人間万事塞翁が馬(1)(2)
夜が明け、アスティアでの二日目が始まった。
「なんだ宗弌、眠れなかったのか?」
ふわぁー、と欠伸をする宗弌に豪太が声を掛ける。そちらも眠そうだが宗弌程ではない。うろ覚えの廊下を頼りない足取りで歩く宗弌は、眉間を揉みながら声を返した。
「図書室で本を読んでたら、時間を忘れてな」
「そう言えば、あそこに時計はなかったな」
迂闊だったと宗弌は言う。腕時計も携帯電話も持ってきていない今、時間を知るためにはそこらの掛け時計を確認するしかない。だが、この世界は時計の技術が未発達なのか。配置されているのは下足箱や食堂といった、大部屋だけだった。
割と小さな一室に収められている図書室は大部屋にカウントされないらしい。
「貴様ら、さっさとついて来い」
前方から聞こえる黒兎の叱責に、二人は適当に返事をしつつ歩みを再開する。
「全く。何故俺が案内なぞ……」
「俺らはまだ部屋の場所を全部覚えきれてないからな。ていうか、なんかお前……妙に張り切ってないか」
豪太の問いに、黒兎はニヤリを笑う。
本人は不敵で知的でクールだと思っているのだろう。現実は、ただ単に鬱陶しいだけだ。
「着いたぞ。ここが訓練場だ」
レイチェルが黒兎に命じたのは、宗弌と豪太をアスティア施設内にある訓練場に案内すること。教室から出ていく際、彼女は今日からは本格的に鍛錬を開始すると言っていた。
訓練場ですることと言えば一つしかない。訓練だ。
勉強とは違う、身体を動かす訓練。今日からは、この四方を真っ白な壁で囲まれた空間で長いこと過ごすことになる。
「すまない。少し遅れてしまった」
適当に待機していると、開かれた扉の先から慌てたレイチェルが小走りでやって来た。普段とは違い、身を守る鎧の類が一切見えない動きやすそうな装いだ。その分、黒い布が身体とフィットしてレイチェルのプロポーションが強調されている。無言でガッツポーズをする豪太を白けた目で見ながら、宗弌は黒兎の方も見る。向こうは向こうで「ぐぉぉ、何だその格好は……!」と両目を塞ぎながら呻いていた。正反対の反応だが、こうも両極端だと面白い。
「今回君たちにしてもらうことはただ一つ、模擬戦だ」
「模擬戦?」
誰も碌に話を聞ける状態じゃなかったので、宗弌が反応を示す。
「ああ。まずは君たちの基本的な戦闘能力を知りたい。先日測定した身体能力と戦闘能力はまた別だしな。それに、上手くいけば才能が開花する可能性もある」
聞くところによれば、才能は必要とされる場面で開花することが多いらしい。レイチェルは己の渇望が才能となると言っていたが、それはあくまで一時的でも構わないようだ。彼女が護るための炎を手に入れたのは、護らなくてならない場面に出くわしたからだろう。
だからといって模擬戦が最大の近道なのかと言われれば微妙だが、レイチェルには勝算があるらしい。小さく聞いてみると、こっそりと答えが返ってきた。
「先日に君たちの意志を聞いたな。あれが答えだ」
その一言に納得する。なる程、どうりでこの場を使用するのが自分たちだけなわけだ。いい年した大人が訓練場を必要とす意志なんてそう抱かない。
「では、各自武器を用意してくれ。武器庫はそこだ」
両開きの扉の先には、様々な武器が丁寧に並べられていた。剣や篭手、銃やハンマーなど、軽く流し見るだけでもかなりの種類がある。流石に刃物は危ないのでは? と思った宗弌が目の前の刀にそっと指先を添わせると、柔らかな感触があった。シャープペンシルのグリップのようなものが刀身を覆っている。刃引きはきちんとされているみたいだ。
「御嵩殿は、武器持参だったか?」
豪太と黒兎が武器庫で騒がしくするのを見ていた宗弌は、レイチェルに問われて背負っていた物を床に下ろした。布で包んでいたそれは、宗弌が幼少期の頃に使っていた棍だ。
「ふん、武器を持っているからと言って調子に乗るなよ、御嵩」
「……黒兎、何が言いたい?」
武器庫の中でこちらを睨む黒兎に気づく。ちなみに服装はあの改造制服ではなく、宗弌たち三人は各々が地球から持ってきた運動着に着替えている。
「確かに武術の心得があるお前は有利だろう。だがな御嵩、その事実に浮かれていたら、いつか必ず、足元を掬われるぞ」
割りと正論だ。この男も真面目なことが言えるらしい。
心得た、と真摯な態度で宗弌は黒兎の方を向いて首を縦に振った。
「黒兎」
「何だ雁内」
「宗弌にそーいうこと言っても無駄だぞ」
「……それはどういうことだ?」
「まあ、いずれ分かる」
豪太の言いたいことが分からない黒兎は首を傾げる。その傍らで、豪太は武器庫をぐるりと見渡し、やがて一つの武器を手にとった。鈍色の輝きを放つ、肘下まである篭手。掌の部分は薄い布で出来ており、反対の甲には硬い金属が張り付いている。
指の第二関節まである手袋と、脛当てを合体させたようなものだ。
「これ、良いな」
納得した素振りを見せた豪太は、篭手を選んだことをレイチェルに報告しに行く。最も、何もこの一回で今後付き合うことになる武器を選ぶ必要もないので、今はそれほど武器選びに神経質になることはない。レイチェルも二つ返事で許可を出した。
「レイ……先生」
言いにくいのか、武器庫の中で黒兎がどもりながらレイチェルを呼んだ。
「何だ、宮月殿」
「杖は無いんですか?」
「杖……か。あるにはあるが、あれは技巧もしくは才能が無いと扱えないぞ」
この世界では技巧と才能……つまり神秘と、鍛え上げた武術の二つを駆使して戦うのが定石だが、中には武術だけ、或いは神秘だけを用いた戦法を取る実力者も存在する。杖は後者向けの武器であり、耐久性を考慮せず、ただひたすらに神秘の発動を補助するのが杖の性質だ。
「今の宮月殿は一つも技巧を会得していないだろう。使うのは難しいな」
申し訳なさそうに言うレイチェル。
ところが、黒兎はいつにも増して不敵な笑みを浮かべた。
「なら、代わりに才能が使えたらどうですか?」
「なに?」
まるで才能が使えるかのような言い方だ。疑問の声を上げるレイチェルに対し、黒兎は笑みを浮かべたまま腕を組む。
そして――唱えた。
「――Free Float」
直後、宗弌は自分の身体が急に軽くなったと錯覚した。
圧迫感はない。しかし明らかにある違和感。横を見れば豪太、レイチェルもまた驚きに目を見開いている。そのまま、更に視界を広げて……驚愕した。
「武器が……浮いて、る?」
丁寧に並べてあった武器が、全て宙に浮いていた。剣、槍、銃、弓……様々な武器が黒兎の周りで浮遊する。武器を閉まっていた木箱も、棚も、全てが床から離れている。小さく上下に揺れながら、まるで泳いでいるかの如く。
これが宮月黒兎の持つ才能――自由浮遊の力。
「す、すげ――」
その光景に目を奪われる宗弌たち。
しかし、豪太が驚嘆の叫びを轟かせる前に、
「――まずい!」
黒兎がやけに焦った顔で武器庫から飛び出してきた。
短距離走のスタートダッシュのような急加速に、何事!? と思ったその時。
ドンガラガッシャーン! と激しい金属音が武器庫から聞こえてきた。見れば、そこには無残に転がる武器の姿。浮いていた武器たちが一斉に落下したようだ。
「「「「……」」」」
茫然というか、唖然。白い埃が煙となって武器庫から漏れ出てくる。
そんな中、レイチェルだけは冷静に物事を分析していた。
「宮月殿」
その言葉の裏に眠る感情を読み取ったのか、黒兎は冷や汗を垂らしながら返事をする。混沌と化す武器庫を見つめながら、レイチェルはただ一言、言い放った。
「――掃除だ」
◆
「ルールは簡単。どちらかが降参するまで、ひたすら相手を攻撃すること。模擬戦慣れしていないのだから、無理だけはしないようにな。それと、宮月殿は才能の使用を禁止する」
武器庫を掃除して、僅かな休憩を挟んだ後。
訓練場の中心に対峙するのは、棍を持った宗弌と木刀を持った黒兎だ。
悔しいことだが、黒兎の才能が禁じられているのは、強すぎるの一言に限る。多少の武術の心得がある宗弌が相手でも、黒兎の才能――自由浮遊の力には成す術もないだろう。
「準備はいいか?」
レイチェルが問うと、黒兎が頷いた。
「問題ない」
武器庫の掃除の時に聞いた話では、黒兎が才能を入手したのは昨夜のことらしい。一体何がトリガーになったのか、その答えは――信じられないことに、妄想だった。
テスティアに来て、黒兎の脳内では常にファンタジーな妄想が繰り広げられていたという。炎を自在に操ったり、全てを凍らせてみたり。そんな妄想を数え切れないくらい思い描いた時のこと。この世の有象無象を自在に操る自分を妄想した途端、周囲のあらゆる物が浮いたのだ。
才能が妄想から生まれるなんて。レイチェルの苦々しげな顔は今でも容易に思い出せる。
「こちらも、大丈夫です」
棍を構える宗弌。こういう時に備えて地球で多少は慣らしてきたものの、対人戦なんて数年ぶりだ。ジワリ、と掌から滲む汗。固唾を飲み込む喉の音。一触即発の空気が滲む。
「……貴様、何故笑っている?」
「あ?」
黒兎に言われて、気づく。
無意識の内に釣り上がった自分の頬に、他ならぬ宗弌自身が疑問だった。舐められている、と黒兎は誤解したのだろう。慌てて弁解しようとしたが……止めた。目の前から飛んでくる怒気に、喉元から出かけた言葉を胸に押し込む。……何故そうしたのかは、自分にも分からない。
「では――始め!」
レイチェルが試合開始の宣言をする。
火蓋の落とされた戦いで、先に動いたのは黒兎だった。迷いのないその直線的な動きに、対する宗弌は棍を前に倒し、前方からの攻撃を威嚇する。それでも足を止めない黒兎。
木刀を振りかぶるその姿を眼前に捉え、迫り来る攻撃を予測する。
右か、それとも左か……いや、コイツ何も考えてねぇ!
「セイッ!」
警戒して損した、と笑いたくなるが今は勝負の真っ最中。
気を引き締め、声を上げる黒兎に迎撃の準備を行う。
棍を一瞬宙に置き去りに、跳んで来る黒兎とは真逆の方向に半歩後退した。宙に浮く棍を先端から摩るように右手を滑らせ、盛り上がりを見せる中腹地点で強く握り締める。
不意に突き出された棍に驚いた様子を見せる黒兎だが、もう遅い――!
黒兎の腹に棍の先端が向くよう、左手で調整。下げた右足は地面を捉えずに宙に浮いたままだが、体勢を整えるために膝を九十度に折り曲げる。
宗弌は両手で握り締めた棍を、全力で前に突き出した。
「うっ――!?」
呻く黒兎。だが――浅い。慣れない対人戦で頭に身体が追い付かなかった。
浮かせる筈であった左足だが、予定変更。急遽右足を床に打ち付け、一歩前へ押し出た。
黒兎の身体が棍の先端から離れるよりも速く、宗弌が更に一歩前に踏み出す。
そして、宗弌は手に持つ棍を――素早く、右回りに回転させた。
「う、おお!?」
絡み取られた黒兎の運動着は、回転した棍を中心に大きな皺を作り、引っかかる。そのまま棍に引っ張られた黒兎は完全に体勢を崩し、僅かな間だが両足が宙に浮いた。
「どッ――せいィ!」
背負投の要領で、宗弌は棍を勢い良く後方目掛けて縦に振る。絡み取られた服は破れることなく、黒兎は棍の先端と同じ軌跡を辿った。宗弌の頭上でひっくり返った黒兎は、そのまま綺麗な放物線を描いて投げ飛ばされた。
カラン、と黒兎の持っていた木刀が宗弌の真横に落ちる。
「……弱っ」
無慈悲な一言が、静まり返った訓練場に響く。
圧倒的とも言えるその光景に、レイチェルが試合終了の宣言をした。
「ふふ、ふふふふ……どうせ、どうせ俺なんか……」
ネガティブモードに入った黒兎をどうにか訓練場の端に誘導し、レイチェルは溜息を吐く。模擬戦というのは拮抗する実力を持つ者同士で行うものなのに、これでは大した成果を得られない。いっそ棍の使用を禁止するか迷ったが、素手でも圧倒しそうな予感がする。
見た目が勤勉で真面目そうなだけあって、色眼鏡で見ていたのかもしれない。
「選手交代。雁内殿、ご武運を祈る」
「……骨は拾って下さい」
物足りなさそうに棍をブンブンと振り回す宗弌に、豪太が歩み寄る。
屈辱に塗れた黒兎は俯きながら訓練場の隅で、静かに両膝を抱えて座った。纏う雰囲気が明らかに対話を拒否しているため、レイチェルは微妙な表情でそれを看過する。
「模擬戦、開始――!」
「――先手必勝ぉぉぉぉぉおおお!」
開始の合図と同時に豪太が走り出す。暫くの牽制状態を予測していた宗弌にとって、これは予想を裏切る展開となった。棍はリーチが長い反面、懐には入られれば反撃が難しい。
距離を置くために、横薙ぎに棍を振るうが、
「危なっ!?」
篭手に阻まれ、棍が弾かれる。慌てて後退を試みるが、豪太の突貫の方が速い。
「オラァッ!」
宗弌の腹に一発の拳が埋まる。上下よりも前後の動きが基本である拳は、棍にとって最も防ぎ辛い突きの連発ができる。僅かに逸らしたものの、豪太の渾身の一撃に動きが鈍った。
「な、何かすまん! でも殺られたくないから先に殺るぜ!」
とか何とか言いながら、豪太が殴りかかった。狙っているのか分からないが、こうも近接戦闘に持ち込まれると宗弌は防戦一方になってしまう。
「この――ッ!」
攻めあぐねた宗弌は、漸く見つけた一瞬の隙に、短く持った棍をひと振り。迫り来る攻撃に両腕でガード取る豪太だが、そこで攻撃の手が止まってしまう。まずい、と自覚した豪太がガードを落ろし、左腕でジャブを打ち放つも、少し遅い。
「舐めんな!」
ガードの空いた豪太の脇腹に、宗弌の棍が急襲する。思わず距離を取る豪太だが、一度距離と取ってしまえば後は宗弌の思うつぼだ。黒兎との模擬戦で見せた技を警戒しているのか、豪太は先程と一転して慎重に間合いを取る。
やがて床を蹴り疾駆する豪太だが、今度は宗弌も対応した。
伸ばされた腕よりも棍の方が長い。黒兎の時とは違う、正真正銘全力の突きが豪太に命中した。棍から伝わる一人分の重量に、宗弌は手応えを感じる。
「どうした豪太、さっきまでの積極性はどこに行った?」
「充電……期間、だ」
言葉とは裏腹に、豪太の顔に余裕は見えない。
ここらでトドメを刺すべきだ。宗弌は大きく棍を振りかぶった。片や蹲り片や棍を振りかぶるこの状況には流石にブレーキがかかる。腕を止め、降参させるタイミングを作った。
だが、豪太は「参った」と言うこともなく、回避行動に出る。諦めの悪い豪太の所業に宗弌は舌打ちするが、その表情は笑っていた。
前を見据え、敵を見定め、棍を振り下ろす。
空気を両断する鈍い音。
棍が豪太に当たる直前――不意に、悪寒が走った。
「――才能ッ!?」
レイチェルが驚愕の声でその正体を明かす。
豪太の周囲に、大量の酸素が渦巻いては収束した。その光景を少し離れた位置で見ていたレイチェルは、これから来るであろう才能の覚醒に大きな危険性が伴うことを察知する。
「御嵩殿、逃げろ!」
渦巻く空気の渦中にいる宗弌は、視界の端でレイチェルが何かを呟いたのが見えた。
直後、自分と豪太の間に立ち阻むかのように一枚の壁が現れる。幾何学模様の描かれた円形のそれは、先が見える程薄く、淡い真紅の輝きを纏っていた。
「ぅ……ぐ、ァあ」
苦しみに埋もれた豪太の声に、宗弌は何も出来ずに立ち尽くす。
瞬間、伸し掛っていた圧力が和らいだ。しかし、それでもこみ上げてくる焦燥感は止まらない。言葉には出さないが、直感で分かる。これは……嵐の前の静けさだ。
「がぁああああぁあぁぁああぁあああぁあああ――ッッ!」
咆哮に轟音が混じり、激しい爆風が身を揺らした。
天をも貫かんとする、豪炎の渦が突如として現れる。
急激に上昇する気温。失われていく酸素。離れていた黒兎でさえ、体中から大量の汗水が噴き出した。紅蓮に燃え盛る炎の渦は豪太を中心に、天井に向かって昇り詰める。
爆炎のほんの一端が、傍にいた宗弌に牙を向けた。
「ぐぅ……!」
目の前に展開された一枚の障壁が、炎の行く手を遮るように二枚、三枚と展開される。内一枚が宗弌を炎から守り、障壁が炎を押し返す中、レイチェルが苦しみに声を上げた。
「な、ぁ……!?」
あまりの驚きに、宗弌は声すらままならない。洒落にならない熱量、延々と続く爆音。炎の化身と化した豪太は、その中心で苦悶にも歓喜にも聞こえる声で叫び続けていた。
「お、収まったか?」
額に垂れる汗水を手の甲で拭うレイチェルは、己の展開した障壁が最後まで持ち堪えていることに安堵する。時間にして僅か十秒、しかし誰もがその倍以上に長く感じた。
捻れ狂う炎の柱は、やがてロウソクのような小さな灯火となって豪太に降り注ぐ。大量の火の粉は空気中に霧散し、そして最後の灯火も……今、消えた。
「は、ははは……」
炎の中心に佇んでいた豪太は、両手を床について静かに笑って、天を仰ぎ見る。その瞳が最後に見たのは、白い天井にある黒い焦げ目だろうか。
苦痛に歪んだ表情で天井を眺めた豪太は、最後にもう一度笑って意識を失った。




