第48話 『キャルメロ』の場合Ⅴ
※「『キャルメロ』の場合」はⅠ〜Ⅴの5部構成です。
※いつも以上にショッキングな描写や倫理的に問題のある展開が続きます。無理だと思ったら迷わずブラウザバック。
『隣愛病院』。紙に書いた住所を頼りに、ようやくたどり着いた。あまり病院っぽくない外観で、それでいて不思議と馴染みのある風格の建築だな……とよく見てみれば聖母像やら葡萄の彫刻やらがそこかしこに彫り込んである。これはまさに教会だ。どうやら母体となっている医療法人がそういうやつらしい。そういえばしばらく教会には通ってなかったなぁ。
この病院の産婦人科は行き場のない母子を救うことを第一にしており、外から『こうのとりのポスト』へ赤ちゃんを入れればすぐさまナースが受け取って保護してくれるし、ワケアリの妊婦なら病院にのみ身元を明かす『内密出産』が行える。経済的に苦しければその費用すら病院が負担するらしい。はじめの頃は賛否両論あったらしいが事実としてそれに救われた母子は決して少なくない。私も……もう少し早くこういう場所を頼るべきだったな。
ともあれここを訪ねるという当初の目的は一応完了。手遅れとは言え、来るだけでも来てみたかった。残る問題は、この赤ちゃんをどうするか、だ。いま私の眼前には件の『こうのとりのポスト』がある。幸いまだ遺体の腐敗は進んでいない。そのへんに埋めてしまうよりは、いっそ他人に丸投げして、尊厳ある形で弔ってもらうのがこの子のためにも一番かもしれない。私はポケットのヨウカンを一つ、赤ちゃんの服に差し込んだ。そしてポストの小さなドアに手を……。
ビリリと空気が震える。
『キャ、ルメロ……』
背後から名前を呼ばれた。
いやあり得ない。この国に来て私はまだ一度も、自分の名を口にしていない。ましてその呼び方で私を呼ぶ人間なんて数えるほどしかいない。もっとあり得ないのは、その声が、まだ幼さの残る少年の声だということだ。
「……ユー?」
『キャル……め、ろ…ろ』
振り向く勇気はなかった。
ただ背中越しに名を呼び返した。
もう忘れかけてすらいたその声に、心臓を握りつぶされそうになる。本当なら今すぐ振り返って抱きしめて、赤ちゃんを抱いてもらいたい。JP国に来れて良かったねって一緒に喜びたい。
『きゃ……る……ど、ど、どどう、して』
「ご、ごめんなさい……ごめんなさいッッ……!」
でも私にそんな資格はない。今ここにいるのはきっとユーの亡霊で、私の罪を裁きに来たんだ。亡霊の気配が一歩、また一歩、近づいてくる。
『キャ……メロ……』
『きゃるめろ』
『……きゃ、ろ』
『キャルメロ、メロ、メロ、メロ』
『きゃきゃきゃきゃきゃきゃ』
声が四方八方から聞こえてくる。私は膝から崩れ、目をふさいで必死に赦しをこうた。
亡霊が私の背中に触れる。数多の手で、背中や肩を押さえ、首を絞め、頭を押さえこみ、髪を引っ張り、腕を引っ張り、こどもとは思えないすさまじい力で、私の全身をバラバラに引き千切ろうとしてくる。抗うでもなく、私はただ懺悔の言葉を必死に絞り出すことしかできない。
「恐怖、トラウマ、いや……このタイプの害獣は『罪悪感』だな」
少年の声に、聞き慣れない男の声が混ざった。
「たすけ……っ」
「目は閉じたまま。呼吸を整え、ただ心ン中に目を向けて、犯した罪に向き合え。目を背けるほどコントロールを失うぞ」
わけもわからず言う通りにした。ぎゅっと目を閉じてユーと出会ってからのことを思い返す。大人としての責任を放棄して彼の行いを看過し、危険な目に合わせたことや、あまつさえ踏み込んではいけない領域に踏み込んで彼を汚したこと。家族から逃げたこと。人を殺めて逃げたこと。そして今、新しい命を死なせて逃げようとしていること。こんなことなら初めから見て見ぬふりをするべきだったか。いや、それはそれで許されない罪だ。どうあっても眼の前の少年一人救えない弱さ、それ自体が、何より赦しがたい私の罪だ。
亡霊の力がゆるんで少し身体が自由になった。
「赤ん坊の服に何か入っているだろう。それに反応している。頭上へ投げろ」
……さっき入れたヨウカンか。そういえばユーはこの国の食べ物にも興味津々だった。ヨウカンは、食べたことはあるだろうか。
「……エイッ!」
投げた。なるだけ高く、天へ向かって。
『ァ……アア……』
亡霊の意識がそちらへ逸れたのか、完全に解放されて身体が軽くなった。
……そう思った瞬間、グチャッ! と爆ぜる音がして、生温かい飛沫が背中に降りかかる。背後の男がなにかしたらしい。恐る恐る目を開けると、あたり一面が血と肉片の海になっていた。いくつもある『手』の残骸のうちひとつが、ヨウカンを握りしめていた。それを拾い上げ、私は再び贖罪の言葉を吐いて、祈りを捧げた。
「気は済んだか?」
白衣の男が見下ろしていた。
「一応言っておくがオレは害獣を処理しただけだからな、恨むなよ」
害獣。特異害獣か。人の記憶や強い想いをトリガーにして発生する怪異。たしかに、見れば血や肉片から黒い煙が立ちのぼって蒸発していってる。ワニ型のやつのときと同じだ。今回は、私が発生源になってしまったらしい。
「詳しい事情は知らんがね、まあ、オマエみたいなコト考える奴も当然いるんだわ。腐敗した嬰児をここに遺棄してな。大問題になったよ」
死んだ赤ちゃんをポストに入れようとしたことか。
「……アナタ、ここの職員さん?」
「ああ誤解させて悪ぃ。全然関係者とかじゃねぇから安心しろ。通報する気もねぇ。説教する気もねぇ」
声も立ち姿もどこか人間味に欠けていて冷たい感じ。三十代くらいの男性……を精巧に模した『何か』という印象を受ける。まるで人に化けたサタンとでも喋っている気分だ。
「じゃあ何」
「まず建前として。オマエに良心が残っているなら自首しろ。どうせ捕まるのならそれが可能な限り穏便だ」
「…………本音は?」
「その遺体をよこしな」
白衣のサタンが持ち出してきたのは理解に苦しむ取り引きだった。
「なんのため?」
「研究のためだ。胎児か新生児の細胞がほしい。遺体でもいいが新鮮であればあるほど良い」
「なんの研究?」
「言えない」
「私の得は?」
「遺体の処理。……それからオレは医療の心得がある。無免許だがな。科を問わず医者にできることはひととおり、高い水準でできるし、そのための設備も整っている。足りなくてもすぐ仕入れられる。診察でも手術でもタダでやってやるよ。どうだ」
う、胡散臭い……。コミックのスーパードクターじゃあるまいし、普通に頭おかしい人だなこれ。いくらなんでもそんなモノを頼るほど馬鹿ではない。
「まあー、こんな話いきなり信じるわけねぇか。そうだな……」
頭のてっぺんからつま先まで、サタンが舐め回すように観察してくる。
「煙草、大麻、それからシャブも経験あるだろう。しばらく控えてはいたが、煙草だけは妊娠中も時々吸ってた、ってな感じか。死産とは言え産むトコまでは無事だったのが奇跡的なレベルだな。赤ん坊は死後1日前後で……来国直前にどこかそのへんで産んじまった、ってトコだ」
本当に気持ちが悪い。なぜ来国したばかりだとわかるのだろう。まさか空港からずっとストーカーされていた……?
「いやこれくらいは素人でもわかるか。あとは、ふーむ。別件で、最近何か大怪我をしたな。だが薬を塗るだけで外科的処置はほぼしていない。胸元、あたりか」
「……」
「あと男に酷いことされた経験あるだろ。急に声かけて怖がらせちまったかな」
「…………」
「ケツに針か何か埋まってるな。それも除去してやろう。ハードなプレイは程々にな」
「………………」
「普段からブーツを履き慣れているだろう。そのせいで恐らく水む」
「Stop! Shut up! Son of a bitch!」
つい母国語が出てしまった。
地味に全部当たっているし、気持ちが悪いにも程があるぞこの自称スーパードクター。いや、自称はしてないか、んー……結局何なのこの人。しかし助けてもらったのは事実だし、遺体の処理をしてもらえるならそれだけで取り引きとして悪くはない、気がする、のかな。もうわかんない。色々ありすぎてもう、頭と心の整理がつかない。
ユーと過ごした穏やかな日々が恋しい。
「ガイジュウ、ってもう出せない、の……かしら?」
「出せるぞ。一旦発生源になったヤツはもうそういう『体質』になっちまってる。コントロールできるかはまた別だがな」
一瞬ほっとした自分に嫌気が差す。さっきの害獣はユーではない。ユーには、もう会えない。それでも私は……。
「全部リセットしたいわ」
私は、サタンこと闇医者の『キシダ』と悪魔の契約を交わした。
行くアテのない私は、キシダの研究所に住まわせてもらうことになった。住むというか、入院、だろうか。表向きは住居兼病院のようなカタチをしていて、その地下の隠し部屋が研究所になっているようだ。
入院というのも、遺体を提供する対価として私がキシダに頼んだのは、ずばり「身体改造のリセット」だ。タトゥーの除去を中心に、私に施されている大小さまざまの身体改造を、外科処置やら再生医療やらを駆使して綺麗さっぱりリセットする。果たしてそんなことが可能なのか? とも思ったが、これはこれである種の身体改造かもと考えるとむしろワクワクしてしまった。ある種の破滅願望。被虐趣味の悪い癖だ。
ところで入院ついでにすみずみまで身体検査してもらって判明したのが、どうやら私はもう妊娠・出産できない身体らしい。子宮から膣口までズタズタのダルダルで「初産直後の若い女とはとても思えない状態」だそうで、この状態で出産できたのが奇跡、もう妊娠できる可能性すらない、治療も不能、という具合だ。まあ、刺激的な体験を求めすぎた当然の報いとして、受け入れよう。
そこから二三年ほど入院生活が続いた。
タトゥーはほぼ全て除去され、自分の細胞から培養した新しい皮膚に貼り替えられた。表面上はもう手術痕すら見えない自然な仕上がりだ。ピアス穴もふさぎ、体内に埋まった異物も全て除去完了。スプリットタンだけはそのままにしておいた。清楚っぽい女が蛇舌を見せたらギャップで面白いかな、と。いや私が清楚に見えるかは怪しいが。ともかくキシダの医療技術はホンモノらしい。
そのキシダは何やら最近『スイーパー』とかいう輩とつるんでいる。要はなんでも屋みたいなもので、キシダは医療技術やら機材やらを彼らに提供しているようだ。入院生活も退屈になってきたので、そのうち私もスイーパーとして仲間入りさせてもらった。キシダと違って特別何ができるわけでもないが、男性では関わりづらい案件もしばしばあるので、そういう場合は私が出る。小遣い稼ぎ程度にはなるし、メンバーの皆とは程よい距離感で居心地が良い。
そんな日々に充実感を覚えはじめたころ、私はキシダに呼び出された。
研究所の一角をさらに魔改造して作られた、手術室。その中央のベッドに一人の少年が裸で寝かされていた。
「菅原リョウ。19歳。この前の依頼でとっ捕まえてきた孤児だ。児っていうような歳でもねえが、まあそこはどうでもいいか」
なんだか物騒な依頼だったのでよく覚えている。何か『能力』があるらしいが孤児なんか捕まえてどうしようと言うのか。
「こいつに改造手術をして改造人間にした」
「なあにそれ。漫画みたいで面白いわね」
「ああ傑作だよ。これが俺とドクターの研究の一つの成果、『生体サイボーグ』の完成品だ」
そういえば研究がどうとか言っていた。そんなマッドサイエンティストみたいなことをやっていたのか。
「これを作るにはまず、乳児や胎児あるいは受精卵の細胞をもとにして、無限に増殖する万能細胞を作るんだ。そしてそれを被検体にぶち込むわけだが、被検体との相性があるので、沢山のサンプルを用意する必要があった。万能細胞の遺伝子は、被検体と違いすぎれば拒絶反応が起きるし、全く同じだと逆に被検体の細胞に負ける。相性が重要なんだ」
「ああ、だからあのとき赤ちゃんの遺体を欲しがったのね」
なるほど話の筋はわかった。つまり沢山の『細胞のサンプル』と、そのうちどれかと相性の良い『被検体』のペアが必要で、この度それがそろったわけだ。
……それで私はなぜ呼び出されたのだろう。
キシダはしばらく黙ったあと、無表情で私の目をまっすぐ見つめてきた。ああ、ずっと違和感があったけど、アレだ。この男、まばたきを全然してない。
「マジで奇跡としか言いようがないぜ。コイツの細胞と、1000を超える細胞サンプルとを照合し、一つだけ条件の合致するモノがあったんだ」
この男に見つめられると、自分まで呼吸すら忘れそうになる。
「あのときお前が連れてきたガキの細胞だよ。アレをもとに作った万能細胞はコイツの中で、無事に増殖を開始。拒絶反応が起こる可能性も限りなくゼロに近い。遺伝子レベルで相性がいいんだ。あまりにも出来すぎな話で、無神論者の俺でも神の意志を信じそうになっちまったよ」
この子の中に、あの子の遺伝子が生きている。つまりこの子は私とユーの子ども……?
長い前髪を払いのけて彼の顔をまじまじと見る。この国の子は、歳のわりに幼い顔つきをしている子が多いな。
「ハッピーバースデイ」
丸いおでこへキスをした。二月終わりの冷たい空気の中で、そこには確かな熱があった。
この子は今から私のものだ。今度こそ離さない。