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悪夢の夜 1

買い物を済ませ、家に帰ったトキワを出迎えてくれたのはメアリだった。相変わらず無表情だ。だが一緒に暮らしていく中でトキワは時々少しメアリの表情が変化することに気が付いていた。


「お帰りなさいませ、トキワ様。随分と時間が…………」


出迎えの言葉を途中で区切るメアリ。

トキワが「どうしたんだ?」と聞こう思い、メアリの顔を見る。

メアリは鼻を少しひくつかせていた。匂いが気になるようだ。


トキワの口から「ぎっ!?」という言葉にならない、まるで蛙が車に引かれたときのような声がでた。


(色町に行ったときに付いた、香水の匂いか!?)


トキワはメアリに勘違いされないように、あったことを説明しようとする。

それに先んじてメアリが口を開いた。


「お楽しみになっていたようですね。お嬢様はトキワ様のお帰りが遅いのを心配していらっしゃったというのに……」


それはいつもとは違う刺のある言葉だった。

長くエリスと共にいたメアリは、エリスがトキワに対して憎からず思っていることを知っていた。もちろんのこと、トキワがエリスを好きであることもだ。

そしてメアリ自身も、平民の娘と浮気するアルサケス王国第二王子よりもトキワの方がエリスを任せるに相応しいと考えていた。

それは短い期間であったがトキワと暮らしていく中で、トキワならばエリスのことを裏切らず、大切にしてくれると確信したからだった。

加えて以前エリスから聞いた話によればトキワは和の国と呼ばれる島国の大貴族の次男だというではないか。メアリの腹はその話を聞いた時に決まっていた。

エリスの望み通りに、エリスとトキワが結婚できるように努めようと。


それなのに……メアリは裏切られたような気分だった。

貴族ならば側室の二人や三人囲うのは当たり前だ。場合によっては跡継ぎが生まれない可能性もあるのだから。

だがしかし、どうしてエリスに命の危機が迫っている今この時なのだと。

エリスの命を軽視しているのではないかと。メアリは考えていた。



トキワが「違っ」と言い訳しようと口を開いたときにはもう遅かった。

メアリはひったくるようにトキワが持っている買い物カバンを取って家の奥へと引っ込んでいった。


後に残されたトキワはまるでこの世が終わったような顔をしていた。

メアリに勘違いされてしまったこともそうなのだが、それよりも心配なのは……


(エリスにチクられたら…………どうしよう)


ということだった。


いつの時代でも、どの世界でも人の口に戸は立てられない。特に女性間ではなおのことだ。

それが嘘の情報だとしても、訂正する暇もなく瞬く間に周囲に情報が拡散され嘘が真実を塗り潰してしまう。


トキワは玄関で頭を抱えていた。

ゴルドにも会うわ、メアリには勘違いされるわ色町なんかに行かなければよかったと。


(やっぱり今日は良くない日みたいだな……)







夕食は気まずい空気の中で行われた。

トキワは挙動不審であるし、メアリはエリスの後ろで絶対零度の視線でもってトキワを見ているからだ。ファーニーは何も気にせずバクバクと食べていたが、エリスはいつもと空気が違うことに敏感に気付いていた。

だが触らぬ神に祟りなしとばかりに静観の姿勢を貫いていた。


そしてそのままの空気のまま真夜中になった。


トキワは自室にまだ戻っておらず、リビングの窓から魔の森の方角を睨むように見ていた。

服は家着ではなく、いつでも出ていけるようにと冒険者として動くときの戦闘服だ。


何かある、そうトキワの危険察知スキルが教えてくれたのはついさっきのことだった。

危険察知スキルはアミューズでは死にスキルと呼ばれるほどに使い勝手が悪い。

まず会得することが普通の人間では難しいし、スキルレベルを上げるのはさらに難しい。そのくせ、スキルを持っていても余程の危険じゃないと何も伝えてくれないのだ。

事実、トキワは今日初めて危険察知スキルが発動しているのを確認したのだ。

だが、危険察知スキルが警鐘を鳴らすということはそれぐらいとんでもない何かが起こるということだ。


(せめていつ起こるかぐらい知らせてくれよ。眠れないだろ)


危険察知スキルのあまりの融通のきかなさをトキワは一人考えていた。


「トキワ様はまだ寝ていらっしゃらなかったのですか?」


いつ来るかもわからない何かに悶々としながら警戒していると、背後から声をかけられた。

振り返ると、そこにはいつものメイド服ではなく寝巻きを着たメアリが立っていた。寝巻きだからこそ出る女の色気と、寝巻きの上から見えるメアリの肉体の淫靡さが合わさってトキワはおかしくなりそうになる。


「ああ、眠れないんだ」


これ以上メアリを見ないでおこうとトキワは視線を再び窓の向こうの魔の森に移す。


「何かあるかもしれないから……ですか?」


トキワの格好と視線の先を見て、メアリはそう判断した。


「いつかはわからないけどな……」


「そうですか……。では私もトキワ様と共に待ちましょう」


そう言ってメアリはテーブルのイスを引いてトキワの隣に座った。

そのことにトキワは目を丸くして口をバカみたいにポカンと大きく開けて驚く。

メアリはずっとトキワのことをエリスと同じ目上の者として扱ってきていた。だから同じ席につくことなど今までなかったのだ。


「今は業務時間外ですので……」


メアリの発言にトキワはクスリと笑ってしまう。背後から知らぬ間にのし掛かっていた不安という名の重石が少し軽くなったように感じる。


家ではなく、個人に仕えているメアリには休みなど一分一秒とて存在しない。

そんなことトキワでもわかっているのだからメアリは言わずもがなだ。

つまり先程のメアリの発言は彼女なりの冗談なのだ。


「……そうか、そうだよな。今はもうどんな店も閉店の時間だもんな」


「ええ、そうです」


静かな夜だ。

カタリベの町の住人たちは皆寝静まり音という音は聞こえない。

トキワとメアリの互いの呼吸音も聞こえる。


「…………一人で行くつもりだったのですか?」


責めるような声音でメアリが聞いてきた。

トキワはそれに首を縦に振る。


「当たり前だろ。何が起きたとしても、俺の仕事はエリスの護衛だってことは変わらない。……俺はエリスを守る」


星の光が照らすだけの暗い室内なのに、メアリにはトキワが輝いて見えた。

トキワは普段頼りないところもあるが、いざというとき揺るぎない信念でもって立ち向かえる人間だということをメアリは理解した。


「……私の仕事もお嬢様の護衛です。トキワ様の言葉を借りれば私も出た方が良いということになりますね」


トキワは困ったように笑う。


「意地悪言わないでくれよ。わかってるんだろ?」


「ええ。もし陽動であった場合、お嬢様の命を陰から狙う本命が来るはずですからね。そういう輩を退治するのが私の役……というわけでしょうか?」


「ああ」


その言葉を最後にまた二人は言葉を交わさなくなった。


「……トキワ様は本当は女性を買っていないのでしょう?」


突然ぶちこんできたメアリの言葉にトキワは吹き出してしまう。

そしてメアリはきっとその話をするためにここに来たのだとトキワは理解した。


「あぁ……俺童貞だし」


誤解を解けるとばかりについ余計なことまで話してしまう。


(ヤバい……つい童貞とか言っちゃたよ。……引かれる)


だが、メアリには気にした様子はなかった。

そのことにホッ一息つくトキワ。


「なんとなく、わかっていました。香水の匂いはしても、精臭はしていなかったので」


「わかるんだ……」


「旦那様と奥様の匂いを知っていましたので……」



その時だった。

静寂を切り裂いて、夜の闇に大きな音が轟いた。

大勢の足音だ。ドスンドスンという音から人ではないことがわかる。

これは魔物の足音。


悪夢の夜が始まった。






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