一章ニ
芳子が目を覚ますとそこは不思議な空間であった。いろんな色が混ざり合ってキラキラと輝いている。
空間その物が生き物であるかのように動いていて芳子を包み込む。そして、あのソウエンと名乗った男性が近くにいた。こちらの姿に気づくと目を見開いて腕を伸ばしてきた。
「…朱凰様!」
芳子は夢を見ているような感覚に囚われていたが、蒼鴛の声を聞いて我に返った。そうだ、これは夢ではなさそうだ。自分はあの空間の穴に落ちてしまった事を思い出した。
「あの、私はシュオウではないから。藤野芳子というれっきとした名前があるの。それで呼んで!」
大声でいうと聞こえていたらしく、蒼鴛はさらにはっとしたような表情になった。
「ヨシコ様ですか。わかりました、今度からそう呼ばせていただきます」
頷くと芳子の手を掴んだ。思ったよりも大きく、硬い剣だこのある手は乾いていたが温かかった。
蒼鴛は先ほどよりも優しげに笑っており、その笑顔に顔が熱くなるのを芳子は止める事ができなかった。
頬に生温い風を感じて芳子は目を覚ました。いつの間にか、意識を失っていたらしい。起き上がってみると、隣にはまだ、瞳を閉じたままの男性が横たわっていた。蒼鴛だと気付いた芳子は立ち上がり、彼に近寄った。
周りは明るく、燦々と太陽が輝いている。見渡してみると何処までも広い草原が広がっていた。
風が吹いて芳子の体をなぶる。土は赤茶けた色をしていた。
芳子は蒼鴛の胸元に耳を当ててみた。ドクンと心臓の音が聞こえて息も浅いがしていたので一安心する。
彼が目を覚ますまで待っていようかと思うが昼食を食べて以降、食事を摂っていなかった事に気付いた。お腹がくうと鳴って主張を始める。その音が聞こえてしまっていないかと蒼鴛の方を見たが。
瞳は閉じられたままで聞こえていなかったらしい。それに安堵しながら、空を眺めてみる。青く透き通った空は元の世界と同じらしかった。
そうやってする内にどれくらいの時間が経ったのか。太陽の位置がちょうど、南中に入り始めた頃になって蒼鴛が目を覚ました。ゆっくりと瞼を開けた彼は側に芳子がいる事に気づいて慌てて、謝ってきた。
「…も、申し訳ありません。ヨシコ様、大丈夫ですか?」
「…大丈夫です。ただ、その。お腹が空いてしまって」
恥ずかしいながらも言うと蒼鴛はああと頷いて腰帯に付けていた袋を探った。中から、色鮮やかな飴玉らしき物が出てきた。
赤や青の綺麗な物で蒼鴛は芳子に食べるように言ってきた。
「もしよろしければ、お召し上がりください。旅の携帯食にもなる砂糖菓子です。百合飴と呼ばれるものです」
「おいしそう。じゃあ、いただきますね」
受け取って口に運んだ。花の香りと控えめな甘さが口内に広がる。
舌の上で転がしながら食べていると空腹を満たしてくれるような感じがした。蒼鴛も食べているらしくしばし、無言で二人は過ごした。
飴玉を二、三個食べて水を飲むと空腹を紛らわす事ができたので、二人は王のおられるという都を目指して歩き出した。芳子は会社帰りであったので白のブラウスとベージュのジャケットとスカートという出で立ちだ。靴は薄茶色の革製のパンプスであったので赤茶色の土が中に入り、歩きにくいことこの上ない。
それでも、我慢して蒼鴛の後を付いて歩き続けた。
「ヨシコ様。後少しで町に着きますから。そこで、服と靴を買いましょう。今の格好だと目立ちます」
「…わかりました。なるべくだったら、動きやすい服装と靴だと助かります」
「…そうですね。確かにその靴では長距離は歩きにくいですしね」
蒼鴛は苦笑いしながら、前を向いて都はこちらの方角だと指差しながら歩くのを再開した。
芳子の旅はこうして、始まった。