第15話 吸血乙女のモーニングコールⅡ
菅原リョウの健康状態:
両手と左目を欠損、修復中
チューンアップを受けネコ・タコ・ヒト(女性)の遺伝子を取込み中
「姿勢を正して……道場に、礼ッ!!」
皆前方を向いて正座し、両手を冷たい床に着いて深々と礼をする。一、二の三で一斉に顔を上げる。
次に道場長が正座のままに体ごと振り返る。灰色がかった短髪に、わずかに頬の痩けた大人びた顔つき、さり気無く女性らしさをアピールする細めの首筋。この人が此処の女道場長だ。
「道場長に、礼ッ!!」
『御願いします!』
今度は道場長に対し再び礼。清々しい朝の空気を震わせる吸血乙女達の声。何故かその中に紅一点ならぬ白一点、俺が混じっていた。
道場長がギロリと紅い眼を剥く。
「菅原ぁ! 声が小さい、もう一回!!」
「お、御願いします!」
「もっと出るだろ! もう一回だ!」
「御願いしまぁす!!」
突然飛んできた怒声に身が竦む。周りに居る吸血鬼の皆様は慣れているのか微動だにしない。
……可笑しいな、俺はあくまで見学の筈だったんだが、どうしてこうなった。
自己紹介をした。斯く斯く然然で今日は見学に連れて来たという旨をメイド長が説明した。そこまではいい。地味に話が通じてないのか「怪我してても足運びの練習くらいできるだろ!」と言われ有無を言わさぬ態度で予備の道着を着せられたのだ。そういう問題ではないというか。でもどうせお邪魔させてもらうつもりだったし、話がスムーズに進んだと考えよう。俺たちの後から来た二人(恐らく喫茶店で働いてた人たち)にも快く受け入れられた。
それにしてもこの道着、ところどころ破れてたり血が滲んだりしている。普通に柔道やら空手やらやってここまでなるものだろうか。ひょっとすると吸血鬼にとっては骨折や流血など瑣末事なのかも知れない。そう、吸血鬼と言えば。どうやら此処の道場長も吸血鬼らしい。紅い眼を見れば一目瞭然だろう。喫茶店で働いているメイドさん達が4、5人、そして道場長。吸血鬼っていっぱい居るのだろうか。
漸く挨拶が済むと、次は準備運動。体育の授業でやるような簡単なストレッチから始まり、腹筋百回、腕立て百回、スクワット二百回。周りの皆様は(とある一名を除いて)これを淡々とこなし、俺も腕立て以外全部やった。これは本当に準備体操なのか。真人間がいないとは言え流石にハードすぎるぞ。林檎ちゃんなんて、スクワットの途中から糸が切れた切れた様に倒れ、床にへばりついたまま動かない。突っついて仰向けに転がしてみると、白目を剥いて唾液だか鼻水だかに塗れ、見るも無残な顔面になっていた。……死んでないよな?
スクワットが終わったタイミングで道場長が短く指示を出した。
「蘇生してやれ」
倒れた林檎ちゃんにメイド長が駆け寄り、蘇生を始めた。まずマニュアルのような流れで安否確認が行われる。仰向けにし、息を確認。呼吸は正常。脈も正常。原因が貧血と特定されると、その場で輸血が行われた。輸血といっても輸血パックは用いない。メイド長の掌が黒く変色して、そこから数本の細くて赤い糸が伸び、それが林檎ちゃんの首筋に突き刺さった。この赤い糸は血液そのものらしく、首の中にしゅるしゅると入っていく。どうやらこれが吸血鬼式の輸血法らしい。えらくダイレクトなやり方だが変な病気が伝染ったりしないのだろうか。皆心配している様子はないので、彼女らにとってはよくある光景なのだろうが。
血液注入が終わったが、まだ目を覚まさない。ゆるふわパーマなおっとり系吸血鬼さんが濡れタオルを持ってきて、ベトベトになっている顔面を拭いてあげた。綺麗な顔になったが、まだ目を覚まさない。……本当に大丈夫? 死んでない? 本気で心配になってきたが俺以外焦っている人物はいない。
何を思ったか、ゆるふわさんが林檎ちゃんの首筋に喰らいついた。かぷりと牙を刺してちゅーちゅーと吸血し始めた。気絶した少女に吸い付いている様子は何だか、こう、来るものがあるな。
このまま眺めていても……いや何やってんの、折角輸血したばかりなのに。ショック療法か?
こんなんで目を覚ますのかとハラハラしていたら、だんだん血色が良くなっていって、本当に目を覚ました。吸血中に意識が戻って何とも言えない表情になっていたが。
「……また私、気絶してましたぁ?」
「何時もよりは耐えてましたね。前より体力がついたではありませんか」
よろよろと立ち上がった。何事もなかったかのように稽古が再開される。足捌きの稽古を10分ほど只管行い、道着が汗でびっしょりになったところで次は地稽古、所謂スパーリング。まさかとは思ったが当然の如く俺も参加だ。中々無茶させてくれる。
━━━━
一対一でルールや禁止事項は特になし。投げ、絞め、当身、蹴り、吸血鬼の特殊能力まで、何を使っても良いらしい。場外に出た、悶絶した、等ダメージが有効と審判にみなされると一本。二本先取、もしくは|続行不可(KO)で勝負有り、だ。
俺の相手は先程のゆるふわさんだ。名前を呼ばれていた気がするが覚えていない。一見物腰柔らかな印象を受けるルックスだが、見た目で判断しない方が良いだろう。なんせほぼ毎日この道場に通っているというのだから。両手のハンデを抜きにしても、ゆるふわさんから見て俺はずっと格下だろう。
稽古前の挨拶、間合いを挟み向かい合って、礼。宜しく御願いします。
「死なない程度に、お手柔らかに御願いします」
「はい。御心配なく」
にっこりと柔らかい笑みを向けられるが、肉食獣を思わす獰猛さを、縦に裂けた瞳の奥に感じて鳥肌が立った。普段から人の目を見ないせいもあるだろうが、どうもその紅い瞳を見せられると足が竦む。
審判の合図で地稽古開始。
ゆるふわさんは、すっ……と独特な構えを取った。こちらに正面を向けやや前傾姿勢、右足を前に出し、両手は半開きで鳩尾より少し上のあたりに構えている。レスリングの構えに似ているか。摺足で動きながら間合いを計っている。俺はとりあえず、やや半身で両腕を下ろし、ボクシングのように膝でリズムを取る。素人なりに動きやすそうなポーズを意識した。
間合いは約大股二歩。暫く見合い、摺足で牽制し合う。
やがてほんの一瞬、張った気が緩み、視線を逸らしてしまった。
その一瞬を相手は見逃さない。
ダンッ!
まず大股一歩、バネで弾いたように踏み込んできた。
直ぐには突っ込んで来ずに急停止。
フェイントか? 完全には反応しきれず、俺の頭の中で、時間が止まる。避けようにも体が動かない。そして
「ハッッ!」
ズドンッ!
間合いが完全に詰められた、と思ったときには、相手の掌打が腹にめり込んでいた。
じわじわと広がる鈍い痛み。
耐えられず膝をついた。
「がッ、は……!」
「一本!」
審判が赤い旗を上げる。一本取られた。
流石に強いな。
ゆるふわさんが心配して、大丈夫ですか、と声を掛けてきたので手で制す。『問題ない』のジェスチャーだ。吸って、吐いて、呼吸を整え立ち上がる。ふと横を見ると、同時に試合をしていた林檎ちゃんが場外に投げ飛ばされていた。ギャグめいた動きでゴロゴロと転がり壁にぶつかる。人間ってこんなふうに飛ぶんだな。投げ飛ばしたのは、縮れ毛で小柄な吸血鬼さんだ。察するに俺と林檎ちゃん以外、皆結構な猛者らしい。
さて、気を引き締めて二本目だ。
「二本目、始めッ!」
お互い、一本目と同じ構えを取る。
今度は絶対に目を逸らさない。この間合いを保ち続ければさっきと同じ攻撃が来るだろう。根拠は無いが必ず仕掛けてくるという確信がある。と言うより、相手の目が「もう一度行きますよ」とでも言うような、教師が生徒を試すときのそれと被ったのだ。必ず来る。そこを何とかして捌いてみせる。両手は使えない、ならばどうする………。ここで再び迷いが生じてしまった。
相手の足にギリリと力が篭るのが見えた。
俺は目を凝らして相手の動きを見た。
先程と同じく鋭い踏み込み。
一瞬で踏み込み、ダンッ! と足の裏で床を叩く音。ここで何故か一拍止まる。フェイントか、それとも俺を試しているのか。
確り見ていなければ、ワープしたかと思ってしまうほど、鋭い動き。
次にはその動きがもう一度繰り返される。俺の懐に潜り込んで掌打を放つ。来た。見えた。
「ふッ!」
俺はそれを横っ飛びで躱した。躱しきれずに掌が脇腹辺りを擦ったが、ダメージ判定はない。後ろ向きに飛び跳ねながら再び距離をとった。相手がにこりと微笑む。やはり試されていたらしい。
さあ、もう一度来い。次は確実に捌く。そういう意気で再び構えた。
「ふうぅ……っ」
すると、だ。相手の雰囲気が鬼気迫るものに変わり、更にすうっと深く構えた。俺は、見てしまった。相手の足が黒く変色していくのを。摺足を止めた足が、ギリギリと音を立てながら、爪先から侵食されていく様に黒変していった。恐らくは吸血鬼特有の肉体強化。まさか、本気で来るのか。死ぬ。殺される。来る、来る、来る、来る……。
稽古だということも忘れ、自己防衛の本能が働く。無意識の内に左腕に力を込めていた。
ダシュッ!
敵が踏み込んだ。大股一歩で、一拍止まら、ない。
更に鋭い踏み込みで目の前に現れた。息が掛かるくらいの至近距離。
「おああああ!!」
パァン! と破裂音が鳴った。
頭の中が真っ白になりかけ、なんとか正気を保つ。
何だ、これは。
切れ失せていた左腕の先端に、何かが生えていた。名状しがたい三本の、歪な形の何か。太い指の様でいて、骨は通ってない。見ようによっては指に見えなくもない。
その歪な『指』が、掌打を包み込むようにして止めていた。
敵の顔がひきつっている。
「ッシ!」
『指』の付け根を無造作に捕まれ、体を回転させられた。敵に背中を向け、壁の方を向く。
「ハッ!!」
背中に衝撃。今までで一番重い発勁。
肺の中の息を吐き出しながら、場外まで弾き飛ばされた。床を転がりながら壁に激突。
道場内が静まり返る。
「勝負有り!」
審判が、道場長が、林檎ちゃんが、皆紅い眼を丸くして俺を見た。ゆるふわさんは、全然ゆるくない顔で額に汗をかいていた。この『指』だ。サイボーグだということを皆は知らないから驚かれて当然か。唯一メイド長だけは驚いている様子が無いが。まいった、叫び声なんかが出て、変に注目を集めてしまったな。なんと誤魔化したものか。
そうだ。これは稽古だった。
「有難うございました」
「あ、有難うございました」
こういうときは注意の矛先を逸らすに限る。
その後稽古はもう暫く続き、メイド長と道場長のハイレベルな攻防なんかも見せられたが、あまり印象には残っていない。ただただ周りの目が気になって居心地が悪かった。
━━━━
昼前にはメイド長の家に戻ってきた。
後一泊していくように勧められたので、昼食を済ませて、ゆっくりしながら疲れを癒している。いま林檎ちゃんから背中のマッサージをされているところだ。そろそろ喫茶が開店する時間帯だが、俺を家に一人置いていくわけにもいかないとの理由で、お世話係として休みをもらったらしい。これもメイド修行の一環か。マッサージは中々上手い。
「マッサージ終わりましたぁ」
「ありがとう」
ただ何となく他人行儀で会話が少ない。得体の知れないものを見るような目だ。サイボーグ云々は説明し難いので、実は俺も能力者だったということにしておいた。因みに触手は体内に収納して、元通り何もない左腕になっている。
そういえば俺の持ち物はどこに置いてあるのか。ふと気になって、林檎ちゃんに聞いたら持ってきてくれた。持ってきたのは、左瞼を固定する為の接着剤と、財布……ん? この財布は俺のじゃない。孤児院跡で拾ってきたやつだ。基地から出てくるとき意識が混濁してたせいで、間違えて持ってきちゃったのか。
そこで思いついた。
林檎ちゃんも孤児院の関係者。例の事件の犯人を酷く恨んでいて、俺もその復讐に手を貸すという話をこの前電話でしたんだ。
「なあ、これを見てくれ」
俺はその財布に関する詳細と、俺なりの見解を簡潔に述べる。
最初は怪訝な顔をしていたが、次第に食い入るように話を聞き始めた。
そして俺は、中から『田中善汚助』と言う名前と顔写真の載った身分証を出して見せた。
その眼が見開かれ、一瞬瞳孔が大きく開く。
林檎ちゃんは何時ものぶりっ子口調ではなく、真面目な口調で喋りだす。
「ワタシ、人の顔と名前を覚えるのだけは結構得意なんですよ」
「この人は確かに孤児院の職員ですね。それも泊まり込みで働いてる」
「あの日のあの時間にも施設にいたはずですよ。その人の財布が、外に落ちていたと……施設周りは警察だって調べたはずなのに……?」
やはりこの財布は何らかの手がかりになると判断したらしい。
焦るように提案してきた。
「この住所、行ってみませんか、二人で。もしかしたら何かあるかも」
「うん、そうだな」
当然その提案に俺は乗る。
後日、身分証に書いてある住所を訪ねることにした。
財布の話が一区切りついたところで一つ質問してみた。
気にはなっていたが中々聞くタイミングが掴めなかったことだ。
「ところでさ、俺達って所謂『重要参考人』ってやつじゃないか。俺はまあ、色々あって行けないけど、林檎ちゃんは警察に行こうとは思わないのか? 何かしら話せば犯人が捕まえられるかもしれないじゃないか」
その質問に林檎ちゃんは、恨めしそうな、眉間に皺寄せた上目遣いをして答える。
「前にも言いましたよね。
ワタシは! この手で! 犯人の首を! 締めてやりたいんですよ!
警察なんかが捕まえたところで気が晴れるわけないじゃないですかッ。
ワタシから何もかも奪ったド畜生を、この手で地獄に叩き落としてやるんですよ」
さらに続ける。
「それにね、せっかく出来た居場所を失いたくはありませんよ。喫茶店の皆さんはとても優しいですし、仕事も楽しいですし。
親戚の家をたらい回しにされる日々に逆戻りは、死んでも御免です」
なるほど。そうか。そこまで恨んでいるか。
それに施設にいた子供たちが、全員俺のような『完全な孤児』というわけではないんだな。というか俺みたいなのは寧ろ希少か。俺には家族どころか親戚もいない。だが必ずしもそれが不幸とは限らないんだ。この子はきっと、家族を憎み、親戚を疎み、血縁というものを忌み嫌っている。何があったか等知らないし、物心ついた頃から家族を知らない俺には到底わからないことだが、血縁というのはしつこく付き纏うものだろう。ニュースでは「収容されていた児童は全員死亡」と報道されていた。ということは既に戸籍からは除名されているのか。表の社会から排除されることで、漸く自由を手に入れたんだな。
俺も、この子も、無戸籍仲間ということだ。そう考えると何だか情が湧く。
見れば、酷く悲痛な顔をしている。
あまり泣かせたくはない。何か言葉を掛けてやりたいが、アニメの主人公みたいに打って付けの言葉は湧いてこない。仕方ないので頭をポンポンしてやった。我ながら気障っぽいが、俺に出来るのはこれぐらいだ。
結局林檎ちゃんは泣いた。
※キャラデータ※
名前:メイド長
性別:女性
年齢:???(見た目年齢は20歳前後)
肩書:喫茶VAMPiREのオーナー
メイド長
能力:『吸血鬼』
備考:長身・黒髪・ポニテの凛とした美人で、どんな時でもメイドの心得を忘れないメイドの鑑。スイーパーメンバーの何人かとも関わりがある。