護衛と訓練 2 そして……
「さて……じゃあ早速鍛えることにしようか!」
「はい、頑張りますわ!」
「…………んむぅ」
家はたいして大きくないくせに、そこそこ広い庭にいる三人。
一人は鼻の下が伸びきっており、一人はやる気に燃えており、また一人は腹が膨れて船をこいでいた。
「そういえば確かエリスの戦闘は魔法メインだったよな?」
「はい、そうですわ!」
エリスは大きく首を縦に振る。
「よし、じゃあまずは庭で限界までランニング、その後は魔力が切れるまで魔法の練習だな」
トキワの言葉にコテンと首を傾げるエリス。
「ランニング……ですか? レベル上げではなくて?」
エリスの疑問はもっともなことだった。
アミューズという世界ではレベルというものがある。それさえ上げればあらゆる身体能力が上がるのだ。
故にアミューズでの修行とは一般的には、強い人に隣についてもらって安全性を確保したまま魔物と戦いレベルを上げてついでにスキルレベルも上げるというものだった。
だがそれはあくまでも一般的で楽な方法である。
トキワの育った和の国はそれとは違う。
「ああ、もちろんレベル上げはするよ。ランニングと魔法の練習終わってから」
「え? …………えっと限界まで走って魔力を使った後ですか?」
エリスの声は震えていた。
トキワの目が冗談を言っているようには見えなかったからだ。
「うん。魔の森の入り口まで走って魔物倒して、レベルが一上がったらまたカタリベに帰ってきて、しばらく休んでまた走って魔力使って……みたいな感じかな」
「」
エリスは声も出なかった。
強くなりたいと口では言っていても、十五年間貴族の令嬢という温室で育った少女には覚悟が足りなかった。
本当に強くなるとはどういうことなのかを。
エリスは無意識のうちに楽に強くなりたいと考えていたのだ。
レベルを上げて手っ取り早く強くなる、それが仮初めの強さだとは疑いもしていない。
だからこそエリスの口からためらいの言葉が出た。
「あの、どうしてランニングや魔力を使うことをしなければいけないのですか? レベルさえ上げておけばスタミナや魔力は増えるのですよ」
「レベルがいくら上がっても、スタミナも魔力も有限だからだよ。全部なくなってもう立っていることすら辛い状況でどれだけの力が出せるのか、それが本当に強くなるってことだ」
エリスはトキワの言葉に、雷が落ちたような衝撃を受けた。
そして同時に今まで自分が持っていた強さという常識がガラガラと崩れていく音が聞こえた。
「それに、この方法は魔法使いを育てる上で実に理に叶った修行法なんだ。ランニングして体力を失い、その後魔法の練習をする。魔法の練習をしている間に少しスタミナは回復できてる。それを使って魔物のいる位置まで走る。その間にわずかに魔力が回復している。それを使って効率よく魔法を使い魔物を倒す。要するにこの修行は魔力の微細なコントロールと根性を身につけるための修行だってことだ」
エリスはトキワをキラキラとした瞳でみつめていた。
昨日、トキワと共にギルドに行った時に聞いたのだ。トキワは『新星』
と呼ばれるほどの実力者であることを。
そしてその口から出た想像だにしない修行方法。エリスにははっきりとわかった。トキワの言う通りにすれば必ず強くなれると。
もちろんこの修行方法はトキワが考え出したものではない。トキワ自身が和の国の祖父から教わったものである。
だがトキワはそれを敢えて言わなかった。
(ありがとう、爺。エリスの俺を見る目が変わったたぜ)
全てはエリスのトキワに対する心象を良くするためである。
トキワは全くぶれない男だった。もちろん悪い風にである。
「……やるか?」
「もちろんですわ!」
エリスは庭を走り始めた。そこそこ広い程度なので、走ろうと思ったら庭の外側を何周も延々と走り続けることになるだろう。
そこでトキワが目撃したのは、貴族令嬢として育ったことがありありとわかるエリスの酷い走り方だった。
スピードはやたらと遅いのに、まるで地面を親の敵とばかりに力まかせに踏み抜いてドタドタと走る。
これでよく魔の森を二週間でよく走りきれたな、とトキワは思った。
だが、まだ修行は始まったばかりである。
これからに期待しようか、と考えたトキワに衝撃が走る。
(余りに下手くそな走り過ぎて、乳揺れがない……)
せめて今日中にも、走り方ぐらいは教えないとな……と思うトキワであった。
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どこにでもある部屋だがそこには物という物がなかった。
唯一ある中央のテーブルに立てられた蝋燭が室内を薄暗く照らす。
室内の雰囲気は悪く、どこか苦悶に満ちている。
「エリスフィアが生きたまま、マーレーン王国にたどり着いたらしいのう……」
室内にある四つの人影。
その一つである老人がその言葉を発したとき、室内はさらにピリッとした空気になった。
「そもそもだなぁ……。なんでエリスフィアが魔の森に放逐されて生きてるんだよって話だぜ。『進化』して《魔物避け》を使ったわけでもあるまいし」
老人の言葉に反応したのは、若く線の細い男だった。
「クスクスクス」
「何が可笑しいアナスタシア」
男の声にアナスタシアが笑った。
空気が読めていないのか、どこか人を小馬鹿にしたような笑い声だった。
それを諌めたのが、見るからに屈強そうな男。
「だってあなたたち本当に可笑しくって……。まさかこちら側の十三人の『進化』は済んでいるというのにエリスフィアがまだだと断定する神経がわからないわ。……クスクスクス」
アナスタシアはずっと前から知っていた。エリスは既に『進化』を終えていることを。だからこそ、世界の中でもエリスだけしか使えない魔物避けが使えるのだと。『進化』のことやその他諸々の事情を知らない、カウレスやアイレーンによって誰にも伝えてはならないと禁術扱いされていることも。
「馬鹿を言うでないわ…………。『文書』ではまだだと書いておる」
老人のその一言にアナスタシアは腹を抱えて笑い出す。
「ほんっとうにあんたたちって頭が固いわね。すっごく面白いわぁ」
闇のように暗く美しい黒い髪。
濡れた少し厚めの唇から零れる艶っぽい声。
薄暗い部屋の中でも輝いて見える美しい顔には、笑い顔が張り付けてあった。
情欲そそる姿に若い男はゴクリと喉を鳴らした。
「ふん……戯言はいい。とにかく俺たちはエリスフィアを殺害できなかった。これは『文書』通りではない。ならば早急にエリスフィアを殺害すべきだ」
「だが『文書』には、罪を着せ罰で殺せと書いておる。それはどうするつもりじゃ?」
屈強な男に老人が問う。だが間髪入れずに男は返した。
「決まっているだろう。ここでエリスフィアを生かしておく方が危険だ。『文書』の言う通りでなくとも、ここは殺しておくべきだ」
「俺もそれに賛成かな」
屈強な男に賛意を示す若い男。
その姿を見て老人は唸った。どうするべきか決めかねているのである。
「お主はどうするべきじゃと思う?」
そして老人は未だに笑っている最後の一人に聞いた。
「私はなんでもいいと思うわぁ……。だって今すごく楽しいもの」
だがアナスタシアは元々真面目に答える気はなかった。
「ふむ……。ならば話は早い。ともすれば誰を連れていくか……じゃな」
「クスクスクス……。私はリッキーがいいと思うわ」
老人はジロリとアナスタシアを睨む。
「その根拠は?」
「貴方たち知らないみたいだから教えてあげる。マーレーン王とエリスフィアの母親のアイレーンはずっと昔の知り合いらしいの……。だからきっとエリスフィアのこと『七星』あたりが迎えに行くと思うのよねぇ」
アナスタシアの言葉にいち早く反応したのは屈強な男。
さっきまでとはうってかわってどこか楽しげな様子だ。
「半端な奴を出したらやられちまうというわけだな……。『七星』をも殺せる人材となれば限られてくる。『魔狂い』のリッキーか……俺は悪くないと思うぜ」
「ふむ……じゃが戦争になるやもしれんぞ、今マーレーン王国と戦るのは時期尚早……」
「いや、どうせ戦るつもりなら初めにドカンと一発デカイのを打ち込んどいた方が良いさ。カタリベの町ごと『七星』とエリスフィアを殺ればいいのさ」
老人の後ろ向きな意見に反意を唱えたのは若い男だった。
「リッキーは選ばれた十三人の内の一人、当然『進化』している。そしてその能力は《魔物集め》だ。魔の森の魔物を誘き寄せてカタリベごとエリスフィアを殺す」
屈強な男が自信満々にそう言う。
もはや作戦の失敗を考えてもいない。
老人はしばらく考え込んだ後、顔を上げて宣言した。
「……ならばそうしよう」
その言葉をとともに、三人の男たちは姿を消した。
その次の瞬間、最後に残ったアナスタシアの背後から四人の黒装束を着た人が現れる。
「『黒面』……人間って愚かねぇ。クフフ……クフフフフフ」