第31話 自己主張のグレイブヤード
菅原リョウの健康状態:
頭部:頭骨及び脳組織に著しい損傷(損傷率は不明)
左目:外眼筋修復中につき眼帯装着を継続
チューンアップを受けヒト(女性)の遺伝子を取込み中
タコ・ネコの遺伝子を取り込み済
青白い灰に飲まれ、何もない真っ白な空間に落とされる。
やれやれ、またこの夢か。
……ということは当然お前も居るんだろう?
『いい加減慣れてきちゃったかい?』
別に。
でもこの夢の中だと、身体がとても自由だ。少し酔いそうな感覚も付きまとってくるがな。
しかしお前も懲りないもんだ。そっちとしては、此処はあまり長居したい場所じゃないんだろう?
『お気遣いどうも。でも君のような興味深いサンプルは珍しい。退屈しのぎとして丁度良いのさ。現状面白げなことになってるようだし』
つくづく不愉快な奴。
でもそうだな、昨晩のアレは一体どういうことなんだ。
なぜニトーさんの部屋から金木犀の匂いが……。
『君の頭かち割って殺そうとしたのはニトーだった。
それしかないじゃん?』
それは、まあ。でも理由が思い付かない。なぜあの場にあの人が居て、俺を殺そうとしたのか。恨まれるようなことはないはずだ。とすると考えられるのは……。
ふと先日の林檎ちゃんの言葉が頭を過る。
───『聞かれたからには消えてもらおう、みたいな展開──』
例えばあの場所に『見られては困る何か』があったとか?
『さあね』
まあ、お前が知るわけないか。
『というか、そこはどうでもいいんだよ。問題は君が頭かち割られた後だ。君はどうやってあのメイド女の家に行った?』
どうやってってそりゃ、倒れてるのを誰かが発見して……。
『誰が、何処で?』
それは当然、ん?
いや、あの孤児院に人なんて、そうそう来るはずない。立地的にも、目的がなければあんな坂の上行かないだろう。さらにあの『害獣』共だ。生身でアレに立ち向かうのは困難。犯人以外に誰も居なかったと考えるのが自然。
じゃあ犯人が俺を? ってそんなわけないか。
うーん、分からん。
発見したときの様子、キシダさんがなにかしら言ってた気がする。なんだったか。
『これかな』
スクリーンのように、目の前に鮮明な映像が現れた。
これは、キシダさんが状況説明しているときの記憶だ。
───『発見されたときには頭蓋骨が陥没していて、鼻と頭から脳漿が垂流しだったらしい』
ほんと、なんで生きてたのか。
『てか普通そんなの見たら救急車呼ぶよ。呼ばなかったってことは、発見者は身内、恐らくあのメイド女だろうね。まあそれは直接聞けばわかること。問題は何処で発見したのか、だ』
……うーん、めんどくさ。どうでも良いや。
『は?』
何かさ、考えるだけ無駄な気がする。人それぞれ事情があるんだろうし、それぞれ理由があるんだろう。それを推し量るなんて俺にはできん。スイーパーになってまだそんなに経ってないけど、想像の及ばないようなことを、嵐のように経験した。世の中意外と何でもアリなんだなって。
正直ついていけない。
『確かに、裏の世界はイレギュラー要素が多すぎる。
まあこちらとしては、その方が面白いよ。他人の頭ん中覗くのが楽しすぎて、ここ一月は起きてないや。リアルを疎かにしちゃいけないね』
ん?
その言い方だと、現実世界にもお前がいる、みたいに聞こえるが。もしかしてお前も能力者か?
『……口が滑った。今の忘れて』
いや待てよ。意味わかんねーって。
『アッ、そろそろ朝だネ! シーユーアゲイン!』
あーーー
ちょ、待っ────
――4/9 『地下基地』――
目覚める。怠い。
やけに天井が近いと思ったら、これは二段ベッドの上段の板だ。介護しやすいよう下段で寝かされたのだ。
相変わらず左半身は死んだまま。一人では車椅子に乗るのも困難なので、誰か来てくれるのを待つ。(上段にはホストさんが寝ているのだが、起こしてはいけない。何かの病気で一日八時間ほどしか起きていられないらしい。)暫くするとキャルメロさんが来てくれて、一日が始まった。
朝食、着替え、そして道場へ……は行かない。行っても意味ないし。
テーブルに置かれた緑茶の湯気が揺れる。目を瞑り、鼻から湯気をいっぱいに吸い込み、吐き出す。
脳を損傷したというのに思考はクリアだ。
……とりあえず、ニトーさんと『金木犀の匂い』の関連性について考えよう。
まず、今は金木犀の時期ではない。自信はないが、確かアレはうすら寒くなる頃、つまり秋から冬の間に咲くイメージだ。ではあの匂いは何だ? 香水、或いは、芳香剤? あの汗臭い引きこもりのニトーさんが香水……何か気持ち悪いなあ。それに本人から匂ってきた感じではなかったな。やはり芳香剤か。そうでなくても部屋に何かしらの手掛かりがあるに違いない。
となれば、俺のやるべきことは一つ。彼の部屋を調べること。
しかし調べるたって、どうしたもんかな。忍び入るにしてもこの不自由な体では……。入れてもらうために、最もらしい言い訳を用意するしかないな。俺が部屋を訪ねる、最もらしい言い訳、ふーむ。そうだ、『遺書の解読』の件。どうやら依頼はまだ続いてるらしいから、様子を伺う体でいけるか? いや、もし本当に「バット男=ニトーさん」なら、ニトーさんは俺の行動を警戒しているだろう。部屋の中まで調べるには、もっと自然な言い訳が必要だ。探し物、部屋が臭い、パソコンを貸せ、インターネットを……
あの人は普段、パソコンで何をしているんだろう?
俺はよく知らないが、ネットで出来ることと言えば『検索』とか『ブログ』とか。確かこの前は、助平な動画を見ていると言っていたな。
……そうだ『動画』だ。動画が見られるということは、恐らく『アニメ』もパソコンで見られるのだろう。そして最初におっさんに出会ったとき、彼はこう言った。
『じゃあ僕、観たいアニメがあるんでそろそろ帰らなきゃ』
しかしこの基地のテレビは砂嵐しか映らない。他にテレビもパソコンも無い。つまり普段は、あのパソコンでアニメを見ている可能性が高い。
そういうわけで、言い訳は決定。
おっさんは丁度一人でお茶を飲んでくつろいでいる。よし、暇そうだな。
コンコン、机を叩き『 ひま アニメみたい 』と書いたメモ帳を提示。
「あーそうだね。僕も今日は暇だし、じゃあニトーくんの部屋に行こうか」
ビンゴ。
おっさんは車椅子を押してニトーさんの部屋を訪ねた。
「いいかい?」
「おー、一段落付いたとこだお。」
こういうのを『ツーカーの仲』というんだろうな。
「ん、何だ。お前も観るのかお?」
露骨に嫌そうな顰め顔。やはり警戒されているのか、と思ったが、単に窮屈になるのが嫌なだけらしい。おっさんが「フキョウだよ」という助け舟(?)を出すと案外簡単に折れた。布教? ……何はともあれ侵入成功だ。
まず部屋の中をざっと見るも、やはり芳香剤の類は見当たらない。しかし微かながら『金木犀の匂い』が漂っている。やはりこの部屋には何かがあるな。さて、二人の注意を俺から逸らさねば。早くアニメを流すんだ。
ニトーさんはパソコンを操作し『なんたら動画』というサイトにアクセスした。
成る程、こういうサイトでアニメを見るのか。
「丁度春アニメが始まったから、何か見たいヤツ選べお」
「だってさ。選んでいいよリョウくん」
って言われてもなあ。表示されているのはどれもこれも、目のデカい女の子の絵。区別がつかない。仕方ないので適当に一つ指さした。タイトルは『突然の老後生活も妹がいるから安心が約束されている件』。タイトル……なのかこれは?
まあこういうもんなんだろう。再生開始だ。
――[ ▶ ]――
~~~♪
小鳥のさえずりと爽やかな音楽。爽やかな朝の空。
家のなかをパタパタと、慌ただしく行き来する女の子。
元気よく、とある一室のドアを開け放った。
『にぃにー! 起きて、遅くなっちゃうよ!』
『あと五時間……』
『そんなに寝たら夕方になっちゃう!』
兄であろう人物は、布団を頭まで被りもぞもぞとうごめく。しかし一向に起きる気配がない。業を煮やした妹がその布団をがっしり掴み……
『今日は一緒に遊園地に行くんでしょー。えいやっ!』
引っ剥がした。
『うむぅ、年寄りはもうちっと丁寧に扱って欲しいんじゃ』
布団の中から現れたのは『兄』と言うには年の離れすぎた『老人』だった。にぃにと呼んでいたのは聞き間違えだったのか? いや、確かにそう呼んでいた。しからばこの老人が少女の兄なのだろう。何だかよく分からない状況ながら、何でもないように話は進む。
『お年寄りは睡眠を司るメラトニンの分泌が少ないから眠りが浅くなって朝早く起きちゃうんだよ?』
『あー分からん分からん。年寄りに小難しい話をするでない』
『またそうやって脳の衰えを悪用するー。って、そんなことより今日は遊園地に行く予定でしょ! 早く行こ!』
『……ほえ、ゆーえんち?』
『もしかして忘れてる?』
『最近物忘れが酷くてのう……』
楽しみにしていたであろう約束を忘れられ、よっぽどショックだったのだろう。少女の顔がくしゃりと歪み、涙が溢れる。
『バカにぃに!!』
『ぱ、パガニーニ!?』
――[ ▶ ]――
「なんだこの糞アニメ」
「まあまあ最後まで観ようよ」
え、結構面白いと思ったけどな。
……ってイカンイカン。何普通に見入ってんだ、二人がアニメに集中してる内に部屋を探らないと。
さりげなく車椅子を後ろに動かし部屋全体を見回す。収納の類いはない。あるものといえば、部屋の両脇に二段ベッドが一つずつ。それと壁に向かって置いてある机。その上には、現在アニメ放映中のパソコン。そしてティッシュ山盛りのゴミ箱。何か隠すとすれば『ベッドの下』か。
右脚に意識を集中……出でよ触手!
ふくらはぎから生成した触手を、『右側のベッド下』へ伸ばす。気付かれないようゆっくり。出来るだけ細く、長く。
間もなくカサリ、と紙のようなものに触れた。触手伝いではよく分からないが、どうやらコレは雑誌だ。早速ヒットか。表紙に吸盤を張り付けて手繰り寄せる。音でバレないよう、そっと、そっと。ベッドの陰からぎりぎり見える位置まできた。一体どんな雑誌だ。ちらり、視線を斜め下へ落とす。表紙は……
……裸の女の人だった。
助平本か、またの機会にじっくり見せてもらおう。
すっ、と元の位置に戻した。
他には何もないようだ。次にベッドの中、枕の下、ベッドの上段まで調べたが、やはり何もない。
そんな感じで触手探りしている際気付いたのだが、触手が細長くなるほど先端の感覚が鈍くなっていくようだ。お陰で右側のベッドを調べるだけで、思ったより時間がかかってしまった。
丁度『左側ベッドの下段』まで調べ終えたところで、アニメのエンディングテーマが流れだす。おっと、一旦戻さねば。
取得物に触手を巻き付けさっと引き寄せた。最後に調べた『左側ベッド下段』に隠してあったものだ。似たような質感のものが沢山置いてあったのだがこれは……何かのレトルトパウチ?
取り敢えず服の下に隠した。
「いや、一話から中々濃厚だったね、まさか妹が宇宙人だったとは。自暴自棄になった主人公を励ます幼馴染みが、健気すぎて涙が出そうだったよ。僕もあんな幼馴染みが欲しいね」
「その歳でかオッサン。おいらは宇宙人でもいいから可愛い妹が欲しいお」
「お互い様だね」
そんな展開になっていたとは……。触手に集中しすぎて途中から全く観てなかった。
しかしまだ『ゴミ箱』と『左側ベッド上段』を調べていない。その二か所の為に、もう少し時間を稼がねば。そんなわけでアニメをもう一つ、適当に指定した。
「なんか飲み物持ってくるよ」
再生前におっさんが一時離席。
沈黙が生まれる。気不味い。
何気なくニトーさんを一瞥すると、彼も此方を見ていた。やはり、警戒されているのか?
が、目が合ったのはほんの一瞬。
急にパソコンの画面がちらつき始め……最後には青一色になった。
「オイオイなんでだお……ああああ作りかけのDTMが!!」
ガタッと立ち上がりパソコンにしがみつくニトーさん。故障か? 何か知らんが、このままだとアニメ視聴会はお開きになりそうだ。不味いな。
……ふと、彼の足元にあるゴミ箱が目に入る。せめて最後に、アレだけでも。部屋の隅を迂回して、こっそりと触手を伸ばす。ニトーさんが自分で躓いた感じを装って……
「あっ」
カコンッ
ばらまかれる大量のティッシュ。むわりと漂ってくる青臭い臭気、そしてそれに混じる金木犀の臭気。ビンゴ!
中身は……!?
・
・
・
・
ベッドの中で、先程手に入れたレトルトパウチを眺めていた。あの後結局、ゴミ箱からは何も見つからず、アニメ視聴会は終わった。そういうわけで収穫はコイツだけだ。ティッシュ自体に匂いが染みついていたのか。一体何を拭いたらあんな匂いが付くんだろう、謎すぎる。
まあ多分これ以上考えても無駄。迷宮入りだな。
だが、それ以上の謎が俺の手の中にある。このレトルトパウチ、中身はどうやら『ベビーフード』だ。大方大人が食すものではないだろう。まさかあの人に隠し子でも居るのか?……時間をかけて調べるしかないか。機会があったらあの黒縁メガネの探偵さんにでも調査を頼んでみようか。こういうのは得意分野だろう。
さて。
中身が飛び出ないようにパウチを噛み破ってみた。中身は、芋類を中心に野菜や肉をペースト状にしたものだ。説明書きによれば生後5~6カ月の赤ちゃんに与えるものらしい。離乳食ってやつだな。
いただきます。
……うん、無味。強いて言うなら素材の味。不味くはないが美味しくもない。
舌の上でぺちゃぺちゃやっていると自然に胃に流れて行った。消化にはよさそうだ。
はあ、退屈。
━━4/14 『喫茶VAMPiRE』━━
また何日か退屈な日々を過ごし、今日は「喫茶VAMPiRE」に来た。
遊びに来たわけではなく例の『遺書の解読』の件だ。漸く解読が済んだらしい。店を貸し切りにしてもらい、再び依頼人の女性を呼び出した。俺は、ニトーさんと依頼人が話をする様子を遠くの席から伺うのみ。怪我のせいで依頼人を不安がらせないよう、という配慮である。
ついでにこの場には、探偵さんとキシダさんまで来ている。あと当然ながら店員達もいる。妙な面子だな。
「解読、無事完了致しましたお。
その結果がこの封筒に入ってますお」
話が始まった。
取り出した封筒には少々の厚みがある。
「ほ、本当ですか! こんな短期間で!」
「もちろん。いやいや、それにしても解き応えのある暗号でしたお。64進数で圧縮された超密度の文脈、四次元的に展開される解読への筋道、数学的で文学的で哲学的で合理的で……」
頬を紅潮させ興奮した様子をみせるニトーさん。見たことないくらい饒舌に喋る。話の終わりが見えそうになく、依頼人がおずおずと口を挟んだ。
「あの、そ、そういうの分からないんでいいです。それより早く『答え』を」
「……そうですかお」
長話は終わった。
しかしまだ『答え』を差し出そうとはしない。一体何を渋っているのか。
「これを渡す前に、どうしても聴いてほしいモノが」
「……えと、まあ急いではないので良いですが。な、何でしょう?」
「お時間はとらせません。ほんの二三分の『音楽』ですお」
ニトーさんがパンパンと手を叩くと、黙って話を聞いていたキシダさんとメイドの皆さんが立ち上がった。いそいそと店の中央のテーブルを脇に寄せ、裏方からごたごたと大きな荷物を持ってくる。ああ、これは楽器か。ドラムに、キーボードに、スピーカーに、キシダさんが持ってきたのはこの前のエレキだな。ギターに似てるアレは多分ベースと言うやつだろう。それぞれ配置し、簡易だが音楽ステージが出来上がった。
それではイカレたメンバーを紹介しよう。
ドラム:小柄な吸血鬼さん(得意技・背負い投げ)
キーボード:ゆるふわパーマな吸血鬼さん(得意技・掌打)
ベース:メイド長(得意技・血の糸)
ギター:キシダさん(得意技・解剖)
ボーカル:機械仕掛けの歌姫(得意技・ヘッドヴォイス)
どうやらボーカルはコンピュータで音声を作ったようだ(DTMと言うらしい)。
「いきますおー」
ニトーさんがノートPCを操作すると、スピーカーが反応した。
―
『ワン、ツー、ワンツー……!』
ギャギャギャギャギャン ギュギュンッ
ドッ! ドッ!
ギ ュ イ イ イ イ イ ン ! !
歌姫の合図から始まったのは、重々しく腹の底に響くロック音楽。ドラムが空間を生み、ベースが音を導き、ギターとキーボードが一貫性のある音楽を成し遂げる。そして歌姫の力強い歌声が、それらに意味と秩序を生んだ。
紡がれる歌詞は、熱く、鋭く、泥臭く。
『強くなりたい』
『何者にも歪められない鋼の意志を』
『自己すら滅ぼす灼熱の業を』
『威風堂々とした生き様を手に入れたい』
そんな願いが歌詞に込められていた。
理想の生き様をテーマにした歌なんだろう。時に叫び。時に嘆き。時に打ち砕かれ。何度も何度も何度も何度も繰り返し、最期には朽ち果てる。されど信念は遺り、名も知らぬ誰かへ受け継がれる。そんな生き様だ。
ロックなんて殆ど聞いたことがないが、その熱気と勢いに、多少なりとも心を揺さぶられた気がする。
「……有難う御座いました!」
僅か三分弱のステージ。演奏が終了しメイド長を中心に挨拶をする。
俺は思わず膝を叩いていた。
刺激的な三分間だった。
―
「どうでしたかお?」
場に落ち着きが戻ったところで、依頼人との話が再開。
「ど、どうって……。こういうのよく分からなくて。えっと、でもすごかった……と思います」
「そうでしょうとも。急ごしらえのメンバーとは思えない出来ですお」
「え、皆さんバンド仲間というわけでは、ないんですか?」
「そーそー。最初は全部DTMで作る予定だったんですが、やっぱり生演奏のが迫力出ると思いましてぬ。で、周辺で楽器が出来る人を探して、この四人が集まったと」
「へぇ……」
そりゃすごい。
というか武術に楽器に、この店のメイドさんは何でもできるのか。
「で、あの、結局今のは何だったんですか?」
依頼人がもじもじしながら尋ねる。まあ当然の疑問だ。この依頼と今のロックに、一体どういう関係があるというのか。
ニトーさんは思い出したように手を叩いて、再び『答え』の入った封筒を持ち出した。
「ああそれで、これが解読結果ですお。中身を確認してほしいですお」
「あっ、はい……?」
話が繋がらないまま封筒が手渡される。依頼人は困惑しつつ、素直に中身を取り出してみた。結局『答え』が手に入ればどうでもいいのだろう。だが封筒から取り出したソレをみて、眉を潜めた。示される、あからさまな不快感。
「な、何ですかコレ」
「見ての通り、今の曲の『楽譜』ですお」
まごう事なき楽譜。恐らくはドラム、キーボード、ギター、ベース、四種類分ある。日本語が書いてあるのは歌詞だろう。
……楽譜を挟んで二者の視線がぶつかる。両者の口が歪み、一方の唇は犬歯を覗かせ、もう一方は前歯を覗かせる。
「いやー、お宅の娘さんは天才ですお。こんな素晴らしい曲を作り上げ、あまつさえそれを、暗号にして残すとは。それに、こんなに解き応えのある問題には初めて出会いましたお。コレは娘さんからの最期のプレゼントだったに違いない。本当ならコレは貴女自身が解くべきだったのですお」
「出鱈目を、言わ、言わないで下さい! こんなの只の当て付けです。あの娘には、クラシックとかジャズとか、も、もっと教養のあるものを散々仕込んできたんですよ。いい学校に行けるように塾にも通わせて。散々お金かけてきたのに……な、何がロックだよ、ふっざけやがって。あの出来損ないめ……」
「はあ……まあ怒るのは勝手ですお。それより報酬の方が」
「こんなことのために依頼したんじゃない。前金ならもう払っただろ、あれで満足しろ!!」
「……あぁ?」
あれ、何か不穏な感じになってきてないか?
大事にならないうちに止めるべきだろうか。……いや、まあ止めようもないし別にいいか。それに大人同士の喧嘩ってあんまり見たことないんだよな。面白そうだし黙って見守ることにしよう。
暫く睨み合いが続いたが、意外にも先に動いたのはニトーさんだ。拳を振り上げ、テーブルを思いきり殴った。衝撃で置いてあったコップが倒れる。怯んだ依頼人に対しどんな罵声を浴びせるのかと思ったら、唇を噛み締め弱く唸った後、漸く言葉を絞り出した。
「子供はなあ……親の期待に応える為に生きてるんじゃ、ねえんだお。
子供だって一人の人間なんだ。親『が』期待してるのと同じくらい、親『に』期待してるんだ。料理上手になって欲しいとか、旅行に連れていって欲しいとか、もっと小遣いが欲しいとか。子供は期待に『応えてもらうため』に親と一緒にいるんだ。でもなあ、親が子供の期待に応えるのは、本当はたった一つでいいんだお。全ての子供が親に期待することだ。あんた親なら、分からねえか。
……どうして分かってやれなかった。どうして『愛して』やれなかった……!」
いつものおちゃらけた感じは全く無く、心なしか弁に熱が篭っている。
ああ……コレだ。人が何かを語るときの、この感じ。俺にしか分からないであろう、倒錯した『嘘臭さ』。本心を語る人を見ると、いつもそれを感じてしまう。だからきっとコレは『本物』なのだろう。
「な、何を偉そうに。お前らなんかに鐚一文くれてやるか!」
依頼人はバッグを担いで立ち上がり、のしのしと出口へ向かう。
あ、報酬払わないのは流石に不味いな。止めなきゃ。
俺は右足だけで何とか立ち上り、去っていこうとする依頼人の右肩を掴んだ。
「離してください」
「うああ」
「……離せ!」
俺の右手ははね除けられ、バランスを崩し、後ろ方向へ……
……転倒する途中で、視界がスローモーションになった。
ある言葉が頭をよぎる。
『頭蓋骨丸ごと外しといたぞ。代わりのものを取り付けてあるが、頭蓋骨ほどの丈夫さはないから、くれぐれも激しい運動は控えろ』
あー、もしかしてこのまま頭ぶつけるとヤバ
ゴキンッ
『え』
『……やっちまったなあ』
『菅原さ……死ん……?』
『今救急車を!』
『駄目だ、医者には見せらんねえ。この場で出来る処置を』
『言ってる場合じゃないでしょ!』
『待って、あまり揺らさない方が――――
―――――――――――――――――――――――――――………
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━
―――v√ ̄ ̄ ̄\%\%L^v^v^V√√√√ ̄ ̄ ̄ ̄v――――――━━━━@
━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━ ━
━━4/19 『地下基地』━━
「かはッ!?」
「やあ。目、覚めた?」
……ドクターの手術室か。
この流れ、また何日か眠ってた、ってパターンだな。
枕元にいたおっさんに視線を投げる。
「うん。多分察してるだろうけど、今回は五日間だよ。それにしても大分無茶するね、君も」
ん、無茶?
依頼人を引き留めようとしたことか。
「あれ、もしかして覚えてない。リョウくん倒れたらしいじゃん。動かなくなってさ。そこまで覚えてる?
キシダくんによればその後にねぇ……」
おっさんが事の顛末を語って聞かせてくれた。
それによれば俺はあのあと一分程動かなくなった。……かと思えば、左半身が怪物のような異形へと変化し、跳ね起きて暴れだしたらしい。「あの場に武術の達人が居なければどうなっていたことか」と冗談めかすように言われた。お陰で依頼人が大層怯え、脅しが効いて報酬を払ってもらえたので結果オーライ、とのこと。右手で左手を持ち上げて見ると、所々変な筋が走っていた。異形化の名残か。
欠片も記憶にないな……。
「でさ、もしかして左半身も動くようになったのかな、と思ったんだけど……まあ、のんびりリハビリやっていこうね」
相変わらず左半身は感覚がないし、動かない。
リハビリか。気が重い。
まあそれはそれとして、ニトーさんにも以外な一面があるもんだ。考えてみれば、彼にも家族というものが居る(居た?)んだよな。そりゃ捨て子でもなけりゃ当然だけど。親子についてあんなに熱弁できるくらいだし、きっと何かあるんだろう。やっぱり彼は良い人なのかも知れない。まあそれでも、どこかで道を踏み外したからこそ、この場に居るんだろうなぁ。
なんたってここのメンバーは皆『ワケアリ』らしいから。