第37話 『オッサン』の場合Ⅱ
後編です。
※ショッキングな表現あり
冬のある日のこと、一人の乳児が施設の前で倒れていた。餓えと寒さで瀕死。すぐに暖かい部屋で介抱する。速やかな手当てが功を奏し、救急車を呼ぶ前に回復した。大した生命力である。
「また捨て子、かな」
「そうに決まってるわ。ハイハイやよちよち歩きでここまで登れないでしょ」
「だよねぇ……」
血色も良くなりすやすや眠るその子は、見たところ生後半年たつかという具合。元気に動き回って手のかかる時期だろう。一時も目が離せないから両親で協力して……。ふとある考えが浮かんだ。
(もし『彼ら』の中にこういう子供が居たら、皆で協力しあって世話したりするのだろうか)
……我ながらお花畑みたいな考えだ。
とにもかくにも、この子も施設で育てることになった。つけられた名前は『菅原リョウ』。いつものように、一連の手続きは妻がやってくれた。リョウくんは少々性格に難ありだったが概ね問題なく成長。波長が合うのか、元捨て子の子供同士で集まって遊んでいるところをよく見る。
……と、リョウくん自体の話はいい。いや、度々とっくみあいの喧嘩をする程度には問題児なのだが。まあそれはこの際置いておく。彼の周りで少々おかしなことが起こるのだ。
「あれ、今日はお友達少ないね?」
「……?」
「分かんないか」
先に述べた通り彼はまあまあ問題児。ゆえに目をかけているのだが……。どうしたことか彼の遊び仲間が時々減るのである。昨日までは三人で遊んでいたのに今日は二人。それから何日か経つと別の子が仲間に加わって、そしてまた何日か経つと、一人減っている。他の子と遊んでいるわけでもなく、全く姿を見なくなる。妙なのは「誰も不思議に思わない」という点だ。リョウくんは一緒に遊んでる子の顔も名前も覚えないし、何故だか居なくなった子の形跡が何も無い。皆、まるで初めからそうだったかのように振る舞う。しかし僕はここの責任者だ。初めのうちこそ見逃していたが、居なくなった子のことはちゃんと覚えている。万一の場合には早急に対処する必要があるだろう。
まず居なくなった(と思われる)児童に割り当てられていた個室を確認。もしかしたら部屋に籠っているだけかもしれない。
「あれ、空室。この部屋じゃなかったっけ?」
部屋はもぬけの殻で誰かが生活している様子さえない。
間違えたか。そう思って他の部屋を確認するもやはり形跡なし。おかしい。もう三人は「消えて」いる。里親にでも引き取られたか。いや、責任者を通さずそんなことあるはずもない。
「……一旦名簿を確認しよう」
名簿にはここに収容された児童の情報が纏められている。児童一人一人と照らし合わせて食い違いがあれば、これはもう失踪事案と断定する他あるまい。
事務室に行き、重要書類用の鍵付き棚から名簿を持ち出した。
「○○くん、確認。××くん、確認。△△ちゃん、確認……」
夕飯時、児童が食堂に集まる時間を利用して照合していく。
これで六割ほど確認が済んだ。残りのは恐らく個室で食事をとっている子だ。
地道に一人一人訪ねていく。
七割ほど完了。
さて遅くなってきたしそろそろ休むか、という頃合いで、廊下から甘い匂いが漂ってきた。
「それ名簿じゃない。そんなもの持って何しているの?」
「ちょっと気になることがあってね」
妻だ。この甘い匂いは彼女の愛用している香水である。
「ふーん?」
妻は首をかしげるも、それ以上は何も聞かなかった。
一瞬、彼女にも報告しておくべきかと思ったが、思いとどまる。
ほんの少しだけ胸の内にもやが湧く。
(そういや最近、ほとんどの事務処理は彼女に任せきりだった……)
黙っているうちに妻は踵を返し去って行った。
香水の、金木犀の残り香を置いて。
⎯⎯⎯⎯
初夏。少々空気の蒸す、いつも通りの休日。
いつものように食べ物などを持って下界へ降りる。
「どうした兄さん。難しい顔してんな」
「いや、何でもないよ。気にしてくれてありがとう」
少しでもまともに生活できるよう僕は『彼ら』を統率することにした。時間はかかったが、街にいる者達は大方一つのコミュニティに纏まってくれた。今では川辺の橋の下を拠点にして、物資を分けあい、それなりに規則正しい生活をしているらしい。僕も『兄さん』などと呼ばれ仲間だと思われている。
「はい今日の分のパン。皆に配っといてね」
「いつもすまねぇな。兄さんは善い奴だからそのうち良いことあるべ」
「はは、そうだといいねぇ」
騙しているようで悪いが、この方がやり易いし誤解を解く必要もあるまい。
……だが、少々彼らの事情に深入りし過ぎた気はする。
完全に顔を覚えられているし、会うたびに挨拶してくる。そして「今日の分」をねだってくる者もいる。彼らを助けているつもりだったが、もしここで僕が居なくなったら。彼らは再び路頭に迷うのでは。そればかりか、最終的には元より酷い状況になり得るのでは……?
そうだ。所詮これが独善の限界。思考を放棄した結果だ。
(あったはずなんだ、もっと上手いやり方が……)
仕事に戻っても、その考えは頭の中を蠢き続けた。
最近はいつもこうだ。失敗した気がする。何か取り返しのつかない間違いを犯して、そこから生じた狂いが段々表出してきているような、そんな気が。
⎯⎯⎯⎯
事務室の椅子を揺らしながら天井を仰ぐ。
結局、居なくなった児童の形跡は一つも無かった。名簿の照合は済んだが失踪者は認められなかったのだ。消えた(元々居たはずの)子は、そもそも名簿に載っていなかった。これでは失踪届けも出しようがない。
やはり……妻が何か知っているのではないか? 事務処理は殆ど彼女がやっている。疑っているわけではないが、何かできそうなのは彼女くらいだ。
事務室は静まりかえっている。妻も、他の職員も、出払っている。
おもむろに、妻の使っているデスクへ歩み寄った。
(あっ、引出しの鍵開いてる……)
そっと引出しを開ける。
中に幾つかの書類が入っているが、不審なものは……。
「……名簿?」
何故か名簿が入っていた。
確かこれは元の場所に戻したはずだが。そう思って重要書類用の鍵付き棚を確認する。
名簿が、あった。
「え、何これ。なんで二冊あるの」
片方は写しか、とも思ったが、開いて見比べてみるとどうも違和感がある。片方をパラパラパラパラ。もう片方をパラパラパラパラパラ。ページ数が、違う。妻のデスクから出てきた方はページ数が多い。これは……。
気付く。
(こっちの名簿には「消えた」子たちがちゃんと記載されている!)
ふわりと金木犀の甘い香りが漂ってきた。
「あっ」
ガシッ、と背後から強い力で組み伏せられた。
「見たのね」
これは妻の声。しかし少し遠い。後ろを振り返る余裕がないが、多分事務室の入り口くらいに立っている。じゃあ僕を組伏せているこれは誰だ。
「ま、そのうちバレるのは分かっていたわ。良い頃合いね」
「どういうことだ」
「細かい説明は不要。顔を上げなさい」
髪の毛を引っ張られ無理矢理頭の向きをかえられた。
「ああッやめ、痛い痛い! 首折れ……は?」
『ほっ、ほきょん』
『ほけきゃきゃきゃきゃ』
『きょきょきょ』
視線の先。妻が、立っていた。異形の怪物を従えて。
……いや、なんだこれは。
わけが分からない。
妻は何でもないようにこちらを一瞥し、事務室の鍵を締める。
そして僕の前に紙の束を放り投げた。
「あなたはただ、これにサインしてくれればいいわ」
「何を言って……」
「ここの責任者の引き継ぎに必要な書類よ。あと離婚届とか、その他諸々ね」
「……はぁ!?」
妻の言っていることが理解できない、というより、理解するのを頭が拒否する。今までそんな素振りはなかった。僕の知るかぎり、彼女はそんな人ではなかったはずだ。この孤児院を乗っ取るなんて、そんなこと。
「いつから……いつから僕を騙していたんだい」
「人聞きの悪いこと。私は初めからこうだったわよ。初めからこうする予定だったし、ここは私の城になる予定なの。分かったらさっさとサインしなさい」
僕を組伏せている何者か(どうやらコイツも怪物らしい)が、骨が折れるくらいに腕を締め上げてくる。
『ほきょっ! ほきょっ!』
「分かったッ、書く、書くから、あと二つだけ質問させてくれ! コイツらは何なのか! 消えた子供を何処へやったのか!」
「……意外ね、てっきり『何故こんなことを』とか聞くかと」
「多分その質問には答えないだろ……ッ」
「利口じゃないの。
良いわ、答えるから、書きながら聞きなさい」
彼女の顔がずいっと近付けられる。
「まず一つ。この子達のことだけど、あなたなら分かるでしょ?」
「……『害獣』か?」
「正解。まあ常識的に考えてそれ以外ないけど。あの災害で両親を失った身として、やっぱり感じるところある?」
あの災害とは即ち、『害獣大災害』のことだ。巨大な『害獣』が、無慈悲に全てをなぎはらっていった、この国史上最大級の災害。謎の異形、無から発生し死ねば無に還っていく『害獣』に、当時の人々は成すすべなく蹂躙されたと聞く。実際見たのは初めてだ。
もっとも、『害獣』は不定形で決まった形態はないらしい。今目の前にいるやつらは翼の生えた猿のような姿をしている。
「この子達がいると便利よ。私が呼べばいくらでも湧いてくるし、この子達は特に食いしん坊で肉も骨も残さないの。
……まあ、これが二つ目の質問の答えね」
「!!!」
思わず唇を噛み締めた。口の中に鉄の味が広がる。
僕の記憶が定かなら、消えた児童は皆、菅原リョウくんの遊び仲間、つまり捨て子だ。害獣をつかって捨て子を「消した」と。
何故捨て子ばかり消したのか。
消えても……差し支えが無いから?
「まさか、そもそも棄児発見報告をしてない……?
捨て子たちを最初から居ないことにしていたのか!?」
妻は無言でこちらを睨み、紙束を取り上げる。
「うん、ちゃんと全部サインしてある。これに印鑑を捺して、と。
じゃあ用済みだから出ていって良いわよ」
『ほきょっ!』
「待っ……」
「ああそうそう、ここには二度と戻ってこないでね。
折角温情で生かしてあげるんだから」
ガシッ
ドサーン!
「痛っだあ゛ぁ゛」
窓の外へ放り投げられた。
着地点から五メートルほど滑りアスファルトに全身削られる。
痛みに耐えて起き上がる頃には、何事もなかったかのように窓が閉められ、ブラインドが降ろされていた。
頭と心の整理がつかず呆然として座り込む。時間にして多分五秒くらい。しかし何倍にも引き伸ばされて感じる永い五秒。次第に痛みと黒い感情とが膨れ上がって
「……………………ン゛ン゛ッ!」
自分の中で何かが決壊する。
もはや声にもならない絶叫。濡れた雑巾を絞るように止めどなく溢れる涙。ここまで積み上げてきた全てが呆気なく蹴り崩された。苦労も、苦悩も、苦痛も、苦行も、苦難も、自分の身に刻み込まれたものが全て無意味になった。全て。全て。
それでも、精一杯膝に力をこめて立ち上がる。
「……警察、に、行こう」
起こったことを全部警察に話そう。こんなこと警察が取り合ってくれるか分からない。が、せめて責任はとらなければ。自分の犯した過ちの責任を。
雨が降りだした。
そもそも梅雨の時期なので空気が重い。既に夜も更け、月明かりもないので照明がなければ何も見えない。ついには雷も鳴り出す。酷い雷雨のなかをずぶ濡れになりながら歩く。強く打ったせいか脚が痛い。
河川敷が見えてきた。
丁度良い。雨宿りがてら、あの橋の下で一旦休もう。
「はあ、はあ、誰か……居るね」
この辺りには『彼ら』の拠点もある。あそこで雨をしのいでいるのかもしれない。そう思って近付いていった。
異変を感じる。
子供の泣き叫ぶ声がする。雨の音と濁流の音で掻き消されて、近寄るまで気付かなかった。
「ん゛ーーー! んむううーーー!」
「な、何をして……。……」
汚い身なりの男が。泥塗れになりながら。
五、六才くらいの少女にしがみついて。
何度も何度も腰を打ち付けていた。
「ふッ、ンッ、ンッ……ふンッ」「んぎっ、ぎぃぃ」
男は知っている顔だった。『彼ら』の中の一人で、コミュニティの中でもそこそこ信用を置いていた人だ。少女の方は知らない。多分近隣の住民だろう。この夜更けになんでここにいるのかは分からないが。
足元に落ちていたコブシ大の石を拾い上げる。
もう、何も考えられなかった。
ゴスン
そこからはもう頭が真っ白になって、自分でも何をしたか、よく覚えていない。何かを叫んだような気がする。男が何か言っていた気がする。だがもう、全て手遅れだ。
頭が冷えた頃には男の死体と少女の衣服だけ残っていた。
確か、少女が川の濁流に身を投げて流されていったような。
「……」
まだ微妙に温かい衣服を、川に流した。
男の死体を担ぎそこから去る。死体はもう少し下流の方で流す。川の途中ではゴミを受けるためのネットが幾つか設置してあるから、それに引っ掛からないように。この流れなら海まで直ぐだ。少女の方は……まあ、遺体が発見されたら不幸な事故として処理されるだろう。付着した体液などは濁流に洗い流される。
頭を回すことで冷静を装おうとした。が、冷静になんてなれるはずもない。僕は初めて、人を、自分の手で殺めたのだ。
警察に行くどころではなくなってしまった。
⎯⎯⎯⎯
それから僕は、少し離れたところにアパートを借りてそこに引きこもった。家賃と食費、最低限それだけをバイトで稼ぐ。あとは、中古で買ったゲームをして一日潰す。
人と関わることが怖い。叔母は人間のクズだと思っていたが、あれより酷い人間が世の中に溢れていることを知ってしまったのだ。むしろ叔母は、そんな奴らから僕を守ってくれていたのかもしれない。あの人は今どうしているだろうか。
流石にこれじゃいけないと思い、時々スポーツジムなんかに通うようにもなった。バイト、ゲーム、ゲーム、ゲーム、バイト、ゲーム、ジム、ゲーム、バイト、ゲーム、ゲーム、ゲーム、バイト、ゲーム、ジム、ゲーム、バイト、ゲーム、ゲーム、ゲーム……漫然と、そんな毎日を続ける。いつか警察が乗り込んで来るんじゃないか、とか、僕を恨んでいる誰かが刺し殺しに来るんじゃないか、とか、そんなことに怯え続けて。何年も。いつの間にか十年以上も。
無駄な筋肉とゲームの腕ばかりついていった。
⎯⎯⎯⎯
そんなこんなで五十路も回ったころ。
ある出会いをもって、ようやく僕の人生が、再び動き出す。
「じゃあ君のことは、何と呼べば良いのかな」
「私のことは『リーダー』とでも呼んでくれ。それで、お前は」
「僕は『兄さん』……いや『オッサン』でいいよ」
「雑だな」
「実際おっさんだし」
彼と二人でスイーパーというのを始めた。依頼を承けて雑用を行う便利屋だ。普通にバイトするより稼ぎが悪かったが、まあ代わり映えしない生活に疲れていたところだ。次第に仲間が増えていったし、出来ることも増えた。闇医者なんてのも仲間になった。
「なぁ、ホントにこんな不細工でいいのか?」
「いいの。これで」
闇医者に頼んで顔の整形手術をやってもらった。
過去の自分との決別だ。
全て手放して、もう一度ゼロからやり直す。
間違えたところから目を背けず、一つ一つ。
「……さて、次の依頼が来た。
内容はズバリ標的の捕縛」
「標的とは?」
だからこれはきっと、運命だ。
「標的は一人の少年。名を『菅原リョウ』。
『不死』の能力者だ」
取り溢したものを拾い上げる為に与えられた、最後の機会だ。