第14話 吸血乙女のモーニングコールⅠ
菅原リョウの健康状態:
両手と左目を欠損、修復中。チューンアップの影響で吐き気、高熱、意識障害。
━━23:47 どこかの夜道━━
気持ち悪い……。
どうやら『チューンアップ』の副作用は思いの外キツいようだ。
胸の奥から吐き気が込み上げる。足腰には力が入らず、頭の中では地震が起きたような微振動。霞んだ視界に入る夜灯の光が右へ左へ尾を引いて、最早真っ直ぐ歩けているのかも分からない。よろけた拍子に電柱に頭をぶつけ、内側と外側からくる頭痛に耐えられず胃の中身をありったけ地面にぶちまけた。
今どのくらい歩いたか。
たしか俺は銭湯を目指していたはずだ。しかしとっくに道など見失ってしまった。どうやらいつの間にか『街』の外に出てしまったらしい。
両手両膝をついて嘔吐し、胃が空っぽになると起き上がるのも億劫で側溝の蓋の上に寝転がる。
恐らく傍から見れば今の俺は、ひどく酩酊した酔っ払いにでも見えるだろう。職務質問でもされたら厄介だな。『19歳、サイボーグです。スイーパーやってます』なんて、言えないよなぁ。
銭湯は諦めて、もう帰って寝るか……無理。怠すぎて起き上がれない。
「あの、どぎゃんしましたか、大丈夫ですか?」
っと、いかん。人に見つかった。
お巡りさん、ではないな。
ただの通りすがりのOLか。
何やら心配したように色々話しかけてくるが頭がぼーっとして聞き取れない。いや、ひょっとするとこの女の人の喋りが方言混じりで訛っているせいかもしれないが。とにかく救急車や警察を呼ばれるのは困るし、さっさと何処かに行ってもらおう。
「うあ、うあ」
「今救急車ば呼びますけん、ちょっと待っとってくださいね」
あ、これはマズい。
口が思うように動かないし完全に救急車呼ぶ流れだ。どうしよう。
体は一向に動かず、心臓が焦りで早鐘を打つのみ。女の人は携帯端末を探しながらカバンの中をゴソゴソやっている。辺りが暗いのでなかなか見つからないらしい。
諦めてどこかに行ってくれと願うも虚しく、カバンの中からピンク色の携帯端末が姿を現した。
更に、曲がり角のむこうから別の女の人が此方へ向かってくる。
夜とは言え、野次馬というのは一旦集まりだしたらキリがない。
警察なんかも呼ばれちゃったりして、今にスイーパー集団は解散、悪事の数々が暴かれて御用、なんてことになるのだろうか。
ついでに俺は例の放火事件の重要参考人というやつだ。ということは俺が捕まったらアレがああなってコレがこうなって……。
これはもう八方塞がりだな。
「おやおや、どなたかと思えば、菅原さんではありませんか」
ん、何だ、野次馬かと思ったら俺の知り合いか?
こちらへ近づいてきたその人をよく見る。
黒くてサラサラのポニーテール、凛として整った顔立ち、何よりサングラスの向こうから覗く紅い瞳。高そうなコートに身を包んでおり、前に見たのと違う格好だったのですぐには分からなかったが、間違いない。メイド長だ。
「そこの貴女、この人は私の友人でしてね。酔っ払っているだけの様ですし、私が家まで送り届けるので大丈夫です」
「ばってん、一応医者に見せたほうが良かじゃなかですか」
「彼はまだ未成年でして。その、ね? 分かるでしょう?」
「そぎゃんですか。分かりました」
「有難うございます」
おお、訛ってる女の人が引き下がった。グッジョブです、メイド長。
因みに俺は酒など飲んだことはない。
「さ、帰りますよ。菅原さん」
メイド長はいい匂いのするハンカチで俺の顔を拭い、俺を背中におぶって歩き出した。背丈は俺と然程変わらないはずだが、意外と力持ちだ。
でも『家まで送る』って、基地の場所がバレてるわけではないよな。
━━━━
案の定向かった先は基地とは全く別方向。歩いて数分、道の外れにぽつんと建つ、少し大きめの一軒家に到着した。どうやらメイド長の家らしい。
うん、俺の家とは言ってないもんね。
何となく興味が湧いたので背中で揺さぶられながら、首を回らせて周りを見た。
そこそこ広くてよく手入れされたいい庭だ。家庭菜園なんかもやっているらしい。庭を縦断し、セキュリティ万全そうなドアを開けるとそこには、立派な庭に見合った吹き抜けの玄関があった。メイド長は静かに玄関のドアを閉め、俺をおぶったまま二階の一室まで連れて行く。掃除も隅々まで行き届いているようで、これなら客を招いても恥ずかしくないだろう。『お屋敷』と呼んでもいいくらい立派な家だな。
俺はやたらふかふかのベッドに寝かされ、メイド長はごゆっくりお休みくださいと言い残し、灯りを消して部屋を出ていく。
床を踏みしめるギッ……ギッ……という音が遠ざかっていき、静かなお屋敷の暗闇に飲み込まれていった。
深い眠りに落ちる。夢すら見えないほどの。
深い、深い……。
ある時ふっと目を覚ます。頭の奥が痺れるようにじんじんする。
結構な時間眠っていたように思えるが、窓から見える空はまだ暗い。
星が砂絵のように空に散らばっていた。こんなに明るいものだったか。
或いはこれは夢かも知れない。
夜空の中に自分の身体が遊泳しているような錯覚に陥り、再び深い眠りに落とされた。
ひやりと冷たい感触を額に感じ、じわじわと意識が覚醒していく。
部屋が明るい。漸く朝か。
体が動くのを確認して上体を起こすと、額から濡れたタオルがシーツの上に落ちた。
寝てる間にメイド長が看病してくれたのだろうか。両腕に巻かれた包帯と左眼の眼帯も解かれている。それどころか着の盡で寝たはずなのにパジャマになっている。
このパジャマは俺のじゃない。俺の服は……。
「……あ、菅原さん起きましたぁ?」
「……?」
部屋に見知らぬメイドさんが居た。ちっちゃい系の女の子メイド(吸血鬼)だ。
中学生くらいかな。
ん? いや、この子は見覚えが。
「どうしました。ワタシの顔、変ですかぁ?」
「あ、林檎ちゃんか。格好が変わると分からなくなるもんだ」
「うふふ、似合ってますぅ?」
「可愛いね」
「かわッ……!」
予想以上に照れられる。
白い肌が赤く染まってまさにリンゴの様だ。一寸面白い。
前に見たときはラフな私服にサングラスだったからな、何か身体から黒いオーラ出してたし。フリフリのついた女の子らしいメイド服を着るとまるで別人。昔『女の人は服を替えれば中身も替わってしまうのではないか』と幼心に思っていた。今でも偶にそう思う。
何故此処に居るのかと聞いたら、例の事件で住む場所が失くなってしまったので、吸血鬼になって喫茶店で働くかわりにこの家に住まわせてもらっていると言う。毎日メイド修行に励んでいるとのこと。成る程納得。
喫茶店での仕事は楽しいかだの、そんな流れで林檎ちゃんと差し障り無い話題で談笑していると、コンコンと部屋のドアがノックされた。入ってきたのはお仕事モードのメイド長だ。俺の服を持っている。
「お目覚めですね。体調の方は如何ですか?」
「お早うございます。何から何までお世話になってしまったようで、お陰様でこのとおり大分良くなりました。有難うございます」
「いえいえ。宜しければこの家にいる間、貴方は『御主人様』としてお過ごし下さい。これも貴重な経験ですので」
メイド修行の糧になれ、ということらしい。
折角だしお言葉に甘えさせてもらう。
パジャマを脱がされ、暖かい濡れタオルで体中を拭かれる。林檎ちゃんも赤い顔でそれを手伝う。パンツ一丁だが不思議と恥ずかしくない。そして服を着せられる。靴下も。俺の服からは柔軟剤でも使ってそうないい匂いがした。洗濯までやってくれたようだ。そんで左目の接着剤が剥がれかかってたのを塗り直し、包帯と眼帯を付けてもらって御終い。
お世話というよりは介護っぽい。両手がないので間違ってはないのかな。
次にダイニングに案内され朝食を振舞われた。
トーストに、ベーコンと目玉焼き、飲み物はミルク。案外普通のメニューだ。まああまり込み入ったものを出されても困るしこれぐらいで丁度いい。
「どうぞ、お召し上がりください」
「あ、はい。いただきます」
食事はうまい。が、どうも二人に手伝わせて自分だけ偉そうに食事するのは慣れないな。
なにか気を紛らすのにちょうどいい話題はないものか。
できるだけ無難な話題を選ぶが、やはり喫茶店の話しか出てこない。
「お二人はこの後、喫茶店でお仕事ですか?」
「いえ、店の方は昼前からですので」
「朝は武術道場で稽古をするんですよぉ」
「稽古?」
「はい。緊急時に要人を守れる程度の、メイドに相応しい身のこなしを身に付けるために武術訓練を行っております。
もしよければ見学など如何ですか?」
面白そうな話が出てきた。
武術道場か。林檎ちゃんに襲われた際に、吸血鬼というやつの厄介さは嫌と言うほど思い知らされた。そんな奴らがメイドで武術家。恐ろしいというか、普通に生きて苦労しないこの現代社会に、そこまで道を極めて意味があるのかと問いたい。
凄く気になるが、基地にいる皆が心配してるかもしれないので一旦帰った方がいいのではなかろうか。
「そうそう、菅原さんのお仲間さんには昨日のうちに事の顛末を報告しておきましたので、急いで帰らなくても大丈夫ですよ」
「ん……んん?」
一寸待って欲しい、今何といった? お仲間、昨日?
少し焦って問いただしたところ、どうやら以下のようなことらしい。
まず俺が体調を崩して夜道を徘徊していたのを発見し、この『メイド長の家』に運び込んだ。本来なら医者に見せるべきかもしれないが、例の放火事件の関係者ということもあるのでそれは避けた。代わりにメイド長が度々お世話になっているという二人組の闇医者を頼る。その闇医者二人組というのが何を隠そう、ドクターとキシダさんなのだという衝撃の事実。患者の様子を電話越しに事細かに説明すると、キシダさんは事情を察し「不調は一時的なものだから一日二日そっちで様子見といてくれ」と頼んだらしい。それから一晩、林檎ちゃんと世話をしてくれたそうだ。
何故闇医者と繋がっているのかは知らないが偶然にも程がある。しかし患者(俺)を任せる程なのだから、案外懇意なのだろう。
俺がスイーパーをやっていること、サイボーグ化手術を受けたこと、この人達がどこまで聞いたのかが気になるな。分からないことだらけで、適当な身の振り方が掴めない。
ま、細かいことは一先ず置いておくか。
そういえば、依頼のない間は暇だから何処か暇潰し出来る場所を探しておいたほうがいい、と言われていた。渡りに船、俺は一先ず武術道場の見学に行くことに。あわよくば怪我が完治したら道場通いなんてのもいいかも知れない、俺は頭の中でそんなことを画策しながら、代わる代わる差し出されるパンやミルクをよく味わう。どうやらカルシウムが足りてないのでミルクは2杯飲んだ。
「ごちそうさまでした」
美味かった。この身体になってから、食事というものが一層美味く感じる。味覚も進化しているのだろう。
さて思い立ったが吉日(二人にとっては日課らしいが)、早速道場に出発、という流れを断ち切るようにバイブレーションの音が響いた。メイド長がポケットから端末を取り出し、失礼、と断りを入れて誰かとの通話を開始する。何の話か見当もつかないが話をしながら窓の外を見ている。何かに目を凝らしているのか、吸血鬼特有の紅い瞳の黒い瞳孔が鋭く縦に裂けているのが少し不気味だ。林檎ちゃんも何事か気になったのか窓の外を見ようとして、そっと手で制された。
数分の後、話が終わりピッと通話を切った。
「……お待たせしました。では気を取り直して道場の方へ行きましょう」
今のは一体何だったのだろう。という疑問はほんの一瞬だけ頭に留まり、秒針が次の一秒を刻む頃にはどこかへ行った。
━━━━
外は曇り空。日光が苦手そうな吸血鬼にとっては外出するのに丁度いい天気かも知れない。
二人は家を出る前にラフな格好に着替え、道着袋を小脇に抱えている。 俺は手ぶらだ。当然道着なんて持ってないし、今日はあくまで『見学』の予定。そもそも基地から持ってきたは財布と左目に付ける接着剤だけ。今日一日泊まっていくように勧められたのでその二つはメイド長に預けっぱなしだ。
道場までは歩いて行ける距離らしい。
道場、どんな所だろう。どんな人が教えているのだろうか。何せ吸血鬼に武術を教える猛者、凄い人物に違いない。
目的地に向かう途中、俺を退屈させない為の配慮か、メイド長が色々と話を振ってきた。話題は朝食の時の続きみたいなものだが、度々それとなく俺の内情に迫ってくるような話の振りをしてくる。
―先日はお疲れの所林檎がご迷惑をおかけしたそうで。
―是非お友達でも誘って、喫茶店にお来し下さい。
傍から聞いたら何の変哲もない極めて友好的な会話だ。だが、ふとした拍子にうっかり口を滑らせそうになる。仮にも法を犯しかねない集団に属しているのだ、迂闊なことは喋れない。
これはただの動物的な勘に過ぎないが、俺のテリトリーには決して足を踏み入れず、しかし境界線ギリギリから双眼鏡で覗かれているような、そんな気がした。メイド長はいまサングラスを掛けているのだが、その奥から時折覗く瞳に、先程感じたものに似た『怪物』めいた底知れない不気味さを感じるのだ。
……あまり失礼なことを考えるのは止めにしよう。
住宅街の更に奥、和風な建物の屋根が見えてきた。近づくにつれて、忙しなく行ったり来たりする足音がだんだん大きく聞こえてくる。
門を潜る。寺なんかで見るような木製の引き戸が開けられており、建物の中の様子が見える。
道着を着た人が、一人でせっせと雑巾がけをしていた。あの人が道場長だろう。
メイド長、林檎ちゃんの順で一礼して中に入っていく。俺も、入口の前に立ち止まり、一礼。先の二人を真似てみた。
道場長は雑巾がけを中断し、顔を上げて此方を興味深そうに見てきた。
「おい、その男は何だ」
短髪で体つきもしっかりしているので見た目では区別がつかなかったが、威厳のある女性の声だ。
「菅原リョウと申します。今日は稽古の見学に来ました」
女道場長は「ほう……」と俺の頭から爪先までまじまじと観察する。
その紅く輝く縦に裂けた瞳で。