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改造怪物スイーパー  作者: いちご大佐
第3章 それは何時から狂ったか。
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第44話 『キャルメロ』の場合Ⅰ

※「『キャルメロ』の場合」はⅠ〜Ⅴの5部構成です。

※いつも以上にショッキングな描写や倫理的に問題のある展開が続きます。無理だと思ったら迷わずブラウザバック。

 人知れず出産した若い母親が新生児を殺した。遺棄した。どうすれば良いか分からなかったと彼女は言った。

 定期的に流れてくるそんなニュース。

 それを聞く度に私は「どうして一人で出産できたのか」と疑問に思う。だって出産と言えば命がけの一大イベントだろう。倫理的な話はさておき、一度も検診に行かず、公衆トイレや自分の部屋で、誰の手も借りず。そんなことが本当に可能か?

「って私思うんだけど」

 何故こんな話になったのか自分でも忘れたが、軽い雑談がそこそこ重たい話題になってしまった。

「馬鹿女ほど身体が丈夫なんだろ。あ、テキーラのショット2つくれ」

 ピートは鼻ピアスをいじりながら酒を注文してくる。いかにも興味がない様子だ。私も私で、何でもないようにショットを2つ注いで差し出した。

 建設的な返答などここの客に期待しちゃいない。ピアスやタトゥーで全身ゴテゴテ飾った魑魅魍魎みたいな連中が酒を片手に音楽にノッて騒ぎ狂う。ここ『クラブ・インマヌエル』はそういう(ハコ)だ。

 ……とは言え、彼らは何も小難しい話が嫌いというわけではない。

「やっぱ最近は『反高度化主義』がキテるんだよな」

「なぁにそれ。初めて聞くわ」

「うっそマジ? 遅れてんな。まあキャルも飲めよ」

 ショットの1つをこちらに寄こしながらピートは『反なんちゃら主義』について饒舌に語りだす。私は適当に聞き流しながら適当に相槌を打った。相手の話に関心がないのはお互い様だ。

 ところでナイトクラブというのは店ごとに違った空気(ノリ)があるものだが、インマヌエルは見ての通りの「自己主張の激しい」連中が集まる場。見た目だけの話じゃなく、思想や価値観といった内面をさらけ出すほど格好良い、みたいな雰囲気がある。ナンパの第一声が「君はどこの政党の支持者?」なんてのもここじゃあるあるだ。それで思想が合致すれば意気投合、しなければ脈ナシでそれっきり……という具合に、良くも悪くも人の話を聞かず自己完結しがちな連中で、人によっては面倒に感じることもあるだろう。

「〜〜〜っていう感じでさ、極端に高度化した社会ではホームレスはずっとホームレスから抜け出せないし、後進国はずっと先進国に追いつけないんだよ」

「それは大変ねぇ。チェイサーにオレンジジュースはいかが?」

「貰おうか」

 適当に相槌を打ってるだけでドリンクが売れるのでスタッフ的には楽で良い。

「それでさ」

『キャルメロー! おまかせでなんか酒くれー!』

「ハイボールで良いかしらー?」

『おっけ! ていうかまたピアス増えたー?』

「昨日アンテナヘリックスを5個開けたわ」

『ギャハハハ! もう耳ぐちゃぐちゃじゃん! あ、お酒こっちに持ってきてー!』

 客入りが増えてきたのを察してか、ピートはバーカウンターから離れていく。去り際に何やら紙切れを手渡してきたのでとりあえずポケットに突っ込んだ。


 そこからは特に言うことのない、いつも通りの営業だ。DJが垂れ流す音をBGMに、絶え間なくやってくる客の注文を捌いて、酔っ払いのセクハラをあしらって、ゲロを片付けて、休憩を挟んでまた注文を捌き、営業時間が終了すればそこから2時間くらいかけて店内清掃とレジの精算。全部終わって退勤するころには青く明るい空が広がっている。

 爽やかな空気とは裏腹に頭の中は酒浸りでぐらぐら揺れる。親切な客の「一杯どうぞ」を、今日も何度食らったか。ああ、そう言えば、いつの間にやらポケットに居座っていた紙切れには、(ピート)の連絡先が書かれていた。ゲロと一緒にトイレに流した。


 刺激的な経験がしたくて始めた仕事ではあるけれど、正直そろそろ飽きてきたな。早く帰って寝たい。

「……ん〜?」

 虚ろな目がふと、路肩に停められた一台の黒い高級車に吸い寄せられる。

 助手席から中学生くらいの少年が降りてきた。

 タクシーではないし、学校への送迎という雰囲気でもない。そもそもここは繁華街だ。中学生が早朝に来るような場所ではない。

 何となく気になって遠目に眺めていたら、少年は開いた窓から車内に首を突っ込んで、運転席のケバいオバサンとキスをした。車内の様子までは見えないが「ねっとり濃いやつ」の雰囲気だ。

 それから何事もなかったかのように、少年を残して車は走り去っていった。

「現代でも『ああいうの』あるのねぇ……」

 今のを見て何も分からないほど私は健全に生きてない。

 金持ち相手に若い子が身体を売る。昔はそういう事案がよくあったのだと、話だけは聞いたことがある。しかし時代は変わった。一番大きかったのは『完全キャッシュレス化』だろう。つまり、国内の通貨が完全に電子化されて、カネの動きが完璧に管理されるようになったのだ。変なことをして稼げば即バレる。そもそも携帯端末とネット上の『仮想戸籍』を持っていなければカネを持つことすらできない。無論抜け道はいくらかあるものの、一般市民がそこまでして売春という手段をとるメリットはほぼ失われた。売春行為に限らずあらゆる非合法な金銭授受は、少なくとも表向き、撲滅されたのだ。

 とにかく私は何も見ていない。

 そういうことにしておこう。

 家に帰り着いて即ベッドに倒れ込む……が、先程見た光景が何度もフラッシュバックして眠れない。仕方がないので一旦起きて水を飲み、冷たいシャワーを浴びた。まだ冬が明けたばかりだが不思議と寒くはなかった。

 ようやく僅かな眠気が来たので毛布に包まった。それから眠ったのだか眠れてないのだか。とにかくしばらくの時間、心身を休めて、日が傾いてきたころに再び起き上がった。


 私の一日は夕暮れ時から始まる。頭はぼーっとするし下着は蒸れているしで、あまりいい目覚めではない。今日が休日で良かった。

 歯を磨いてミルクを一杯飲む。

 それから夜の街へ出かける。

 さてどこに行こうか。今日はクラブで遊ぶ気分じゃないし、静かなバーで美味しいお酒を呑んで気分を整えようか……なんて考えつつ歩いていると、知った顔が声をかけてきた。

「やあキャル。今夜は休みだろ、遊ぼうぜ」

 ピートだ。すでに酒が入っている様子。

 ていうかどうして他人の休みを把握してるのかしらね。

「遊びたいなら一人で的当て(ダーツ)でもやっててちょうだい」

「どっちかというと当てたら駄目な火遊びをしたいんだよ」

「アルコールのそばで火遊びはしない主義なの。引火したら大変じゃない」

 ジョークにジョークで返したつもりが上手く伝わらなかったようで、数秒考えた後ピートは親指を立てた。

「あ、もしかして生理? オレ全然気にしないよ」

「私が気にするわよ……」

 めんどくさ。


 ……んで、結局押しに負けて、一時間後にはモーテルのベッドで煙草ふかしてるってワケ。

「ハァ……」

 こんなだから「頼めばヤれる」なんて尻軽扱いされて面倒な男に言い寄られる。まあ、事実なので仕方ない。

 ピートはと言えば下半身むき出しでダルそうな顔して転がっている。10分足らずで果ててこの有様。正直さっさと帰りたいところだが、宿泊費がもったいないのだ。「ヤることをヤる」として、相手の家に行ったら何されるか分かったもんじゃないし、他人に自分の家を知られるのも危ないから、他に選択肢と言ったらこういうモーテルぐらい。そうでもなければ外か車内か。ちなみにここまではピートの車を私が運転してきた。アルコール入った男にハンドルを任せるほど馬鹿じゃない。

「そういえばさぁ」

 早撃ち男が気怠そうに喋りだした。

「JP国には『ラブホテル』ってのがあるらしいぜ」

 JP国と言えば、生卵や生魚を食べたり、こども向けみたいなアニメ作品が流行していたり、そういう変な話ばかり聞く島国だ。仲間内ではなんとなく野蛮で下品なイメージが語られがちだが、詳しくは知らない。

「ラブホテル……そういう目的のためだけのホテルってこと? 普通のホテルのほうが良くない?」

「いや。普通に宿泊コースもある上で、休憩コースとか言って、短時間の料金設定もあるみたいな感じらしい」 

「へぇ、良いじゃない」

 まさに今みたいな状況向けね。

「面白いこと考えるよな。島国ってやっぱ閉鎖的だからヤること以外の娯楽がないのかな」

「私らみたいなのに言われちゃ世話ないわね」

「オレ達には音楽があるだろ」

 これ以上は何もツッコむまい。

 ところでこの男、人の休日に待ち伏せして一体何がやりたかったのか。いかにも一大決心という雰囲気で酒の力まで借りて、まさかくたびれた水風船を作りに来たわけじゃあるまい。

「ねえ、私、星が見たいわ」

「星ぃ? 今日何か流星群とかあったっけ?」

「ただそういう気分なの」

「うーん、この部屋からじゃ空見えないしな。やっぱキャルだけ先に帰る? タクシー代は出すから」

「……タクシー代くらい自分で払うわよ」

 結局私は一人で歩いてモーテルを出て、タクシーに乗り込んだ。ウインドウ越しに見る夜空は曇っていて星など見えやしなかった。

「タイクツね」

 気付いていないと思っていたか。いつも手ぶらの貴方が、不似合いなバッグを大事そうに抱えていたことを。無防備に口を開けているバッグの中に、手のひらサイズの小箱がひとつだけ入っていたこと。そして情事が済んだら、気まずそうにバッグをベッドの下へ隠したこと。もし「星よりも朝焼けを一緒に見たい」とでも言ってくれたなら夜明けまでは待てただろうけど、ロマンを失った夜は何よりタイクツだ。


 まっすぐ私の家へ向かうタクシー。運転手のおじさんは良くも悪くも無口で会話がなく、流れる景色の方へ自然と意識が向く。見知った道。野良猫。夜に生きる人間たち。この空気は嫌いじゃない。しかしこのまま帰宅するのはやっぱり消化不良……。

「ん……あ、ちょっと停めてくださる?」

 ドアを開けて一旦降車し、暗闇の中の小さな背中へ声をかけた。あどけない顔がこちらを覗き込むように振り返る。

「だれ?」

「誰って言われると、うーん……」

「あー、タトゥーまみれのおねえさんじゃん。朝ボクのこと見てたでしょ」

 少年はクスクスと笑った。

 気付かれていた。いや、あんなにしっかり見れば気付かれるか。視線は案外バレているものだと、私もよく知っていたはずだ。反省。

 ともあれその妖しい笑みを見ていると昨朝の「ねっとり濃いやつ」の光景がフラッシュバックして、心が乱されそうで良くない。

「ボクに用? お説教でもしに来た?」

 別にそんなつもりは、と否定する言葉が、ノドに詰まって出てこない。あんな時間に何をしていたのか。親御さんはどうしたのか。聞きたいことはいくつもあるが、聞いたところで自己満足のお説教にしか繋がらない。あるいは単なる野次馬根性かもしれない。いやしかしここは大人として……。

 ……大人として、だなんて白々しい。

「ウチくる?」

 私の言葉に少年は目をくりっと丸くする。

 年相応に可愛い表情が一瞬見えたものの、数秒後にはまた夜闇をまとったような表情へ変わった。

「ああ、泊めてくれる(・・・・・・)ってコトね」

「泊めるだけよ。ホントに」

「やさしーんだねおねえさん。でもせっかくだけど、今は屋根よりおこづかいが欲しいんだよね。おこづかいっていうか、時計とかアクセサリーとか、そういう『モノ』がいいかな」

「それは、ちょっと難しいけれど……勘違いなら悪いけどアナタ帰るトコ無いでしょ? 好きなだけ居ていいし自由にくつろいでいいからしばらくウチに泊まっていきなさいな」

「はぁ……まあ、そこまで言うなら一晩くらい泊まってあげないこともないかな。今夜は『お茶ひき』だし」

 待たせたことを運転手に謝りながら、少年と一緒にタクシーに乗り込んだ。怪訝な顔をされたので「親戚の子だ」と言い訳しておいた。

 静かな車内から、つまらなそうに外の景色を眺める少年の横顔。その片手で握れそうな首筋を、猫毛みたいにふわふわの髪が、そっと覆い隠している。最後に散髪したのは半年前、みたいな具合だ。そんなことを考えているとふとガラス越しに目が合って、いたずらな顔で少年は振り返り、おもむろに唇を寄せてくる。まつ毛同士が触れるんじゃないかというくらいに接近してから私はようやく我に返って、少年の口に手で蓋をして押し返した。

 良くない。本当に良くない。

「いまさら良い人ぶらないでいいよ」

「……透明な水面にね、一滴だけポツンって、インクを落としたことあるかしら。今の私の心はそんな感じよ」

「なんの話?」

 罪悪感の話だ。

 いや、そんなに心の澄んだ人間ではないが、それでも私なりに「越えたくない一線」というのがあるわけで……なんて話を彼にしても仕方あるまい。彼はきっとドブ沼の濁りにすら気付けない。それが幼さというものだ。

 そこから先は会話らしい会話もなく気まずい時間だけが流れる。もう少しの辛抱、もうすぐ家に着く、なんて考えながら手探りで荷物をまとめていると、右手が少年の左手に触れた。というか、がっつり指が絡んできた。なるほど「手慣れている」とは正にこういうことを言うんだな。とにかく彼のこういったアクションには過度に反応せず受け流し、何も考えないよう努めねばならない。というかもう何も考えたくない。

 アパート前に停車するやいなや私はタクシーをとびだした。繋いだままの右手がじっとり濡れている。自動決済アプリが運賃を支払う音がポケットから鳴った。


「……さて」

「女のひとの部屋にしてはモノがすくないね。きれいなのはいいけどシュミとかないの?」

「人の部屋に上がって第一声がそれ?」

「おじゃましまーす」

 まあいい。触られて困るモノといえばピアスを開けるのに使うニードル類くらいで、あとは最低限の寝食するだけの部屋で、モノが少ないのは事実だ。危険物を棚にしまい好きにくつろいでもらうことにした。……案の定すぐに退屈そうにし始めて申し訳ない気分になった。

 ふと、棚の上に置いてあるこの部屋の合鍵が目につく。薄く被ったホコリをフッと飛ばして少年に渡した。少し面倒くさそうな顔をしつつも素直に受け取ってくれた。

 それから夜食でも食べるかということになって、冷蔵庫を漁る。あるのはベーコンと、卵、ミルク、申し訳程度の野菜、あとはビール。ベーコンエッグでいいか。卵が賞味期限間近なので全部焼いてしまおう。ええとまずはボウルに卵を全部割って……。

「……あら、カラが入っちゃったわ……ああっ黄身が」

 悲しいことに一つもマトモに割れない。もたもたしていると、おもむろに少年が寄ってきてぐちゃぐちゃのボウルを覗き込む。子猫みたいな後頭部だ。

「かして」

 少年はボウルを奪い取って、卵をかき混ぜた。オムレツにするつもりだろうか。かき混ぜた卵に塩をぱらり。そして砂糖をどばっと。

「スイーツでも作るのかしら?」

「いいから見てて」

 熱したフライパンに卵液を半分ほど流し入れる。ジューッという音とともに、ほの甘い香りが立ち上ってきた。

「まるいフライパンでも作れるかな」

 分厚いクレープみたいになったのをフライ返しでまくりあげ、くるりぱたりと折り畳み、すべて畳んだら残りの卵液を入れて同じ作業を繰り返す。最終的に延べ棒みたいになったそれをお皿に移して、端から六等分に切り分けて、完成。砂糖を入れたからか薄っすら焼色がついていて不思議な形をしたオムレツだ。

「タマゴヤキっていうんだ」

「どうやって食べるの? ケチャップとか無いけど」

「これはそのまま食べるんだよ」

 お皿を差し出され、勧められるまま一切れ、指で摘んで食べてみた。

「あつっ……ほく、ほふ……んっ、美味しいじゃない」

 スクランブルエッグをもうちょっとチリチリにした感じの食感。でも干からびたような感じはなく、形もまとまっているので食べやすくて良い。甘めの味付けでミルクにも合いそうだ。

「タマゴヤキはね、JP国の家庭りょうりでね、甘かったりしょっぱかったり家ごとに色んな味つけがあるんだって。ボクは甘いのが好きだから甘くしてみた」

「アナタ料理できたのね?」

「いや、まえに図書館でよんだんだ。つくったのは初めてだよ」

 図書館。意外なワードだ。私が最後に図書館へ足を運んだのは、10歳くらいの頃か。ママに連れられて……あんまり覚えてないけど、そういえば小汚い老人や貧相な子どもがちらほら目についた。ああいう誰でも出入りできる公共施設はシェルター的な役割も果しているというわけだ。あのときはそこまで考えが及ばなかったな。

 それにしても読んだだけでこんな風に作れるか。ずいぶん要領が良いというか、きっと、もっとちゃんとした環境で育っていれば……いや、こういう考えはよそう。何も言わず彼の丸い頭を撫でると、不思議そうな目で見つめ返された。

「初めて作ったのに私が先に食べちゃ、悪かったわね。ほらアナタも食べなさいな」

「むぐ……んもっ…………おいし!」

 それからベーコンもさっと炒めて二人で食卓についた。外食以外で他人の作った料理を食べるなんていつぶりだろう、なんて思いながらフォークを握る。

「イタダキマス」

 少年が、祈るように掌を合わせて何かを唱えた。

「JP国の食前のいのり(・・・)だよ」

「ふぅん。あの国って無宗教だと思ってたわ」

「神さまじゃなくて、たべものと、つくった人にいのるんだってさ」

「作ったのはアナタじゃないの」

「それはそうだけど、たべものになったブタやニワトリの命とか、それをそだてた人とかにもぜんぶまとめて『感謝のいのり』をするんだよ」

「その割に一言で済ませちゃうのね」

「だれでもカンタンにできることが大切なんじゃないかな」

「誰でも簡単に、ね」

 真似をして、手を合わせる。

「……イタダキマス」

 それから私達は、食卓をはさんでお互いの話をした。話せるところだけでいい、という前提で、私は彼の話を聞いた。歳は大体14か15くらいで、早くから独りで生きているだとか、とはいえホームレス向けの支援に色々とお世話になって、ただ生きる分には不足ないだとか。

「シェルターとか孤児院みたいなのには入らないの?」

「はいったらお金かせげないもん」

「お金持ってるの?」

「もってるよ。これ」

「え……それって……」

 現金だ。当然この国のモノではない(というかキャッシュレス化の完了したこの国にはもう使用可能な現金は存在しない)。それはJP国の紙幣だった。どうやら外国の貨幣でモノを買い取ってくれるショップがあるらしく、そういう所に彼は『客』からの貢ぎ物を持っていって、現金に変えてもらっているらしい。ちなみに外国の貨幣でモノを売買する行為はこの国では違法だ。

「それ使い道ないでしょ」

「いつかJP国にいくのが夢なんだ。そのときのためにいっぱいお金かせがなきゃ」

 なるほど。なんとなく分かっていたが彼はJP国に大層憧れているらしい。図書館で旅行誌でも見たのだろう。このタマゴヤキも、家無しじゃあ料理なんてできないだろうし、図書館で何度も同じレシピを眺めたりしてうずうずしていたに違いない。

「アナタ、名前は何ていうの?」

「ユーズド」

「……それは本名?」

「さあね。みんながそうよぶから」

「じゃあ『ユー』って呼ぶわ。私はキャルメロ」

「フルネームは?」

「あー……っと…………キャラメリゼ・メロディよ」

「ヘンななまえだね」

「失礼ね。私自身あんまり好きじゃないけど」

「まあちょっとヘンなくらいがおぼえやすくてちょうどいいや」

「それは、そう、かも? そういうことならまあヘンな名前同士ってことで、よろしくね」

 夜食を食べ上げて二人で後片付けまで済ませたら、空が白んできたのでお互い眠りについた。ベッドはユーに使わせて私はソファで寝た。


 それから始まったのは何てことのない共同生活。

 お互い夜に『仕事』があるので生活リズムが合わせやすい。基本的に私はこれまで通り朝から夕方まで寝て出勤前と就寝前に二食食べて、そこにユーの分のご飯を適宜追加するだけだ。ユーは『客』にご飯をたべさせてもらうこともあるので私が毎食用意する必要もない。

 生活に関すること以外で変わったことが一つ。JP国について調べることが増えた。まあちょっとした暇つぶしだ。ユーが話すのを聞いているうちになんとなく興味が出てきた。ひとりで食事するときや寝る前なんかに解説動画を流し観したり、特に気になったことがあれば検索してみたり。それで、いかに自分の視点が偏っていたか思い知らされた。「あんな下品で野蛮な国のファンは皆メディアに洗脳されてて思想も政治観も偏っている」みたいな意見が私の周りでは多数派だっから、例えばそう、道端や公園で酒が飲めるだとか、食事では器を持って麺など音を立てて豪快にすするだとか、そんな面白い文化を知ろうともしなかった。確かに『下品で野蛮』ととれなくもないが、それだけで片付けるには勿体ないと思う。

 ただどうしても受け入れられないのが、アニメ作品だ。JP国民はロリコンが多く未成年に対する性犯罪が横行していて、その大きな一因が、未成年と性を結びつけるようなアニメやコミックが多すぎることだとか。まああの国は治安が良いことで有名だからそれも単なる偏見かもしれない。とは言え、ユーのような存在が身近に居る状況で、視聴する気にはとてもなれなかった。


 しばらくそんな生活が続いて、春が来てちょっと温かくなってきて「ユーが大人になるまではこの生活が続くのかな」なんて呑気に考えていた。

 ダンダンダン。激しめのノック。

 こんな早朝に来客とは。まったく心臓に悪い。

『キャル、居るんでしょう早く出てきなさい!』

 ダンダン! ダンダンダン!

 ……え?

 歯磨きをしていたユーと顔を見合わせる。

「……しってるひと?」

「多分……姉さんだわ……」

 ありえないことだ。私は何年も前に、家族にも友人にも何も言わず家を出た。それがどうやってか私の居場所を突き止めて今更訪ねてきて、一体何の用だと言うんだ。玄関まですり足をして、息を殺し、扉に顔を近付ける。

『やっぱり居るじゃない』

「ひっ」

 覗き穴ごしの再会だった。

『開けなさい。ママがあなたと話したがってるわよ』

「えっ!?」

 驚いてとっさに鍵を開けてしまった。

 その瞬間強引に扉を開け放たれた。

「嘘よ。ママはちょうど一月前死んだわ」

「え……嘘よね?」

「だから、嘘なのよ。ママはもうどこにも居ないわ」

 私は生まれて初めて「膝から崩れ落ちる」という感覚を味わった。身体のどこにも力が入らなくて、クマの浮いた姉をただ見上げることしかできない。耳鳴りがする。

「何。そんな顔する資格、貴女にはもうないわよ」

「……私いまどんな顔してる?」

「気になるなら鏡見れば? ほら、ほら! しっかり見なさいよその気色悪い顔を!」

 髪の毛を掴まれて洗面台まで引き摺られて、鏡にぐりぐりと押し付けられる。痛い。痛い。ピアスが千切れそう。本当に何なんだ。さっきまでユーとのんびりご飯を食べてたのに、明日は休日だしゆっくり寝ようかななんて呑気に考えていたのに、どうして急にこんなことになったんだ。

「あの……」

 ユーが心配そうに見ていた。

 そうだ。この子のことはどう説明しよう。

「ぐっ……こ、この子はその、近所の子をしばらく預かってて……」

「どうでもいいわ。貴女の事情なんて知りたくもない。ちょっと親と反りが合わないからって家出なんかして、自分から家族との縁を切ったんだから、もうただの他人よ」

「じゃあっ、ど、どうして今更こんな」

「腹が立ったからに決まってるでしょ。あれからママは病気してみるみるショボくれていって、介護も必要になったし、毎日うるさい小言を聞く役目も全部私一人だったんだから」

「び、病気で死んだの」

「入院してた病院に『害獣』が出て、最期はそれに食い殺されたわ。ていうかニュースくらい見てないの?」

 病院に人喰い害獣、そういえばそんなニュースをネットで見た気はする。丁度実家がある辺りだなとも思った。でもまさか自分の親がその被害者だなんて思わないだろう。

 ようやく姉が手を離してくれたら、なんだかもうモノを考えるのも億劫になって、その場に座り込んでただ床を見つめることしかできなくなった。

「とにかくそういうワケだから。墓参りするのは自由だけどそのキショ顔面を人様に見られないようにしてね。あなたみたいなのが身内にいるって知られると恥ずかしいからね」

 言うだけ言って姉は帰っていった。


 座り込んだまま何分経ったろうか。ユーが背中をさすってくれていることに遅れて気づいた。思考力が戻ってきて、私は次に何をすべきか考えていた。姉が何かを言っていた気が……墓参り……そうだ墓参りに行こう。

「ねなくていいの?」

 とても眠れる気分じゃない。ユーに留守番を頼み、重い足を引きずって家を出て、駅に向かった。

 電車を4本乗り継ぎ1時間半。そこからバスに乗って教会前で降りた。実家から離れたつもりだったが案外あっさり着くもんだ。子どもの頃はママに連れられて毎週欠かさず礼拝に参加したものだが、いつからだったか、私は教会に足を運ぶことをやめた。ママはそれからも変わらず一人で礼拝に参加し続けていた。それがここだ。墓もここにあったはずだ。

 さて、墓所に入る前にまず受付けを……と、見覚えのある顔とすれ違った。たしかあれは……おじさんだ。ママの弟。

 ああ私は馬鹿だ。姉さんは「ママはちょうど一月前に死んだ」と言っていたじゃない。つまり今日は昇天記念日。幸いにもおじさんはこの顔に気付かなかったようだけど、他にも親戚が教会に集まっているに決まっている。先に帰った姉さんも多分出席してる。さすがに不味い

 仕方がないので一旦協会を後にした。

 パーカーのフードを目深にかぶってファミレスに入って時間を潰す。段々冷静になってきて、何故こんなところに来てしまったのか分からなくなった。墓参りと言ったって墓前でしたいことは特にない。墓碑の掃除は親戚が済ませるだろうし。せいぜい献花くらいか。どうしよう、やっぱ帰ろうかな。大して美味しくもないランチセットをもそもそ食べ、何杯目かも分からないコーヒーをおかわりし、これ以上居座ったら店にも迷惑かも……と一瞬腰を浮かせてまた座った。喪服の団体が来店してきたのだ。親戚かと思っておそるおそる様子を伺うも知った顔はない。どうやらママとは関係ないみたいだ。

 いや待てよ。

 ふと例の害獣被害について検索してみた。

 死者6名、怪我人8名。深夜の病棟に体高2メートル以上のワニ型特異害獣が出現し入院患者を次々引き裂き食い殺していった。体長ではなく体高としたのは、その害獣にはヒトのものに似た脚部が生えており、直立歩行していたことによる。通報を受け駆けつけた複数名のハンターにより駆除され「塵となり消えた」そうな。無から出現し無に還るのは『特異害獣』に共通する特徴らしいが、一旦置いておく。

 思ったより犠牲者が多い。多分今しがたやってきた喪服の団体もこの件の被害者遺族などだろう。同じ病院に入院していた患者なのだから同じ協会の世話になっているのも道理。要は、今あの教会とその周辺にはこの事件の関係者が集まっているわけだ。

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