変わる心
元アルサケス王国公爵令嬢のエリスの朝は早い。
日がようやくのぼろうとしている頃にエリスは目を覚ます。そのまま昨日宿の人に用意してもらった水で顔を洗い、身だしなみを整える。
他の貴族子女ならばここで使用人を頼ったりして、かなり時間がかかるのだがエリスに関してはその心配はない。
水を鏡にしてエリスは己の髪を見た。先程まで綺麗な金髪のストレートだったそれはいつの間にか完璧な縦ロールへと変わっていた。
これがエリスの朝仕度が早い理由である。
エリスは未だにトキワが作ったミニチュアベッドで眠りこけているファーニーを見てクスリと微笑んだ後、部屋を出た。
そのまま下の階にある品のある食堂へと向かう。朝食をとるためだ。
今この宿には、客はエリスたち以外にいない。つまり貸し切り。
だからだろう。廊下には物音がしない。
「おはようございます」
食堂に着いたエリスはどこか呆れたように挨拶した。
「おはようエリス嬢」
「おはよう、エリスちゃん」
「おはようございますお嬢様」
アルカディオ、ミーシャ、メアリからも挨拶が返ってくる。
エリス自身もかなり朝は早い方だがこの三人は更に早い。メアリは仕事柄、早起きは当然だが他二人の朝の早さにはエリスも舌を巻いた。
「メアリはともかく…………相変わらずお二人はお早いですね」
「まぁね。王様も楽じゃないってことよ。何せ仕事が多いからね」
アルカディオは胸をはって自慢気に答える。
エリスは不真面目なアルカディオでもきちんと仕事をしているのだなぁと感心したように息をついた。
だが真実を知るミーシャはそれを聞いて呆れたようにため息をついた。
「あんたが早起きなのは、皆から逃げて王宮から出て仕事サボるためでしょ」
途端に下がる室温。
冷めた目でアルカディオを見つめるミーシャ。
そして汗をダラダラとかきながら下手な言い訳をするアルカディオを見てエリスは本当のことを悟った。
「ところで、トキワ様はまだ寝ていらっしゃるのでしょうか?」
エリスの質問に幸いにと食い付いてきたのはアルカディオだった。
「う~んどうなんだろう。トキワくんならこのくらいの時間には起きてると思うんだけど、たぶんまだ寝てるんじゃないのかな?」
トキワもエリスたち程ではないが、実はかなり朝が早い。
エリスが起きて、全員が集合している場所に着いてからすぐにトキワもやってくる。なのに今日は遅かった。
こんなことはエリスがトキワと出会ってから今までになかったことである。
そんなエリスの疑問に答えてくれたのはメアリだった。
「トキワ様ならばカエデ様と一緒に早くに出かけました」
その言葉に首を傾げるエリスたち。
アルカディオやミーシャが知らずに、メアリだけが見ていたということはかなりの早朝のはずだ。そんな朝早くから何をしようというのかエリスたちにはわからなかった。
「う~ん、トキワくんの妹さんかぁ。まだ俺は話してないからどんな子かわからないなぁ」
「トキワくんに似てカワイイ顔してたわ。アホっぽそうだったけど」
カエデの話題が出て、アルカディオとミーシャが話し合う。
昨日は宿に戻った後、機嫌の悪くなったカエデが部屋でふて寝を始めたためまだアルカディオとミーシャはカエデと話していなかったのだ。
そのため、トキワもなぜカエデがマーレーン王国に来たのかということについてもまだわからなかった。
「おや、話をすればと言うやつか」
「あら本当……」
アルカディオとミーシャの言葉を放ったのと同時に、メアリも動き始める。宿で雇われている一流のシェフから朝食の皿を受け取りテーブルに並べ始める。
メアリの分を抜いた丁度六人分だった。当然その中の一つはファーニー用のミニチュアサイズの皿だが。
エリスは気配を察知するようなことができないため三人の言動が理解出来なかったが、食堂のドアを開けた音を聞いてようやく理解した。
「おぉ! 朝御飯だぞ、兄ちゃん」
「げぼぉっ……あんだけ動いてよく腹が減ってるなお前……」
そこから現れたのは、同じように土や血に汚れた二人の姿だった。その背には同じく血がわずかににじんでいる大きな袋を抱えている。
だが表情は違う。満面の笑みを浮かべるカエデと顔色が悪くいかにも気分の悪そうなトキワだ。
二人の格好を見て、エリスたちは二人が何をしてきたのかを察した。
その瞬間エリスとメアリは目を見開いて驚く。驚いた理由はそれぞれ違ったのだが……。
エリスが驚いたのは、この猫の街の近くには魔物の生息領域がなかったからだ。トキワとカエデを見ていれば魔物を討伐してきたことがわかるが、もしかしてわざわざ魔物のいる場所まで行ったのだろうかという点だ。
メアリが驚いたのは二人とも武器はおろか、防具すら持っていなかったのに魔物退治に出掛けたということだ。メアリは確かに二人が出かけるのを見送ったが、普段着だったためまさかそのようなことをするとは思いもよらなかったのだ。
「おはよう、トキワくん。それに初めましてカエデ嬢。俺はこの国の王様やってるアルカディオ、よろしくね」
「あらやっぱりカワイイ子じゃない!? 初めましてカエデちゃん、私ミーシャよ。よろしくー」
だが普通の感覚を持っていないアルカディオとミーシャは、全く驚かずに普通に話していた。
それを見てメアリは自分もまだまだだと思った。エリスは顔をひきつらせていたが……。
「ん、初めましてなのだ! トキワ兄ちゃんの妹でクニシロ家長女カエデ クニシロなのだ」
「おはよ……ございますヴぉえっ……」
元気いっぱいのカエデとグロッキーなトキワが席に着くと同時に汚れた服はまるで新品のように綺麗になっていた。
「ありがとうなのだ、ミーシャさん」
「ありがと……ござます」
トキワとカエデが頭を下げると、ミーシャは気にしないでとばかりに手をひらひらさせた。
ミーシャが生活魔法に属している『クリーン』をトキワとカエデにかけてくれたのである。
早速とばかりにテーブル上のご飯にがっつくカエデ。それを見てトキワは無礼だと頭を叩く。
「別に気にしないでいいわよ~ねぇアルカディオ」
「ああ、そうだね。どうやら全員揃ったことだし俺たちも食べようか」
アルカディオの言葉と同時にファーニーがやって来た。
髪はボサボサでいかにも寝起きなのだが、テンションは高い。
「おっはよーん。あれ? 知らない人がいる」
ファーニーは昨日の夜遅くまで馬と遊んでおり、カエデとは出会っていない。そのためカエデのことがわからなかったようだ。
「おおう!? 妖精さんだ! 初めて見たのだ」
和の国には妖精が存在しない。おとぎ話の中だけの存在が目の前にいるためか、カエデはファーニーを見て嬉しそうにしていた。
そのまま楽しい朝食の時間が続いた。
気分が悪そうなトキワと、後ろに控えているメアリ以外の皆は会話が弾んでいた。
精神年齢が同じくらいのファーニーとカエデは短い時間で既に意気投合しているし、そのカエデから和の国の話を聞いてアルカディオとミーシャとエリスも楽しそうにしていた。
食欲が全くわかないトキワは、目の前の食事を見ながらさっきまでのことを思い出していた。
突然部屋に来たかと思えば、トキワはカエデに魔物がいる場所まで連れていかれたのだ。しかも普段着でだ。
そしてそのままカエデが引き連れてきた魔物たちを素手で戦うはめになったのだ。
普通の人間なら、いつものトキワなら絶対にしないような蛮行である。とはいっても、どうしてカエデがトキワにそれを強要してきたのかはトキワははっきりとわかっている。
トキワには戦闘を生業にする者として最も大事なモノが欠けている。
それは度胸だ。
度胸もなく、強敵との戦闘を極力避けようしてレベルが上がらないトキワに発破をかけるためカエデは行動したのだ。
(いくらなんでも妹にここまでされるとは……兄貴として情けないぜ)
トキワも自分の臆病ぶりを自覚はしていたのだ。そしてそれのせいで伸び悩んでいることも。
決定的だったのはリッキーとの戦いだ。
トキワにとってリッキーはかなり相性がよかった。最後こそリッキーは身体強化の極大魔法を使用したが、リッキーは基本的には魔法主体の戦闘スタイルだった。
余裕で倒せるとトキワは考えていた。
それはトキワに、和の国でリッキーに近い実力の魔法使いと模擬戦した経験があったからだ。その時は僅差で敗北したため、トキワはどこかリッキーのことを五年前の自分でも拮抗できた実力だと侮っていた。
……だが現実は違った。
奥の手である『強制覚醒』をも使わされたのだ。
(カエデの言う通りだ。俺の強さは五年前から何も変わってなかった)
トキワは天井を見上げた。
(変われないかもしれないけど、変わる努力をしなくちゃいけない)
トキワは今から強くなる。
自分に酔っているトキワに近くで交わされる会話は届いていなかった。
「ところでカエデ嬢はどうしてうちの国に来たんだい?」
「ん? 確か、ソウちゃんがくれた手紙に書いてたような…………あ、あった。え~となんか色々と問題があるみたいだから少しの間でいいから国に帰ってきてくれだって」




