第10話 夕焼小焼のレゾンデートル
俺が数週間前まで暮らしていた孤児院、に通ずる一本の坂、『桜坂』の前まで来た。
数百メートルはあろう長さの一本坂。長すぎて建物の姿はここからは見えない。桜坂という名前とは裏腹に、坂の両脇にはとうに枯れ果ててしまった木の名残が並んでいるだけだ。春になってもここに花が咲いたところは見たことがない。植え替えたりしないのだろうかと思ったこともあるが、これだけ長い坂だし、手付かずのまま放置してしまうのも無理はないだろう。
施設の職員さんの言うには、どうやらこの坂の上には昔、それはそれは立派な学校が建っていたそうだ。まあ職員さんの話なんて殆ど適当に相づちを打って聞き流していただけだから、何故失くなってしまったのか、何故そこに孤児院が建ったのか、そんなことまでは覚えていない。
ただ一つはっきり覚えているのは、その学校にはシンボルツリーたる桜の木、『永遠桜』なるものがあったということだ。「あった」と過去形なのは言わずもがな、その桜の木も、桜坂を見守る木々同様既に失われているのだ。枯れてしまったのか、切り倒されたのか、はたまた自重に耐え切れず折れてしまったのかは分からない。
永遠桜が聳え立っていた花壇はまだ残っている。ロータリーの真ん中にレンガで円く縁どりされたレイズド・ベッドで、今は季節ごとにパンジーやら名前の分からんオレンジ色の花やらが植えられる。
まあそれはさておき。
坂を上る足取りが重い。孤児仲間はまあいい、ただ、職員さん方にはなんと言い訳をしたらいいものか。先程からそればかりを考えていた。
全く、何故一言も残さず施設を飛び出すなどの発想に至ったのか、かつての自分自身の思考が甚だ理解しがたい。
結果としてあのワケアリ集団に仲間入りしたわけだが、果たして良かったのか悪かったのか。このまま彼処で暮らすなら、俺はすぐにでも人を殺めることになるだろうな。人殺しは遊びじゃないとリーダーは言った、どんな理由であれ殺しは殺し、それ以上でも以下でもない。それがあの人のポリシーだそうだ。
俺は別にそれに関して何か感じることがあるわけではない。ただ、そんなことに足を突っ込んでいるなど言えたものではないし、強いて言うなら隠し事というのはなかなかに面倒なものだというのが俺の感想である。
坂を途中まで登ると、不意に周りの空気が紅く染まった。坂が、枯れ木が、自分の体が、真っ赤な夕日に包まれている。
目を凝らせば、燃えるように紅い夕焼けの中、坂の真ん中に黒い影がぽつんと一つ佇んでいた。それはまるで真っ赤な絵画の中心に落とされた、黒い絵の具の飛沫のようで……。
「エニグマ……だったっけ?」
近づいて、その黒猫の名前を呼んだ。黒猫は返事をするでもなく、ただふんすと一つ鼻息を鳴らす。袖を使って撫でてやると満更でもなさそうに頭をすりつけてきた。
この街は結構広いと思ったが、コイツとは何気によく遭遇する気がするな。本当にどこに住んでいるのだろうか。一頻り撫でてやるとすくっと立ち上がり、俺を誘導するかの如く坂を登り始めた。
見れば見るほどその顔は知性的で、俺を何かへ導こうとしているような、そんな気すら湧いてくる。まるで俺がいずれここへ来るのを知っており、そして待っていたかのような。考えすぎだと思うが。
コイツが俺を導くというのなら、俺は素直に導かれてやろう。何よりその先に何があるのか、俺はそれを確かめにここまで来たのだ。
そう、最早勘ではない。ここにたどり着くまでに歩きながら色々と考え事をした。考えれば考えるほどに、今日に至るまでに起こった事柄が尽く矛盾だらけでチグハグなのだ。
それに加え、林檎ちゃんは暗にここで何かしらの事件があったことを仄めかした。人に殺意を抱くほどの出来事。恐らくは俺の抱える矛盾にもつながってくるだろう。だからまずは俺が居ない間に何があったのか、ここの住人に話を聞きたいのだ。
坂の中腹まで来た。建物が上端から段々とその姿を現す。
まだ少し遠く、夕焼けに目が眩んでよく見えない。
黒猫の後を追い坂の頂上を目指す。
いよいよ孤児院の施設の全貌が見えてきた。
施設は依然、俺が脱走した時と同じように……。
施設は……。
……既に、焼失していた。
「は? どういうこと、だ?」
思わず疑問の言葉がこぼれた。
黒猫は迷いなくロータリーの中央まで行き、円形のレイズド・ベッドの花壇にぴょこんと飛び乗り寛ぎ始める。ただこれを見せたかっただけだとでも言うように。
焼失と言うと少し語弊があるか。骨組み等は残って建物の形を残している。だが壁や窓ガラスは煤で覆われ、窓から伺える内装は、最早ただの炭の塊だ。
俺のいない三週間に一体何があったというのか、坂を登りきったところで呆然と立ち尽くし、目の前に広がるその光景を眺めた。職員さんや孤児仲間の皆は一体どこへ?
辺りに人の気配はない。風が吹けば灰や砂埃がハラハラと舞い、ほんのりと焦げた匂いを運んでくる。察するに、燃えてしまってから結構時間が経っているらしい。職員さんはともかく、孤児仲間はここ以外には行くあてもない筈。となると皆、恐らくは、恐らくは……。
状況は何となくだが理解できた。溜息一つ吐き、レイズド・ベッドの端に腰掛け、手を組み顎をつき再び思考を始める。
まず一つ、俺が最初に感じた違和感の正体。それは林檎ちゃんの別れ際の一言。
『あ、菅原さんは帰り道そっちですかぁ? ワタシはこっちですので、ここでお別れですねぇ』
そう、林檎ちゃんはそもそもこの孤児院で暮らしていたのだから、本当なら帰り道が別であるはずはないのだ。
そしてその矛盾に対しての答えが、今目の前にあるコレである。
何のことはない、施設は既に失くなっていたというわけだ。林檎ちゃんは俺と同じく新しい居場所を見つけてそこで暮らしているのだろう。多分喫茶店関係か。
居場所を提供する代わりに吸血鬼にされて喫茶店でのバイトを強いられているとか? 嫌々やっているという雰囲気はなかったが、まあそこのところを考えても仕方ない。それに連絡先ももらったし気になれば本人に直接聞けばいい。
次に、それを差し置いてもまだ違和感は拭いきれなかったから、ここに来るまでにこの三週間を振り返ってみた。
俺が脱走してあのワケアリ集団に拉致られた日。
依頼が来たので俺を捕まえたと聞いて、俺ははじめ孤児院に依頼されたのだろうかと思ったが、それはありえないと断言できる。
常識的に考えてスイーパーなどではなく警察に連絡するとこだし、仮に孤児院が彼らと何かしらの繋がりを持っていたとしても、脱走した初日にそんな奥の手っぽい手段を使う意味がわからない。そもそも俺だって施設に引きこもっていたわけではない。外に遊びに出かけるのは別段珍しいことではなく、二日三日帰らなかったのならまだしも、初日で『脱走』と決め付けるには早すぎるだろう。
ということは別の誰かが依頼したということになるが、それもまたおかしな話だ。一体誰が何の為に? 俺への嫌がらせか?
分からない。全く腑に落ちん。
だが一つ発見があった。
『逃げてもどうせ行くとこないだろ。ここにいたほうがむしろ安全だと思うが』
俺が改造手術を受け、目が覚めたときにリーダーに言われたこと。そう、逃げても行くところがないというのは即ち、あのとき既に施設は失くなっていたということ。そしてリーダーはそのことを知っていた。
あのとき詳しく聞こうと思ったが結局はぐらかされ、今に至るまで完全に忘れていた。俺が忘れていたのは仕方ないとして、果たしてそんな大事なことを話し忘れるか?
それにリーダーの言動には所々引っかかるところがあった。
『お前の身柄を拘束させてもらった』
『お前に拒否権はない』
『菅原リョウを捕獲せよとの依頼が来た』
『この際だし人体実験の被検体になってもらった』
『殺しは遊びじゃない』
『お前、ちょっと調子に乗ってるんじゃないか』
思い出せるだけでもこんなもんだ。拘束、捕獲、拒否権はない……あまりに扱いがぞんざいで、まるで何か、俺が悪者であるかのような言い方じゃないか。『動物使い』のときは、まあ確かに一寸興奮して我を見失っていたかもしれないが、普通の人間相手にあんな重い説教をする必要は本当にあったか。
俺は一体、何なんだ。
ただ分かったこと。どうやら俺は、あまり歓迎されていなかったらしい。
「ク、ふクク……」
何だろうな、これは。腹の底からこみ上げてくるこの感情は。
頬が引き攣り横隔膜が小刻みに震える。そう、これは『愉悦』だ。
「ハハッ、アハハハハ!」
初めから勘違いしていたんだ。
てっきり、リーダー達に新しい居場所でも与えられたように思っていた。
俺は『悪者』だったのか。
依頼に従って俺を捕まえたはいいが、処理に困ったから仲間に入れるという名目で監視される生活をさせられていた、と。
ならば殺せば良かったではないかという話になるが、リーダーの人柄もあるし、理由のない殺しはできないのだろう。
林檎ちゃんに会った時、あからさまに殺意を向けられた。それは何故か? それは当然俺が犯人だと思われていたからだ。最終的には誤解は解けたようだったが。
もしかするとリーダーも俺が犯人だとでも思っているのかもしれないな。
だが俺は犯人ではない。
イコール、俺以外の誰かがやった。
イコール、俺は冤罪の被害者。
イコール、俺は真犯人に復讐できる。
イコール、俺は本当の意味で生きる目的を得た。
イコール、愉悦。
全部全部真犯人のせいであり、俺は可哀想な被害者、復讐に燃えて生きていく。そういうシナリオだ。
孤児院生活は頗る退屈だった。特に将来の夢もやりたいこともなくもうすぐ大人になろうというところ。やりがいのない人生なんて真っ平御免、張り合いというのは大事だ。
これから始まるやりがいのある人生を想像すれば、笑わずにいられるものか。
「ハハ…ん、エニグマ? どこいった?」
近くで寛いでいたはずの黒猫がいつの間にかいなくなっていた。
それに気付くと同時、心地良い「酔い」は一瞬にして醒め正気に戻る。
別に俺の猫ではないから探す必要もないのだが、まあ一寸施設周辺を見て回るか。
今にも日が地平線の下に隠れてしまいそうだ。暗くならないうちに正面玄関、中庭、自転車小屋と、一通り見て回る。
流石に施設内に入るのは遠慮しておく。
当然ではあるが人の気配など微塵も感じられない。少し前までここで百数十人が暮らしていたわけだが、皆何処へ行ってしまったのか。言わぬが花、知らぬが仏か?
めぼしい物は何もない。
裏門まで回ると、黒猫を見つけた。塀の隅あたりを何やらゴソゴソとやっている模様。
見れば、革の財布が落ちているのを引っ掻き回している。
拾い上げ中身を確認、別に金を盗もうというわけではない。持ち主が分かるかもしれんので一応の確認だ。
少々の小銭や札はもちろん、驚いたことにキャッシュカードや免許証等、身分証の類まで入っている。ジトっと濡れて重たくなっていることから落として数日は放置されているのだろう。
免許証にはこの財布の持ち主であろう人物の名前が、『 田中 善汚助 』という名前と顔写真がつけてある。住所も。
……これは何かしらの手掛かりになるかもな。例えばこの人がここの職員さんで、何かしら話を聞いたり出来るかもしれない。
まあそうでなくても財布だけは届けておくべきか。
「エニグマ、お手柄だ」
「ふんす」
撫でると「苦しゅうない」とでも言いそうな態度で鼻を鳴らした。案外愛嬌のある奴だな。
さて、暗くなってきたしそろそろ夕飯時だ。ひとまず基地に帰るか。
━━━━
「あ、新入りが帰ってきた」
「オカエリンコー」
「あらリョウくん、おかえりなさい。夕飯はもうすぐできるから待っててね」
「うっす」
広間に入り、椅子に腰を下ろして一息ついた。
料理をしているキャルメロさんの他は、メガネさんとホストさんがトランプ遊びに興じているのみ。他の連中は小部屋で寛いでいるのだろうか。
椅子に体重を任せダラーっとしているとメガネさんが話しかけてきた。
「やあ新入りよ、またえらくボロボロだな」
「カクカクシカジカで色々ありましてね」
「なるほどわからん。要は喧嘩でもしてきたのかい」
「まあそんなとこですかねー」
「パネッ、リョウ君意外ニ、ヤンキーナン?」
「え?ああ、まあそうなんじゃないっすか」
「パネーッスワマジデ」
「新入り先輩マジパねー」
いまいちホストさんが何言ってるのか分からないから適当に聞き流しといた。
ホストさんに便乗したのか知らないが「新入り先輩」という響きはなかなか斬新だな。というか俺はいつまで新入りなんだろうか。
「そういえばリーダーはどこですか? ちょっと話したいことがあるんですが」
「あー、リーダーは何か忙しいっぽくて、何処行ってるのかわからない」
「そっすか」
「どうかしたん?」
どうしたものか。
この人たちはリーダーに比べてだいぶ馴れ馴れしいような気がする。ひょっとすると火事のことも知らないのかも。なんせテレビは映らないし新聞も来てないようだからな。……確かめてみるか。
「いや、大したことではないんですがね。ここ最近なんか事件とかありませんでしたか?
例えば、そう、俺が寝てた二週間の間に。
どうもニュースとか見てないと情報に疎くなっちゃって」
「ああ、そういえば新入り君はここに来て暫く寝てたんだっけね。
事件……うーん何かあったかな?」
「ソウイエバ消防車トカ、メッチャ通ッテナカッタ? 三週間クライ前」
「あーはいはい、そんなこともあったような。デカい火事があったんだっけ」
「へえ……」
「事件とかはニトーに調べてもらえばいいんじゃないかな。ネットニュースにはそこそこ目を通してるだろうし」
「成る程っす」
どうやら火事のことは知っているが深くまでは知らないらしい。リーダーとその他メンバーの情報把握の度合いに結構な差があるようだ。
リーダーを直接問いただせばいい話だが、ニトーさんに調べてもらうという発想はなかったな。ネットをやってる人は情報収集に強いんだろうか。
そんなわけで二トーさんを頼ることにした。
広間を出て個人部屋へ向かう。
扉の前に立ちノックした。
「二トーさーん、一寸調べてもらいたい事があるんですが入ってもいいっすかー?」
『失せな。今忙しいんだお』
「そこを何とかお願いします」
『じゃあピザって十回言って』
「ピザピザピザピザピザピザピザピザピザピザ」
『お前デブを馬鹿にしてんの?』
「ちょっと何言ってるか分かんないです。仕方ないので入りますねー」
「ちょ、おま……」
両肘を使いドアノブをガチャガチャガチャン。
部屋に入ると、パソコンの前で下半身露出してる二トーさんがいた。何してたのか分からないけどまあ触れないほうがいいというのは分かる。
無視して要件を告げる。
「三週間くらいの間になんかでかい火事があったみたいなんですけど、一寸調べてもらえませんか?」
「……はあ? 火事? もしかしてお前何も知らないのかお」
「ええ、さっき知りました」
「情弱乙。未だにニュースで散々騒がれてるお。ほれ」
素早くネットニュースの記事を検索し、パソコンの画面を俺に見せてきた。
ざっと内容に目を通す。
「これは……」
収容されていた児童は一人残らず死亡、または行方不明、職員も数名が犠牲に……。
記事の内容は予想以上に酷いものだった。
※キャラデータ※
名前:稲沢玄
性別:男
年齢:20代半ば
肩書:殺人犯
能力:『最強』
備考:ナイフと拷問が好き。ハンパなく強い。