不思議な出会いと悪夢の夜の始まり
「本当に、本当に会いたかっただぜぇ……お前によぉ。トキワ……」
ニタニタと笑うゴルド。
トキワを目の前にしてその笑みは深く深くなっていく。
昔から変わらないゴルドの笑い方だったのだが、トキワはそれをなんだか不気味に感じていた。
(何でだろう……嫌いだからかな?)
「俺はお前に会いたくもなかったんだけどな。つーかあんだけ恥晒しといてよくまだこの町にいられるよな? 俺なら恥ずかしくて出ていっちゃうけど」
トキワも心底嫌う相手を目の前にしているため、言葉に棘がある。
というよりも半ば挑発のつもりだった。
人間の性根とはそう簡単に変わらないものであるのは確かだが、それでも少しはゴルドも変わってくれるだろうもトキワは思っていた。少なくともマシになると。
だが、何も変わらずさらには散々遊んだあげく金を払わず、美しい女性を傷つけた。
これはトキワにとって許せないことだった。今すぐにでもギタギタにしてやりたかったのだが、自分から仕掛けたとあれば世間体が悪い。
だから向こうから手を出させる。
……そのつもりだったのだが、ゴルドは挑発されてもまだニタニタ笑いを崩さない。
そのことにトキワは違和感を感じた。
(前までのゴルドだったらこれで顔真っ赤にして殴りかかってきたんだけどな……)
「トキワ……俺はよぉ。てめぇにヤられてからずっっっとてめぇに復讐することだけを考えてたのよ。そのために必死で体を鍛え、技術を磨き、レベルを上げた。ああ辛かった……」
「復讐? なにふざけたこと言ってんだよ、元々お前が悪いんじゃねぇか。そんなに強くなったと思うんならそれを証明してみせろよ」
「トキワァ、俺なぁ……今日夜の依頼を任されたんだ。それを達成すればギルドマスターがランクをBにしてくれるってよぉ」
トキワとゴルドは全く話が噛み合ってなかった。
そのことに気付いているトキワは恐怖を感じていた。ゴルドの強さにではない。ゴルドの狂気にだ。
改めてゴルドを見てみると、頬の一筋の傷痕以外にも細かい傷痕が見える。余程の修羅場をくぐってきたのだろう。
(……こいつ目の焦点が合ってない)
なぜ、今まで気付かなかったのだろうか。トキワは自分を責めた。
ゴルドの目は明らかにおかしい。目は濁り、こちらをうつしてすらいない。
トキワの名前を口にするものの、トキワを見ていない。
さっきまでは普通だったのだ。だが、トキワと出会ってからこの反応だ。
(相当恨まれてるみたいだな……)
「俺はお前と同じBランクに成った後で貴様に戦いを挑む。今度こそ絶対に殺してやる。お前は俺の全てを、強さを奪ったんだ。だから俺はお前の全てを奪う」
逆恨みも甚だしい。
トキワはそう怒鳴ってやりたかったが、言っても無駄だとばかりにため息をついた。
それよりもトキワには気になることがあった。
ゴルドは狂気に支配されている。おかしくなるのはトキワがいる時だけだろうが、普段でも狂気に支配された者特有の目の奥の濁りは消えない。
誰も気付かなかったんだろうか?
(いや、冒険者の皆は鈍感で脳筋だからな……どうせゴルドと目を合わして話したりしないだろうし気付いてないだろう。ゴルドを怖がってる職員の女の子たちも……。だけどギルドマスターはもしかして気付いてるんじゃ……)
先程ゴルドは、夜の依頼を任されたと言った。その許可を出すのはギルドマスターに他ならない。それも直接会ってだ。
ギルドマスターがゴルドの様子がおかしいことに気づかないはずがない。
ということは……ギルドマスターはゴルドが狂っていることを知りながらランクアップを餌にして夜の依頼を受けさせたことになる。
カタリベのギルドマスターは決して良い人間だとは言い難い、だが道に反した行いをするようなバカではない。だからこそトキワにはギルドマスターの行動の真意がわからなかった。
(あぁ、わかんね……。まぁいいや)
だが、トキワの思考の切り換えは早かった。
トキワは自分がそれほど頭が良くないことを重々承知している。だからあまり物事を深く考えないようにしていた。
ただ、自分や自分の大切な人に害なす者が現れたときにその都度対処すればいいと考えているのだ。
「俺はお前を許さねぇ……絶対にだ。お前を殺したらまずは最近お前の傍にいつもいると聞く、女を犯して殺してやる」
「あ? んだとてめぇ……」
エリスのことを話題に出されたトキワは本気で怒りそうになった。
そんな時だ。トキワとゴルドの真ん中にローブを被った男が入ってきたのは。
「まぁまぁまぁ。喧嘩なんてしなさんな。せっかくの色町が台無しだぜ……」
ローブの男から香る香水の匂いのキツさが鼻につく。
(こいつ……少なくとも複数は女買ったな……)
トキワにはわかった。
一人の女と寝たくらいではこの匂いはつかないと。
それと同時にトキワの心の中にはローブの男に対する尊敬の気持ちが宿っていた。
一晩に大人数を相手取るなんて並みの男ではできないことだからだ。
「チッ。邪魔が入ったみてぇだし、俺はここらで失礼させてもらうぜ。あばよトキワ」
ローブの男が現れたことで、またゴルドの狂気も晴れていた。
それに併せて周囲も慌ただしい。どうやら先程ゴルドにやられた裏組織の奴等の仲間が来たようだ。
それを確認したゴルドはトキワに捨て台詞を残して去っていった。
「あ、お金払ってよー!」
その姿を見て叫ぶ女。
思えば彼女が一番の被害者かもしれない。ゴルドのような男に体を売って、お金も払ってもらえず、さらには殴られたのだ。
気の毒になって、トキワは代わりにお金を払ってやろうかなぁと思った。
だがローブの男が先んじるように女に話し掛けた。
「ほらお嬢さん、俺があの男の代わりにお金を払おう」
そう言って、お金が入った袋を手渡す。
かなりの量が入っていることが、トキワでもわかった。
女は袋の中身を見て目を白黒させていた。
「あの……これちょっと多いよ?」
「ああ、それは心配いらない。この後俺が君と過ごす分のお金も入っているからね」
ローブの男はそう言うと女をお姫様抱っこした。
そしてトキワの横を通るときにボソリと呟いた。
「君もすぐに逃げた方がいい、危ない奴等が来るからね。……あとそれとさっきの男のことなら心配いらないよ。彼は多分今日までの命だろうからさ」
そう言うとローブの男の姿は消えていた。
「あいつ……何者だ?」
トキワはローブの男もその発言も気になったが、裏組織の連中がすぐそこまでやって来るのを見て自分も逃げることにした。
面倒ごとに巻き込まれるのはゴメンだからだ。
トキワの心の中で不安がどんどんと大きくなっていく。何かとてつもなく嫌な予感がする。
得体の知れない危機が近付いているような気がしていた。
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ゴルドは魔の森を歩いていた。
ギルドマスター直々に呼び出され、受けた依頼は月草を採ってくるというものだった。そしてその成功報酬とは別に、依頼をこなせば冒険者ランクをBランクまで上げてくれると約束してくれたのだ。
まさに破格の条件であったためゴルドは深く考えずに、これを受諾した。
あの日トキワにやられて以来、ゴルドはトキワに勝つべく努力を惜しむことはなかった。そのかいあってかゴルドはさらなる強さを手に入れた。それは全てトキワを殺すためである。
今のゴルドにはトキワを殺せる自信があったが、決して事を起こさなかった。
だがようやくできる。そうゴルドは考えていた。
トキワと同じ立場に、同じランクになってから復讐を開始する。
歪んだ思考の中で、それがゴルドの決めたことであった。
それほどまでにゴルドのトキワに対する恨みは強かった。
元々ゴルドはある国のスラムでたった一人で育った。そこでは一日生きていくのも精一杯であった。。食事をできない日もざらにあり、生きるためには他人の命を奪わなければ生きてはいけない。
そんな生きる地獄でゴルドが生きていくために信じなければいけないものは神ではなく己の力だった。
それをあのような形で……。
ゴルドは思い出すだけで怒りに震えてしまう。
そもそもは自分が原因なのだが、そのようなことをゴルドは思いもしない。
魔の森を進んで行くにつれて、気がつくことがあった。森が静かなのだ。
そのことにゴルドは眉をしかめた。
索敵のスキルを持っていないゴルドにとって敵の位置を知るには、音をよく聞くということが必要だった。普通よりもかなり発達した聴覚が周囲の音を探っているのだが、近くにまるで生命体がいないかのように音が聞こえない。
普通なら、魔物のイビキや寝返りした音などが聞こえてくる。
夜の依頼ではそういう寝ている魔物をできるだけ起こさないように行動することが大切なのだ。だが、今宵はその必要はなさそうなのである。
ラッキーだとゴルドは思うことにした。
今日は偶然にも魔物はいなかったのだと。
そして月草の光る場所に走っていく。
月草さえ取れば、という思いがゴルドを急がせていた。
「なんだ……偵察に来たのは一人だけなのか」
そこに居たのは一人の男だった。目付きこそ多少鋭いがそれ以外は平均といっても差し支えない。
特長はアミューズでは大変高価なメガネをかけていることぐらいだろう。
「なんだ……てめぇは。何で音が聞こえねぇ……」
ゴルドも警戒した声音で聞いた。
さっきまでは確かに何の音も聞こえていなかったのだ。
そのはずなのに目の前には人がいた。
「ああ……音ねぇ。そんなに聞きたいのなら聞いてみるか? サイレント解除」
男がそう言った瞬間、ゴルドの耳には魔物の歯軋りしている音や唸り声などが突然聞こえてきた。それも……近くからだ。
いつの間にか、いや始めから居たのだろう。
ゴルドの周囲には大量の魔物がいた。中には今にでも飛びかかろうとしているものもいる。
「手を出すなよお前たち。試してみたい魔法が山のようにあるんだ」
男のその声で魔物たちは大人しくなった。
その驚愕の光景にゴルドは目を丸くしている。
「さぁ、精々すぐにぶっ壊れてくれるなよ。モルモット……」
あれからどれくらいの時が経っただろうか。
一時間くらいだろうか、いやまだほんの五分足らずだったような気もする。
手足を切断され、戦う意志も術も失ったゴルドは物思いにふけることしか出来なくなっていた。
「チッもう壊れたか。じゃあ……もういいさよならだ」
死の直前にゴルドは気付いた。
どうして、自分は今回の依頼を任されたかということに関してだ。
初めからギルドマスターはこの依頼でゴルドが生きて帰ってくることなど考えていなかったのだ。
きっとギルドマスターやそれよりも上の連中はコイツの存在に気が付いていてその戦力を見ようと、一番死んでもいいゴルドを当て馬にしたのだと。
この戦いとも言えぬ一方的なものも、何らかの方法で見ているのだろうということを。
聞いたことがあった。罪人や必要のない人間を使って魔物や人の危険度をはかることがあると。
ゴルドの口から言葉がこぼれた。この世全てを怨むような憎しみに満ちた声だった。
「ちくじょう……」
そしてゴルドは呆気なく死んだ。
ゴルドの凄惨な死体に腰掛けた男は笑っていた。
その顔はゴルドなんかよりも、何倍も狂気に満ちていた。
男はカタリベの方を向いて、その顔にさらに深い笑みを刻んだ。
「さぁ、楽しい研究の始まりだ」