招待状(2)
「ただいま」
寄り道することなく家に帰った宗弌は、玄関の扉を開いたまま靴を脱いだ。返事が返ってきたら困るのだが、挨拶の習慣を忘れるわけにはいかない。
「邪魔しまーす」
「お邪魔します」
家の中から返事をする者はいないが、後ろから返事とは別の声がかかる。
「なんだか最近、宗弌の家に入り浸りすぎかも」
手馴れた手つきで玄関の鍵を締めながら沙織が言う。遠慮している風に言う割には、随分とご機嫌な表情だ。さっきまでの態度は何だったんだ、と宗弌は疑問に思いつつ二階に上がる。
「ま、テスト期間中は毎日通ってたからな」
まるで自分の家にいるかのように、豪太が乱雑に靴を脱ぎ捨てて言った。今日は少し遅れた試験終了の軽い打ち上げだ。会場は決まって宗弌の家の宗弌の部屋。
家主を先頭に、三人は二階最奥の部屋へ入る。高級住宅地の一角に佇む家だけあって、打ち上げにはうってつけの広さだ。
「さて、んじゃゲームやるか」
「お前はそればっかしだな」
「ここにあるゲームは大体面白いからな」
部屋に入るなり、勝手にテレビの電源を入れる豪太。沙織の方も、気がついたら宗弌のベッドに腰を掛けている。その定位置はいい加減変えろと何度も言っているのだが、どうやら聞く気がないらしい。せめて枕を抱きしめるのは勘弁願いたい。
「お、またこのニュースか」
リモコンを手に持ちながら、豪太は軽い関心をテレビの画面に注ぐ。声につられて宗弌も目を向けると、最近巷で噂されている事件についてのニュースが報道されていた。
「流石に怖くなってきたな、犯人まだ見つかってないんだろ?」
豪太が神妙な面構えで言う。事件とは何ら関わりを持たない一般人でも不思議に思うほど、その事件は謎めいていた。
「犯人がいるかどうかすら微妙だけどな」
失踪事件。文字通り、人が失踪している事件の総称だ。それがここ最近では、各国各地の至る場所で発生している。被害者は老若男女、被害地は屋外から屋内まで。立て続けに人が失踪することも十分におかしいのだが、何よりもおかしいのは目撃者が未だに皆無なことだ。
「神隠しって、言われてるよね」
忽然と人が消える様を、古来より神隠しと呼ぶ。人の手には負えないからこその「神」という一文字だが、この失踪事件は正しく人の手に負えない不可思議な事件だった。
「ま、今日はそんなこと考えなくていいか」
どのみち自分たちには解決しようのないことだ。宗弌も沙織も、考えることを止めて今日はひたすら楽しむことにする。
「宗弌、これやっていいか?」
「別にいいが、それオンラインゲームだぞ」
「んじゃ、俺がレベル上げてやんよ」
へへ、と笑いながら豪太がゲーム機の電源を入れる。見ていてもつまらないし、二人以上の同時プレイができないゲームなため、宗弌は暇つぶしを本棚から探すことにした。
「沙織。いつも言ってるが、そこには何もない」
「ちっ」
ゴソゴソとベッドの下を探る沙織に注意を配りつつ、宗弌は本を探す。この二人に関してはプライバシーなんてあってないものだ。耐性のついた宗弌は、特に慌てることもない。
「あれ。宗弌、これまだ出してないの?」
沙織が机の上に置いてあった、一枚の紙を持ち上げた。二つ折りにしたA4サイズよりも小さく、しかし普段学校で配られるプリントよりは分厚い用紙。
宗弌たちが、一週間前に担任から配られたものだ。
「進路希望調査票か、そう言えばそんなのあったな」
コントローラーを動かしながら豪太が告げる。宗弌の記憶が正しければ、豪太は配られたその日に提出していた筈だ。多分、適当に書いたのだろう。
「宗弌なら何にでもなれるんじゃない?」
「買いかぶりすぎだろ」
「そんなことないって。私が保障する」
何故か誇らしげに胸を張る沙織。
実際は、そこまで現実的な検討にすら至っていない。可能性とかを考慮する以前に、将来的になりたいと思う職業が見つからないのだ。ある意味、お先真っ暗である。
これが年端もいかない子供の頃ならば違っただろう。あの頃の無垢な心をまだ持っているならば、将来の夢に迷ったりはしない。妄想をそのまま記入すればいいだけだ。
昔はどんな夢を持っていたか。確か、光の巨人になりたいと願っていた。
でも、それを書くことはできない。
この年齢にもなるともう少し現実的な将来について考えなければならない。可能性を考慮して、更にその先に待つ未来を予測して。そんな面倒臭い思考が必須になる。
公務員。或いはサラリーマン。そう記入しようかと考えたものの、これらは有り触れているだけで現実的な考えとはまた別だと気づいた。
思えば流され感化される日々を謳歌したものだ。自分はこの人生、何を目指して過ごしていたのだろう。そんな疑問が頭の中で浮上する。
無気力とはまた違う。目指すものが何一つとして見当たらない。
どれだけ真剣に考えても、その末に導かれた答えには必ず「妥協」が介在していた。
「第一希望、か」
将来を考えるといつも嫌な気持ちになる。
これでも自分は優秀な方だという自負はある。だが、それは負けず嫌いが促した結果に過ぎない。それ自体に興味を見出したわけではないし、勝ちたい一心で行動してきただけだ。
並ばれなければ、或いは敗北しなければそこで満足してしまう。それ以上を目指そうとしない。途端に気力が失せてしまう。
単純な話、宗弌は自分から何かに興味を示したことがなかった。
興味があれば自ずと向上心は湧いてくる。だが、宗弌の場合はそれが無かった。義務だから仕方なく、或いは暇つぶしがてら適当に。切っ掛けは幾らでもあるものの、それが自然と伸びることはない。張り合う相手がいない限り、向上心は生まれてこない。
幸い、環境には恵まれていた。私立高峰学園は学費も馬鹿にならない名門校だ。そこで教鞭を振るう教師は皆一流。そしてそこに通う生徒は宝石の原石ばかり。右を見れば左を見れば、あちこちに好敵手がいた。
しかし、それも数年前の話。今となっては優等生と言われることはあっても、「お前なんかに負けねえぞ!」という敵対心剥き出しの言葉は全く浴びることがない。心身共に大人へと近づいた周りの友人たちは、それぞれの目指すものへ向かい始めたのだ。
「お、このゲームって結婚とかできるんだな」
「ゲームなのに結婚?」
「ほら。宗弌のやつ、このキラリンってキャラクターと結婚してるみたいだぜ」
「……え? ぇ、何それ? 宗弌、結婚してるの……?」
悩む宗弌を他所に、豪太と沙織は楽しく談笑している。こんな友人たちでも、自分よりかは明確な夢を持っているに違いなかった。まだまだ時間はある、は言い訳だ。もっと現実と向き合わないといけない。宗弌は胸の奥からせり上がる焦りに、顔を曇らせた。
「あれ、宗弌。郵便物が届いたっぽいぞ」
車の停車音に反応し、窓から身を乗り出した豪太が振り返って言う。
「ちょっと見てくる。あんまし騒がしくすんなよ」
「へいへーい」
テレビ画面を食い入るように見つめる沙織は無視して、宗弌は一階に降りる。新聞は取っていないため、夕刊ではない。この家に手紙を送るような人にも心当たりがない。
どうせ下らないチラシか何かだろう。
埋め込み式の郵便受けを開き、中に手を突っ込んだ。
「何だこれ……手紙か?」
木目調の郵便受けの中に入っていたのは、真っ白な封筒に包まれた二枚の手紙らしきものだった。ご丁寧に、白に映える煌びやかな赤色のシールで封がされている。
手紙の内、片方には「御嵩宗弌様」と書いてあった。名指ししているということは、送り主とはそれなりの関係である筈だ。学校からか? と思いながらも二枚目の方に目を移す。
「雁内豪太様……って、何で豪太宛の手紙が俺の家に届いてんだ?」
届けに来た人が誤って豪太の分も入れてしまったのだろうか。取り敢えず宗弌は二枚の封筒を手に持って、二階の自室へと向かうことにした。
「お、帰ってきたか」
「ねえ宗弌、このキラリンって人……誰?」
部屋に入った途端、それぞれ全く別の言葉を投げかける二人。
「キラリンはネットで知り合ったただの友達。それよりも豪太、これを見てくれ」
簡潔に沙織に言った後、宗弌は二枚の手紙の内、片方を豪太に手渡した。
「あれ、これって俺宛なのか?」
「そう書いてあるってことは、そうなんだろうな」
ふーん、と首を傾げながらも豪太は躊躇なく開封する。宛てられた本人がすることなので咎めることはない。宗弌も自分に宛てられた封筒を開いた。
「宗弌。このキラリンって人、さっきから何度もチャット申請してきてしつこいんだけど」
「スルーしといていいぞ。後で適当に理由つけとくから」
何と戦っているつもりなのか、沙織がぎこちない動作でコントローラーを操作する。沙織がゲームに関心を抱くなんて珍しいな、と考えながら宗弌は開封した封筒の中を見る。特に変哲のない手紙が一枚入っているだけだった。優しく折り畳まれたそれを取り出し、中身を見る。
「……は?」
手紙の一文目を読み、そこで宗弌は疑問の声を上げた。
少し遅れて、豪太も同じように怪訝な目つきをした。
二人の様子が気になったのか、傍らでコントローラーを握っていた沙織が宗弌に身体を寄せて手紙の中を覗き見る。そしてやはり目を丸くして驚くが、
「あれ、白紙? なんにも書いてないじゃん」
宗弌と豪太とは、また別の疑問を口にする。
「いや、書いてることには書いてるだろ。ただ、その内容がちょっとな……」
「んー? 私には何も書いてないように見えるけど」
試しに豪太の方も覗いた沙織だったが、同じく何も書いてないように見えたらしい。だが、宗弌と豪太はその手紙に書いてある文字を確かに読み取ることができていた。
――異世界への招待状。
手紙の冒頭は、そんな言葉で始まっている。