌は叫ぶ……心の中で。
「まあ、どのみち僕は元々そうするつもりだったしね」
困惑する宗弌に言い聞かせるよう、英雄が優しく諭す。
確かに英雄は合流を提案した張本人なだけあって、それに対する考えはこの中でも一番あっただろう。本人は自分のためと言っているが、その裏には栖のような気弱な人間を守る意志が存在するのも察せられる……が、釈然としない。どうにも釈然としない。
決まってしまったものは仕方ない。宗弌はがっくしと項垂れる。
「……可能ならば合流しましょう」
宗弌が〝可能ならば″の部分を強調して言うと、祐穂が視線で脅しをかけてきた。
もうなんなんだコイツ、わけわからん。
「それじゃ、さっさと始めるわよ」
祐穂の言葉を皮切りに、宗弌たちは持って来た封筒の中から招待状を取り出す。冷静沈着で隙のない氷のような祐穂の口調が、ほんの僅かに跳ねるようなものに変わる。外面には現れていないが、その胸中ではわくわくが止まらないに違い無い。祐穂とはそういう奴である。
「合図した方がいいかな?」
「し、重松先輩がするなら、私は従います!」
「いらないわよ、面倒だし」
「美栗奈、お前は協調性というものを学んでこい」
「俺、宗弌にその台詞を言う資格はないと思うんだけどなぁ」
不貞腐れたり宥めたり、そんな会話をしながら宗弌たちは招待状を持つ指に力を入れる。両手の人差し指と親指で紙を挟み、右手を奥に、左手を手前に向かわせる。
招待状に全員が頷くという意見ならば、次にすべきことは明らかだ。
その旨を伝えるべき者に伝えればいい。
「せーの」
英雄の合図と同時に、ビリッと音がした。
真っ二つに引き裂かれた招待状を眺めて……途端に不安げな表情になる。
「こ、これであってるんだよな……?」
「承諾の場合は破けって書いてたし、多分あってる……はず」
豪太の不安を拭おうとした宗弌だが、それ以前に自分も不安なので説得力に欠ける。ちなみに、拒否する場合は燃やす、もしくはお湯に溶かすと記されていた。
あのポーカーフェイスの達人である祐穂すらも顔をゆっくりと歪ませる。
直後、引き裂かれた招待状が二つの光球となって宙に漂った。
二つの光球のうち、片方がとんでもない速度で屋上の彼方へ消える。キラン、と星になったそれを確認した一同は、手元を見るともう一つの光球が招待状に似た手紙へと変貌していることに気がついた。
宗弌は恐る恐る手紙を開き、文面を読み取った。
『――この度は、テスティアテスターに受諾して頂き、誠にありがとうございます!』