メアリが来た
朝早くに目が覚めたトキワは、井戸からくんで貯めておいた水で顔を洗おうと桶が置いてあるリビングに向かった。
生活用水くらいならば生活魔法で出すことも出来るのだが、生憎トキワには生活魔法の適正がなく使えない。エリスもである。お間抜けなくせに意外と万能な妖精ファーニーにしか使えないのだ。
そのファーニーも今頃エリスの部屋で寝ているころだ。水くらいでわざわざ起こすほど、トキワは面倒くさがりではない。
ドアを開ける。
「なっ!?」
いつものリビングには、いつも見られない光景が広がっていた。
無表情であるが故にどこか人形のような美しい少女がそこにいた。サラサラの金髪を肩までのショートカットに切り揃えている。
実力者であるトキワに悟らせることなく家の中に侵入したこと自体が驚くべきことなのだが、トキワはそのようなことに頭が回らない。
それは少女の格好に問題があった。
世間一般で巨乳と言われるエリスよりもさらに大きい胸、そしてそれに負けない肉感的なヒップ、そして言葉には出せない色々なところが丸見えだった。
そうすっぽんぽんなのである。
トキワは頭に血がのぼってくるのを感じた。
余りにも魅力的な肉体に魅せられてしまったのである。
チラチラと顔、胸、下、胸、胸、胸とトキワは忙しなく視線を這わせる。
少女はトキワに全てを見られているというのに、全く動じずにいる。そして今まで着ていたのであろう濡れた衣服を魔法で乾かしている。
充分に乾いてようやく、少女は自分で持ってきたのであろうリュックサックからメイド服を取り出した。
トキワに見せつけるように、いや少女自身は見られても何も感じていないのだろうが、服を着ていく。
その姿を見てトキワはゴクリと唾を飲んだ。
普通胸の大きな女性はその胸の大きさ故に服を着たら太って見られがちなのだが、少女はそんなことがなかった。
トキワはエリスほど好みの顔の女性は見たことがなかったが、この少女ほど女性的な魅力に溢れた肢体をしている女性を見たことがなかった。
着替え終わった後を見計らって、トキワは少女に声をかけた。
「……お前は誰だ?」
鼻から血は垂れているため格好はつかないが、トキワはいつの間にか家に入り込んでいた少女に対して警戒したように睨み付ける。
「メアリと申します。これからしばらくの間ですがよろしくお願いいたします」
「…………はぁ!?」
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「そういえばエリスが言ってたような気がするなぁ……。後からメイド兼護衛役の女の子が来るって」
「気がするも何も名前までちゃんと言っていたのですが……まさかトキワ様忘れていたのですか?」
「…………やだなぁ。うん覚えてたよハハハ」
朝の食卓に渇いたトキワの笑い声が響く。
そのトキワをエリスは横目でジトっと見ていた。
その後ろにはメアリが立っている。いくら仲が良いとはいえ従者たるもの、エリスと同じ席につくわけにはいかないからだ。
ファーニーはまだ寝ている。トキワがわざわざ作ってあげたミニチュアベッドでヨダレを垂らしながらである。
既にトキワとメアリは自己紹介を済ませた。
トキワにしてもメアリにしてもエリスを守ることが目的なので、信頼できる協力者が増えることに特に抵抗感はなかった。
「お二人は随分と仲がよろしいのですね」
メアリの何気ないその言葉に過剰に反応したのがエリスだ。
いつも通りの縦ロールを揺らしながら「そ、そんなことはありえませんわ」と顔を赤くして言う。
そのエリスの否定に対して傷ついたトキワが落ち込む。
すると慌ててエリスがトキワに「いえ、そのそういう意味ではなくてですね……」と言い訳をする。
その様子がおかしくてメアリは口元を少し歪ませる。傍目から見ても気付かれない程度なのだが……。
「ところでメアリさんはどうしてエリスが俺の家に居るってわかったんだ?」
「さんはいりません、トキワ様。私は匂いをたどってここにたどり着いたのです」
時が止まったかのように動かないトキワ。
信じられないようなことを聞いたせいで活動が停止してしまったのだ。
数瞬後に再起動したトキワは言った。
「あ、あ~冗談か。いや、無表情だからわかりづらくって」
「冗談ではありません。匂い嗅いで来ました」
間髪入れずに返される無機質な返事。
「トキワ様、メアリの言うことは本当なのです」
フリーズしてしまったトキワにエリスが横から諸々のことを教えてくれた。
何でもメアリは幼いころからエリスと育ってきたため、エリスの匂いが少しでも残っていると雨が降っていようともかぎ分けられる能力が備わっているらしい。
この世界の獣人よりもよっぽど鼻が良い。
人類の可能性を垣間見たトキワだった。
朝食が終わり、食器もメアリが片付けた。
エリスにやらせるわけにもいかず、トキワは今まで一人でありとあらゆる家事をこなしてきた。そのため家事がパーフェクトなメイドであるメアリはトキワには大層ありがたかった。
食後のお茶を飲みながらトキワはぼんやりとそんなことを考えていた。
隣で真剣な顔を突き合わせているエリスとメアリなど目に入っていなかった。もちろん耳にも。
「改めて、よく来てくれたわメアリ。本当にありがとう。……アルサケス王国の情勢と私がいなくなってからのこと教えてもらえるかしら? それとお父様の考えも……」
「私自身、お嬢様があんな目にあった後からすぐに出てきたので余り詳しいことはわかりません。それでもよろしいですか?」
エリスは力強く頷いた。
「まず、貴族派からユグドレミア家がパーティーのお誘いを熱心に受けました」
エリスの大きく目が見開かれる。
貴族派と言えば、ユグドレミア家などが名を連ねる王統派の天敵である。公式の場以外ではろくに挨拶さえしない仲だ。
そんな貴族派がわざわざユグドレミア家に招待状を渡すということはすなわちーー
「ユグドレミア家を貴族派にいれたい……というわけね」
メアリが頷く。
エリスが国外追放をくらった経緯は既にアルサケス王国の全貴族が知るところになっているはずだ。
当然その理不尽な仕打ちにユグドレミア家やその一派は怒りを隠せない。
そこを貴族派は上手くついてきた。
ユグドレミア家とその一派を貴族派に入れることで貴族派の権威はさらに増し、憎々しい王統派の上に立つことができる。
「貴族派のトップはアルサケス王国第一王子様です」
「まさか……。いえあの兄弟は仲悪かったものね」
どうやら貴族派の盟主は第一王子らしい。第一王子といえば、側室の子供で生まれこそ早いけれど、王位には就けないだろうという噂だった人物だ。
そして王統派の盟主はあの忌々しい第二王子である。
兄弟仲が悪いのも貴族の間では評判だったし、このように敵対関係に立っても不思議ではない。
「このまま行けばユグドレミア家がどちらに付こうとも、内乱はほぼ確実に起こるということね。…………お父様は今回の件どうお考えになっていると?」
エリスはカウレスの意見を尋ねた。
今回の件とはすなわち手間暇かけてようやくエリスのアリバイを全て処分したくせに、考えてもいなかった下らない冤罪をかけられたことである。
どうにも相手の動きがちぐはぐ過ぎてエリスどうしても気になっていたのだ。
「わからないと仰っておりました。ただ、魔の森に放逐したということは間違えなくお嬢様の命を狙っていただろう……と」
エリスは深いため息をついた。
「あの智略に富んだお父様もわからないとは……。ですが相手が私の命を狙っているのは確かだということだけでもわかってよかったですわ」
「よかった……ですか?」
「ええ。命を狙われているのなら、強くなればいいじゃない。相手を倒せるくらいに……ね?」
「…………たくましくなられたようですね」
エリスは笑う。
その笑みはいつものエリスの微笑みとは違い、どこか獲物を見つけた獣のようなものだった。