第40話 『メガネ』の場合
特筆すべきことのない人生を送ってきた。
唯一の特技と言えば、絵だ。小学生の時分、ノートの端に落描きしていたのを、たまたまクラスメイトに見られて褒められた。そんな些細なきっかけで大人になるまで絵を描き続けてきた。まあ、一番褒めて欲しかった人達……父さんや母さんには、ついぞ褒められることはなかったが。
器用貧乏なりの努力をして俺は美術教師になった。
特段強い志があったわけではない。両親が教師だった。だから何となく、それ以外の道がないように感じていたのだ。
教師としての生活ははっきり言って面白くない。
この仕事が如何に多忙かは、昨今飽き飽きするほど耳に入ってくるだろう。
「教師になるということは、教師になるということなんだよ」
「何言ってんの」
名言っぽく言ってみたつもりだが適当にあしらわれてしまった。
たまに暇があるとき、こうして同僚の『浅田君』と酒を飲む。
洒落たバーなんぞにふらっと入って、まず一杯目にジンフィズを注文し、味の分かるような顔をしながらタンブラーを傾ける。それを飲み干したら、マティーニをちびちび飲みながら浅田君と仕事の愚痴などを零すのだ。唯一の楽しみである。
彼は、教育実習でたまたま一緒だったのが何の因果か同じ学校に赴任してきて、それ以来親しくしている。因みに彼の専門は社会科だ。
「お前は良いよな。メガ先なんて渾名つけられて生徒から好かれてさ」
「嫌われないように色々努力してるんだよ。彼らは純粋だ。一度嫌った人間の言葉は耳に入らない。それじゃ教師の役目が果たせないからさ」
「オレだって嫌われたかねぇけど上手くいかねぇの。例えばさ、金髪の生徒をどうやって注意するよ。何言っても反発するだろあいつら」
「そんなもんわざわざ注意しないよ」
「果たせてねぇじゃん教師の役目ぇ」
「確かに」
反論することなく、マティーニに浸かっているオリーブの実を齧る。
確かに生徒指導も教師の大事な仕事だ。生徒には「そんな校則は無意味だ」なんてもっともらしく言ったが、本音を言うとこれは暴論である。第一、ルールの意味を考えることは大事だが、一方的に無意味なルールだと判断してしまうのは危うい。教師ならばそこはキッチリ教えるべき。だがそんな理屈をいきなり叩きつけても聞き入れてもらえるわけがないので、まずは『生徒の都合』に寄り添いそれらしい正論をでっち上げる。一旦受け入れてもらえれば指導の余地はいくらでもあるだろう。それが俺のやり方だ。
「……おかしいな。こんな筈じゃなかったんだ。本音で語り合えば分かり合えると思っていたのに、寧ろ分かり合うための建前を並べ立てて、いつの間にかただの八方美人になっている」
「本音で語り合えば……ね。そんなの言い方変えれば『オレが正しいから皆従って当然』ってこったろ。傲慢だよ」
「そう言う君は分かり合うことすら放棄してるじゃないか」
「皆が皆お前みたいにやれると思うなよ。教師だって人間なんだ」
「そんなもんか」
「そんなもんだ」
それ以上は会話も弾まず、ただ残った酒を無言で飲み干した。
今夜のマティーニはやけに舌が痺れる。
ーーーーー
翌日、二日酔いで頭が痛いのを抑えながらの授業。
今回は丁度浅田君が担任をしているクラスである。
「あー、今日はね、これをやろう」
「なんですかそれ」
「銀粘土って言ってね。これで形を作って焼くと銀のアクセサリーなんかが作れるんだ」
「銀ってあの銀ッスか?」
「うん。まあそれなりに高価だからね、一人分は少ないからうっかりなくさないように」
美術の授業の楽なところは、一旦制作に取りかかると黒板の前であれこれ喋り続けなくていいところだ。はっきり言って多人数相手の一斉授業は好きではない。確かに効率は良いが、効率が良いということははしたが出ることと表裏一体だ。授業についていけていないはしたを、確実に拾い上げることができればよいが、できなければ授業進行そのものをストップせざるを得ない。見逃してしまえば落ちこぼれの完成である。……身も蓋もない言い方をすると、不良ばかりのこの学校でははしたも落ちこぼれもないのだが。
制作の時間に入ると少々ざわつきが出るものの制作自体は各々のペースで進んでいく。俺は机間指導をして、手が止まっている生徒にアドバイスをしたり、やる気が出るよう促したりしていればいい。
「メガ先メガ先!」
「はいはい何かな」
「ちょっと指の太さ測らしてよ」
「何故に?」
「指輪作ろうと思うんだけど男の指の太さが分からないからさ」
「プレゼント用か。いいね。銀粘土は焼くと少し縮むから、気持ち大きめに作っとくといいよ」
手を差し出すと、彼女は俺の薬指に糸を巻きつけて太さを測った。周りの女生徒達がそれを見て色めき立つ。指輪は多分父親か恋人あたりにあげるのだと思うが、この年頃の女の子達はやたら色恋沙汰が好きだからやりづらい。
「てか酒クサくてウケる」
「嘘、昨日はそんなに飲んでないのにおかしいな」
「弱すぎるんじゃねー?」
こういう風に他愛のない話で親近感を得るのも大事な仕事だ。
……ふと、美術室の扉から誰かの視線を感じる。
「うわテラコヤだ」「最悪、何で見てんの……」「キモッ」
視線の主は体育教師兼生徒指導の『荒野衒先生』だ。それなりのベテランで生徒達には『テラコヤ』という渾名をつけられているのだが、俺とは真逆で、生徒から蛇蝎の如く嫌われているらしい。
「教師を渾名で呼ぶな。お前とお前、後で生徒指導室に来い」
「チッ」
「どうした返事が聞こえないぞ」
「……はい荒野先生」
「ふん、まあいいだろう。……あと先生も、酒と煙草は程々に。二日酔いが隠せてないですよ」
「え、そんなに臭います?」
「かなり臭うし顔色も悪い」
「あはは、参ったな。……了解でーす」
荒野先生は言うだけ言って帰って行く。どうやらただ見回りをしていただけらしい。暇なのか。
盛り下がった空気を何とかするのに少々手間取った。
銀粘土での制作は二回に分けて行った。それから提出させた作品を次の授業までに全て焼成して、三回目の授業で完成した作品の鑑賞会を行う。制作のある授業では最後に鑑賞会を行うのがセオリー。成績をつけるのに必要だし、何より制作のモチベーションにもつながるのだ。
ーーーーー
そんなこんなで学期末。各クラスの美術の成績をつけ終え、ようやく少し羽が伸ばせる。ふと斜向かいのデスクを見ると、浅田君が缶コーヒーを飲んでいた。
「やあ君。今夜久々に飲みに行くかい」
「わりーけどまだ期末試験の採点終わってねんだわ」
「本当かい。何かあったら手伝うから、あまり無理をしないようにね」
「うーい。あ、そういやウチの生徒から手紙預かってたんだ」
「俺に?」
「なーんかエラく気に入られてるみたいだぜお前」
「そりゃどーも」
彼から手紙を受け取った。
手紙は丁寧にも手作りの封筒に包まれ、マスキングテープでお洒落に装飾されている。一目で女子生徒からだとわかった。その場で中身を確認しようとすると、彼はあからさまに目を逸らす。
「すまんが一人で読んでくれ」
「?」
とりあえず自分のデスクに戻って手紙を広げた。
メモ帳らしき紙に柔らかな文字が綴られている。
『メガ先へ
好きです。ふだんからすごくお慕いしています。
直接つたえたいことがあるから、きょうの夜に峠の高台にきてね!』
真っ先に頭に浮かんだのは「面倒くさいことになった」という感想だ。
できる限り当たり障りのない解釈をしたいが、冷静に考えてもこれはラブレター的なものだろう。というか『好きです』ってモロ書いてあるし。しかも差出人の名前を見てぴんときたが、この子は、銀粘土の授業で指輪を作っていた女子生徒だ。作品の返却が済んだタイミングでこんな手紙を寄越したということは、あの指輪はもしや……。
「オレは何も知らん。変な騒ぎは起こしてくれるな」
「当たり前だよ」
とにかく頭を回して、穏便な断り方を考える。こういう手紙を貰った時点で既にアウト。事実がどうあれ、端から見れば今の俺は『女子生徒を誑かした男教師』なのだ。当たり前だが断る以外の選択肢は無く、かといって変に傷付けるような断り方をすると後々どうなるか分からないのが怖い。
ここはあくまでも慎重に……。
必死であれこれ考えているうちに夜が来た。
指定通りの時刻に指定通りの場所へ到着。どうせ学校で会うのでバックレるわけにもいかない。一つ失敗したなと思ったのは、ここに一人で来てしまったこと。極力個人間の問題として済ませられるよう誰にも相談しなかったしそもそも咄嗟にそこまで頭が回らなかったが、いざというときに俺の身の潔白を証言してくれる人を誰かしら挟むべきだった。とりあえず保身のため、スマホの録音アプリを起動しておこう。
ここは峠にある高台。天上には無数の星が瞬き、地上を見下ろせば無数の夜景が輝いている。
星を眺めつつ暫く待っていると、一台のバイクが坂道を登ってきた。
件の女子生徒だ。
「やっほーメガ先」
「や、やあ。今晩は」
「なんかウケる」
「ウケ……えっと、伝えたいことって何なのかな」
「いきなり本題とかちょーウケるんですけど。まあとりあえず、ちょっと話し相手になってよ。本題はその後でいいでしょ」
「ええ……仕方ないなぁ」
女子生徒は終始にこにこしている。
とても機嫌が良さそうだ。
「ウチさ、死のうと思うんだよね」
「……は?」
「ウケる。そんな顔すんなって。ウチくらいの女子にはよくあることっしょ、死にたくなったりホントに死んだりさ。手首切るくらいなら皆やってるって」
わざとらしく見せつけてくる彼女の手首は茶色く汚れていた。
「理由は聞かないよ。でも死ぬのは、だめだ」
「なんで」
「皆悲しむよ。君、友達結構多いだろ」
「メガ先は?」
「え?」
「メガ先は悲しまないの?」
「そりゃ、悲しいに決まってるさ。すごく悲しい」
「じゃあウチと結婚してよ」
「んぇ……いや、何でそうなるのさ」
「どうでもいいんだよ友達が悲しむなんて。死んだ後のことだもん。でもウチが死ぬのを知ってるのはまだメガ先だけだし、だから今のウチを悲しんでくれるのはメガ先だけだよ。そういう人が一人居ればいいの。そういう人が居るんなら生きててもいいかなって」
「そんな滅茶苦茶な」
「もっかい訊くよ。ウチは今から死のうと思うけど、当然悲しいよね。メガ先は他の先公とは違って優しいもんね?」
訊ねながら、彼女は崖端の手摺りに身を預ける。手摺りのすぐ向こう側は断崖絶壁。底が見えないほどの深淵を背にしながら嘲笑するような顔でこちらを見てくる。問いに即答できず言葉を詰まらせていると、彼女は懐から何かを取り出す。そして、取り出したそれを差し出すように、掌を開く。掌に乗っていたのは銀の指輪だった。きらきらと星の光を反射するその指輪は、間違いなく俺のために拵えられたものであった。
俺は彼女を止めるためその指輪を受け取らねばならない。
差し出された掌に掌を重ねる、ただそれだけでいい。
どうせ結婚など子供の世迷い言。
まずはこの場を収められればいい。
この場を収めることさえできれば後は何とでも……。
「はい時間切れ」
指輪を握ると同時、腹を蹴り飛ばされた。
その反作用で彼女の身体は大きく仰け反り、上半身が手摺りから乗り出す。
目の前の光景がスローモーションになって焼き付いた。腰あたりを支点にして彼女の全体重が手摺りの上へ乗り上げる。足先が地面を離れ、丁度シーソーのように頭とつま先の高さが入れ替わる。勢いで『向こう側』へ滑っていき、彼女はそのまま奈落の底へ消えていった。
『パァン』
暗闇から反響してくる、重いような軽いような、乾いたような湿ったような音。それを聞いて漸く思考が追いついてくる。
「あ……ああ……」
俺の手には銀の指輪だけが握られていた。
それを捨てることも仕舞うことも出来ず握り込んだまま、ポケットからスマホを取り出す。起動しっぱなしのボイスレコーダーを停止。電話で救急車を呼んだ。
救急車を誘導するため崖下に下りる。必然、『遺体』の様子を目にしてしまう。話に聞いたことはあるが、やはり飛び降りの遺体は凄惨な状態で、一目で「どう見ても死んでいる」と判断できた。そこから先の記憶はあやふやだ。運ばれた先の病院に彼女のご両親を呼んで土下座したことと、警察に根掘り葉掘り事情を聞かれたことは覚えている。具体的に何を話したかは覚えていない。
後日、担任である浅田君と共に彼女の家を訪ねたが、反応はなかった。明らかな居留守だ。暫くの間毎日訪ねたもののやはり反応はない。
ご両親との謝罪と話合いが進まない一方で、この件がネットニュースで取り上げられてしまい、瞬く間に世間の注目を集めることとなった。そうなると、当然のように「世間に向けて謝罪する義務」とやらが発生する。校長と、担任である浅田君、そして原因である俺。三人がカメラに向かって深々と頭を下げる様子が全国ネットで流された。
遺書の類は見つかっておらず自殺の動機は闇のまま。だが謝罪会見を行ったことで、世間には「全面的に学校側が悪い」と強く印象付けられてしまった。そこからは誹謗中傷や嫌がらせを受ける毎日。ネットで殺害予告や爆破予告されるだけならまだ良い方で、大人数で校舎の中まで押し掛けかれて授業を直接妨害されたり、何をしたわけでもない生徒が相次いでつきまといをされたり、俺や浅田君の自宅が晒され火炎瓶を投げ込まれた挙げ句必死で消火していたら動画に撮られて面白おかしく拡散されたり……上げればキリがない。逮捕者が何人も出た。普通はここまで酷くはならないだろうが元々評判の悪い学校である。世間から見れば格好の玩具だろう。最終的には長期休校という名目で学校自体を閉じることとなった。
「すまない。本当にすまない。俺がさっさと自主退職していれば、ここまで酷いことにはならなかったろうに」
「謝んな。リンチの対象になっちまった時点でもう手遅れだったんだよ」
閉校後暫くして、浅田君の訃報が届いた。
自宅で首を吊っていたそうだ。
職を失い、変な方向で名が知れてしまったこともあり新たな職にもつけず、貯金を切り崩す生活が続く。先が見えない。
あまり贅沢はできないが、ふとした思いつきでバーに足を運んだ。最後に浅田君と飲んだバーだ。カランコロンとドアベルが鳴る。カウンターについてジンフィズを頼んでから、煙草に火を付ける。一服。
「それ、今日で何本目だい」
「丁度一箱で……って荒野先生!?」
隣に居たのに全く気付かなかった。学校での荒野先生とは雰囲気が違う。幾分落ち着いている。
「吸いすぎじゃあないかい」
「煙草吸うくらいしか楽しみがなくて、へへ」
「まあ僕も言えたことではないか。最近は酒ばかり飲んでいる」
「そうですか……」
荒野先生は小さく溜め息を吐き、ロックグラスを傾けた。丸い氷がコロンと音を立てる。丁度そのタイミングで注文したジンフィズが差し出された。暫くは両者無言で酒を呷るが、あまりに気不味い。俺から話を振る。
「ところで、荒野先生は何故教師に?」
「藪から棒だね。まあ、深い意味はない。落ち着くところに落ち着いただけだ。そういう君はどうなんだい」
「似たようなもんだと思います。正直何故この道に進もうと思ったのか、よく覚えてないんです」
「覚えてない、か……。君。教師になるのはどんな人間だと思う」
「そりゃあ……教えるのが好き、とか」
「教えるの好きなのかい」
「あー……違うみたいですね」
「僕も別に好きじゃない。第一そんなもんただの自己満足だろう」
「自己満足も無しにやってられる職業ではないですがね」
「ふむ、一理ある」
「納得しないで下さいよ……。で、結局答えは何なんです?」
「答えというか、これはただの持論だけども。教師になる人間というのは総じて、学校というものを卒業できていない奴らばかりだ」
「へえ?」
「勿論社会的な話でなく心理的な話だよ。僕達教師は皆、学校というものに何かしら未練が……いや、違うな。自分の一部を置いてきてしまってるんだよ。学校に」
「ああ」
何とも漠然とした話だが、自分の中ですとんと腑に落ちる感覚があった。
使命感に動かされたわけでもなく、崇い理想があったわけでもない。単純に、俺はまだ『学校』に囚われていたわけである。
俺は教師として、とにかく生徒と分かり合うことを第一に考えていた。生徒の視点に立って、同じ目線で、共に歩む。そんな存在になろうと。その結果がこれである。そもそも同じ目線になど立てる筈がない。彼らの居るところは俺の『学校』とは違う。ここでいくら足掻いても忘れ物は取り返せない。それを理解していなかったのが過ちだ。
「まだ教師というものになりきれてなかったんですかね、俺は」
「いや、上手く演じていたよ。君も。浅田君も。たまたまこうなってしまっただけで、本当に一番未熟なのは僕なんだろうな。全部理解した上で、演じることすら満足にできない。だけど潮時だ」
「『卒業』するんですか」
「うん」
「俺はまだできそうにないなぁ」
「こればかりは、満足するまで足掻くしかないのだろうね」
いつになく饒舌な荒野先生だったが、一頻り喋り終えたらしく、グラスを空にするや否や代金を払って速やかに出て行った。しかし意外な一面を見たものだ。
ーーーーー
ある昼下がり。いつも通り自室で煙草をふかしていると、不意にインターホンが鳴る。どうせ出る必要もなかろうが一応確認。応答はせずカメラだけオンに。
汚らしい身なりの男が立っていた。
当然無視。
「オラァ!居るんだろ開けろよぉ!」
ダァン! ダァン!
玄関のドアを思いっきり蹴り始めた。
最近は大分落ち着いて来たが、久々に厄介そうなのが来たものだ。即座に警察へ電話。こういう手合いへの対応はもう慣れた。慣れたくはないが。
「もしもし警察ですか」
『はあ……また貴方ですか。自業自得ですしまず自分で対応したらどうです。警察は暇じゃないんですよ』
「は?」
ブツッ
切られた。
……もう警察は頼りにできないようだ。
とにかく玄関さえ開けなければ危険はないだろう。そう判断して我慢することに。一時間くらい騒ぎ続けていい加減疲れたのか、男はいつの間にやら消えていた。
……が、翌日。
再び同じ時刻に件の男が来た。
きっかり一時間騒いだ後、玄関前に大量の牛糞をばら撒いて帰って行った。
そしてまた翌日。
今回は玄関前で騒がず家の四方八方から投石してきた。
窓ガラスが三枚と外壁の一部が破損。
またきっかり一時間で帰る。
その翌日。
男が金属バットを持ってきて玄関を破壊しようと試みてきた。二十分くらい殴り続けて、いよいよドアが壊れるか、という頃に警察登場。どうやら近隣住民が通報したらしい。男は一目散に逃げていく。時間をおいて外の様子を確認すると、何やら貼り紙が。
『近隣住民は皆迷惑しています。少しでもあなたに良心があるのなら責任をとって引っ越すはずではないでしょうか』
知るか。
しかしいい加減身の危険を感じる。日に日に過激になっていくし、もしドアを破壊されて侵入を許していたらどうなっていたのだろう。明日はチェーンソーでも持ってくるかも知れない。
この日二箱目の煙草をふかす。最近煙草の減りが早い。
何か対策をせねばと考えているところ、インターホンが鳴る。
あれだけ暴れられてインターホンが無事なのは意外だ。ともあれ、カメラをオンにして来客者を確認。男が戻ってきたのかと内心びくついている。が、そこにいたのは一人の生徒だった。『元生徒』と言った方がいいか。
応答ボタンを押す。
「穂栖君か。こんなとこに何の用だい」
『先生ヲ助ケタインダ』
「はあ」
『話ダケデモサセテヨ!』
「まあいいけど」
外に居るのも危険と判断して、穂栖君を招き入れた。即座に施錠。
リビングのテーブルに向かい合わせで座る。
正直気まずい。彼は類い希な才能を持っており絵本作家を目指しているらしいが、俺はしょうもないプライドを守るために、彼に絵を教えるのを避け続けてきた。その負い目があるのだ。
「で、助けるとは。君に何ができるのか」
「頼レル人達ヲ紹介スルヨ」
「頼れる人達?」
「『スイーパー』ッテイウノ。オ金ヲ払エバ色々ヤッテクレル。ボディガードトシテ雇ウトイイ」
「そりゃ助かる……けど、そもそも何でこの状況知ってるの」
「先生ニ会イニ来タノニ、アノ人ガ邪魔デ近寄レナカッタカラ」
「ああ……つまり本題は別にあるわけか」
「エヘヘ。アノネ、絵ヲ教エテモライタインダ」
「やっぱりか。でも駄目」
「ナンデ?」
「危ないよ。こういうことは今まで何度もあったし、これからも多分ある。君のためにも俺みたいなのと関わっちゃ駄目だよ。親御さんも心配する」
「家出シテキタカラ大丈夫」
「はい?」
「コレガ終ワッタラ遠クニ引越ソウ」
「いやいやいやいや……」
何を言ってるんだコイツは。
引っ越すったって行くあてもないし、教え子を連れ去ったとなると今度こそ社会的に死ぬ。もう殆ど死んでるけど。
「とにかくあの男はスイーパーとかいうやつに何とかしてもらうとして、君の話はその後だ」
「ワカッタ」
穂栖君が教えてくれたアドレスにメールを送ると素早く返信が来た。明日の朝スイーパーが訪ねて来るので、そこで前金を払えば依頼成立らしい。それにしても何処でこんなのを知ったのか。
穂栖君はとりあえず家に泊めた。
翌朝8時。予定通りスイーパーがやってきた。
ロン毛のスーツ男と普通のおっさんだ。少々頼りない。
「成る程。つまりその男を『何とか』すればいいと」
「勿論警察沙汰になるのは勘弁で」
「それは当然です」
ロン毛は意外にもマトモそうな奴だった。
とりあえず信用しよう。
「では前金を……確かに。これにて依頼成立です」
恐らく今日も彼奴は来る。
ロン毛には家の中で俺と穂栖君の身を守ってもらい、おっさんが外の様子を警戒する。
『今のところ異常なしだね』
「了解。そろそろ例の男が来る時間らしいので気を付けろ」
『ラジャ』
スイーパーの二人はトランシーバーで連絡を取り合っている。ロン毛はともかく、おっさんは普通のおっさんなので監視に適任だろう。
不意に煙草が吸いたくなってきた。指が震える。
ポケットからライターを取り出そうとしてうっかり落としてしまった。
『待って、何か家の周りに撒いてる奴いるけど三人とも中にいるよね?』
「は? もう庭に居るのか!?」
『あー、これは、あれだね。ガソリンだ』
「!! 二人とも今すぐ外に逃げろ!」
あ、コレは本当にヤバいやつだ。
穂栖君は一目散に裏口から避難した。俺も逃げねば……。
と、あることが頭に浮かんだ。
「そうだ。金庫」
「何やってる!?」
二階の金庫には大事なモノが入っているのだ。家宝の茶碗と、それから銀の指輪。回収しないと。家ごと燃えてしまう。
千鳥足になりながら階段を駆け上がる。こういう緊急時、逆に冷静になるものだというが、実際のところは判断力が欠けているのを自覚すらできなくなるのだろう。不味いとは思いながら踏みとどまれなかった。
二階の自室に金庫を見つけて、ダイヤルキーに指をかける。が、指が震えて解錠が上手くいかない。
「くそったれが……」
まず落ち着かなければ。
震える手で煙草に火を付けて、肺一杯に煙を満たす。
多少震えがマシになる。
額に汗をかきながら、ダイヤルを右に左に。……ガチャリ。
開いた。中身を回収。
ヴウウゥゥゥン!!!
一階からエンジン音のようなものが響いてきた。
続けて人が階段を駆け上がってくる音が聞こえてくる。
バァン! と扉が開いて男二人が転がり込んできた。ロン毛と、あの汚い男だ。汚い男はチェーンソーを抱えている。本当に持って来やがるとは。
ヴゥゥンヴヴヴヴゥゥゥウン!!!
「キエエエエ!」
「くっ……」
チェーンソーを振り回す男。それに対しロン毛は、懐から黒光りする何かを取り出した。ピストルだ。
ロン毛は躊躇なく二発発砲した。
ああ、終わった。人が死んだ。
「ただの麻酔銃だ! そこの窓から飛べ!」
何だかもう訳が分からなくなって、ヤケクソで窓から飛び出した。口にくわえていた煙草が宙に舞う。そのまま俺の身体は自由落下。二階ぐらいなら平気かとおもったが、着地の瞬間、踵から激痛が走る。のた打ち回っていると、遅れて着地したロン毛が俺を引きずってその場から退避してくれた。
それでふっと安心して俺は気を失った。
目が覚めると、知らない天井。
そして知ってるロン毛。
「ここは」
「ホテルです」
「何かすみません」
「いや。宿泊費は後で出して貰いますから」
「あ、まあそうっすよね」
「それよりこのニュース」
「ん?」
備え付けのテレビで火事のニュースが流れている。
見覚えがある風景……というか俺の家だ。
あのとき落とした煙草がガソリンに引火したのかなぁ。
『家主は以前××高校で教員をしており───長期にわたり嫌がらせを受け───。なお焼け跡からは男性の遺体が見つかっており、家主の───と見て特定を急いでいます』
ん?
「貴方死んだことになっているらしいですよ」
「ええ……」
困った。
当然生存報告するべきだろうが、家もなくなったし、行くあてもない。いっそそのまま死んだことにして旅にでも出るか。
「ああそうそう、穂栖君……でしたか。彼はウチで預かることとなりました」
「??????」
「何やら帰るに帰れない事情があるようで。スイーパーの一員として働いてもらうのと引き換えに、我々の基地で共同生活することになります」
「そうっすか」
何だかもう滅茶苦茶だ。
考えるのも面倒になってきた。
「あの」
このクソみたいな生活にも嫌気がさしていたところだ。
「ご一緒してもいいですか?」
俺は俺という人間を卒業することにした。
ーーーーー
スイーパーになって暫く経った。
いつの間にかメンバーが増えてきたし、その中には少年や少女も混ざっている。俺と同じように、それぞれ何らかの事情で生活を捨ててきたらしい。償いではないがせめて彼らを導いていきたい。まだ彼らは若過ぎるから。教師としての自分に課す最後の仕事だ。