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人間万事塞翁が馬(6)

演出の都合上、二話連続投稿しています。

できれば、この話と次の話は連続してお読み下さい。

 気を失っていた二日間を取り戻そうとした宗弌が導き出した結論は、徹夜だった。レイチェルからタイムリミットを宣言された直後、向かったのは図書室。すぐに読むべき本を書棚から取り出し、そして貪るように読み始める。

 技巧の会得は本来、数日をかけて行われるものだ。灯火は初級中の初級だったため容易に会得できたが、他はそうとも限らない。ならば覚醒が近いと言われた才能の探求を優先すべきかと考えるも、こちらは時間以前に運要素が左右する。

 最終的に宗弌が優先したのは、既に持っている手札の確認だった。

 そして――試験当日。


「お、おい宗弌。お前、大丈夫か……?」


 目の下に濃い隈を作る宗弌に、豪太が心配そうに声を掛ける。


「大丈夫だ、慣れている」


 そういう問題ではないのだが、言っても効かないので口を噤む豪太。実際、宗弌が徹夜に慣れているのは事実だが、目の下に隈を作っている人間が大丈夫と言ったところで納得する者はいない。そんな宗弌に対し、杖を磨いていた黒兎は嘲笑うように鼻で笑った。


「ふ、ふん。自業自得だな。ま、まあ、精々足手まといには、な、な、なるなよ?」


 黒兎は誰の目からどう見ても、三人の中で一番緊張していた。


「……お前こそ」


 アスティアから魔車に揺られて数分、宗弌たちはヘイリア王立学園の実技試験会場に来ていた。会場である迷宮が学園の敷地内に存在しており、宗弌たちの目の前にはその入口が岩肌から覗いている。大分補強されているようで、人工的な措置がされていた。


「そろそろ準備しといた方がいいな」


 街の中央に聳え立つ巨大な時計塔を見て、豪太が言った。

 これまでの記録だと、大体迷宮に潜り始めてから一時間以内に結果が出ていた。試験管の話によれば。この迷宮は短時間で結果が出せるようにと様々な改良が施されているらしい。世にも珍しい人工迷宮といったところだ。

 現在、第八組目の受験者が迷宮探索を行っている。宗弌たちが会場に着いた時は既に五組目まで終了していたため、長い間待っていたわけでもない。


「……来たぞ」


 洞窟の入口から三人の男女が歩いてくる。一人は足を負傷したのか、左右の二人に肩を貸していた。三人とも疲労困憊な様子を見せる。


「合格だな」


 三人の内、一人が手に持っている赤い宝石を見て黒兎が言う。

 これで五組目が合格。予想以上に少ない合格率だが、受験者数が多いならではこその振るい落しらしい。ここで失敗した者は座学試験で取り返さなくてはならないのだが、生憎と宗弌たちテスターに座学試験の機会はない。免除は任意だが、座学試験に合格する程の知識量をこんな短期間に蓄えられる筈がなく、宗弌たちが渋々免除を認めたのだ。


「九組目、前へ」


 試験管の言葉に従い、宗弌たち三人が迷宮の入口まで近づく。そこで、三人を魔車で連れてきたレイチェルが最後の助言を言い渡した。


「まずは迷宮の空気に慣れることから始めろ。それと、実践の心がけを忘れるなよ」


 了解、と三人が頷く。

 魔車の中で教えてもらった、実践の心がけを思い出す。魔物と相対し、尚且それが明らかに脅威となり得る場合。躊躇わず、しかし周辺に気を配りながら対処する。常に自身の選択できる手札を念頭に置き、行動の直前にそのどれを選ぶかを自覚する。

 無意識の行動、それこそが失敗の最大要因だ。


「では、最終確認をします。制限時間は無し、合格条件は迷宮最下層にある証の入手、及びそれを所持した状態でこの場に帰還することです。証が破壊されたり、三人の内一人でも行動不能となった場合は失格となります。五体満足は考慮しませんが、くれぐれも無茶だけはしないで下さい」


 大体の説明は事前に聞いているため、今はもう特に質問することがない。宗弌は背負っていた棍を持ち構え、豪太は篭手の感触を確認する。緊張で杖の先端を震わせている黒兎の肩を二人で思いっきり叩き、意気揚々と迷宮の中へ足を向ける。


「――試験開始!」


 試験管が時間の計測を始めた直後、宗弌と豪太が黒兎を両側から引きずるように進む。流石に迷宮の入口に魔物は生息していないだろうと鷹をくくっているが、一応警戒は怠らない。

 中は思ったよりも薄暗く、灯りの類はあるにはあるが感覚が長くて頼りにできなかった。宗弌は早速レイチェルに迷宮探索の際には必須と言われた技巧――灯火を発動させる。


「まずは迷宮に慣れるって言っても……どうする?」


 三人で別々の方向を警戒しながら、豪太が二人に訪ねた。


「しりとりでもするか?」

「そ、それがいいな御嵩。じゃあ俺からいくぞ……き、きりん!」

「……黒兎、お前マジで落ち着け」


 冗談に対して真剣に対応し、その上自滅する黒兎を宗弌が宥める。身近に自分以上に緊張している人がいるせいか、宗弌と豪太は精神的には余裕を保つことができた。


「取り敢えず先に進むか。危なくなれば撤退すりゃいいだろ」


 宗弌の言葉に豪太と黒兎が従う。日々オンラインゲームでパーティーリーダーをしていた経験が活きたのか、基本的な統率の取り方くらいは様になっていた。

 最下層含め、迷宮は全部で三階層となっている。一番最後にボス的存在がいるのだから、そこまでの道のりではあまり体力を使いたくない。技巧は発動する度に精神力が持っていかれるため、多様は禁物だ。


「豪太の才能で周りを照らせれば、俺も楽できるんだが……」

「いやー、あれが中々難しいんだよなー」


 才能は技巧と違い、精神力を消耗することなく発動できる。なので宗弌が発動している灯火の技巧を豪太の才能が肩代わりすれば効率が良くなるのだが……まだ制御がうまくいってないらしい。相談した結果、灯火役は各階層で交代することにした。

 一階層目は入り組んだ地形ではなく、大きな部屋が幾つも隣接している構造のようだ。迷宮初心者である宗弌たちには嬉しい事実。罠などといった魔物以外の脅威にも気をつけながら、宗弌たちは灯火の炎に照らされた道を歩き続ける。


「お、あれって魔物じゃね?」


 前方を指差した豪太に、宗弌が足を止める。間隔の置かれた壁の灯りが、向こう側に小さな人影があることを表す。緑色の体表に、人の胸くらいしかない体格。


「ゴブリンか」

「ゲームで見たまんまだな」


 グギャギャ、と生理的に受け付けない笑い声を上げて、ゴブリンが襲いかかる。魔物との戦闘はこれが初めてだ。レイチェルの教えを思いだし、三人は戦闘態勢に入る。

 宗弌と豪太が前衛、黒兎が後衛の陣を取る。作戦では距離によって誰か初手を繰り出すかを決めていた。この場合、初手に相応しいのは最も遠距離に対応している黒兎になる……が、


「やべぇ杖落とした!?」

「何やってんだてめぇ!」


 カラン、と音を立てて落ちる杖に、宗弌がずっこける。開幕早々にしてこの調子では先が思いやられる。あまりにも緊張感が無さすぎだ。しかし――多分、大丈夫だろう。


「――《空気砲エアストライク》!」


 豪太が風の塊を射出する技巧を発動する。拳圧に乗せられたそれは宗弌の灯火を揺らし、そのまま一直線にゴブリンの腹へと直撃した。吹っ飛んだゴブリンは小さく悲鳴を漏らして起き上がり……その間に腕を振りかぶっていた豪太は、もう一度同じ技巧を発動した。


『ギャギャッ!?』


 今度は起き上がることもなく、ゴブリンは断末魔を上げて動きを止めた。


「……レイ先生の言う通りだな」


 最初の動きから何となく分かっていたが……弱い。ドタドタとこちらに向かってくるゴブリンに対し、宗弌たちはレイチェルの鞭撻を思い出す。あの紅の騎士が繰り出す剣に比べれば、ゴブリンなぞカバのような鈍さだ。


「意外と俺らって……強い?」


 かもな、と宗弌が苦笑して頷く。過信はしないが、レイチェル曰く、宗弌たち三人は普段通りの実力さえ出せれば試験は合格できるとのことだ。流石は国内でもトップクラスの騎士ということか、彼女の元で三ヶ月の鍛錬を積んだ宗弌たちは、メキメキと実力を伸ばしていた。


「まあ、この試験という狭い範囲内でしか言えないことだがな」


 漸く落ち着きを取り戻したらしい黒兎が、油断を招かないように気を引き締める。今の自分たちの実力は、レイチェルが訓練の全てを試験対策に回してくれたからこそのものだ。模擬戦ばかり積んだことで実戦経験は事足りるか、まだまだ搦手には弱い。

 ヘイリア王立学園の実技試験は例年、審査対象が戦闘技術に偏っている傾向にある。レイチェルの対策はその傾向に則ったものだった。


「前方二体。……またゴブリンか」

「油断するなよ豪太、まだ敵が隠れてるかもしれない」


 了解、と一言告げて豪太が一体に向かって空気砲の技巧を放つ。お決まりと化した倒し方に宗弌は手持ち無沙汰になりつつも、周辺への警戒を続行した。

 二体目が壁に打ち付けられたところで、黒兎が思い出したかのように口を開く。


「そう言えば御嵩、例の技は完成したのか?」

「いや、間に合わなかった。理論は問題ないんだが……制御が上手くいかん」

「何だよ、宗弌だって人のこと言えないじゃないか」


 二匹目の息の根を止めてきた豪太が、途中から聞いていた会話に混ざる。その背後でサラサラと粒子となって消える魔物を視界に収め……その更に向こうに、三匹目の魔物を見た。


「豪太、あれ譲ってくれ」

「あれって……うわ、ごめん。暗くて見えなかった」


 灯火役を一時的に黒兎と交代し、豪太とすれ違いに前へ出る宗弌。この階層にはゴブリンしか生息していないのか、三匹目も例に漏れずゴブリンだった。

 豪太が下がると同時に、威勢良く飛び出てきたゴブリン。こりゃあ完全に舐められてるなぁ……と思いながら、宗弌は迫り来るゴブリンに対し技巧を発生する。


「――《障壁バリア》」


 ゴブリンの眼前に灰色の壁が二枚展開される。突如現れたそれにゴブリンは驚愕するも、方向転換することはできない。しかし、ゴブリンが障壁にぶつかるよりも早く――


「あー……またか、くそったれ」


 バリン、と二枚の障壁が崩壊した。来たる衝撃に目を閉じていたゴブリンは、唐突に消え去った障壁に足を止め、人間の子供のように小首を傾げる。

 目の前で崩れ去った障壁に、宗弌は腹立たしく舌打ちした。


「わっかんねぇな……障壁バリア一枚の支配空間ルールスペースはこんなもんだろ? それを重ねて維持するために三枚目を用意するまでは正しい筈だが、反発しないと意味がない。……また術式改編アレンジか」


 ブツブツと考え事をする宗弌に、黒兎と豪太が顔を見合わせて頭にクエスチョンマークを浮かばせる。二人は宗弌が夜な夜な図書室に篭って何かを成そうとしていることは知っていた。

 障壁を用いた戦法らしいが……詳しいことは、宗弌本人にしか分からない。


「御嵩、取り敢えずトドメを刺しておけ」

「おう――せィッ!」


 棍による強烈な突きがゴブリンの大きな頭へ放たれる。グシャリ、と嫌な音がすると同時に感じたくはないが頭蓋を砕いた手応え。眉間に皺を寄せながら、突き出した棍を引いた。


「今のは身体強化か?」

「ああ。やっぱこれがねぇといまいち攻撃が通用しないからな」


 黒兎の問いに宗弌は答える。前衛である豪太はその言葉に同感できるらしく、うんうんと首を縦に振った。文字通り身体能力を向上させるこの技巧は、攻守両面において万能だ。

 部屋の仕切りを超えるところで一匹。階層の最奥にたどり着いたところで一匹。それから二階層へ向かう階段を探し、道中に二匹。

 やがて階段へとたどり着いた頃、宗弌たちは計八匹のゴブリンを討伐した。


「流石に少なすぎねぇか?」

「ラッキーだな」


 好都合なことに疑い始める宗弌と、ポジティブに受け入れる豪太。試験管によれば、魔物は自動で生み出されるらしいので、前の組が根絶やしに……何てことはない。

 豪太の楽観的な言葉に宗弌は乗り切れずにいたが、二人を追うように二階層へ下りた。


「やっと、迷宮らしくなってきたな」


 階段を下りた先に待っていたのは、横に大きく逸れた三つの別れ道だった。目を凝らせば壁の窪みにスイッチのような物があったり、天井からロープがぶら下がっている。レイチェルが最も注意するべきと言っていた罠……それが、この階層には点在している。


「道は右、中央、左の三つか。……手分けするか?」

「いや、俺と豪太は最悪灯火を発動しながら戦えるが……黒兎は無理だ」


 遠距離特化の黒兎だと、近づいてきた敵を察知する灯火の技巧を発動したところで意味はない。黒兎の場合は近づかれた時点で詰みなため、灯火で敵を察知したところで手遅れだ。


「勝手に話を進めるな。……ここは俺に任せろ」


 と、ここで黒兎が強気になって二人の前に出る。

 今度は何をしでかす気だ、と疑いの色を込めた視線を黒兎に送る二人。そんな視線を背に受けながらも、黒兎は実に愉快そうな声色で唱える。


「――Free Float」


 ガコン、と部屋のありとあらゆる場所から物音が聞こえた。その音は一種類ではなく、何かが転がっている音や、液体が流れを作る音、そして魔物の悲鳴らしき声などが一斉に混ざり合い、宗弌たちのいる階段付近にまで反響した。

 黒兎の才能によって宙に浮いた宗弌は、先程見つけた天井にぶら下がっているロープの真下にある床が、山折に盛り上がっているのに気づいた。あれは……落とし穴だ。


「解くぞ」


 次々と不発に終える罠を眺めた後、黒兎が自由浮遊の能力を解除する。宗弌たちが着地すると同時に、向かって右側の道から魔物の唸り声が聞こえた。


「ふむ、右の道には魔物が多いみたいだな。おい、貴様ら。何ぼさっとしている」

「「――はっ!?」」


 あまりの手際良さに呆けていた宗弌と豪太は、黒兎の声に我に返る。その効率的な所業に、目の前の黒兎は本物なのかと疑いたいくらいだ。


「お前……凄いのかヘボいのかよくわかんねぇな」

「たまに、本当にたまにだけど、黒兎は俺らの予想を超えるよな」

「……貴様ら、喧嘩を売っているのか?」


 額に青筋を立てる黒兎は「まあいい」と吐き捨て、すぐに背後の別れ道に振り返る。


「左か中央か。二択にまで絞れたが、どちらにする?」


 確立は二分の一。いや、三分の一を崩してくれた黒兎の成果は大きい。

 頭を冷やし、三人が相談しようとしたその時……ゴロゴロゴロと、鉄球が転がってきた。


「……ラッキーだな」

「どういうことだ、御嵩」

「鉄球がここまで転がってくる時点で、道中の床面に敷かれた罠は全滅の可能性が高い。奥の方で待ち伏せしてた魔物も流石にこれには耐えれねぇだろ」


 人工迷宮に生息する魔物は致死量のダメージを受けたら粒子化する設定であるため、鉄球の表面からその痕跡を見つけるのは難しい。とは言え、安全性は確かだ。


「天井から降って来るタイプは黒兎の才能で凌げるし、横からのタイプも……」

「間に合うのか? 対応速度に関しては、本人の反射神経に依存なんだろ?」

「常に発動していれば大丈夫だろ」

「いや」


 豪太の質問を返した宗弌。

 しかし黒兎は、少し残念そうな顔で否定した。


「御嵩。言いにくいが、俺の才能ギフトは持続性に欠ける。その案は無理だ」


 外国の映画で良くある、壁から矢が飛んで来る罠を思い浮かべた宗弌。あれが射出された瞬間、もしくはそれ以前に黒兎の才能が発動されていたら、放たれた矢は宗弌たちではなく天井に打ち上げられるだろう。だが、それは不可能なようだ。


「しかし、御嵩の考えは正しいな。よし、鉄球が来た左の道を進むぞ」

「なんか……俺、この階層じゃ全然役に立ってないな。申し訳ない」

「気にするな豪太、役割分担だ」


 逆に一階層では一番働いていたため、このくらいで丁度バランスが取れている。解除されていない罠に気をつけながら、三人は左の道へ進んだ――が、しかし。

 厳重に張った警戒とは裏腹に、三人は一向に罠と出会わなかった。


「……」


 流石に、こればかりは豪太もラッキーでは済ませない。

 罠の数もそうだが、魔物との接触率も少な過ぎる。いくら自分たちが近衛騎士の隊長であるレイチェルから直々の指南を受けていても、たかが三ヶ月という短い期間だ。この世界で生まれ育った者たちと比べると、まだまだ実力が劣っているに決まっている。

 その上で合格率が二分の一なのだから、諦めているわけではないが、それなりの苦戦を覚悟するのは当然のこと。……だが、今、目の前にあるのは最下層に続く階段だ。一階層と二階層を含め、宗弌たちはまだ一度も罠に嵌っておらず、一度も敗走していない。

 幾らなんでも都合が良すぎる。誰も口に出さないことが、一層真剣味を増した。


「……広いな」


 三階層に下った宗弌は、自分たちを囲む大部屋を見渡して言った。一階層は部屋を幾つも並べた構成だったが、こちらは階層の全てが一つの部屋に統合されている。

 如何にもボス部屋という雰囲気に、三人は気を引き締めた。


「取り敢えず、進んでみるか」


 最奥の壁との距離は、目測でも二百メートル近くある。果ての方は迷宮の薄暗さと相まって殆ど見えない。上の二つの階層では気づかなかったが、迷宮はかなり広かったみたいだ。

 黒兎の灯火の技巧では心もとないため、宗弌と豪太も同じように指先に炎を灯す。極力三人で全方位を見渡せる陣形を取りつつ、散り散りに探索を開始した。


「証って……あれか?」


 豪太が前方にある祭壇を指差し、それにつられて宗弌と黒兎は探索を中断して奥へ進んだ。

 色とりどりの花が飾られるような日本式とは違い、祭壇は重々しい石のみで造られた無骨なものだった。その中央に、拳大の赤い宝石が一つ、佇むように置かれている。


「――お待ちしておりました」


 不意に部屋全体に響いた声に、三人は戸惑い咄嗟に武器を構える。幾重にも反響した聞き取りにくい声だったが、その柔らかな口調に宗弌だけは聞き覚えがあった。


「フィリスさん?」

「御嵩さん、お久しぶりです」


 証の置かれた祭壇の上に、見知った人物が立っていた。

 かつての案内人であるフィリスが、柔和な笑みを浮かべてペコリとお辞儀する。その装いは普段のスーツ姿ではなく、怪しげな黒い外套に全身を包んでいる。


「お待ちしてましたってことは……もしかして、フィリスさんって学園の関係者?」


 彼が学園の関係者ならば、今の自分たちを取り巻く違和感に関与しているかもしれない。知人だからといって贔屓するような性格ではないと見るが、実際は分からない。


「いえ、残念ながら」


 首を横に振って否定するフィリスに、宗弌も予想していたので深く追求はしない。

 両隣で置いてけぼりとなった豪太と黒兎に、宗弌はフィリスについて説明しようとする……が、その直前、宗弌の脳内に凛然とした女性の声が直接語りかけてきた。


『――御嵩殿、聞こえるか!?』


 身体の外からではなく、身体の内から聞こえる不思議な感覚。頭に響くそれは間近で鐘を鳴らした時のような重みを感じ、宗弌は思わず頭を抑えた。


「……レイ先生?」

『そうだ。私は今、念話の技巧を用いて御嵩殿の脳に直接語りかけている』


 こちらの言葉は口に出すだけで聞こえるらしい。

 念話の技巧については知らないが、彼女の台詞によると遠距離会話を可能とするものなのだろう。携帯電話のテスティア版といったところか。


『事態は急を要する。どうか、落ち着いて聞いてくれ』


 言葉が今までにないくらい重要性を帯びている。まだフィリスとの会話を終えていない宗弌は、一度祭壇の傍にいるフィリスを一瞥し、聞こえてくるレイチェルの声に集中した。

 その最中、フィリスの口元が弧を描いたような気がした。


『御嵩殿の言っていた案内人が、自世界主義者の一員であることが判明した』

「自世界主義者って……まさか」

『以前、君は特異点で締め出されたと言っていたな。あれは意図的である可能性が高い』


 ならば、目の前にいるフィリスは……何故、この場にいるのか。

 焦燥を浮かべる宗弌は、豪太と黒兎に暫く待つように目配せをする。


『本名フィリス・レイシア。元は王国騎士団の構成員の一人で、現在はテスターの案内人を承っている筈だが……先刻、その者の死亡を確認した。自世界主義者の一人が吐いた情報によれば、フィリスの暗殺は四ヶ月も前に及ぶのだそうだ』

「四ヶ月? 俺がフィリスさんと会ったのは、今から三ヶ月前ですが……」

『御嵩殿の案内人は初めからフィリスではない。フィリスを偽った自世界主義者だ』


 明かされた衝撃の事実に、宗弌の思考が追いつかない。

 つまり、目の前のフィリスは偽者だということだ。……ならば、どうなる? フィリスは偽者で、自世界主義者の一人ならば、何が起きる?


『恐らく、その者は正規の方法でアースに渡っていない。故にアースには完全に適応できていない筈だ。何か思い当たる節はないか?』


 前々から目を逸らしていた半信半疑が、疑いの方に傾きつつある。

 しかし思い出しても不自然な点は見当たらない……が、


『――例えば、その世界の言語が理解できないとか』


 その一言が決め手となった。

 瞬時に蘇る記憶。頭に浮かぶのは、招待状にあった不自然な空白の正体を明かした時。

 妹である彩莉の文字が浮き出た後――フィリスは、何と言った?


『異世界に渡った際、通常は言語変換が自動的に行われる。御嵩殿たちテスターがこの世界の言葉を読み聞くことができるのはその作用だ。しかし、それはあくまで正規の手段で――』

「読めないって……」

『なに?』

「フィリスさん、アースの言語を読めないって……言ってました」

『――!?』


 僅かな間、途切れた念話。その隙に宗弌は周囲に注意を向け、おかしいと思った。

 どうして今になって気づくのか。……証の守護者は、どこにいる。


『御嵩殿、忠告しておく。あの男を見かけたらすぐに逃げろ。いいな?』


 レイチェルの声が遠くに感じる。

 無言を貫く、彼女は何かを察したかのように息を呑んだ。


『まさか……いるのか?』


 答えられない宗弌。それが一種の答えとなり、念話はすぐに閉じられた。


「念話は終了しましたか?」


 祭壇の上に立つフィリスが、宗弌の様子を見て言った。悪寒を走らせる嫌な声色に、今までのフィリスに対する印象が端から崩れ去る。

 舐めまわすような嫌な視線に、ゾクリと恐怖が湧き上がる。

 あの温厚な雰囲気は見る影もない。


「迷宮の魔物はこちらの方である程度駆除しておきましたよ。随分と楽だったでしょう? なにせ、ここまで辿り着いてもらわないと……確実に殺せませんし」


 疑いの余地はない。これは、確実だ。

 レイチェルの言っていることは正しい。目の前のフィリスはフィリスではなく、自世界主義者の一人……地球からの来訪者を、いとも容易く殺すようなイカれた集団の一人だ。


「あの時、俺を森に締め出したのも……」

「ええ、私の意思です。あの時始末できなかったのは今でも悔やみますね」

「ならどうして、最初から俺を殺そうとしなかった?」


 元から殺す予定ならば、案内人のフリなんてせずに堂々と地球で殺せばいい。

 技巧や才能といった神秘を使えば、その程度造作もないことだろう。


「我々もね、無差別というわけではないのです。確かにアースは嫌いですが、なにもアースを滅ぼそうなんて馬鹿げた思想は持ってないのですよ。我々の目的はあくまで、この世界に流れてきたアース文化の除去。勿論、そこには君たちも当て嵌ります」


 あの時点では宗弌がテスティアを選ぶか分からなかった。故に殺さなかった、とフィリスは言う。迷宮探索は中止だ。背後の階段は逃走経路に使えるか……駄目だ、二階層に戻ったところで罠や魔物に足止めされる可能性が高い。

 この危機的状況を脱するには助けが必要だ。そのためには、時間を稼ぐしかない。


「……他のテスターはいいのか?」

「いい質問です。例えそれが時間稼ぎだったとしても」


 道化を演じるが如く両手を広げるフィリスに、宗弌は悔しそうに睨みつける。


「言ったでしょう、無差別ではないと。君たちテスターを全員始末……なんてことになれば目立ち過ぎますからね。我々が手にかけるのは、比較的危険度の高い人物に限ります」


 根絶やしにしたい気持ちは満々ですがね、と付け加えるフィリス。

 同じ境遇である亮と雪の存在を思い出す。まだ子供の彼らにまで手をかけようなら、と殺気立っていたが、フィリスの言葉通りだとその心配はないようだ。

 ターゲットとして選ばれているならば、宗弌のように過去に急襲を受けている。


「御嵩さん、あなたはこの世界に来るべきでなかった」


 パチン、とフィリスが指を鳴らす。

 少しの間隔を開けて、フィリスの立つ祭壇の下から地響きがした。


「更に一つ付け加えますと……」


 祭壇の中央が割れ、その上に立っていたフィリスは宙に跳び、そのまま制止した。黒兎の才能に近い能力を使っているのか、宙に浮いたフィリスは腕を組んで宗弌たちを見下ろす。

 割れた穴から這い出る、巨大な石の腕。

 壮絶な化物の誕生をバックに、フィリスは言った。


「――あなたが、あの御嵩彩莉の兄でなければよかったんですよ」


 盛大な咆哮が轟き、ビリビリと大気を揺らした。両手で耳を抑えた宗弌は、穴から這い出た化物の全貌に戦慄する。全身を石で形取られた、巨大な動く石像。

 ゴーレム。その名を冠す化物が、宗弌たちを敵と見定めた。


「お、おいおい、あんなボスどうやって倒せばいいんだよ!? それに宗弌、あの男は誰だ!?」

「……色々あるが、一つだけ言えることがある」


 喚き散らすように質問を繰り出し豪太。祭壇の向こうで太腕を持ち上げるゴーレム。

 頭に鳴り響く警鐘に顔を苦痛に歪めながらも、宗弌は答えた。


「アイツら全員――敵だッ!」


 既に半壊してある祭壇を、ゴーレムが拳で叩き崩す。豪快な崩壊音と同時に部屋全体に撒き散らされる石の欠片は、宗弌たちに頭上から襲いかかった。


「こ、こんな馬鹿な……これは本当に試験なのか!?」

「んなわけねぇだろ!」


 焦る黒兎に宗弌が一喝。豪太がそれを聞いて「はぁ!?」と驚きを浮かべる。

 いずれにせよ、あのゴーレムが学園の決めた証の守護者とは考えにくい。

 受験者の全員があれと対峙しているというならば、とっくに死者が出ている。

 灯火の技巧を何とか維持しつつ、宗弌は豪太と黒兎を視界に入れる。逃走経路が存在しないことはフィリスとの会話中に確認している。二人もすぐに気がつくだろう。

 そしてその後に待つのは、手詰まりな絶望のみ。

 あまりにも鮮明に見える数秒後の未来に、宗弌は忌々しく棍を握り締める。


「お、御嵩! 雁内! 一端逃げるぞ!」


 それが不可能だと知らず、黒兎は一目散に階段に向かう。二階層での冷静な振る舞いはどこにいったのか、咄嗟に呼び戻そうとした宗弌だが……この場に相応しくない感情が迸った。


(――また、逃げるのか?)


 一度目はフィリスに締め出された特異点で、虎のような魔物に襲われた時。

 二度目はほんの数日前、路地裏に走り去った少女を追いかけた時。

 テスティアに来てからというもの、僅か三ヶ月あまりという短い期間で宗弌は二度も死にかけた。……そして、その度に逃げてきた。


「いい加減、認めろよ」


 目を逸らすな。楽観視するな。

 これは危機管理能力の欠如なんてものではない。例えどれだけ周囲を警戒していようと、いずれ巡り合ってしまう。自分の意識だけではどうにもならない、自然と起こり得るものだ。


「この世界は……そういう世界だ」


 棍を構え、祭壇の方を向く。

 この世界には、足掻いても逃れきれない程の戦いがある。

 それを身近に感じないのは、周りの人間が皆強いからだ。

 強さを持っていない宗弌たちは、出会ってしまった戦いから逃げるしかない。

 だが、それはいつまで続くのか。一度目も二度目も、宗弌が戦いから逃げることができたのは、所詮はビギナーズラックが利いたまでのこと。

 逃げて命を永らえようが、今のような戦いは再び訪れる。

 そうなってしまえばどうする。また逃げるのか。仮に逃げれたとしても、その後も逃げれるという保証はあるのか。……あるわけがない。その繰り返しは、いつか必ず綻びを生じる。

 綻びが生じると分かっている人生を歩みたくなければ、変わらないといけない。

 逃げ続ける人生を歩みたくなければ、どこかで戦いに打ち勝たないといけない。


「……なら、今だ」


 今こそが変わる必要のある瞬間だ。

 変わって、強さを手に入れて、逃げることしか知らない自分と決別するチャンス。

 この世界で生きると決めたなら――覚悟を決めろッ!


「行くぞぉぉぉおおおおおおおおおおおおおおおッッ!」


 もうこれ以上、逃げないために。

 この世界で胸を張って生きるために――駆ける。

 持ちうる手札の全てを視野に入れ、行動の一つ一つにそれらを選択するための思考を取り入れる。心臓から焼けるような熱を感じるのに、不思議と頭だけは冷静だ。

 身体強化の技巧を発動させ、灯火の技巧を止める。

 右手と空いた左手で棍を持ち、宗弌は祭壇の前で大きく上に跳躍した。

 飛来する岩の礫を、近い順から一つずつ叩き落とす。小さければ砕き、それが難しければ受け流し……それさえも敵わないのならば、受けるしかない。


「がァ――ッ!?」


 身体にめり込む岩に宗弌は苦悶の表情を浮かべ、呻き声を漏らした。だが、体勢だけは崩していない。そのまま重力に身を任せて落下し、思いっきり棍を振り下ろす。


「な――マジ、かよぉぉぉぉおお!?」


 図体のでかい敵は動きが鈍いというお決まりがある。そう信じて大振りの一撃を与えようとした筈が、その一撃はゴーレムの腕によって阻まれた。身体強化によって向上した速度は他ならぬ宗弌自身が理解している。これに着いていけるということは、宗弌とゴーレムの間に速度による優劣は存在しないということだ。

 反射的に体重を後ろに寄せ、次の一歩で後退しようと膝を曲げるが、


(下がってどうにかなるのか? ……ならないなら、それは逃げだ!)


 膝を曲げたまま体重を前に戻し、ゴーレムの顔面目掛けて更に加速した。

 ゴーレムが岩の腕を、身体を回転させながら振るう。右側から迫り来る腕を宗弌は視界の片隅で確認しつつ、それが直撃するよりも僅かに先にゴーレムの顔面にたどり着いた。


「――《灯火》ぃぃ!」


 周囲を照らすだけの効力である筈の技巧を、ほんの一瞬だけ……その代わり、普段の何倍もの輝度で発動する。


『グォオオォオオォオォォォォオオォ!?』


 ゴーレムが振り回す腕を目元に持って行き、苦しみに悶えた雄叫びを上げる。上に登る岩の腕とすれ違いに床に降りた宗弌は、自身が賭けに勝利したことを確信した。

 あれだけの熱量で岩の鎧を超えるダメージが与えられるわけがない。

 目眩ましが効いた。――なら!


「《鎧貫》ッ!」


 膝の伸縮、腰の捻りを加えた、今の宗弌の持つ最大の力で突きを放つ。繰り出された棍の先端がゴーレムの足に触れた直後、宗弌の足に莫大な反動がかかった。本来ならば耐え切れるものではないが、身体強化の施された今の身体ならば、なんとか持ちこたえられる。


『ゴォウゥゥ!』


 ゴーレムの巨体が一瞬揺れた。貫通力を増すという単純な技巧も、内部への衝撃に弱い敵には役に立つ。目眩ましといい、今の突きといい、ゴーレムの弱点はその内側と見て間違いない。

 他に、目のように外部に露出している弱点を探す。鎧の隙間はどうだろうか。影がかかって見にくいが、確認する価値はある。


「――あ」


 ゴーレムの首筋に注目していた宗弌は、トンと背中に何かが当たるのを感じた。ゴーレムが破壊した祭壇の欠片が、距離を取ろうとする宗弌を阻んでいる。

 隙を見せたと自覚した直後、ゴーレムの足が自身の頭上に迫っていた。

 ドクン、と胸が波打つ。死を目前にした、最後の光景。

 音が歪む。色が褪せる。身体は硬直し、思考だけが回転する。


(……足りない)


 この感覚には覚えがある。

 だが、足りないと直感が告げる。これでは、あの白と黒の世界に到達することはできない。


(落ち着け……集中しろ)


 カチリ、と自分の中でスイッチが入る。以前、レイチェルの目の前であの白黒の世界を再現しようとしたが……失敗したあの時とは比べ物にならないほどの力が湧いて出てきた。

 まず、音が完全に消えた。次に、邪魔なモノが見えなくなった。そして、それらの情報が脳から抜け落ちた。試験のこと、迷宮のこと、フィリスのこと、豪太のこと、黒兎のこと。それらに回していた意識の全てを――目の前の巨人に向ける。

 最後に……色が、消えた。


「オオオォォォォオオオオオオオオオオオオオオオ!」


 全力で跳ぶように、宗弌は獣のような雄叫びを上げて前へ走る。視界に映る自分以外の全てが遅い。蝸牛のように少しずつ移動する様は、見ていて滑稽だ。

 再び宗弌の目が色を取り戻す。背後で大きな地響きが鳴るが、そこには何もない。

 手応えが無いことを不思議に感じているのが、ゴーレムが首を傾げた。

 瞬間、宙で逆さまになった宗弌が、ゴーレムの背後から首元目掛けて横薙ぎに棍を振る。

 狙うは鎧の合間。粗い岩肌を滑らせる感触が、棍から宗弌の腕に伝わる。


「くそ、浅いっ!?」


 グリンと頭部を百八十度回転させ、宗弌の方を振り向くゴーレム。

 その口が大きく開き、奥の方から荒れ狂う光が見えたその時――世界が白黒に包まれた。


(攻撃範囲が広い……避けられない!)


 なら、向こうが攻撃を外してくれるしかない。

 宙に浮いた状態の宗弌は、ゴーレムの頭部を弾くために必要な手札を脳内で模索する。会得している技巧、或いはそれに加えた雑な棒術。考える時間だけはいくらでもある。

 だが、見つからない。加速した思考は手札が欠けている事実をすぐに導き出した。

 なら、どうする。……作ればいい。


「――《障壁》!」


 灰色の壁を二枚、ゴーレムの頭に面を向けるように展開する。

 障壁の技巧はテスティアでも多様性が豊富なことで重宝されている。ありとあらゆる衝撃に対して耐性を持つその効力は、厳密には障壁に触れることではなく、障壁と一定以上の距離に近づいた場合に発揮するものだ。この技巧が効果を発揮する範囲を、技巧の支配空間と言う。

 宗弌は、敢えてこの支配空間が重なるように障壁を二枚展開した。


「更に――《障壁》ッ!」


 三枚目の障壁が、先の二枚と並ぶように展開。

 中央の障壁が左右の障壁の支配空間と被り、今にも破裂しそうになる。しかし、一枚目と三枚目は支配空間が重なっていない。両端の二枚が無理矢理中央の一枚を抑えこんでいる。

 今までにない安定感。色さえも失わせる集中力が、これまでの不可能を可能にした。


「ぶち抜けぇぇぇぇぇぇえええええええ!」


 眼前に連なる三枚の障壁を見据え、宗弌は突きを放つ。

 唸り声を上げて放たれたその一撃は、最も手前の障壁に大きな衝撃を与え――破裂。 

 棍によって定められた方向に、溜め込まれた力が一斉に動き出す。等間隔で連なっていた障壁は一瞬だけ蛇腹のように縮み――凄まじい勢いで撃ち出された。


『ヴォォォォォオオォォォオォオオォォオ!?』


 三枚の障壁が、弾丸のように射出される。

 本来衝撃を受ける筈のそれは、衝撃を与えるものへと変化した。

 障壁の弾丸はゴーレムの頭部を揺らし、その巨体を仰向けに転ばせる。

 巨人がその背中を祭壇に打ち付けたと同時に、光の奔流が天井に向かって吐き出された。天井から降り注ぐ大量の瓦礫に、宗弌は祭壇を降りて部屋の中央まで後退する――が。


「――お戻り下さい」


 無防備となった背中に、フィリスの蹴りが突き刺さる。依然として発動されている身体強化の上からでも感じる重い一撃に、宗弌は再び祭壇まで飛ばされた。

 全身を床に擦りつけ、顔面から足先までの全てが燃えるような痛みに襲われる。

 口に入った砂利を唾液とともに吐き出した宗弌は、眼下に映る自身の影が消えるのを見た。


「やべ……」


 大量の瓦礫の影が、宗弌の周囲を暗闇に誘う。白黒の世界は――来ない。いや、来たところで今の自分にはどうすることもできない。降り注ぐ瓦礫の全てを避けることは勿論、先程の一撃で生じた反動が腕に自由を許さないのだ。


「御嵩ぃぃぃぃぃぃ!」


 グワン、と宗弌の視界が激しく上下する。内蔵が体内でシェイクされ、三半規管が悲鳴を上げる。強烈な吐き気に宗弌は口元を抑えるが……何故か瓦礫が落ちてこない。

 車酔いの何十倍もの不快感に耐えつつ目を開けば、そこは空中だった。


「黒兎ぉぉぉぉぉぉ!」

「よ、よくわからんが、加勢するぞ!」


 頭上で自分と同じように宙に浮く瓦礫に、宗弌は背後の戦友に対する感謝を隠し切れない。

 黒兎も焦っていたためか、浮遊はいつもより雑だったが、その代わりにこうして一命を取り留めた。コツンと可愛らしく頭に振れる巨大な瓦礫を、宗弌はフィリス目掛けて殴り飛ばす。

 反動で更に浮かび上がる宗弌の身体は、すぐ傍に大きな気配を感じた。


「流石にコイツは浮かねぇわな……!」


 しっかりと地に足を着けるゴーレムに、宗弌は焦燥する。空中にいることで身動きの取れないこの状況で、ゴーレムの攻撃を避ける手段はない。障壁を複数張って防御の態勢を取ろうとするが……発動しない。精神力が枯渇しているのだ。

 迷宮に入ってから技巧を使いすぎた。最早、身体強化の維持と灯火くらいしかできない。

 せめてもの悪足掻きとして、もう一度灯火で目眩ましを試みる。


「――目眩ましなら、もっと良いのがあるぜぇぇぇぇぇええ!」


 宗弌とゴーレムの間に大量の熱を内包した爆炎が押し寄せる。砂塵を飲み込み床を舐めるように直進する紅の塊は、ゴーレムの巨体を壁際まで追い込んだ。

 神秘を飲み込み燃料と化す効果を持つ豪太の炎――Brave Frameは、宗弌では傷ひとつ付けることが敵わなかったゴーレムの身体に罅を入れる。


「行けぇぇ宗弌ぃぃぃいいいい!」


 豪太の合図とともに、黒兎が浮遊の力を停止する。

 岩の巨体の中心にできた罅目掛けて、宗弌は一直線に疾駆した。まだ炎の処理が終えていないが、それでも走る。所々に残っている炎の残党に身を焼かれながらも、棍を突き出した。


「させませんよ――《光錠》」

「なあっ!?」


 突如現れた光の枷に、宗弌の四肢が封じられる。全力で振り払おとしても、ピクリとも動かない。そのあまりの強度に、身体が空間ごと固定されているようにすら感じてしまう。


「まさか全員が才能持ちとは、予想外でしたよ。ですが、そろそろ終わらせましょう」



 フィリスが指先を伸ばし、そこから光の刃を生み出した。先が見えるほど薄い光刃は、ゆっくりと宗弌の首筋に触れる。切っ先が少し触れた程度の痛みが、宗弌に恐怖を抱かせた。

 豪太と黒兎が行動を起こすよりも早く、フィリスは宗弌を殺せる。

 余裕を見せつけるかのように刃を動かさないフィリス。だが、それが救いとなった。


「――そうだな、終わらせよう」


 頭を垂れる宗弌の視界が、揺れる紅の髪を捉えた。ああ、またこの人に救われるのか、という無力感と、助かったという絶対的な安心感が同時に心を満たしていく。


「伝統ある迷宮に、よくもまあここまでの大穴をあけたものだな。最も、そのおかげでこうして間に合うことができたのだが」


 直後、全身の至る所から鋭い風圧を感じた。

 肌スレスレのところを通り過ぎた銀の刃は、宗弌を縛る光の枷を一瞬の内に斬り捨てる。


戦乙女ヴァルキュリア――そうか、あなたが彼らの指導者か……!」

「ああそうだ。だが今の私は――騎士ナイトだ」


 飛び退くフィリスを見届けたレイチェルは、背後で起き上がろうとするゴーレムに向かって剣を振り下ろす。しかし、その姿は宗弌の目では捉えられない。大地を蹴る音が聞こえる度にレイチェルの姿は幻のように霞み、次の瞬間にはゴーレムに大きな亀裂が入っていた。

 その光景に、宗弌は安心感を通り越して呆れてしまう。


「……まじ、で?」


 何度打ち込んだのか。だが、時間にすれば僅か数秒のこと。

 豆腐のようにあっさりと斬り崩されたゴーレムは、気がつけばただの石塊となっていた。宗弌にとってそれは驚くべき光景だったが、その実レイチェルはただ剣でゴーレムを斬っていただけだ。認識すら凌駕してしまう圧倒的な実力差に、宗弌は胸の高鳴りを感じた。

 速い――だが、白黒の世界に突入した自分よりかは、遅い。


「どうりで、あなたをここ最近見なかったわけだ……!」

「そこで焦ってを増やしたのが、貴様らの敗因だな。部下の教育がなってないぞ」

「くっ……!」


 あれだけ優位に立っていたフィリスが、いつの間にか形勢逆転している。それほどレイチェルの実力が恐ろしいのか、フィリスは舌打ちと同時にレイチェルに背を向けて走りだした。


「逃すかッ!」


 高速で距離を詰めるレイチェル。

 だが、この舞台を用意したフィリスには事前準備という大きなアドバンテージがある。レイチェルの突撃を間一髪で躱したフィリスは、掌を壁に翳した。

 フィリスの掌から怪しげな紫の光が発せられる。


「隠し通路か、猪口才な――!」


 フィリスの傍の壁が横にズレ、奥へ通じる道が開かれる。そこへ一目散に飛び込んだフィリスに続き、レイチェルは剣を構えながら追跡する。


「豪太、黒兎、俺らも行くぞ!」

「おう!」

「ちょ、ま、少しは休憩を――」


 文句を垂れる黒兎の襟元を豪太が掴みながら、宗弌たち三人も逃亡したフィリスを追う。崩落の始まった最下層にいるくらいなら、レイチェルについていった方がまだ安全だ。

 最奥と思しき場所に到達すると、そこにはフィリスとレイチェルの姿がなかった。隠し通路という仕掛けがあった以上、何か他にも仕掛けがある可能性がある。注意深く部屋を見渡した宗弌は、隅の方に光る魔法陣があることに気がついた。


「……ものは試しだ」


 恐る恐る魔法陣を踏んだ宗弌は、直後、一瞬の浮遊感に襲われる。消えていく視界の中で、豪太と黒兎が目を見開いてこちらに向かって手を伸ばしているのが見えた。

 揺れる視界の中で、不意に身に覚えのある感覚がした。境界と境界の間に足を踏み入れ、そして瞬時に世界が切り替わる感覚……特異点の扉を潜るときと同じ感覚だ。

 まさか、と思った矢先――宗弌は、目の前の光景が地球のものであることに気がついた。


「どこだここ……路地裏? でも見覚えがあるぞ」


 つくづく路地裏とは縁があるようだ。

 光が差し込む前方には道があり、車がそこを通り過ぎる。どことなく見覚えのある景色に宗弌は周囲を見渡し……道に出て、ここが自宅の近所であることを認知した。


「――動くなァ!」 


 フィリスの恐喝する声が、すぐ近くから聞こえた。身体強化の技巧がまだ維持されていることを確かめた宗弌は、一度の跳躍で塀に上り、そして二度目で家を通り越す。

 レイチェルの目立つ赤髪を確認し、身体を捻ってその隣に向かって着地する。

 そこには、忌々しげにフィリスを睨むレイチェルと、人質をとったフィリスが――


「沙織!?」


 久しぶりに見た腐れ縁の一人が、フィリスにナイフを突きつけられている。沙織は宗弌に気づいた途端、泣きそうな顔でポツリと呟いた。


「そ、いち……たす、けて……」


 後先を考えることなく、宗弌は駆け出した。自分がフィリスに手を下すよりも早く、フィリスは沙織の首を掻っ切ることができるだろう。数秒前のレイチェルも同じ心境だった筈だ。

 しかし、今はお互いに一人ではない。……さっきとは状況が違う。

 宗弌に気を取られたフィリスがナイフを動かそうとしたその時、フィリスの腕が炎に包まれた。


「ぐぁぁぁぁぁぁっ!?」


 悲鳴を上げるフィリスの全身が、瞬く間に炎に覆われる。傍にいる沙織は突如現れた炎に驚き、フィリスとは逆方向に転倒。見境のない炎は、すぐ傍にいる沙織にも襲いかかった。


「レイ先生!?」

「大丈夫だ、私の才能の効果を忘れたか?」


 事が終えたかのように、レイチェルは安堵の息を吐く。

 恐怖に瞼を閉じていた沙織は、暫くすると薄っすらと目を開いた。目の前で轟々と燃える炎を見ながら、小さく「……熱くない?」と声を漏らす。


「一件落着……だな」


 形状を鎖に変えた炎が、フィリスの身体を縛り上げる。フィリスが抵抗の意思を見せると、レイチェルは炎の温度を調整して再びフィリスを焼いた。

 悲鳴がやがて聞き取れない程の小さなものになると、レイチェルは「さて」と振り向く。


「言いたいことは山ほどあるが……今はこの場から離れよう。少々目立ちすぎた」


 元々人通りの少ない場所だから幸いしたが、それでも数人の目撃者は避けられない。

 指一本動かすことすらままならない宗弌は、その言葉を否定できることもなく、静かにコクリと頷いて足に力を入れる。棍を杖代わりにしてこの場を立ち去ろうとすると、


「ま、待って!」


 沙織からの悲痛の叫びが、宗弌の足を止めた。


「宗弌。これ、どういうこと……?」


 甲冑を纏うレイチェル。駆けつけた宗弌。現れた超常現象。

 人質に取られた張本人である沙織には、それらを知る権利がある。しかし――


「……悪い、言えない」


 テスターの秘匿義務が、ここで邪魔をする。

 何も言えずに黙りこむ宗弌に、沙織は顔を真っ赤にして怒鳴り声を上げた。


「ふざけないでよっ!」


 涙でぐしゃぐしゃになりながら、沙織は宗弌に詰め寄る。

 これまでにない沙織の怒り狂った気勢に、宗弌は鼻白んだ。


「暫く会えないの一言で片付けて、三ヶ月も音沙汰なしになって、やっと会えたと思ったのに……また、何も言わずに消えようとして。こっちがどれだけ心配したかも、知らないで……」


 怒りに沙織の声が、嗚咽の混ざったものへと変わる。

 ボロボロと涙を零して泣きじゃくる沙織に、宗弌は何と言えばいいのか分からなかった。ただ、今の沙織を一人にして立ち去ることだけは駄目だと思う。


「レイ先生。俺、少し遅れてそっちに向かいます」

「……分かった。魔車の手配は済ませておこう」


 詮索することなく、レイチェルは捕まえたフィリスとともに立ち去った。

 静寂の中で沙織の泣き声だけが響き、宗弌は自身の胸に顔を埋めている沙織に声を掛ける。


「……送ってくよ」


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