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招待状(1)

 窓辺から差し込む陽光が、御嵩宗弌おかさみそういちの目を覚ました。

 閉じていた瞳を手の甲で擦りながら、姿勢を正して前を見る。背中を向けるクラスメイトの合間から見えた黒板の文字は既に消されていた。寝ている間に授業は終了したらしい。

 軽い屈伸をした後、宗弌は机の中の教材を纏めて鞄に仕舞い込んだ。時刻は午後四時を回った頃、名門と名高い私立高峰学園も今は放課後だ。窓の外を見れば、他所の学校と変わらない部活動に励む生徒たちの姿が見える。

 中等部三年の教室は、そんな賑わいとは隔絶された所にあった。三ヶ月後に迫る高校受験が原因だろう。放課後だと言うのに、半数以上の生徒が教室に残り、各々の机で教科書と睨めっこをしている。ほんの一年前までは考えらない光景だ。

 そんな中、ひと組の男女が宗弌に歩み寄った。

 男子の方が声をかける。


「珍しいじゃん、宗弌が授業中に寝るなんて」


 机に頬杖を立てて外を眺めていた宗弌は、すぐに視線を声の主の方に切り替えた。


「いや、ここ最近どうにも眠くてな」

「学園きっての優等生も、眠気には勝てなかったか」


 愉快そうに笑う男子生徒。少し小馬鹿にした態度だが、そこに棘は含まれていない。宗弌の方もそれは理解している。この男、雁内豪太かりうちごうたとはもう何年もの付き合いになる腐れ縁だ。

 短く切り揃えられた茶色の短髪に、中学三年にしては大きな体格が特徴的な豪太。捲くられた制服の袖からは筋肉のついた太い腕が覗いており、全体を通しても男らしい体型をしている。顔も悪くない。それどころか、どちらかと言えば整っている方なのだが……如何せん、お頭が悪い。いわゆる、黙っていればモテるタイプの人間だ。


「それで、テストはどうだったの?」


 学校指定の鞄を後ろ手に持ち、豪太の隣に立つ女子生徒――薙森沙織なぎもりさおりは宗弌に尋ねた。明るく屈託のない笑顔が特徴的で、男女ともに分け隔てなく語りかける人間性に溢れた女の子だ。小柄な体躯と子供らしい趣味が相まって、クラスではマスコットキャラ扱いされることもしばしばある。

 そんな彼女は常にクラスの中心にいてもおかしくないのだが、どういうわけか宗弌と豪太の傍にいることが多かった。家が近いという理由なだけかもしれない。


「無論、満点だ」


 沙織の問いに、宗弌は得意気な表情を浮かべて答える。


「だろうな」

「だろうね」


 友人二人の反応は宗弌が思ったよりも淡白なものだった。そっちから聞いておいてその反応は何なんだ、と言いたいが、別に気分を害されたわけでも……寧ろ優越感に浸れるので、深く突っ込みはしない。中途半端な黒髪に、常時眠たそうだと評判の眼。これでもやる時は必要以上にやる男なので、学園では優等生として扱われている宗弌だ。

 身長は平均的。容姿、体格も普通だが体重はやや重い。脂肪ではなく筋肉のせいなのだが、見た目に出ていないので周りがどう思っているのかは分からない。

 受験間際の試験は今後のモチベーションを左右する重要なものだ。今の教室の空気が重苦しいことにもそれが関係していた。満点を獲得した宗弌はその辺り余裕である。


「あーあ、私もあともう少しで満点だったのに」


 沙織は悔しそうに呟いた。学校の教師の彼女に対する評判がいいのは、その社交的な性格だけが原因ではない。何事も真摯に取り組もうとするその姿勢は生徒教師問わず好印象だ。


「宗弌にはまだ追いつけないかぁ……」


 彼女の姿勢は宗弌にとって少しこそばゆく思うところもある。自分を目標に掲げてくれるのは嬉しいような、恥ずかしいような。そんな感じだ。

 落ち込む沙織とは逆に、豪太は開き直っていた。


「ちなみに俺は、こんな感じ」


 態々鞄の中からテストを取り出して見せるのは、勉強を教えてくれた宗弌への責めてものの礼儀か。しかし堂々とした振る舞いとは裏腹に、その右上に記されている数字は低い。採点者の苛立ちを察することができる荒々しい筆跡で「17」と書いてある。


「なんか今度、面談やるんだってよ」


 まるで他人事のように、豪太は笑って言った。

 高峰学園はエスカレーター式であるため、高校受験に困ることはない。にも関わらず豪太が面談を受けるということは、それだけ致命的な成績だということだ。

 既に宗弌と沙織は慣れているが、それでも深く溜息を吐く。このままだと来年には離れ離れになる可能性が高い。腐れ縁である仲としては、あまり快く思えないことだ。


「いいよな、宗弌は。どうせ今回も大して勉強してないんだろ?」

「普段からしてるからな。大体、直前に詰め込んでも後に活かせないだろ」


 相変わらずの宗弌の発言に、豪太と沙織は小さく笑った。それが普通はできないことを、宗弌は全く自覚していない。優等生らしい考え方だと、二人は心の中で思う。最も、それを聞いた宗弌が不機嫌になることは容易に予測できるため、口にはしないが。


「わ、美栗奈さんまた満点!?」

「嘘! すごーい!」


 三人が会話しているその傍で、小さな賑わいが生まれた。

 自然と、宗弌たちはその声に耳を傾ける。


「別に。大したことじゃないわ」


 美栗奈と呼ばれた女子生徒が周りを嗜めるように言う。

 その驕らない大人の対応に、彼女を囲う生徒たちは更に拍手喝采を強めた。


「へぇ。美栗奈も満点か」


 嫌でも聞こえてしまう話の内容に、豪太が関心を抱いたようだった。

 三人の視線の先には、如何にもお嬢様してそうな女子生徒。スラリと背の高い体型に、まるで絹のように艶のある黒髪は結ばれることなく腰まで垂れ下がっている。

 彼女もまた、学園の中でも優等生の枠にいる生徒だった。勉学という分野に限らず、運動に対してもその天賦の才を誇る。おまけにその抜群の容姿は同性までも魅了し、今や彼女は他学年にまで知れ渡るちょっとした有名人だ。

 男女問わず様々な視線を惹きつけながら、風に靡いた長い髪を掻き上げる。その仕草は滲み出る上品さを一層際立たせ、思わず誰もが見惚れてしまう。クールでビューティーなその風格ゆえに、彼女は異性からは高嶺の花、同性からは憧れのお姉様ポジションに君臨していた。

 美栗奈祐穂みくりなゆうほ。それがこのアイドルの名前である。


「……ねえ宗弌、同じ点数がいるみたいだけど?」


 ニヤニヤと笑みを浮かべながら、沙織は宗弌を肘でつつく。

 そんな分かりきっていることを態々伝えるのは、沙織のちょっとした意地悪だ。豪太と同じく腐れ縁の沙織は知っている。宗弌は、人一倍競争心が強い。そもそも宗弌の成績が良いのもその競争心が原因だ。だからこうして同格が存在していることを知れば、さぞや腹を立てるだろう。数秒後のことを予測しながら、沙織は宗弌の反応を楽しみに待った。


「ああ、そうみたいだな」


 だが、返ってきた言葉は予想の斜め上だった。

 宗弌の素っ気ない返答に、沙織と豪太は拍子抜けする。


「おいおい宗弌。お前、どうしたってんだ」


 堪えきれなくなったのか、豪太が驚愕に顔を染めたまま宗弌に迫る。


「何がだよ」

「だってお前、あそこに宗弌と同じ点数取った奴がいるんだぜ?」

「だからどうしたんだよ」

「いつもの競争心はどうした!? あの軽く引いてしまうほどの競争心はどこにいった!?」

「よく分かんねぇけど、取り敢えず落ち着け」


 豪太を落ち着かせようとする宗弌。しかし、豪太の態度も無理はない。それだけこの宗弌という人間は、とてつもない変人なのだ。

 とにかく、宗弌は競争心が強い。自分と同格、或いは自分以上の存在に対してはそれが如実に発揮される。自分に迫る相手がいると、如何なる分野であろうがお構いなしで、死に物狂いで己を鍛え上げる。そして完膚なきまで相手を叩きのめしてから、澄ました顔で「当然だ」と吐き捨てるのが、沙織と豪太の良く知る宗弌という人物だ。

 それが努力家で収まりきらないのは、宗弌の加減の知らなさにある。

 人一倍競争心が強い宗弌は、連鎖的に人一倍努力をする。本人は自覚していないが、宗弌の持つ数々の伝説は学園の至るところで噂されていた。具体的には「体力をつけるために気絶するまで走り続けるとか、アイツ馬鹿じゃねーの?」とあちこちで語られていたり。

 ――要するに、宗弌は人並み外れた「負けず嫌い」だった。

 引き際を知らない、馬鹿みたいに突っ走る子供のような性格。それがこの年代まで続いているとしたら、それはもう変人の類だ。だが、その馬鹿みたいな負けず嫌いが宗弌の持つ様々な功績を裏付けているのもまた事実。だから誰も宗弌を責めることができないでいる。

 その性格を見越しての発言をした沙織は、どうして宗弌がこうも冷静なのか全く理解できなかった。隣で、豪太は「はっ!?」と何か閃いたかのように目を見開く。


「ま、まさかお前……止めとけよ。アイツは競争率高いぜ?」


 競争心とは、敵対心にも似たような感情だ。

 それを持ち合わせていない相手となると、答えは限られてくる。


「そーいうのじゃねぇよ」


 極めて冷静に否定する宗弌。

 あまり異性に関心を抱かないのもまた、宗弌の持つアイデンティティだ。普段と変わらない部分を見て、二人は少しだけ安心する。


「あんな天才と比べられると、身がもたん」


 ボソリ、と宗弌は本音を漏らした。

 努力に精通している宗弌は、人の努力を見抜くのが上手い。天才と秀才を見分けることができるのだ。才能が欠片もないとは限らない。だが、その中にほんのひと握りでも努力の痕跡が見られれば、それだけで宗弌にとっては秀才だ。見て、聞いて、感じれば分かる。本当の天才なんて、めったに見つからない。

 そんな宗弌が、人を天才と呼ぶのは極めて稀だ。


「裏で努力してるかもしれないよ?」


 沙織が聞くが、宗弌は首を横に振った。


「それはない。断言できる」


 スポーツならば動きの節々に、芸術ならば完成までの過程に、必ず努力の痕跡というものが存在する。それは勉強だって同じだ。生粋の才能に全てを委ねていない限り、天才ではない。

 だが、あの女は明らかに努力とは無縁だ。

 彼女は、見るからに努力ではなく才能のみであの高みにいる。

 今のように勉強だけでなく、サッカーでも徒競走でも、彼女の才能を見る機会は幾らでもある。その度に、宗弌は美栗奈祐穂の才能を思い知らされてきた。彼女の動きはあまりにも綺麗過ぎる。まるで最初から完成されていたかのような、極限にまで無駄を取り除いた動き。

 最も、それ以前に彼女が努力をしていない根拠を宗弌は知っているのだが……それは言えない。言えばきっと、大きな災いが身に降りかかる。


「なーんか、やけに詳しいな」


 妙な勘ぐりをする豪太に、宗弌は僅かに顔を強ばらせた。

 どうもあの女のことになると、ついムキになってしまう。豪太の隣では、何故か不機嫌そうに顔を膨らま

せた沙織がこちらを睨んでいた。


「……ん?」


 唐突に強烈な被視感を覚え、宗弌は顔を上げた。

 沙織ではない。軽く辺りを見渡して、そしてすぐにその正体を理解する。

 話題の才女からの、つまりは美栗奈祐穂からの射殺すような鋭い視線だった。


「お前、やっぱりアイツのこと好きだろ?」


 宗弌の熱視線に何を思ったのか、豪太が先程の話題をぶり返す。


「だから違うって。……ああ、またか」

「ん? 今何か言ったか?」

「何でもねぇよ」


 深い嘆息と共に返答する宗弌に、豪太が首を傾げる。

 その隣では、沙織が顔を膨らませたままつま先で教室の床を蹴り続けていた。


「むー……」

「お前は何でそんな不機嫌そうな顔してんだよ」

「知らないっ!」


 沙織の態度に今度は宗弌が首を傾げる番だった。

 そんな三人の背後では、数人の女子生徒が黄色い声を上げている。


「ねぇ、今美栗奈さんとあの男子、目が合ってなかった?」

「前から思ってたけど、美栗奈さんと御嵩くんって良く目が合うよね」


 彼女たちが交わす言葉は同じ教室内にいる宗弌たちの耳にも届いていた。そういう話はなるべく本人のいないところで、もしくは声を隠して欲しい。普段通り意図的な無視を決め込んだ宗弌は、二人を引き連れてさっさと教室から逃げ出した。


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