悪夢の夜 2
地鳴りのような音を聞いて、トキワは座っていたイスから飛び跳ねるように立ち上がった。
何かがカタリベに向かってきている。
たどり着くにはまだ時間がかかりそうだが、それでも十分足らずだ。
(ヤバいヤバいヤバい。とんでもない数だぞこれ! しかもこの足音、人じゃない!?)
トキワは腰にかけた剣に手を置いた。
冒険者のような戦闘を生業にする者にとって、武器を触るということは安心感を与えてくれ、頭を落ち着けさせられる一つの手段だった。
見るからに動揺しているトキワと違って、メアリは少し動揺しているだけだった。そしてその動揺の理由も異なる。
「トキワ様……いったいどうしたのですか?」
ポテンと首を傾げて尋ねてきたメアリにトキワは驚く。
これだけ外がうるさくて、いかにも何かが起こっていそうなのに平然としているメアリが信じられなかったからだ。
「どうしたって……外すごいうるさいだろ? 魔の森から人間じゃない……たぶん魔物が集団でカタリベに向かってきてる音聞こえるだろ?」
「いえ……何も聞こえませんが」
メアリの様子を見て、どうやら本当に聞こえていないようだと知ったトキワは首をひねる。そして一瞬の後に窓からカタリベの町を見た。
それで何かに気付いたように目を見開いた。
「まさか魔物を率いてる奴がいるのか…………。これは風魔法のサイレントだ……。音を消してやがる!」
カタリベの町は先程と何も変わらない。
これだけの爆音を聞いて、誰も騒いでいない。
普通なようでいて、今この状況にそぐわない。まさに異常だった。
メアリはトキワの言葉に対してある疑問を持った。
もし本当に今サイレントが使われているのならば、トキワも聞こえているはずがない。それなのにトキワだけはしっかりと音を聞き取っているし、自分だけは聞こえていて当たり前のような態度を取っている。
その事が気になっている。
だが、トキワの顔から事態は切迫していることはわかる。
また後で聞けばいいとメアリは考えることにした。
「ですが、トキワ様。サイレントは確かに音を消せる便利な魔法ですが、普通発動時間は短く範囲も狭いのでは…………?」
メアリの意見はもっともなものである。
風魔法のサイレントは、そこそこの魔法使いならば使える非常に便利な魔法だ。奇襲に闇討ち、暗殺など使い方は多岐に渡る。
だが便利な魔法にはそれ相応の代価が必要だ。サイレントで消費する魔力はバカみたいに多い。
トキワもそのことをよく知っている。いつか女の子に後ろから、サイレントを使って音を消して「だーれだ?」と言うことを夢見て練習に励んだ時にだ。
「……ということは普通じゃない魔法使いなんだろうな。なんせ誰にも制御不能だった魔物を指揮してるくらいなんだから……」
膨大な数の魔物をどうやってか操り、さらに魔物の集団全てに渡ってサイレントをかける。
そんなことは化け物クラスの魔力を持っていないと出来ない。
魔法を得意とするトキワですら絶対にできないと言い切れる。間違えなくトキワとは格が違う魔法使いなのだろう。
「……逃げますか?」
メアリが切り出した。
勝てそうにない戦いなら挑まない方が良い。エリスを守らなければいけないならなおのことだ。
だがこの決断はまだこの町に来て日の浅いエリスやファーニー、メアリと違ってトキワにとっては残酷なものである。
メアリはそれをわかっていながらも、聞いた。それはトキワの答えを確信しているようであり、期待しているようでもあった。
メアリの期待通り、トキワは笑顔で頷いた。
「戦うさ。死ぬほど怖いけど、ここの奴等には世話になった。どいつもこいつも寝てるだろうから、一人での戦いになっちまうだろうけどな。それに……俺は負けるなんてさらさら思っちゃいない」
死地にいるのに、トキワの顔は晴れやかだった。
メアリはトキワが眩しく見える。
「……………………まぁ……死にそうになったら四人だけで逃げるけどな。カタリベの連中も俺のおかげで少しだけ長生き出来るんだし、うれしいだろう」
トキワの顔は晴れやかだが、よく見れば額からは汗がダクダクと出ているし足はガクガク震えている。
メアリはトキワが全然眩しく見えなくなる。むしろ陰っている。
「お話は聞かせていただきましたわ!」
「むにゃむにゃ……」
そんな時にバーンと扉を思いきり開けてリビングに入ってきたのは、トキワに買ってもらった戦闘用の防具に身を包んだエリスとファーニーだった。
「エリスはダメだぞ」
「お嬢様はダメです」
だが、何かを言う前にトキワとメアリから拒絶される。
二人ともこそこそとエリスが盗み聞きしていることには当の昔に気が付いている。
この話を聞いてエリスが何を言い出すかなんて、わかりきったことだった。
護衛対象を死地に向かわせる護衛が果たしているだろうか。いや普通はいない。
「ま、待ってください。今この状況ならば私は必ず役に立ちますわ」
(足手まとい以外の何者にもならないような気がする……)
エリスの言葉にトキワはそう感じた。大好きなエリスを傷つけるようなことはしたくないため決して口には出さないが。
「お忘れですの? 魔物が相手ならば私には《魔物避け》があるのですよ」
「だけど、あれって三ヶ月に二週間しか使えないんだろ? 前回使ってからまだ一ヶ月しか経ってないぞ。それにあれ個人用だし……」
胸を張って主張するエリスににべもなくトキワは反論する。
(おっぱいが鎧で見えない……)
非常事態でもぶれないトキワだった。
「フフン……いったい誰が私を魔法使いとして成長させてくれたのでしょうねぇ、トキワ様」
ニヤリとエリスが不適に笑う。元々の冷たい顔立ちもあって、いかにも意地悪そうに見える。
「以前までは《魔物避け》を発動するには私一人では魔力が足りずファーニーに頼っていましたの。ですが今の私はレベルも、魔力の総量も魔力の効率的運用の手腕も上がりました。今の私とファーニーならばこのカタリベの魔の森側に十分ほど《魔物避け》を使うことが出来ますわ。………………その後は三ヶ月ほど使えませんけど」
エリスの続けて言った言葉にメアリは顔を曇らせた。例え十分あったとしてもそれで相手を全滅させられるわけでもないと考えたからである。もし仮に魔物を倒せても、魔物を率いているらしい魔法使いを倒さなければ意味がな。それに肝心の魔法使いを倒す方が余程難しい。
魔法使いだけには例え時間がいくらあろうともメアリには勝てる気がしなかった。
しかしトキワは違った。まるで肉食獣のような獰猛な笑みを浮かべる。
トキワの心配の種は魔物の存在だった。
何匹いるかわからない魔物なんてビビりのトキワにとって恐怖以外の何者でもない。それに比べたら、魔法使いの一人程度屁でもない。
それにトキワは魔法使い相手ならば負ける気がしなかった。
「行くか!」
「なっ!? よろしいのですか、トキワ様!?」
「行きますわ!」
「……むにゃっ」
驚きの声をあげつつも、既に戦闘用のメイド服に着替えたメアリ。
いつもよりもだいぶスカート丈が短く、扇情的だ。
トキワはチラチラと足を見ながらメアリに対して頷く。
「エリスには《魔物避け》を使ったらすぐにカタリベの中に帰ってもらうつもりだしメアリもそれについていってもらう。だから大丈夫さ」
「……それはわかりましたが、トキワ様は聞いているだけでも規格外の化け物に一人で挑むつもりですか?」
「ああ、勝てる…………………………と思う」
どこまでも頼りない男だった。
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カタリベの町には一応外壁らしきものがある。
比較的に魔の森の逆側は盗賊対策や難民対策に丈夫な作りになっているが、魔の森側はそもそも魔物がテリトリーを出て襲ってくるとかどこかの国の軍隊がやって来るとか考えられていないため貧相だ。
縦には長いが、壁自体はものすごく薄い。
そしてその壁の外にトキワたちは居た。
相変わらずサイレントが効いているらしく、一応はいる見張りの連中は各々うとうとと船を漕いでいた。
もう既に敵はかなりの距離近付いている。
目で見える位置にいる。
「エリス、やれるか?」
「はい。行きますわよ、ファーニー」
「……ふぁい」
寝ぼけながらもファーニーはエリスのネックレスの中に入っていく。
「《魔物避け》」
不可視の何かがエリスから放たれた。それの半分はカタリベの外壁にまとわりつく。そしてもう半分は魔物の大群に飛ばされた。
ぶつかって四方に分散する。多くの魔物に当り、その歩みは止まるかに思えた。
だが非情にもエリスの《魔物避け》に当たって、魔の森に引き返していったのは集団の二割にも満たない数だった。
トキワたちにとってこれは予想外のことだった。
あの《魔物避け》が通じないことは今までなかったからである。
トキワは全てを諦めたように空を見上げた。
空にはたくさんの星が光輝いている。
(逃げようかな……)
エリスとメアリを担ごうと思ったその時だった。
空から何かが降ってきたのは。
それはまるで星が落ちてくるようだった。
かなりの速度が出ている。このまま落ちてしまえば木っ端微塵になることは誰にでもわかる。
だがそんなグロテスクなことにはならず、あくまでフワリと地面に二人の人が着陸した。
(風魔法のクロックジャンプか……)
一人は女性である。
アミューズでは高価な眼鏡をしていて、銀髪碧眼の知的美人である。
もう一人はどこかで見たことがある人物だった。いかにも怪しいローブを被った男。
つい先程トキワが色町で出会った男だった。
「あ、お前は……!」
「また会ったね、『新星』君」
ローブの男はトキワを二つ名の方で呼んだ。
別に問題があるというわけではない。
ただ、トキワがうれしくて少し照れてしまうだけのことだ。
いや~俺も有名になったもんだな~とばかりに頭をかくトキワ。
そんなトキワを冷めた目で見つめたメアリは、エリスの前に庇うように立つ。
「貴方達はいったい誰ですか?」
伏兵か、と疑うメアリの言葉に対してローブの男はその顔を隠していたフードを取ることで答えた。
「貴方様はまさか……!?」
エリスの驚く声が響く。
その男は非常に整った顔立ちをしていた。
こちらが恐ろしく感じる程にだ。
だが、思わず息を飲んでしまうのは容姿にではない。
それは支配者の風格。カリスマの体現だった。
「待たせたね、エリス嬢。君達を迎えに来たのさ、この俺マーレーン国王ことアルカディオと『七星』の一人ミーシャがね」
だが……とアルカディオは言葉を続けた。
「どうやら、俺の国に招かれざる客が来たようだ。先にそれを片付けてしまおう」
あ、明日には戦うから…………。