後継者騒動 5
月明かりが室内を照らしている。
薄暗いのではないかと問われればそうでもない。それはこの部屋が月に一番近い高い所に設置されているからである。
クニシロ領での最重要機密である城内部の見取り図の中にも書かれていない、クニシロ家の者しか知らない秘密の部屋だった。
「で………………一体何の話だよ。俺眠たいんだけど」
リュウは大きく口を開けてあくびをする。
釣られてあくびをする者も一人。
その男は年は初老にさしかかる程であり、顔に刻まれた皺と傷が男の深さを示していた。
「おい、リュウ。お前さんがあくびをするからワシにもうつったじゃろうが。あと早くトキワに会わせろ」
現クニシロ家当主にこのような口の聞き方をできるのは領地では三人しかいない。そしてこの老人はその中の一人だった。
前クニシロ領当主、ゲン クニシロ。リュウの父にして、トキワやムラサキ、カエデの実の祖父である。そしてトキワのトラウマを量産した元凶であり、初めてトキワを半殺しにして『強制覚醒』を発動させた存在であった。
そのくせ孫、特に自分に似たトキワのことが大好きなのである。
「あなた、それにお義父様。お下品ですよ。あとトキワには会わせません、また殺されかけてはたまりませんから」
「あらあらユカリさんの言う通りですわよ、両方。後ゲンさんや、あなたの代わりに私がトキワに会っておきますね。後でた~ぷりと二人で楽しくお話したことを伝えてあげますから」
続いて言葉を放ったのは、リュウの妻でありトキワたちの母でもあるユカリ クニシロ。そしてその後はゲンの妻でありトキワたちにとっては祖母のユズコ クニシロだった。
煌めく黒髪と抜群のプロポーションを持つユカリ。そして老いてなお未だ色気を持つユズコ。二人とも年頃は他領からも多くの縁談の話があったという話が事実であることがはっきりとわかるほどの美女である。
ユズコの言葉に「なんだとー!」と立ち上がったゲンだが、ムラサキに
止められる。
「父上や爺様も少しの間だけ我慢して頂きたい。今から大切な話があるのです」
ムラサキの態度で、何かを察したのかゲンはしぶしぶ座った。だがただでは終わらない。ゲンはユズコを睨み付けていて、そしてユズコはそれを見て意地悪く含み笑いをしていた。
年老いても随分と仲の良い夫婦である。
「なんか、ソウジロウから面倒くさいってことは聞いたんだけどよぉ。毎回後継者騒動なんてのは面倒くささの極みみたいなもんだし、わざわざ話す必要なんたあんのかよ」
リュウの言葉にムラサキとユカリそしてユズコは揃って首を縦に振る。
この三人こそが現在のクニシロ領のブレインである。
それを理解しているリュウとゲンはお互い顔を見合わせて、話を聞く体勢になった。
「実は、今回の後継者騒動。違う領地の者たちが裏で糸を引いている可能性がでてきました」
「へぇ………………そんなの普通じゃねえの?」
ムラサキに対するリュウの言葉は至極正しい。
基本的にどの国のどの支配者階級であっても、後継者騒動をしていれば介入はする。騒動後の影響力を高めるためである。
「今回の熱の入れようは普通ではありません。敵は小飼の呪い師たちを使っています。完全にこちらの息の根を止めるつもりかと」
「ふむ………………どうやらワシの可愛い孫のムラサキの言葉は本当っぽいのう。威力偵察、もしくは嫌がらせで十匹ってところかのう」
ゲンは少しだけ開いている空気を入れ替えるための板の隙間から外を見て呟いた。
それに反応して、室内にいた各々は立ち上がる。
「この話し合いはこれで終わりだな。随分と早かったな、来襲は」
ユカリはにっこりと微笑んでリュウに告げる。
「こういうのはいつも突然ですからね。あなたの時がそうだった時みたいに」
一部を除いて誰もが寝静まる夜。
それは静かに始まった。
驚くほどスムーズによどみのない動き。行動の成功を確信しているのか、いやそうではない。
今クニシロ家の城門を守護する兵に止められることなく侵入して行った者たちの目は皆一様に覚めない夢を見ているようで胡乱でいた。それはまるでマーレーン王国で起こった謀反の時に使われた《洗脳》にかけられた兵のようである。
状況として違うのはマーレーン王国では見張りの兵も《洗脳》されていたのだが、和の国ではそうではない点だろう。彼らはまるで目の前を通る賊が気にならないように『思考』を誘導されていた。
そしてマーレーン国王アルカディオが敵の炙り出しと味方の命の安全を第一に考えてあえてその動きに手を出さなかったのとは違う。
和の国の猛者はこう考える。敵に操られた弱卒などいらないと、せめて誉れある死を手向けとしようと。
そしてアルサケス王国からやって来たメアリはこう考えていた。
お嬢様に手を向ける者は例え誰でも許さない。そして他国の人間ならば尚更容赦はしないと。
「ふんっ」
和の国と言われれば一番初めに思い当たるのは鎧に身を包んだ鎧武者であろう。魔道具が使われているあの姿は鉄壁に近い防御力を誇る。
だが現在は真夜中で、そして賊は人知れず城敷地内へと侵入しているのだ。当然高価であり、歩くと音のでる鎧など着ておらず賊は皆目立たないような黒を基調とした軽装をしていた。
その賊の一人から短刀で攻撃を受けたメアリは、手に持つ自分用のハンカチで攻撃を受け止めていた。本来ならば短刀は容易くハンカチを貫通し、メアリに届いていただろう。
だがそれは叶わなかった。
アルサケス王国でも一二を争う大貴族ユグドレミア公爵家の長女を護衛し、そしてお世話するメイドとして雇われているメアリ。その実力は当然高い。だが女性故か、メアリ自身はスピードはあるが肝心の攻撃力は乏しい。
メアリ自身それを自覚している。解決策とはつまり武器の存在である。
しかしメアリの細腕ではあまり大きな武器は携帯できないし、メイドとしてそもそも目立つ武装はしたくなかった。
だからメアリは暗器を使用することにしていた。
そのメアリがはたして普通の素材で出来たハンカチを使用しているのだろうか。
答えは否である。
「なに!?」
賊からは驚きの声が上がる。
賊はあくまでも呪い師に操られているのだが、それは《洗脳》のような完全催眠ではなく、『思考』を誘導させられて今ここにいる。
メアリはハンカチの上から短刀をギュッと握りこんだ。
「消えてください」
メアリは凍りつくような冷たい顔でそう言った。
その顔はエリスやトキワたちには普段から見せている無表情でいて、見せたことのない顔だった。
メアリがハンカチのほつれた糸を引っ張ると、ハンカチはどんどんとほどけていく。そして一メートル程になった所で引っ張るのを止めた。
これ以上は必要ないからである。
メアリのハンカチは、蜘蛛の魔物の中でもトラップスパイダーと呼ばれるものの糸で出来ていた。トラップスパイダー自体は攻略法さえ知っていればさして討伐難易度は高くない。だが知らなければ非常に厄介な魔物だった。トラップスパイダーは眠る時だけ周囲に切れ味の鋭い刃のごとき糸を張り巡らせる。メアリのハンカチはトラップスパイダーのその糸のみを使用して、魔道具の手袋で手ずから編まれたものだった。
防刃に優れ、そしてほどけた糸は一肌を容易く切り裂く刃と化す。
それをメアリが使えば………………言うまでもない。
「首刈り《ネックチョッパー》」
賊の時が止まる。
ずれ落ちる首。体さえも一体何が起きたかわからなかったのだろう。
遅れて血が出てくる。
骸をメアリは冷たい瞳で見ていた。
賊もまた、呪い師に操られた被害者でもある。
だがメアリに慈悲はない。
メアリが慈愛を向けるのは、エリスとファーニーそして家族にユグドレミア家とその使用人たちだけ。
そして………………
「ぶっ飛べクソ野郎」
メアリの背後の障子を突き破って別の賊が吹き飛んできた。
地面に仰向けになって倒れた男の顔下半分は見るも無惨な姿になっていて小刻みに痙攣していた。死ぬのは時間な問題だろう。
「起き抜けに随分と機嫌が悪いですねトキワ様」
「いやぁ………………良い夢見てたのにこいつに邪魔されちゃってさぁ。腹立ったからつい」
クマが刺繍されたパジャマを着たトキワがぬっと部屋から出てくる。
口元にまだこびりついているヨダレの跡が間抜けだった。
「エリスは?」
「お嬢様も起きておられます。部屋に簡易の《魔物避け》を張っているので心配ないと判断しました」
メアリはキッパリとトキワに断言する。そもそもエリス第一のメアリがエリスの安全を確保しない内にエリスの側を離れることはありえない。
トキワもエリスとファーニーの無事を聞いて安心したような顔をしたがその後少し渋い顔になる。
聞き逃せない言葉があったからだ。
「もうそろそろ、《魔物避け》って名前改名した方が良いと思うんだけど」
魔力の効率的運用を身に付けたエリスが効果範囲が小さく持続時間が短い《魔物避け》を使えるようになったのは和の国へ至る船の上でのことだった。
インターバルを考えなくてもよくなったことはとても良いことなのだがその時から少しばかりエリスの《魔物避け》は変質していた。
魔物でもなくてもエリスを避けるようになったのだ。
それはトキワであったりメアリであったりファーニーであったりだ。
あるいは物でもだ。
とにかくエリスの《魔物避け》はもはやエリスが指定した物ならば何でもエリスを避けるようになったのである。
それ以来トキワは《魔物避け》という名称に違和感を感じざるを得なくなったのである。
「ならば今度二人でお嬢様を説得してみましょうか」
「そうするか。………………ならまずは最後に残ったコイツだな」
トキワとメアリは共に同じ方向を見た。
そこにも賊がいる。
一対一でも勝負は見えているのに、それが一対二に変わればどうなるかそれは結果を言わずともわかることだった。
そして真夜中の襲撃は簡単に鎮圧させられる。
だが敵もそんなことは考慮の上である。
敵の狙いがハッキリとわかったのは朝が明けてからのことだった。




