第30話 無償献身のファミリズム
菅原リョウの健康状態:
頭部:頭骨及び脳組織に著しい損傷(損傷率は不明)
左目:外眼筋修復中につき眼帯装着を継続
チューンアップを受けヒト(女性)の遺伝子を取込み中
タコ・ネコの遺伝子を取り込み済
━━4/2 16:24 『メイド長の館』━━
左半身が、全く動かなくなっていた。
前に背骨を折られ下半身不随になったが、あの時はすぐに脊髄を繋ぎなおし動けるようになった。しかし、これはあの時とは違う。薄ら自覚できる。「根本的なところが駄目になってる」という感覚だ。段々頭が冴えてきて、脂汗が滲み出してくる。
……一先ずベッドの上に戻ろう。
右手と右足だけでなんとか立ち上がるも、うまくバランスが取れず転んでしまった。
「うっぐあああ……」
転んだ衝撃が響き、頭に激痛。
……そうだった、孤児院を見に行って、そこで誰かに殴られたんだ。誰に殴られたのかは分からなかった。ガラスに映った『誰か』の姿を一瞬見たが、覚えている特徴と言えば『太り気味の男』『金属バット』『金木犀の匂い』、これだけ。顔は見えた……が見えたところで俺には判別できない。ただ一つ言えるのは、明らかに殺意をもって殴ってきたこと。金属バットで頭にフルスイングだ。殺意がないわけがない。
それにしたって何故こんなことに……。
痛みに耐えベッドによじ登ったところで、部屋のドアが開いた。
「菅原さん!?」
ああ、林檎ちゃんだ。何故かメイド姿。
よかった。このまま誰も来なかったら不安で頭が狂うところだった。
「あああうあ、うあうう(左半身が、動かないんだ)」
体が上手く動かないことを伝えた。
が、何故か林檎ちゃんは、手で口を抑えたまま何も言わない。
「うあおお?(どうした?)」
あっ……。
俺、全然、喋れてねえ。気が動転していたせいか今更気付いた。
口を開け閉めしてみるが、二秒くらいかけて漸く一回できた。舌を出したり回したりも、引き攣って、まるで思うようにいかない。
……焦るな、俺。俺はサイボーグ。この程度すぐに治るだろ。
ふと見ると枕元に眼帯が置いてあった。
それを取ろうとして、無意識に左手を伸ばそうとした。当然、伸ばせない。
クソッ、何でこうなった……。
クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ、クソ……!
「がああああああうがああああああああああああ!!」
「す、菅原さん落ち着いて! 誰かぁ、誰か来て下さぁい!!」
喋れないし動けない。最悪な気分だ。
畜生、これが落ち着いていられるか。
「おうおう、どした。荒れてんなぁ?」
「キシダ先生!
菅原さんが起きたんですが、喋れないらしくて、パニックを起こしてますぅ」
「あー……成る程な」
人のことを気狂いみたいに言いやがって……って、キシダ?
白衣の二人組が入ってきた。どうやら本当にキシダさんだ。それと、もう一人はドクターだな。何故メイド長の家にこの人たちが居るのか、そこはこの際どうでもいい。話が通じそうな人が居てよかった。
床を転げるようにしてキシダさんに縋りつく。必死に何か伝えようとするも、やはり言葉は言葉にならない。キシダさんはそんな俺を無言で見下し、顔の前に人差し指を突き出してくる。
意図が分からずその指先を見ていると、急に怠くなり、ふわっと全身から力が抜けた。
催眠術……?
「話は後でゆっくり聞いてやるから落ち着け。今は状況を説明するのが先だ。違うか?」
何だか頭がすーっとして落ち着いてきた。
そうだ。筆談とか、意思の伝達手段はいくらでもある。焦っても仕方がない。
「聞く姿勢になったな。
既に気付いていると思うが、お前の脳は重大な損傷を受けた。発見されたときには頭蓋骨が陥没していて、鼻と頭から脳漿が垂流しだったらしい。平たく言うと『脳挫滅』だ」
「あおおお(治るんですよね)!?」
「だから落ち着けって。いいか……脳挫滅起こして生還、剰え三日で意識回復してベッドから自力で這い出た。これだけで十分驚異的。人間じゃまず考えられねえ。当然治療には最善を尽くすし、リハビリ次第で多少は回復するだろう。補助具を使えばまあ、歩けるようにはなる。が、敢えてはっきり言う。
それ以上の奇跡は望めない」
「……うああ(嘘ですよね)?」
だって。そうだ。千切った腕も完璧に再生した。どんな怪我も自然治癒するんじゃなかったのか。
「どんなに怪物じみた治癒力があっても、全部が全部元通りにはならない。眼の件と同じだ。
特に脳の損傷は切って縫ってで治せるものじゃねえ。そうだよなあ、ドクター」
「ふひふひ……」
「ああそうそう、脳の腫れがあんまり酷かったから頭蓋骨丸ごと外しといたぞ。代わりのものを取り付けてあるが、頭蓋骨ほどの丈夫さはないから、くれぐれも激しい運動は控えろ」
頭蓋骨を……何だ、情報量が多すぎて理解が追い付かない。
ふと頭に手をやると、ビニール質のものが巻いてあるのに気づいた。やけに頭が冷たいと思ったら保冷剤か。頭髪は全て剃り落としてあるらしい。
俺は一生このままなのか。後遺症を背負って、自分のこともまともに出来ず、ずっと人の手を借りて生きるのか。例えばトイレは? そういえばまた三日間も寝ていたようだが、その間の排泄はどうしたのだろう。ふと気になって腰の辺りを触ってみると、ごわついた手触り。これはオムツか。こんなものを履いているということは……いや、考えるのはやめておこう。
「まあ大体そんな感じだ。
オレも暫くこの家に泊まるから、取り敢えずお前はもう少し休んでろ。今のお前は身も心も瀕死状態だからな。正直こんなに早く目ぇ覚ますとは予想外だ。早すぎて心配だよなぁドクター?」
「ふんすふんす」
そう話しながら二人は部屋から出ていった。
と思ったら戻ってきて、先程のように俺の鼻先に人差し指を突き付ける。
「何かあったらそのちっこいメイドさんを頼りな」
がくん。一気に全身の力が抜け、床に伏し、酷い眠気に飲まれていく。また催眠術……?
薄れていく意識の中最後に見たのは、白衣の背中と、心配そうに見つめてくる紅い瞳だった。
それから二日ほどはベッドの上で過ごした。ただ寝て、目が覚めればぼーっとして、一応食事も出されたが何一つ喉を通らなかった。排泄に関しては、便意を感じないわけではないが、気が付いたらオムツの中に漏らしていた。その時は偶々メイド長が居たので助かった。助かってはないか。極めて事務的に処理してくれたが、やはり精神的ダメージが大きい。この歳で介護される身になるとは。
俺の世話は主に林檎ちゃんがやってくれた。世話と言っても食事は拒否してしまった、故に朝・晩に、蒸しタオルで身体を拭いてくれただけだ。しかしとてもシャワーなど浴びれる状況ではないし、さっぱりできて良かった。そういや、ついこの間の『チューンアップ』の件で担ぎ込まれたときも拭いてもらったな。
ふと考える。この子は何故こんなにも献身的に働いてくれるのか。とても健気で、真面目で、一生懸命で、喫茶のバイトまで休んでくれて……。理想のメイドになるため、とか? いや、そんなことを願う意味がわからない。喫茶で働き始めたのはここ一、二ヶ月の話。確かにこの子は思い込みが激しい側面がありそうだが、それにしたって頑張りすぎだ。なら「俺だから」か? ……無いな。それこそメイドの経験より浅いじゃないか。もしかすると単に世話好きなだけかもしれない。キャルメロさんのように。元々そういう優しい性格で、きっと相手は誰でも良いのだ。
━━4/5 15:16━━
三日目、ようやくベッドから出られる位には気力が湧いてきた。この二日の間に、メイド長が車椅子を用意してくれたらしく、それに乗って林檎ちゃんに押してもらいながら家の中を移動する。タイヤの部分を取り替えれば階段の昇り降りもできるらしい。便利。
まずリビングに入る。
見知らぬ女性がいた。割りと小柄で、黒縁眼鏡を掛けている。なにやら紙の資料とにらめっこしていたが、こちらに気づき顔を上げた。
「おー、ようやっと起きれましたか菅原さん。たいぎゃ心配しとったですよ」
あ、この訛り。探偵の人か。何でこの人まで此処に居るんだろう。
「ん、どぎゃんしました?」
何も反応を返さずにいると、首を傾げられた。どうやら俺が喋れなくなったことまでは知らないらしい。林檎ちゃんが説明すると「お気の毒に」みたいなことを言われた。まあ、この二日で気持ちの整理は多少ついたさ。
テーブルの上にあったクッキーを差し出される。
「一緒にこれ食べましょい。たいぎゃ美味しかですよ」
俺はそれを受け取り、テーブルに寄り掛かりながら口に運んだ。
「ごほっ、ごほっ……」
三日ぶり(正確には、目覚めるまでを入れて五日ぶり)の食事ともあって殆ど唾液が出ず、口も強張り、クッキーはぼろぼろ崩れ、欠片が気道に詰まる。そんな俺の様子を見て、探偵さんは急に後ろを向き肩を震わせる。
笑っているのか、失礼な。
そう思ったが、どうもそうではないらしい。ポケットからハンカチを取りだし顔を拭っていた。林檎ちゃんもそれに同調する。何故だ。
何故、二人は泣いているんだ?
「こげなこと、あんまりばい。……理不尽たい」
俺のことで泣いているのか。でもこの人は赤の他人じゃないか。涙を流せるほど、何を知っているんだ?
……少し、気持ち悪いな。
何だか孤児院で過ごしていた頃を思い出してしまった。
妙な空気になってきたので、右手を掲げて「クッキー美味しい」アピールをしておいた。程なくして二人は泣き止む。
再びテーブル越しに向き合うと、隅に置かれた資料が目に入った。さっきまで探偵さんが読んでいたものだ。
例えばそれが数字の並んだ小難しいものだったなら、関心すら湧かなかっただろう。しかしこれは……。
「あ、これは一応仕事のものだけん、見ちゃイカンよ」
すぐに隠された。しかし確かに見えたな、あの「暗号」。『遺書』の依頼のやつとそっくり、と言うか恐らくは同一のものだろう。そうか、こっちにも解読を頼んでいたか。「色んなところに依頼している」というニトーさんの予測は正しかったようだ。
面倒事になりそうだし探偵さんには黙っておこう。
喋りようもないがね。
次に、キシダさんの泊まっている部屋を訪ねた。
ノックすると『入っていいぞー』と声が聞こえたので、林檎ちゃんは俺の車椅子を押しながら進入する。
扉の目の前に何かが置いてあったようで、ドフッと衝突してしまった。丁度人ひとり位の横長な荷物。と言うかよく見ると、寝袋に入った人だ。
「ぬふひぃ……」
更に具体的に言うと、ドクターだ。
頭部辺りにダイレクトアタックしたらしい。
「ドクターさん!? スミマセン頭ダイショウブですかぁ!?」
煽ってるのかそれは。
「頭は元からおかしいから気にすんな」
「あ、そうなんですね。なら安心です」
わざと言ってるのか、ただのアホなのか。
滅茶苦茶言われている当の本人は、寝袋のまま転がって部屋の隅に移動し、再び眠り始める。完全に周囲の荷物と同化しているな。うーん……何かもうどうでもいいや。因みにこの荷物の山は俺が寝てる間に基地から持ってきたらしい。
キシダさんはふと立ち上がり、荷物の中から銀色の楽器めいたものを抱え上げた。肩紐を掛け得意気に見せつけてくる。
「オレがまだガキだった頃の、エレキだ。かなり古いが錆をとればまだまだイケる」
確かに弦は錆び付いて赤茶色になっている。へえ、エレキ・ギターの弦って金属製なのか、知らなかった。と、何やらその一本を指でつまむキシダさん。「見てろよ」と言い、その指を弦に沿ってスライドさせる。すると……
「キシダマジックだ」
指が通過した部分の錆がなくなり、光沢のある金属面が表出した。
おお、刮ぎ取ったのか? まあこの人のことだし、凄い錆取り剤でも使ったのだろう。それにしたって一発で取れるのは驚き。特に使い道はないけど俺も欲しい。
続けて全ての錆を落としていく。ギターはみるみる新品の様に甦っていった。仕上げにキシダさんは、弦をジャカジャカと弾いて見せる。
「おー……でも音、あんまり出ないですねぇ」
「エレキはこういうもんなのさ。アンプに繋いで本領発揮だ」
「アンプ?」
「弦の振動が電気信号として伝わり、それをアンプで増幅させ、スピーカーから出力。それがエレキギターだ」
「ほへー」
「今日は指を慣らすだけだから、アンプは無いがな」
しかし何故急にギターなんて持ち出したのだろう。と疑問に思っていると、察したらしく「次の仕事で使うのさ」と教えてくれた。
と、林檎ちゃんが急におろおろし始める。
「あの、ところでそういうの、ワタシのような部外者の前で言っていいんですかねぇ……スイーパーって守秘義務とか無いんですか? 『聞かれたからには消えてもらおう』みたいな展開ではないです?」
まあ林檎ちゃんは、半分メンバーの一員になったようなものだから、問題はないと思う。口振りからして、スイーパーについて話は聞いている様だし。
「ま、言いふらしたりしたら、そん時ゃあ……」
キシダさんは親指で首をしゅっ、とやった。そしてすぐに、蛙のようにくくっと嗤い冗談めかす。この人のこういう表情は初めて見た。何だか今日はやけに上機嫌だな。
「そうだ、お前の荷物も持ってきてやったぞ」
親指で指された方を見ると、俺のリュックと着替えがいくつか置いてあった。メモ帳も入っているのでこれで筆談ができる。
早速メモ帳を出してもらい、右手で鉛筆を握る。
ううむ、片手じゃ書きづらい。
やっとのことで文字を綴った。
『外にでたい』
無性に日の光が恋しいのだ。
━━16:10━━
そんなわけで庭に出た。
丁度日没前で、燃えるように真っ赤な夕日が実に綺麗だ。それを眺める俺の横で林檎ちゃんは、シャボン玉を飛ばしていた。透明なシャボンが、夕焼空にうっすらとシルエットを作る。
『おれもやりたい』
シャボンの液を持ってもらい、林檎ちゃんが使っていたストローを受け取る。それを液につけて、車椅子の肘置きに寄り掛かりながら、吹いた。
二三個のシャボンがストローを離れてそよ風にのっていく。それぞれ手の届かない高さまで浮かんで行くが、どれも空に至ることなく弾けて消える。それを見届けて、再び鉛筆を握った。
『なんで』
「……何がですか?」
『なんでやさしくしてくれる』
つい聞いてしまった。
どうせ大した答えは返ってこない。分かっているのに、聞かずには居られなかった。
「んー、何でって言われたら……」
やっぱりいい。
答えなくていい。
急いで書けばきっと間に合ったろうに、できなかった。
「家族が欲しかったんですよ」
……。
「ほら、この前話しましたよね。親戚の間をたらい回しされてたって。
始めのうちは皆さん優しくしてくれるんですけど、何故か皆、急に冷たくなるんですよ。面倒臭くなるんでしょうかね。精一杯、嫌われないよう努力はしたんですが……。仕舞いには孤児院行きって訳です。結局ワタシは誰の『家族』にもなれませんでした」
「でもメイド長は、こんなワタシを拾って世話してくれて、仕事まで与えてくれて。仕事の先輩方も、お客さんたちも、いい人ばかりで。まるで、家族みたいで」
「だから今の居場所は特別大切にしたいんです。皆さんと『家族』になれたらな、と思ってます。菅原さんもそのひとりです」
林檎ちゃんは小さく笑いながらそう語った。
俺には何も言えないし、きっと何も言う資格はないのだろう。今の話に俺は『嘘臭さ』を感じてしまっていた。分かっている、これはあくまで何の根拠もない偏見だ。たらい回しは実際にあったかもしれない。でも、だからって何故そうなる。何故そんな奴らに嫌われまいとする。何故それでも期待することをやめない。どうしてそこで、家族になりたいだなんて願う。馬鹿げている。理解が出来ない。
ただ同時に、嘘は言っていないのだと確信した。人間と言うのは自分の心を語るときそういう目をするのだと、俺はよく知っていた。この子は本気でそんな馬鹿げたことを願っているのだ。
でもそうしたら、放火魔への復讐は難しくなるかもな。
『家族への憧れ』と『復讐心』、二つも同時に抱え続けるのはきっと難しい。どっちかがどうでもよくなるか、そうでもなければ心が圧し潰れてしまわないか。
それを言葉にすることもなく、俺はシャボンを飛ばした。
その後も日が沈むまで、交代で飛ばし続けた。
━━4/8 19:10 『地下基地』━━
それから三日後、体の状態が安定してきたので、キシダさんに連れられて基地まで帰った。
この尋常じゃない様子を見て、声を上げるなり絶句するなり、皆驚き心配する……かと思ったら案外落ち着いていた。この短期間に酷い怪我を立て続けにしたせいか、さほど驚きも感じなくなったらしい。勿論程度が程度なので全く動揺が無かったわけではないが。
キャルメロさんなどは当然のように俺の世話役を買って出てくれた。
「困ったらいつでも頼っていいのよ。ご飯に、歯磨きに、おトイレに、お風呂……流石に銭湯は無理ね」
この人は優しすぎて正直怖いくらいだ。何か企んでるんじゃないかと思ってしまう。
ともあれ、そんな話を聞きながら男子部屋に入れてもらおうとしていると……不意にニトーさんの部屋の扉が開いた。のっそり出てきたニトーさんと目が合う。
「お、おう……」
ただそれだけ言うと、ニトーさんは俺を素通りして広間へ入っていく。
なんか変な感じだな。
と、素通りする際、ニトーさんの部屋の空気がふわりと流れてきた。
生暖かい、脂臭い空気。
……に、混じって微かに甘い匂いがする。
これは、金木犀の匂いだ
※キャラデータ※
名前:メタリック・ブレイン
性別:楽曲
年齢:???
肩書:『キシダ専用ギター』
『ヴィンテージ』
能力:『音楽を奏でる』
備考:かつてキシダが愛用していた銀色のエレキギター。弦は錆び付き、永きに渡って倉庫に封印されていたがこの度復活を遂げた。
名前は当時のバンド仲間(ベース担当)が勝手につけた。ベースには『ノイジィ・ハート』とネーミングされていた。