第9話 吸血喫茶ヴァムパイア
「おかえりなさいませ御主人様!」
扉を開けると飾り気の少ない、それでいて洗練されたデザインの、白と黒を基調としたあの衣装を着た女性達に出迎えられる。
こ、ここは……!
「林檎ちゃん……ここってそういうお店なの?」
「え?いやですよぉ、そんな如何わしいお店じゃありませんって!」
そういうつもりで言ったわけではないんだが。
林檎ちゃんのバイト先であるというこの喫茶店、どうやら所謂『メイド喫茶』と言うやつであるらしい。
だが話に聞いていたような甘ったるい雰囲気はそれほど感じられない。店内を見渡すと木の温もりを感じられる穏やかな内装、大人の背丈ほどある振り子時計や趣味の良い絵画が何処となくアンティークな空気を醸し出している。照明には小洒落たシャンデリア。まるで異世界にでも迷い込んだかの如き錯覚だ。
そこそこ広く、客層は老若男女様々。学生の集団らしきものも見られる。
そして何より目を引くのが、メイドさん、元い店員さん達。無駄な装飾を省いたゴシック調のエプロンドレスにヘッドドレス。スカート丈が踝に届きそうなほどのロングスカートだ。衣装もさる事ながら、テキパキと仕事をこなすその物腰は見事の一言に尽きる。
「はあ。なんというか、スゲーな」
「そうでしょうそうでしょう」
ニンマリと口角を上げ得意気な顔をする林檎ちゃん。
気持ちは分からんでもない。このような良い場所で働いているのだ、それだけで誇れるものがあるのだろう。
黒髪を後ろで結ったキリリとした顔つきのメイドさんに誘導されて窓際の席に着く。御注文がお決まりになられましたら……というお決まりの文句でさえ凛とした響きで心地良い。
『街』の近くにこのような店があったというのだから驚きである。今まで知らなかったのが不思議なくらいだ。
お品書きを眺めながら寛いでいると林檎ちゃんが話しかけてきた。
「今のポニテの人、メイド長ですよ」
「へえ。メイド長ってつまり店長的な?」
「そうですよぉ」
店長と呼ぶと何か夢が壊れるのでメイド長と呼ぶのがこの店でのセオリーだそうだ。
長が直々に接客をするというのはなかなか変な感じがすると思うが。長というのはもっとこう、椅子にドッカリ座って人を顎で使うポジションではなかろうか。だがまあ、うちのリーダーも何気に一番よく動いている気がするし、そんなものなのだろう。
改めてお品書きに目を通す。
メニューは珈琲、紅茶といった飲み物から、ポテト等の軽食、ステーキだのオムライスだのガッツリ食えそうなものまで幅広く充実している。一番充実しているのがデザート類であるのはご愛嬌である。
俺達は二人でハンバーグを注文することにした。腕の再生にはとにかく肉が必要なのである。ステーキでもいいよと林檎ちゃんはいったが流石にそれは申し訳ない。というか俺はぶっちゃけステーキよりもハンバーグが好きだ。今回は林檎ちゃんの奢りという事だが、見栄を張って高いものを注文するのは損である。
注文のために店員を呼ぶと、今度はメイド長とは別の柔らかい表情のメイドさんがやって来た。
俺たちの注文を聞き、慣れた手つきで伝票に書き込んでいく。聞き終えると少々お待ちくださいと一礼。最後に林檎ちゃんの方を一瞥してにこりと笑った。恐らくバイトの子だと気付いているのだろう。
その際に口元を見てハッとした。
ちらりと覗いた、異常に鋭い犬歯。目を見れば血に染まったような紅い瞳。更にハッとして店中のメイドさんを見回す。正確にはその口元と瞳を。
皆が皆同じような歯と瞳を持っていた。そう、林檎ちゃんと同じ、吸血鬼を思わせるそれである。どうして今まで気付かなかったのか。俺が普段、どれだけ人の顔を見ていないかということであろう。
メイドさんが厨房に引っ込んだのを見届けて質問を投げかけた。
「今更なんだけどさ、ここのメイドさん達って……」
「ふふ、ほんとに今更ですねぇ。お察しのとおりここのメイドさんは全員吸血鬼なんですよ。店名見て気付かなかったんですか?」
「普段あんまりそういうとこ見ないんで。店名何だっけ?」
「この店の名前は『 喫茶 VAMPiRE 』ですよぉ」
ああ、成る程。ここは言わば『吸血メイド喫茶』ってわけだ。
ヴァムパイア……つまり吸血鬼って、そのままだな。ここに本物がいるわけだし多分ただのコスプレではないのだろう。てか全員吸血鬼ってどういうことなんだ?
「吸血鬼って……」
「あ、ハンバーグきましたよ!」
「はやっ」
今注文したばかりだと思うが、ハンバーグは確かに俺たちのテーブルに運ばれてきた。どういう仕組みなのか林檎ちゃんに聞いてみたけど企業秘密だそうだ。
まあ早いに越したことはない。肝心なのは味である。
早速食べたいところだが当然人の手を借りないと食べられないわけで。
「ん? あ、ああ! すみません、そりゃそうなりますよね。ワタシが食べさせましょうか」
「すまんな。頼む」
林檎ちゃんがナイフとフォークを使い、大急ぎでハンバーグを細かく切っていく。ナイフが肉にあてがわれるたび肉汁が内から溢れ出てくるのが見える。その光景だけで十分すぎる生唾モノだ。
そして一口大に切られたうちの一つが俺の口元へ運ばれる。俺は躊躇いなくそれを頬張り、咀嚼した。
口の中でホロホロとほぐれていく柔らかな挽肉。噛めば噛むほど溢れてくる肉汁。素材の味を殺さない程度のシンプルな味付け。うむむ……。
「…んまい」
「うふふ、随分美味しそうに食べますねぇ。汁が口からこぼれてますよ」
紙ナプキンで俺の口元を拭いてくれた。林檎ちゃんはその後も自分の食事はそこそこに、俺の口までハンバーグの欠片を運んでくる。最早他人に食べさせてもらうことへの抵抗はなかった。
それにしても驚いたな、これはレストランとしても一級品の味なのではなかろうか。ここは喫茶店だったか、まあ喫茶店とレストランの違いなんて俺には分からん。
暫くハンバーグに舌鼓を打っていると、ふと視線を感じた。
奥の席の学生集団からだ。明らかに此方をガン見している。林檎ちゃんも視線に気付いたらしく、一旦手を止め何事かと見返した。
集団の一人と目が合うと、そいつがこちらのテーブルまで歩いてきた。ああ、誰かと思ったが知った顔だ。
「よう」
「おー、坂本じゃん。二日くらいぶり」
「杉本だっつーの! どこのリア充かと思ったら。こんな昼間から喫茶店デートか、いい身分しとるなぁ」
「うん? これがデートに見えるか」
「見える。むしろデートじゃないなら何なんや」
杉本はずけずけと俺の隣に座ってくる。奥の学生達は興味津々にこちらを見ていた。
「あれ、ってかここのバイトの子やん」
「あ、ども、三津浦林檎です。菅原さんのお友達ですかぁ?」
「うっす。まあ中学の時の友人ってやつ。え、なになに? 二人付き合ってるんじゃないん?」
「だからそう言ってるだろ。それよりお前はなんでこんなところにいるんだよ」
「ここにはよく、大学のサークル仲間と飯食いに来とるんだわ。別にどこで飯食ってもええやろが」
なんでちょっと切れ気味なんだよお前は。
と、杉本のサークル仲間だという輩がメイドさんと何やら喋っている。メイドさんは笑顔は崩さないものの少し困り顔だ。話に耳を傾けると、どうやらメイドさんにアーンで食べさせて貰うように要求してるようだ。
やんわりと断ってはいるものの、一際チャラチャラした奴が「メイド喫茶なんだからそれくらいいいじゃないっすか~」と食い下がる。これは完全に学生の悪乗りというやつだ。
『あっちの客はバイトの子にアーンさせてるじゃないっすか~。減るもんじゃないし別にいいでしょ~? マジでお願いしますって。ホラ、このとーり!』
『いえ、ですからあちらの子は今はお客様として来ているのであって……』
「…おい、あれお前の先輩だろ。なんか迷惑かけてんぞ。なんとかしろよ」
「スマン無理だわ。割とマジで申し訳ない」
呆れたな、悪乗りも度が過ぎればただの迷惑行為だ。多分ここで杉本が止めに入れば「お前空気読めよ」みたいになって後々仲間はずれにされるんだろうな。
どうやら杉本をこちらに差し向けたのもあの先輩だという。リア充(即ち俺と林檎ちゃん)が目に付いて、たまたま杉本が知り合いだというから面白半分に、お前一寸行ってこいと命令されたそうだ。
俺にもどうしようもないので、メイドのプロが迷惑客にどう対応するのか見届けさせてもらうことにした。
暫く杉本の先輩と話していたが、やがて話の通じない相手だと悟り、とある人物に目配せした。
目配せの相手は、入口あたりで控えていたメイド長だ。スタスタと迷惑客の傍まで歩いて行き、どうなさいましたかと問う。
実は斯く斯く然々此れ此れで、とメイドさんが簡単に事情を説明する。メイド長は数秒、ふむ……と考え、やがてよく通る声で妥協案を言い放った。
「うむ。これよりメイドによる『アーン』は一口60円、特定のメイドを指名する場合はプラス100円を頂きます。ただし当店の趣旨はあくまで喫茶店であり、性風俗店などと間違われることのないようお願いします。
宜しいでしょうか? 宜しいですね」
「え~、じゃああっちの人からもお金取らないんですか~」
「さて、何のことでしょうかね? あちらの方はメイドではありませんよ?」
おお、何とかうまく切り抜けた……のだろうか?
だが有無を言わせぬその態度は流石メイド長と言ったところか。上手く世の中を渡るにはこれくらいの強引さも必要なのかもしれない。迷惑客先輩は面子を潰されたようにしゅんとなって、結局アーンの要求はしなかった。
次にメイド長は何故か、俺達のいる席に来て謝罪をした。
「見苦しいところを見せてしまい、大変お騒がせいたしました」
「あ、いえいえ。あなたが謝る事でもないでしょうに」
「そうですよぉ。メイド長は何も悪くないですって、むしろワタシがややこしいことしたばっかりに」
「貴女のせいでもありませんよ、当店でのアクシデントは全て回り回って私の責任になるので。しかしお陰様でまた理想の喫茶店へ一歩近づけたことに御礼申し上げます」
「ははは、俺達はただ見てただけなんですがね」
「何にしても、今後共当店を御贔屓に宜しくお願いします」
本当に俺達は何もしてないんだがな。謝罪と御礼が世渡り上手の秘訣なのだろうか。
ニュース番組でも部下の不祥事で何故か社長が責任を取らされてたりするしな、大人の世界も色々と複雑なのだろう。
「あ、そろそろ帰るみたいだわ」
「おう。てかお前まだいたのか」
「ひどっ! まあええわ。そうそう、林檎ちゃん、だっけ? これどうぞ」
「あ、どうも。なんですかぁこれ?」
「見れば分かるよ。気が向いたら連絡頂戴な~」
杉本は林檎ちゃんに何やら紙切れを渡して去っていった。広げてみると電話番号とメールアドレスらしきものが書いてある。恐らくはアイツの連絡先だな、下心が見え見えだ。
「……どうするそれ」
「どうしましょう、正直いりません……菅原さんにあげます」
「うわあ、俺もいらねえな。どっちかというと林檎ちゃんの方が欲しい」
「え、それって」
「ああ、深い意味はないよ」
結局俺が二人分の連絡先を貰うことになった。貰ったはいいが、そもそも俺は携帯端末なんて持ってない。基地に電話くらいはあるかもしれんが。
無駄になるものでもないしまあいいか。連絡先の書かれた紙切れは財布に挟んでおいた。
その後暫く居心地のいい店内でまったり過ごして店を出た。
こういう店は所謂オタクという人種の道楽だと思っていたが偏見だったかもしれない。俺はネットなんぞに触れたこともない人間だが案外悪くはなかった。
「なあ、メイド喫茶ってどこもあんな感じなのか?」
「流石にそれはないですよぉ。ウチの店はあくまで『喫茶店』がメインですから。普通はこんなに料理が充実してたりはないんじゃないですかね。
内装や衣装だって全部メイド長の趣味なんですよぉ。ウチと同じ店なんてそうそうありませんって」
「へえ」
まあどこもあんな感じだったら最早ファミレスなんていらないだろう。納得だ。
基地に帰ったら皆にも教えてあげたい。二トーさんなんかは泣いて喜ぶかもな。
いまの時刻は4時前くらい。だいぶ日が傾いてきたが、基地に帰るのはちょっと早いか。そういえばまだ孤児院に寄る予定が残っていた。
「あ、菅原さんは帰り道そっちですかぁ? ワタシはこっちですので、ここでお別れですねぇ」
「そうか。じゃ、何かあったら連絡するよ。店に行けば会えるか?」
「そうですねぇ。基本的に毎日バイトが入っているので、夕方頃は店にいると思います」
「おう分かった。そんじゃ、また」
「また会いましょ~」
別れの挨拶を交わし、孤児院へ歩を進める。
二週間は寝ていたわけだが、孤児院に顔を出すのは実に三週間ぶりになる。そうだ、突然居なくなったことへの言い訳とか考えないとマズイか。
それにもう孤児院生活に戻るつもりはないし、それについてはなんて説明しよう。
でもなんだか久々に孤児院のみんなに会いたいような気分だ。この格好を見て嘸かし驚かれることだろうが……。
そこまで考えて、ふと思い止まる。
ん? 何か変じゃないか。そう、『何か』が引っかかる。
俺は何か見落としてはいないか。或いは何か勘違いしてはいないか。『何か』が何なのかは分からない。だがそれが確かなものであると直感が言っている。
何時、何処で、何が。
まあいい。きっと次に向かうその先に、思考の矛盾を解く鍵がある。
だから、今はただ何も考えずに進んでいればいいはずだ。
※キャラデータ※
名前:古庄恭弥
性別:男
年齢:23
肩書:能力殺人犯
能力:電気操作
備考:芯の通った性格でありながら自分の居場所を守るためには手段を選ばない。またそのような振舞いを周りにも求める。