悪夢の夜 3
魔物の集団はまるで一つの大きな塊にも見えた。
このままやって来てしまえば、カタリベの壁は簡単に崩壊し悪夢のような光景になってしまうのは想像に難くない。
「ミーシャ、頼む」
「は? あんたがやれば」
そんな危険な状況であってもマーレーン国王ことアルカディオと『七星』の一人であるミーシャの態度は普段通りだった。
いや国王とその家臣の会話としてはこれが普段通りならばおかしいかもしれないが……。
しかしトキワたちとの態度の違いからくぐってきた修羅場の違いがはっきりとわかる。
「……なんだ? もしかしてまだ怒ってるのか?」
「当たり前でしょ…………私の貯金から勝手にお金持ち出しては風俗通いばっかりして! カタリベに来るまでにいったい何枚私の金貨使ったっていうのよ、この万年発情猿!」
銀色の髪を振り乱してミーシャは顔を怒りで真っ赤に染めながら吠える。関係ないトキワでもビクりとしてしまうような剣幕なのだが、アルカディオは「ハッハッハッ」と笑っていた。
アルカディオとミーシャは楽しく? お話しているが、トキワたちは違った。
なんせすぐそこまで魔物の大群は来ているのだ。
メアリはエリスの手を引きさりげなくミーシャの後方に移動しているし、トキワは既に抜剣していつでも戦闘できる態勢になっている。
メアリはエリスを逃がす準備、トキワは自分が死なない程度に敵を倒し後は逃げてしまおうとばかりに集中していた。
アルカディオとミーシャという実力者が来たときは勝てるかもと期待を持てたが、あまりの威厳のなさにそれは覆ってしまった。
なんとか術士を狙い打ちして殺してしまいたいとトキワが考えている後ろでまだアルカディオとミーシャは話している。
「わかったわかった、悪かったよミーシャ。きちんとお金は返すから壁を頼むよ。ほらこのままじゃ俺の国の国民たちが死んじゃうからさ」
「二倍にして返すんなら考えるわ」
「ああ、もちろんさ」
魔物が迫ってくる。
「あ、国庫からじゃなくてあんたの給料からね」
「え…………。えっとそれはちょっと……」
魔物が迫ってくる。
「もう来ちゃうわよ」
「…………わかったよ」
そしてトキワとアルカディオは魔物と衝突した。
血飛沫が戦場に舞う。
トキワの剣が魔物の急所を素早く、そして的確に切り裂いていた。
ビビりのトキワだからこそ、魔物の弱点はよく調べている。姿どころか鳴き声を聞いただけで、どのような魔物でどのような攻撃方法をとってどんな攻撃に弱いのかが手に取るようにわかる。
しかし、トキワの剣の腕前は実のところ大したものではない。
トキワには剣という武器を扱う才能は人並み程度しかないのだ。その拙い剣技をフォローしているのが、風の魔法ブーストだった。
トキワはこの魔法が得意であり、足や腕そして剣自体にかけることにより動きを速めている。
一方のアルカディオもいつの間にか抜いていた剣でバッサリと豪快に魔物を斬り倒していく。
技のトキワと正反対の力による暴力、それがアルカディオの剣だった。
二人の周りの魔物は切り刻まれてその足を止めたが、それでも大部分が二人を抜けてエリスたちの方へ、カタリベの方へと殺到していく。
エリスたちに注意しようとしたトキワの目には、信じられないものがうつっていた。
あの縦に無駄に長く、横が薄いカタリベの外壁がまるで要塞のそれの如く変化していたのだ。
そして先ほどまでの場所にはエリスたちの姿はなく、視線を上に向けると壁の上にいるのを確認した。エリスとメアリはミーシャを驚いたような表情で見つめている。このことから摩訶不思議な現象はミーシャがしたことだとわかる。
カタリベの壁目掛けて走る魔物たちは皆力の限り壁にぶつかっているが壊れる気配は一向にない。
「ミーシャの得意な魔法なんだよ、アレ。すごいだろ?」
こちらに背を向けて壁に突進している魔物を汗一つかかずに斬り殺しながらアルカディオはトキワに笑顔を向けて話しかけてくる。
「ああ、そうだっ……ね!」
アルカディオと違いトキワにはそれほど余裕がない。
魔物の攻撃を避けた体勢から無理矢理体をブーストで起こし、魔物を切り裂く。
「「ん?」」
戦闘方法などが正反対の二人だが、同時に一つのことに気がついた。
魔物の新手が来ないのだ。見てみると、少し離れたところで魔物たちは犬のように伏せてこちらをジッと睨んでいる。
すると聞こえてくるのは拍手の音。
パチパチと戦場には似合わない音が響く。
「素晴らしいね、すごくラッキーなことだよ。まさか『七星』だけではなく大陸最強と名高いマーレーン国王までもがいるとはね」
乗っていた蜥蜴の魔物から降りて、単身こちらに散歩でもするように歩いてくる男。
顔にたいした特徴はない。どこにでもいそうな顔だ。唯一の特徴といってもいいのがミーシャと同じように眼鏡をかけているということぐらいだ。
「ふむ……。君、どこかで見たことある顔だね」
アルカディオが顎に手を置き、首を捻る。
すると男はまるで舞台上の演者のように大袈裟に驚いた。
「ええっ!? この僕を知らないのかい。この『魔狂い』のリッキーをさぁ」
リッキーという男からまるっきり無視されていたトキワは、はたからその様子を見ながら分析を欠かさなかった。
それは自分が万能ではないこと、弱いことを知っているが故のことでありトキワの強さの秘訣でもあった。
(数の多さという利を使わずに、自分から出てきた。役者みたいに大きな声で自分の名前を言うあたりこの男、自己顕示欲が強いと見た。余程自分に自信があるみたいだな)
「『魔狂い』のリッキー……確か自身の考案した魔法で大量の罪無き人を殺したのが原因で賞金首にもなっている犯罪者……だったよね?」
名前を聞いて思い出したとばかりに、アルカディオはスラスラとリッキーについての情報を語る。
「ハハハッ。殺したのではない、あくまで実験だよ。僕の作った魔法の威力などを調べていたのさ」
リッキーの口から出てくる戯れ言にトキワは吐き気がしていた。完全に自分本意で動いている狂人の考え方である。
「ふむ…………ではアミューズでは存在されないと言われていた魔物を支配する魔法も君が生み出したというわけかい?」
「《魔物集め》のことかい? こいつは僕が作ったものじゃあない。人の上に『進化』した時に得た副産物さ……。そこのエリスフィアと同じようにね」
トキワは『進化』や《魔物集め》といった聞いたことのない単語をこれからの戦闘とは関係ないと敢えて無視した。
だがアルカディオはリッキーの言葉を聞いて、納得したかのように大きく首を振った。
「なるほどね……君には聞きたいことがたくさんあるなぁ……」
「ああ、僕にもマーレーン国王に聞きたいことがいっぱいあるんだぁ……僕の作った魔法たちの威力をね!」
それはリッキーの突然の攻撃だった。
圧倒的な速度でアルカディオに襲いかかる。
だが、その攻撃はアルカディオに着弾さえしなかった。
「トキワくん……助けてくれたのかい?」
アルカディオの前に出たトキワが片手で振り払ったのだ。
「アイツは俺がやる。王様は他の魔物を頼む」
その姿は周りから見ればまさしく、悪を許さない英雄のそれだった。
まぁ真実は違うのだが。
(俺にとっては絶対魔物よりもコイツのがやりやすいからだけどな……。それにコイツをどうにかすれば魔物も止まるだろ)
トキワは自分の力を正確に把握している。トキワではこの魔物の大群には勝てない。だがリッキーという魔法使いには勝てるという自信があった。それにリッキーは挑発に乗りやすい性格をしている。
ここで一対一の勝負に乗らせて確実に息の根を止めることだけをトキワは考えていた。
「なんだ!? 貴様いったい何をした?」
自らの魔法がどうして消されたのかがリッキーは理解できなかった。
そしてリッキーの目が初めてトキワに向いた。その目は狂気に染まっている。
「知らないねぇ……。お前のご自慢の魔法とやらが弱いからじゃねぇの?」
『それ』はトキワが世界を移動した際に手に入れた能力の内の一つだった。
ーー《対大魔法以下完全障壁》