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招待状(3)

 得体の知れない手紙が届いて数日。

 いつも通り学校から帰宅した宗弌は、この日ばかりは自室でのんびりと過ごすことができずにいた。自炊した簡素な夕食で腹を満たし、適度に時間を置いてから居間に向かう。既に外は暗く、時刻は二十一時を過ぎた頃だった。

 頃合を見て、宗弌は部屋の隅に掛けていた細長い棒状の物――棍を手に取る。

 久し振りに握るそれは、かつてともに身体を鍛え上げてきた武器だ。周囲の家具に当たらないよう距離を開けて、上下左右にと素振りを始める。

 昔、祖父から棒術を教わっていたことを思い出す。今の世では珍しい暴力的な指導に時折涙を流す羽目になったりしたが、そのおかげで多少の自信はついた気がする。しかし、祖父が死去してからは疎遠となっていたため、今の自分の動きは自覚できるほど鈍い。

 汗を流さず、多少肌を湿らす程度で素振りは終了する。護身用としては、まあまあといったところだろうか。少なくとも、易々と人を殺せるような物よりかは余程扱いやすい。


「あんな得体の知れない手紙だ。警戒に越したことはねぇな」


 指定されていた時刻まで、残り数分。心を落ち着かせるために、長い深呼吸をする。

 そのとき、軽快なチャイムが家中に鳴り響いた。


「……来たか」


 鬼が出るか蛇が出るか。

 宗弌は足音を立てずに玄関に歩み寄り、そっと覗き穴に目を合わせた。

 そこには、宗弌の危惧とは他所に極めて普通の光景があった。鬼でも蛇でもない、どこにでもいるサラリーマンのような格好をした男がこちらを向いて立っているだけ。黒いスーツを着こなしたその姿は、仕事に誠実な、出来る男を思わせる。

 暫く黙っていると、男は腕時計を確認した。

 困り果ててキョロキョロと左右に視線を寄越すその姿に、宗弌の身体から一気に緊張が抜ける。……考えすぎか。どう見ても、普通の人じゃないか。

 右手に持っていた棍を靴箱の横に置き、玄関を開いた。


「あ、どうも初めまして。私、異世界から派遣された案内人のフィリスと申します」


 フィリスと名乗った黒スーツの男は、宗弌の顔を見るなり軽くお辞儀をした。両手にも足元にも荷物らしきものはない。


「こちらこそ初めまして。御嵩宗弌です」


 礼儀には礼儀を持って接する。

 同じくお辞儀をした宗弌は、早速フィリスを家の中へ招いた。


「粗茶ですが、どうぞ」

「これはどうも、ありがとうございます」


 万が一のために、接待の用意もしておいて良かったと宗弌は思う。あらかじめ用意してあった座布団をテーブルの傍に置き、自分はそこと相対する場所に座った。

 喉が渇いていたのか、フィリスは置かれた茶を一気に半分ほど飲み込んだ。そして満足そうに頷いて「やはりこの国の飲み物は旨い」と独り言を漏らす。再度湯呑に口を付けようとしたが、宗弌の視線に気づき、咄嗟に態とらしい咳をして腕を戻した。


「それにしても、随分と広い家ですね。ご家族は留守ですか?」

「いえ、両親は既に他界してます」


 妹に至っては行方不明だ。


「それは……申し訳ありません、個人の事情に土足で立ち入るような真似をして」

「いいですよ、慣れてますし」


 慣れていることは事実だ。宗弌も、ただ質問に対して解答を述べた程度にしか意識していない。場の空気を気まずくした責任を拭うためか、フィリスはすぐに本題に入った。


「さてと、ではまず初めに、招待状を確認してもよろしいでしょうか?」

「あ、はい。こちらです」


 宗弌は招待状と、それを包んでいた封筒をフィリスに見せる。


「確かに、正式な招待状ですね。確認しました。それではこれより、招待状に書いてある通り簡単な説明会を催したいと思います。早速本題に取り掛かってもよろしいでしょうか?」

「はい、問題ありません」


 テーブルの角に置いてあった筆記用具とメモ帳を手に取り、宗弌は姿勢を正す。短い世間話は既に終了したらしい。玄関前で腕時計を確認していたし、この説明会の後も予定が入っているのだろう。


「では、まずは全体を簡単に説明しましょう。御嵩さんは、異世界と聞いて何を思い浮かべましたか?」


 真っ先に胡散臭いと思ったが、そういったことを聞いているのではないことは分かる。文字通り、異なる世界。この地球とは違う世界なのかと、漠然とした答えを頭に浮かべた。


「そもそも、世界とはどういった基準の元に生まれる単位なのか。他の国、他の星、他の銀河。考えようによっては幾らでもあります」


 言われて見れば、その通りだ。世界が二つ以上あるということは、そこには範囲という概念が存在する。今の宗弌の知識では、相対的に銀河が相応しいと判断することもできる。

 だが、もしも今後、それ以上の範囲を持つ何かが生まれてしまったら? 大量の星屑を内包する銀河のように、大量の銀河を内包する何かが見つかってしまえば、世界は更に範囲を広げることになる。想像すればキリがない。


「結論から言えば、異世界とは平行世界のことです。遥か太古の時代、原初の世界が大きく二分割された結果が、この世界と異世界なのです。まあ、今は詳しく知る必要なんてありませんし、元は一つであることを知って頂ければ十分です」


 平行世界と言えば、可能性という分岐点にて別れた複数の世界の総称だ。それを題材に取り上げた創作物を宗弌は幾つか思い出す。


「そしてこの招待状は、平行世界に存在する人間を、こちらの世界に招き入れる旨を綴ったものとなります。その辺りは、招待状にも書いてありますね」


 書いてはあるが、そこには理由が全く書かれていない。だからこその案内人だ。


「厳密に言えば、御嵩さんは異世界の学生枠のテスターに勧誘されたことになります。招待状にも書いてあるこのテスターという言葉、疑問に思いませんでしたか?」


 フィリスの視線の先にある招待状を、宗弌はもう一度注意深く読む。異世界への招待状、と始まる冒頭からその先。学園生徒のテスターを募集してあると書いてあった。これを書いた者はカタカナが苦手なのか、その部分だけ歪んだ筆跡になっている。


「テスターとはつまり、実験体というわけです。響きは怪しいものですが、決して不安に思うことはありません。こちらの世界では各国が公認しているものですしね」


 そちらの世界を知らない宗弌にとってはあまり説得力がない。実験体と聞いて、宗弌は科学者たちに注射器を向けられるモルモットを思い浮かべた。自分がそれなのだと聞いて、宗弌はフィリスに疑いの視線を注ぐ。


「その実験体は、何の実験に使われるんですか?」

「使うという表現はあまり適切ではありませんが、確かにそこが最も重大なことですね」


 話の大きな区切りなのか、フィリスは腕を組み直して宗弌の目を見る。

 そして、続けざまに声を発した。


「近々、この世界と異世界が融合する恐れがあります。我々の言う実験とは、その融合された世界で、人々がどのように適応するかを見極めるものです。既に曖昧となっている両世界の境界を利用して、異世界人を招き入れた後、その異世界人がどういった経緯で、どのくらいの時間を要して世界に適応するか記録する。そしてその記録を元にして、融合後の新世界にて起こると言われている大混乱の対策を立てることが、我々の最終目標となります」


 二つの世界が融合し、新しい世界が誕生する。

 下手な映画監督ですら手に取らない、滅茶苦茶な脚本だ。


「幸い、元が一つであるため、大きな天変地異は起こりません。形の合った歯車が重なり合うとでも言いましょうか。異なるのはそこに刻まれた模様です。かつて分岐したものが一つに回帰するということは、その分岐を取り消すということですから――」

「ちょ、ちょっと待った。少し整理させてくれ……」


 あまりのスケールに宗弌の脳が追いつかない。

 茶のお替わりを入れて、頭の中に溢れかえった疑念と一緒に喉の奥へと流し込む。大きく息を吐いて落ち着きを取り戻し、すぐに頭の整理に取り掛かった。

 話を聞く限り、問題は二つある。

 一つは、近い将来、異なる二つの世界が融合することだ。かつて分岐して二つになったものが一つとなり、その結果生まれる新たな世界ではこれまでの常識が通用しなくなるらしい。元は十であった世界が五と五の世界に別れたとする。すると両世界の住人は、五である世界しか知らないわけだ。ところが、それらが融合した世界は十の世界。五の世界しか知らない両世界の住人にとって、そこは完全なる未開の地だ。未知の溢れる混沌の世界と化すだろう。話から察するに、向こうの世界にも人間という生物は存在する。人間は未知に恐怖する生物だ。ゆえに、融合後の世界では混乱は絶対に避けられない。

 そしてもう一つは、その来たる混沌の世界への対策を練るために、自分が異世界に招待されたことだ。テスターという役割につき、宗弌が異世界に適応する際に経た教訓が、融合後の世界で起こる大混乱の解決策となるのだ。

 自分なりの解釈を図解しながらメモ帳に書き殴る宗弌。

 やがてそのペンが止まると同時に、フィリスは口を開いた。


「テスターに深い制約はありません。定期的な日記さえ書いて頂ければ、それだけでこちらの望むものは手に入ります。御嵩さんの場合は学生枠とのことですので、招待状に承諾さえすれば学費無償で教養機関に所属できることを保障しましょう」


 随分と有待遇だが、話のスケールを考えると妥当かもしれない。

 学費無償という言葉に宗弌が明らかな反応を見せる。

 現状、宗弌の家計は壊滅的とは程遠い。両親が他界した今、父方の祖父母から毎月口座に振込まれる金だけが頼りなのだが、その金の量が尋常ではないのだ。元々結婚する以前から父方の家系は金銭感覚が緩かったらしい。

 ただ、年を経るごとに宗弌は罪悪感に苛まれていた。バイトもできない年齢なため、借りは一方的に増えるばかり。考えたくはないが、祖父母も父が他界したことで自暴自棄になっているのかもしれない。

 このまま高峰学園の高等部に通うことになれば、またしても莫大な学費を祖父母の仕送りに頼らなくてはならない。学費無償は、そんな罪の意識から逃れるには絶好の機会だ。


「この世界に帰ってくることはできるんですか?」

「ええ。しかし、自由に行き来は難しいかもしれません。仮に御嵩さんが異世界の教養機関に通うこととなった場合、その機関の制度や学業によっては暫く帰れないこともあります」


 有待遇とはいえ実験体だ。あまり自由な生活は送れないのかもしれない。

 そう考えていた宗弌だが、


「ですが、先程もおっしゃった通り、制約は特にありません。学業が気に食わなければ勝手に抜け出しても構いませんし、他に興味を持ったものがあればそちらに専念しても結構です」

「……はい?」

「テスターとはそういう仕事です。ありのままに行動して頂かないと、こちらとしても正確なデータを取れないのです」


 ただ、流石にそう簡単に元の世界に帰還するのは勘弁して欲しいとフィリスは苦笑する。

 しかしこれは、宗弌が思っている以上に有待遇だ。

 日記さえ書けば学費無償な上に融通の効く生活を送れる。その代わりに元の世界には簡単に戻れないかもしれないが……そもそも、この世界に未練はない。二階の自室にある進路希望調査票を思い出す。あそこに何も記入していないことが、その証拠ではないだろうか。


「一応、異世界がどういった場所なのか教えてもらってもいいですか?」

 

 宗弌の気持ちが異世界に寄っていることを感づいたのか、フィリスがこれまで以上に安心感を与える微笑みを浮かべる。


「こちらの世界を金と科学の世界と表現するなら、異世界は剣と魔法の世界と言うべきでしょう。文明は多少劣っているものの、不自由のない生活が待っていますよ」


 こちらの世界が金と科学で培ったものが、異世界では剣と魔法にて培われたということになる。いわゆる、ファンタジーというやつだ。


「少し招待状を見せてもらっても良いですか?」


 フィリスの言葉に宗弌は頷き、招待状を手渡した。


「ここにあるのが、各国の承諾印です。あなた方テスターがどの国に割り振られても受け入れる旨を、国王が直々に認めています」


 フィリスは招待状の表面を指で撫でながら、懇切丁寧に宗弌に説明する。

 そしてその指が手紙の三分の一まで進んだところで、ピタリと止まった。温厚だった瞳を細め、フィリスは訝しむように招待状を凝視する。


「……ここ、何か隠されていますね」

「隠されている?」

「ええ。この部分、やけに不自然な空白があります。……少しお待ちを」


 招待状は紙のサイズと見合わない大きさの文字で綴られていた。その結果、本文は紙の三分の二を占めたところで終えている。一番下にはフィリスの言っていた承諾印とやらがあるだけで……なる程、本文とその間にある空白は不自然だ。


「――解けよ」


 一瞬、フィリスの指先が光ったかのように見えた。錯覚か? と瞬きをするも束の間。次の瞬間には招待状の空白部分に文字が炙り出しのように滲み出した。


「簡単な認識阻害技巧ですね。一応解除はできましたが……どうやら、こちらの世界の文字みたいです。私には読めませんが、良ければ何と書いてあるか教えて頂けないでしょうか?」


 文字の羅列が浮き出た招待状を受け取り、宗弌はそれを読んだ。


「……え?」


 直後、驚愕の表情を浮かべる。

 それは間違いなく宗弌の良く知る日本語で、こう書かれていた。


「『悪いこと言わないから、こっちに来ることをオススメするよ。きっとお兄ちゃんが望んでいたものが、こっちにはあるから――御嵩彩莉より』」


 表れた文字を全て読むと、フィリスが驚愕に目を見開いて反応を示す。


「お兄ちゃん? ……い、いや。それよりも今、御嵩彩莉って……」

「御嵩彩莉……行方不明だった俺の、妹です」


 御嵩彩莉。その名を持つ人間を、宗弌は一人しか知らない。かつてこの家に住んでいた家族の一人。破天荒で怖いもの知らずの、可愛らしい妹。

 行方不明者として三年以上捜索されていた妹の名が、彼女の筆跡で確かに刻まれていた。

 どこまでも兄を驚かす妹だ……! 笑っていいのか怒るべきなのか。わけのわからない感情に翻弄され、宗弌はくしゃりと招待状に皺を作る。


「よ、良かったじゃないですか。妹さん、見つかって……」


 フィリスが宗弌に祝福する。だがそれは歯切れ悪い口調で、顔は酷く焦燥に駆られていた。下手をすれば宗弌以上に驚いているかもしれない。


「と、ところでその……お尋ねしますが、もう一度妹の名前を言ってもらっても……?」

「御嵩彩莉ですが……もしかして知っているんですか?」

「い、いえ、私は知りません。気のせいだったみたいです。しかし、そうですか。御嵩彩莉さんですか……御嵩、彩莉さんですか……」


 唇を震わせながら、フィリスはそっと呟いた。黒いスーツを握り締め、その瞳は焦燥に駆られて左右に大きく揺れ動く。そんな彼の様子に、宗弌は首を傾げた。


「……そ、そろそろ時間ですね」


 震える手で茶を飲み干した後、フィリスは腕時計を一瞥して立ち上がった。

 部屋の角にある時計を見ると、説明会が始まってから既に一時間は経過している。内容が内容だっただけに時間は短く感じられたが、その分疲労感はとてつもない。

 今日はこれで終わりか。助かった……と宗弌は思ったが、


「では、行きましょうか――異世界に」


 黒いスーツを纏った案内人は、そんなことを言い出した。


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