エリスフィア
すっかり朝になった頃、少女が目を覚ました。
ガバリと身を起こして、キョロキョロと周りを見渡しそしてその目はトキワを捉えた。
そして少女は怯えたような顔を見せ、地面に座り込んだまま後ずさろうとするがそれに先んじてトキワは声をかけた。
トキワは少女が魔物に襲われないように護衛する目的で一晩中、起きていたのである。しかしその心配は杞憂であり、やはりトキワの読み通り少女は魔物避けのアイテムを持っているようで、索敵範囲内にさえも魔物が近寄ってくることはなかった。
戦闘体勢は解いたが、それでも眠るという愚かな選択をしなかったトキワは暇だったため頭の中で少女の好感度を上げるようにと、話すシミュレーションを幾度となく繰り返していた。
「おはよう。よく眠れたか?」
(おおう! やっぱりすごい可愛いじゃん。切れ長の、ちょっと冷たそうに見える目とかモロ好みだわ! ………………おっとヤバイヤバイ。確か、モテる男はがっつかないだったな……。紳士的対応を心掛けないと)
「あ、あの……ここはいったいどこなんでしょうか?」
はっきり物を言いそうな勝ち気な顔付きとは違い、おどおどとした態度で問うてくる少女。
思っていた性格と違って、少しトキワはびっくりしたがすぐに表情をもとに戻した。
(これはこれでアリだな……)
「ここは、マーレーン王国の辺境カタリベの近くの魔の森だよ」
何故君はそんな格好でこんな所ににいたんだ? とか恋人はいるの? とか好みの異性のタイプは? とかスリーサイズとか、好きな食べ物とか色々と聞きたいことがあったトキワだが、目の前で一生懸命に現状を把握しようとしている少女を見てそんな気はなくした。
考え込むように下を向いて、何やらをブツブツと話す少女。
はたから見ると中々に不気味な光景だったが、そんなことは恋してしまったトキワにとって些細なことに過ぎなかった
やがて考えが纏まったのか、少女は顔を上げた。
端正な顔をクシャクシャにしている。よく見ると瞳には涙がたまっていた。泣くのを我慢しようとしているのだが、全然我慢できていない。
トキワには少女がいつ壊れてもおかしくはない程に不安定であることがなんとなくだがわかった。
少女を見て、トキワは胸が痛くなる。
クサイことかもしれないが、トキワは女性は宝のようなものだ。いつも笑顔でいて、輝いていてほしいと考えていた。
だからだろうか、普段のトキワなら決してしない大胆なことをしてしまった。
「何か辛いことがあったのか? そういう時は泣いたら少し気持ちが楽になるから………だから泣いた方がいいよ。今なら俺がいるから………」
トキワは少女を抱き締めた。そして耳元でどこかで誰かが言ったような使い回しのセリフを吐いた。
(…………くっせえええええええええ)
もちろんのことながら少女の匂いではない。むしろ良い匂いがする。
トキワは自分が人生で初めて口走った歯の浮くようなセリフに顔を真っ赤にしていた。
(………………はずかしい。。黒歴史確定かも)
だがそんなトキワの心情とは反して、少女の心はトキワの言葉に救われていた。
すがり付くように、今度は少女がトキワの体を抱き締めた。そして泣きはじめた。深い悲しみと一抹の安心感が少女から伝わってくるのをトキワは感じた。
ワンワンと赤子のように泣く少女を、さらに強く抱き締めた。
なんとなくなんだが、こうしなければいけないような気がした。
(…………柔らかい)
男故に。
ーーーーーーーーーー
「ご迷惑おかけしました」
目元を赤くはらして、ペコリと頭を下げる少女。
泣いてる姿を見られたからであろうか、羞恥の色で頬を染めていた。
「気にしないでくれ。俺はたいしたことなんてしてないよ」
(おっぱいおっぱいおっぱいおっぱい)
対してトキワは心の中で最低なことを考えつつも、顔にはおくびにも出さずに返事を返した。
「教えてもらえるか? 君のことについて」
まるで女性を口説いているようなセリフだが、そういうものではない。
トキワ自身、もう既に彼女の事情についていくつか推測を立てていた。
そして考えている中でも一番悪いもの以外であった場合、力を貸そうかなぁ…………とか考えていた。
可愛い女の子の前で格好を着けたがるのは男の子の習性だからである。
少女は口ごもった。
話して楽になりたい。誰かに助けてほしい。だけど話していいのだろうか? 信用できるのだろうか? そんな思いが見え隠れしていた。
トキワと少女の間に沈黙が訪れた。
そんな時である、少女の首にかかっていたネックレスから羽の生えた女の子が、妖精が飛び出してきたのわ。
「エリス! この男は信用できるわ! 匿ってもらうべきよ! だから洗いざらい吐いちゃいなさい」
そう言いながらエリスと呼ばれた少女の頭の周りをぐるぐると回る。羽根をばたつかせるたびに粉が辺りに少し舞う。
「え、え。ファーニー? どうしたの急に!? まさか魔物避けの術が?」
どうやら妖精の名前はファーニーと言うらしかった。
トキワの目の前でエリスとファーニーは二人で話始めた。
トキワにも聞いたことがない魔物避けの術とかなんとかも聞こえてくる。おそらく相当とんでもない秘密の会話のようだが、二人が間抜けなことにそれにしては声が大きい。丸聞こえである。
「エリス、私の魔物避けの術が有効な二週間も今さっき切れてしまったわ。だから私も出てこれたのだけれどこれで三ヶ月後まで術は使えない。これではせっかくマーレーン王国の近くまで来たのに、町に着く前に魔物に殺されちゃうわ」
(なるほどねぇ。ファーニーがネックレスに入って出てこないことで魔物避けの術を行っていたのか……。初めて聞いた術だけど三ヶ月に二週間……その間魔物に全く見つからないなんてヤバイ禁術だぞ)
続けてファーニーが言う。
「そんな時に利用できるのがあの男! あの男バカそうだけど相当強いわ。それに単純っぽい。もうすでにエリスの溢れんばかりのエロスで魅了しちゃってるみたいだし、身の上話を話しちゃえばきっと死ぬまで私たちを守ってくれる盾……いえ味方になってくれるわ」
どうやらキナ臭い話になってきた。
誰がバカだ! とか盾ってもう言っちゃったよ! とかトキワは文句を言いたかったがなんとか抑えた。ただ聞こえてくるから別に意図してではないのだが今トキワがしていることは盗み聞きには違いない。もし、トキワがファーニーの発言にツッコミをいれたら、盗み聞きをしていたことがモロバレであり心証が悪くなることは必至だった。
「助けて欲しいのは確かだけど、そんな人の心を弄んで使い捨てるようなことはできません! それに守られるばかりだなんてもうまっぴらゴメン! 私は隣に立って戦ってくれる方を探しているのです!」
腹黒妖精の言葉をキッパリと断ったのは、エリスだ。
良いこと言ってくれたのだが、もはや誰に聞かれてもいいのか、と言わんばかりに声をはっていた。
「エリスのバカ! そんな大声出したら魔物寄ってきちゃうじゃん!」
ファーニーがエリスを諌める。
自らの失態を悟ったエリスは顔を真っ青にした。
だが後悔はもう遅い。すでにトキワの索敵範囲には何体か魔物がやって来ている。
トキワはすぐに戦闘体勢に移行した。そしてエリスとファーニーを守るように前に立つ。
だが、腰の剣は納剣したままだ。代わりにトキワは剣を握らない左手に右手と同じ魔法陣が描かれたグローブをしていた。
手を抜いているわけでも、敵をなめているわけでもない。これもまたトキワの戦闘体勢の内の一つだった。
出てきたのは汚ならしい容姿と格好をした魔物ゴブリンが四匹。全身がドブ緑色の化け物たちは餌と苗床を見つけたからだろうか「ギャッギャッ」とバカみたいに喜んでいる。
そしてもう一匹ゴブリンの後ろからやって来た。こちらも全身が緑色だが、ゴブリンよりは少し綺麗な色をしていて、大きさも人の腰程しかないゴブリンと違って大きい。具体的にはトキワくらい大きかった。
おそらくゴブリンエリート。後にゴブリンキングになることがほぼ約束されていてゴブリン種の中でも二番目に強い。
そして知性を感じさせる落ち着いた顔をしている。
そんなゴブリンエリートを、エリスとファーニーは青ざめた顔で見ている。
だが実際に対峙しているトキワは違った。極めて冷静な顔でもって一挙一足を注視していた。
ゴブリンエリートもまた同じ。
そんな中で全く戦況を理解していないゴブリンたちはトキワの方に殺到した。
切られたら破傷風になりそうなほどに、錆びて汚れた剣を振り回してくる。
そんなゴブリンをトキワは思いっきり蹴り飛ばした。
「ボールは友達!」
サッカーボールのように吹き飛ぶ一匹のゴブリン。その行く先にはゴブリンエリートがいた。鬱陶しそうに頭の潰れた同族の亡骸を片手で振り払う。
トキワが行ったのは、ゴブリンエリートがゴブリンを囮にして動こうとしたのを牽制するための行為だった。
「唸れ、俺の左腕!」
左腕と言いつつも、右腕でまた一匹のゴブリンを吹き飛ばす。
これもまたゴブリンエリートの方向にだ。
そうして一匹一匹潰していく。堅実に確実にがトキワの信条であった。
そして魔物はゴブリンエリート以外にはいなくなった。
同時にトキワとゴブリンエリートは動いた。
頭を潰そうとハイキックを放つゴブリンエリート。対してトキワはそれを片手で掴んだ。
ゴブリンエリートは蹴りを簡単に止められたことに驚いたが、そのままの体勢ですぐに腕に持つ短剣でトキワを貫こうと動く。
だがそれよりも先に、ゴブリンエリートの蹴り足が爆発した。
トキワの着けている爆烈グローブの能力であり、これはトキワの自作の中でも一番のお気に入りだった。
「ギャッ」
短い叫び声をあげるゴブリンエリート。
トキワはゴブリンエリートの足を押すようにして離す。それによってバランスが取れなくなったゴブリンエリートは惨めにも地面に倒れた。
「喰らえ」
討伐証明部位である顔面を潰さないように、喉を潰し、首の骨を折れるようにトキワはゴブリンエリートの首を踏みぬいた。
メキョっと思わず耳を背けたくなるような音を出して、ゴブリンエリートは動かなくなる。
その鮮やかな手腕にエリスとファーニーは口をポカンと空けて驚いていた。
そしてトキワはとんでもないどや顔をしていた。