第32話 以心伝心ゲノム
菅原リョウの健康状態:
頭部:脳組織に著しい損傷
左目:外眼筋修復中につき眼帯装着を継続
チューンアップを受けタコ・ネコ・ヒト(♀)の遺伝子を取り込み済
ここ一月ほどは相変わらずな日々を過ごしていた。
幾つか依頼も来たらしいが、内容を聞いても特に面白みのないものばかりだ。左半身は動かないし、出来ることも無ければしたいことも無い。代わり映えしない。だが俺の身体に関しては、変化もあった。
まず、ずっと室内に居たのにも関わらず肌の色が小麦色になった。
うん? なんだコレ。
と思ったが更に次の変化。体毛や頭髪に、金色の毛が混ざり始めた。
ここで察した。ああ、これはキャルメロさんの遺伝子だな。忘れていたが、この生体サイボーグの身体には『タコ』『ネコ』『ヒト(♀)』の遺伝子を組み込んである。そしてヒト遺伝子の提供元はキャルメロさんだ。どうやら今更になってそれが発現したらしい。キシダさんに身体の隅々まで調べられた。
そして今現在変化中の部分がある。胸だ。
胸が、段々膨らんできたのだ。
じんじん、ちくちくして異物感が半端じゃない。しかもやたら早く成長し、服では隠しきれないサイズにまでなった。それに合わせ、顔や体も丸みをおびてどんどん女性的になっていく。
これにはさすがに焦ったが、まあ別段悪いことでもない。何だか皆、いつにも増して優しく接してくれるようになった。気を遣ってくれているのだろうか。それと予期していなかったことだが、ミサキが時折自分から話しかけてくるようになった。何故かはよく分からないが、俺が女性的になったことで警戒が緩んだのだと思う。まあ「あうあう」くらいしか喋れないので大した話はしてないが。この身体で困ることと言えば、ニトーさんが度々妙なにやにや顔で見てくることぐらいだ。
━━5/17━━
「『稲沢玄』を始末する」
突然召集がかかったと思ったら、リーダーからそんなことを言われた。
「『御得意様』からの追加依頼だ。
稲沢玄、A市在住。現在停止中の依頼の標的『古庄恭弥』と行動を共にしている能力者。超人的怪力を誇り、そして自身は如何なる物理的損傷も受けない。
先日深夜に起こった抗争にて、暴力団構成員31名を殺害。標的による被殺者は計53名にのぼる。目に余る反社会的行為につき、警察機関に代わり標的を始末すべし……とのことだ」
俺の目玉をほじくった奴だ。そんなに強い能力者だったのか。
メンバーからどよめきが起こる。
「まあ落ち着け、既に一度事を構えた相手だ。
今度は確実に仕留める」
えらく自信満々だな。
ひとまずどよめきは静まった。
問題は、誰が行くかだな。前回の実行組は、リーダー、ドクター、そして俺だった。が、今回は……?
「──キシダとメガネは、実行組として私に同行してもらう。
いいな?」
「ういーっす」
「はい」
あっさり決まってしまった。
「明日出発する。二人は必需品を纏めておくように」
━━5/18━━
翌日。
実行組のリーダーと、キシダさん、メガネさんは予定通り出発した。三人は依頼受諾の中心でもある。なので彼らが帰ってくるまで新規の依頼は受けられない。基地に残ったメンバーは、メールによる朝夕の定時連絡を確認しつつ、待機するのみ。(メールはリーダーの携帯端末とニトーさんのパソコンの間で交わされる)
「ねえミサキ。あの三人、大丈夫ですかね」
「……どーでもいい」
「リーダーとキシダ先生は強いから大丈夫でしょうけれど。メガネ先生は」
「そんなにクソザコ眼鏡が心配かよキョウコ」
「少し」
「チッ……リーダーが大丈夫って言ったんだから大丈夫だろ」
女子二人の会話が聞こえてきた。どうやら今回のような危険な仕事は珍しいみたいだな。とくにキョウコは絵を教わっていたから、メガネさんが心配なのも頷ける。
「大丈夫だろ……なあリョウ!?」
「うあ(そうだな)」
ミサキも、昨日からは特に様子が変だ。今みたいに突然話をふってくる。それに貧乏揺すりや頭を掻きむしるのがやたら激しくなった。案外メンバーの中で一番動揺しているのだろうか。普段は目の敵のようにしてるのに、分からないものだ。
午後6時、予定通り定時連絡が来た。
『標的の住むアパートに出入りする二名の男を目視。
一人は同居している「古庄」と思われる。もう一人は不明。
標的は室内にいる模様。様子見を行う』
更に翌朝6時の定時連絡では
『深夜に徘徊する標的を目視。二三日泳がせる』
とのこと。一先ず接触はまだのようだな。
因みに『もしも』があった場合、待機組の中から三人を『回収組』として急行させることになっている。もしもとは、例えば連絡が途絶えたとか、実行組が何らかの理由で行動不能になったとかである。動ける者が出動して実行組を回収するのだ。
━━5/23 5:55━━
六日目の朝を迎えた。昨日夕方まで、実行組は大きな失敗なく監視を続けていたようだ。
そして予定通りに事が進んだならば、リーダーたちは昨晩標的と接触したはず。
もうすぐ朝の定時連絡が来る。待機組の皆が、それを聞く為に広間に集まっていた。それぞれ右往左往したり、沈黙したままじっとしていたり。俺はというと、おっさん、ホストさんと共に雑談にふけっていた。
「それでさ、目の前にボールが飛んできて。反射的に手を伸ばしたわけだ。そりゃもう人生一度あるかないかのナイスキャッチだったねえ」
「スゲエ!」
依頼とは全く関係のない、おっさんの思い出話を聞かされていた。子供の頃から多趣味で、作家に芸人、プログラマー、そして野球選手、その他諸々……将来の夢は四十八個もあったそうな。何の因果か知らないが、最終的にはそのどれでもない『スイーパー』になった、というのも面白い。
「リョウ君は夢とかある?」
将来の夢か。俺には一つもなかったな。
手元の紙にバツを書いた。
「そっか。まあ人それぞれだよね」
「うあ」
「ホスト君は将来、絵本作家になりたいんだっけ」
「ソウダヨー。絵ノ描キ方メガネ二教エテモラウンダ」
ほー。そうなのか。
「デモ、メガネ、ゼンゼン教エテクレナイ」
そりゃまたどうして。
「絵ハ脳ニ負担カカルッテサ」
「それは………うん、仕方ないねえ」
「ザンネン」
ホストさんはどうやら頭の病気らしいのだが、まさかそれほど重症だとは。まあ確かに、絵を描くのは疲れるもんな。仕方ない。
思い出したように、おっさんが腿を叩いた。
「あっ、そろそろ時間じゃないかな。ニトーくん今何分?」
「6時2分だお」
「……うん?」
もう定時過ぎてたのか。連絡は毎回時間ぴったりに来ていたのだが、少し遅刻だな。
そう。少しの遅刻。まあ人間は機械じゃないから必ず時間通り動けるわけじゃない。何か思いがけないことで躓いたりするものだ。一寸寝坊したり、携帯端末の充電がきれたり、リーダーみたいなしっかり者でもそういう『うっかり』はある。
だから最初は「何かやってんだろう」程度に思っていた。
そのまま何十分か経って「何やってんだろう」に変わる。
何時間か経って「何かあったのだろうか」になった。
結局丸一日経っても、連絡は来なかった。
━━5/25 17:08━━
連絡がないまま8日目を迎えた。
基地内はやたら静まり返り、食事中でも会話が少ない。ニトーさんはまた自室に籠ってネットサーフィンしているらしい。まさかメールを見逃したりしてないか。
度々おっさんがニトーさんを訪ねるが、そんなことはない様だ。
さてどうしたものか。
広間で車椅子を揺らしていると段々眠気がやってきた。ここ数日、少しだけ、慣れない早起きをしているせいだな。朝の連絡を聞かねば、ならないから。普段、ならもう少し遅くまで、寝てる。
嗚呼、瞼、が重い……
……。
ドタドタドタドタ ガシャン!
「あうっ?」
何だ、いい感じで寝ようとしてたのに。
ふと横のテーブルを見ると、黒い通信機が置かれていた。そしてその前でドクターが一人でおろおろしている。どうしたよ。
「ぷひぃ……れん、連らきゅ、が……き!」
……連絡?
何だか尋常じゃない雰囲気にまずおっさんが気付き、大声で待機組を呼び寄せた。
通信機の前に皆が集まる。
『……ザザッ……皆集まったか?』
「ふひ」
『良し。三つほど報告がある、よく聞いてくれ』
キシダさんの声だ。
なぜ通信機で。リーダーはどうした?
疑問が残るまま、キシダさんにより報告がなされる。
『ザッ……先ず一つ。
標的「稲沢玄」の抹殺に成功した』
おお、マジでか。これは報酬ががっぽり貰えそうだな。
一瞬喜ばしいことだと思ったが歓喜の声はあがらない。皆あと二つが気になるようだ。
淡々と続きが述べられる。
『二つ目。抹殺完了後、もう一人の標的である「古庄恭弥」により襲撃を受け、三人とも重傷を負った。
三つ目。メガネが「古庄」に攫われた。
以上の理由により連絡が遅れた。携帯端末も故障したので今は緊急の連絡手段を使っている』
……。
誰のかは分からないが小さな悲鳴が聞こえた。
報告はなおも続く。
『俺とリーダーは今、C市の某施設に避難している。回収組を向かわせてくれ。
回収組としてドクター、オッサン、ホストの三人を指定する。住所はドクターに伝えてある。
以上だ』
問答無用で通信が切られた。
……今ので終わり? メガネさんは?
そう思ったのは俺だけではないようで、通信が終わった後、暫く誰も動こうとしなかった。回収組に指定された三人も。静かすぎて、意味も無く耳鳴りが聞こえてくる。
そんな中で最初に動いたのは、年少のヒメちゃんだった。
とてとて歩み寄りおっさんの服の裾を摘まむ。
「おじちゃん。おむかえいってきて。ヒメ、いいこでまってるから」
「あ、ああ。そうだね」
漸く固まっていた空気が解れた。相変わらず会話は少ないが各々自分の居場所に戻っていく。
回収組は速やかに荷物を纏めて夕飯より前に出発した。
夕飯はカレーだった。カレーは寝かせるほど美味しくなるらしい。
━━5/26━━
九日目、昼下がり。
広間にはカレーの匂いが漂っておりどうにも腹が減る。大分気が早いが夕飯が待ち遠しい。リーダー達、早く帰ってこないだろうか。
基地に残っているのは女性四名とニトーさんと俺。
今日はヒメちゃんが男子部屋でお昼寝中。ミサキに「キョウコとしばらく二人きりになりたい。女子部屋に誰も近づけないでくれ」と言われたのだ。二人のことは勿論、幼児の昼寝を邪魔するわけにもいかない。ニトーさんも何か忙しそうだ。
というわけで、俺は今キャルメロさんに膝枕されている。とても柔らかい。
キャルメロさんは俺の頭をそっと掻き撫でた。
「ほんとに金髪が生えてきてる。ふふっ、お揃いね」
か細い指櫛が髪を梳く。爪の先が頭骨の上を滑っていく。その感覚が何とも言えず心地よく、安らかな気分になる。自分は守られているという安心感。捨て子として生きてきた俺には無縁だったものだ。
「睫毛も長いし、髪もお肌もつやつやね。羨ましいわ」
頬をぷにっと突かれた。
何だろう……とてもむずむずする。居心地がいいのに、一刻も早くこの場から離れたい。矛盾した感情が胸の底から這いあがってくる。これも恐らく、今まで無縁だったもの。こんなものは知らない。どうすれば良いのか分からない。ただ一つ漠然と思うのは、今、とても甘美なものを味わっているということである。
……スイーパーになってもうすぐ三ヶ月だ。そんなに長い時間は経っていないが、短くもない。『彼ら』は最早他人と言えなくなった。施設暮らしの頃、深い人間関係は極力避けてきたものだから、それと比べると大きな変化である。酷い怪我をする等何が起こるか分からないこの生活。しかし案外悪くない。リハビリを頑張ればまた歩けるようになるかもしれないし、いっそ、ずっとここで……
「ずっと皆で、平和に暮らせたらいいのだけれど」
「……あうー」
はは、気が合う。年も生まれも全く違うのにな。
細胞レベルの以心伝心かね。
……ガチャガチャ ギギッ
ん?
「あら、もしかして帰ってきたかしら!」
誰かが基地に入ってきたようだ。階段を降りる足音が聞こえる。キャルメロさんはそっと俺の身体を起こし、椅子から立ち上がり入口の方へ向かった。……しかし変だな。足音が一つしかない。誰が帰ってきた?
キャルメロさんが広間から出たと思ったら後ずさりしながら戻ってくる。
現れたのは、雑に染めた金髪、鼻や耳にピアスを開けたチンピラのような男だった。
「よおォ、ここがゴミ虫共の巣穴かァ?」
「……何方様でしょうか」
「はン。何だ知らねェのか」
いや、誰?
「『古庄恭弥』ッて者だ。よろしく……するつもりも無ェな。取り敢えず死んどけ」
「ッ!?」
古庄の手が閃光を放つ。キャルメロさんが、逃げようとして椅子に躓く。
椅子が倒れ、ない。その前に景色が停止した。『スローモーション』だ。
糞。何だっていうんだ。この状況から俺にどうしろと。古庄までの距離は大股五歩ほど、駄目だ、そこまで移動できない。投擲できるものも手元にない。キャルメロさんまでは大股三歩。行けないこともない、が、行ってどうする。何ができる? 何をする? 何をしたい?
……死なれたら、困るなぁ。
「があああああ……!」
椅子に座った状態から、右足に全力を込めて地面を蹴った。まず一歩。
バランスを崩しそうになりつつ、付近のテーブルを右手で殴り、その反動で前へ。これで二歩。
全身のばねを使い前方へ跳びつつ、精一杯腕を伸ばして三歩目を稼いだ。
手が、届く。
ドンッ!
キャルメロさんを突き飛ばすことに成功した。よし、やった。守れたぞ。
直後スローモーションが終わり、眩い光が俺に襲い掛かかった。
電流が脳を直接突き抜けていくのを感じる。全部全部、白に染まっていく。
ああ呆気ない。ここで『死』か。