第8話 吸血少女のトラジェディ
相手の並々ならぬ殺意に触れ、本能のままに脱兎の如く地面を蹴った。古庄のときのようなヘマは二度とすまい。
俺だって運動音痴というわけではない、たかが女の子一人、振り切れないはずはない。
「何で逃げるんですかぁ!」
「追いかけてくるからだろ!」
「じゃあ追いかけないからちょっと大人しくしててくださいよぉ!!」
「ならお前がまず大人しくしろよ!!」
「その手には乗りませんよ!!」
何かうぜぇ!
「勘弁してくれよもう……こっちは疲れてるんだっつーの!」
ほんとにわけがわからない。最近どうも『道で偶然出会った奴に襲われる展開』が多すぎるような気がする。公園で出会ったおっさんに拉致され、昨日は突然後ろからやってきたヤバい二人組に拷問にかけられ。一昨日街で偶然会った杉本……は本当に偶然会っただけで襲われた訳ではないな。感動の再会もそこそこにあっさり別れたし。
なんにしても、こんな吸血鬼みたいな顔面の女の子に追っかけられる覚えはねえ。大体何なんだこいつは。お前ほんとに人間か?
しつこく追いかけてくるのでサイボーグパワー全力で駆けた。足の筋肉が少しずつ盛り上がってくる。どうやら筋肉量そのものが思いのままに増やせるようだ。
「待てやァアァァァァァァァ!」
「誰が待つかバーカ!」
「バカって言う方がバアァァァカ!」
「小学生かアンタは!」
「今年で16歳ですうぅぅ!!」
どうやら林檎ちゃんは現在15歳のようだ。今3月だから丁度中学を卒業した時期かな? どうでもいいな、うん。というかさっきまで大分迫真な雰囲気を醸し出してたくせに、もうぶりっこキャラに戻り始めてる。
ともかく追いつかれたら何されるか分かったもんじゃない。まっすぐ走るだけなら体力で負けない自信はあるが、どこかに身を隠したほうが良さそうだ。
狭い路地なら隠れる場所はいくらでもあるだろう。コンビニの脇を通り小道へ入っていった。走りながら後ろを振り返ると、林檎ちゃんの周りを薄黒いオーラが漂っていた。比喩ではなくそのまんまの意味でオーラをまとって走ってきている。まあ何となく分かってたけど、やはり能力者であるようだ
絶対捕まりたくねぇ。オーラを出す前よりも走る速度が上がっているような気がする。俺が勢いを上げたのに合わせて相手も加速しているらしい。
小道を右へ、左へ、何度か駆け抜けると、墓の密集地みたいな広い場所へ出た。まだ林檎ちゃんは曲がってきていない、隠れるなら今だ!
「フッ、フッ、フゥーッ、どこに隠れたんですかぁ……菅原さぁん」
咄嗟に飛び込んだ墓石の影で身を縮め、息を殺す。ゆっくり静かに深呼吸をし、酸素を取り込み、そして息を止めた。今の俺は路上の石ころだ。刺身の下の大根でもいいな。
とにかく今の俺は存在感を完璧に消しており、墓石の裏をその目で確認していかないと見つかりはしないはずだ。幸い墓参りをしている人などは一人もいない。こんなスーツ姿で蹲っている姿は見られたくない。
それにしてもコイツ、細身な女子のくせになかなかの体力だ。サイボーグパワー全力で走ったのに振り切れないとは。言い訳をすると、両手と左目が無いのでかなり走りづらいのだが、それでも並みの女子の体力じゃないと思う。オーラを纏って走ってくる奴を一般の女子と比べていいのかは疑問だが。ひょっとすると俺と同じような能力なのかもしれない。
顔が吸血鬼っぽいのも気になるな。というかまんま吸血鬼だ。紅い瞳に鋭い犬歯、昔ホラー映画のテレビ放送でそんな奴を見たような気がする。
極力気配を消さなければならないので、俺は聴覚にて周りの状況を把握する。耳に全神経を集中させると段々感覚が冴え渡ってきた。これもきっとサイボーグ効果に違いない。
半径数メートル程度ではあるが手に取るように状況が掴める。二つ右隣の墓辺りに野良猫が一匹昼寝中、背後の木の上に野鳥が三羽ほど留まっており、路上にはコンビニ袋が風に吹かれて行ったり来たりしている。全て聴覚で得た情報だ。
そして件の林檎ちゃんは息を荒らげながら周囲を歩き回っているようだ。
フーッ、フーッ、という息遣いが近付いて来たり遠ざかって行ったり、俺は呼吸を止めて林檎ちゃんが諦めるのをじっと待つ。気付くか? 気付かれるか? 呼吸を止めるのも徐々に限度が近づいてくる。
……やがて諦めたのか、小さな溜息が聞こえてきた。
「はあ、逃げられちゃいました」
独り言までぶりっ子っぽい。さっき一瞬見せた殺る気は一体何だったのか。
と、気が抜けた瞬間バッとこちらを振り返り、
「なんちゃってぇ!そこにいるのはお見通しですうぅ!!」
「クソッ見つかった……!」
演技か!
油断を誘って尻尾を掴むとはなかなかの策士。俺は焦って逃げ出す体勢に入った。
だがすぐに違和感に気付く。
「にゃーん」
「何だ猫ちゃんですかぁ……って、あ」
「は?」
俺は今にも逃げ出そうとする体勢、林檎ちゃんは野良猫を撫でる姿勢でお互いに目が合った。
数瞬の後、再びすごい剣幕で迫ってくる林檎ちゃん。
今のは作戦か? いや本気で俺と野良猫を勘違いしたのだろう、とんだ茶番である。付き合わされた自分が無性に恥ずかしい。
もう逃げるのも面倒だし、仕方ない、ここで迎え撃とう。胸の内ポケットにはリボルバーが入っているが、流石に使う訳にはいかないしそもそも両手がないので使えない。
掴みかかってくる相手に対し、懐に飛び込み右腕で肘鉄砲を食らわせる。腰の入った一撃。相手が怯んだ隙にそのまま走り抜け距離を取る。
「ちょっとひどくないですか、女の子相手に本気で肘打ちとか。マジで殺しますよ」
見ると、その紅い目は一寸涙目になっていた。
だが手加減する気はない。先程からチラつかせている殺意は紛れもなく本物だと確信しているからだ。
林檎ちゃんは最初と同じように両手をぶらりと下ろして脱力し、そして拳を握り、また開き、それをもう一度繰り返した。
その両手が真っ黒な煙を纏っていく。恐らくは先ほどの黒い吐息やオーラと同質のものであろう、警戒しながら見ているとやがて黒煙が消え、黒く変色した手とナイフのごとく鋭い爪が現れた。
その瞳を紅く輝かせ、猛然と突っ込んでくる林檎ちゃん。黒く変色した掌が振り上げられる。
「『 流 血 爪 』!」
何か技名叫んだ! ってそうじゃない、あぶねぇ!
俺の首があった場所を黒い貫手が通過する、呆気にとられて避け損ねるところだった。
「ただ引っ掻いてるだけじゃねえか何がぶらっでーなんちゃらだ!」
「うるさい!『 流 血 双 爪 』!!」
現実に技名叫ぶ奴なんて初めて見たぞ。やっぱりこの子ちょっと頭がアレなのか。
俺は後退りしながらブラッディ何とか、元い乱れ引っ掻きを避ける。時にはスーツの袖で爪を叩いて牽制を入れる。当然袖はボロボロになっていった。
そろそろ反撃を、と思ったとき、踵が地面の窪みに引っかかり転びそうになった。なんとか踏み止まるも、上体が大きく仰け反る。
「もらったぁ!『 奪 命 』!!」
黒い手が俺の心臓を鷲掴みにしようと振り下ろされた。避ける余裕はなく、爪の先がスーツの左胸に食い込んでいく。
終わった……どうせならもっと格好良い名前の技でやられたかったな。
正直内ポケットに入れた拳銃のおかげで助かった、とかそういうドラマ的な展開をちょっと期待していたんだが、いざそういう状況に立たされると意外とポケットが深いことが分かる。入れるなら内ポケットじゃなくて外の胸ポケットだったかぁ。
……とそこまで考えて、自分がまだ死んでいないと気付いた。
爪はスーツを僅かに貫通し、鋒が肌に触れたくらいで止まっている。いや、止まっているのではない、スローになっているのだ。人は死の淵に追いやられると感覚が鋭敏になり一瞬世界が止まって見えると聞いたことがある。どこで聞いたかって? 当然テレビだ。テレビ様々である。
何にしてもこのタイミングを逃すわけはない。左腕を相手の懐に割り込ませ、今まさに心臓を抉ろうとしている相手の右腕を弾く。そしてわざと転び、つんのめった相手の胴に蹴りを入れ体を浮かせる。そのまま慣性に任せ蹴り上げると、林檎ちゃんのか細い体は俺の体を越えて空中ででんぐり返しをし、背中から地面に叩きつけられた。
全て一瞬の出来事である。
林檎ちゃんはその場で咳き込んで悶絶していた。流石にやりすぎたかな? だがやらなければやられていたわけだし、まあお相子だろう。とは言ってもやはり心配なので声をかけた。
「おーい、林檎ちゃ〜ん? 大丈夫か?」
「うっ、うぐっ、何、なんですかもう……。居場所は無くなっちゃうし、何やっても空回りだし、ワタシが何か悪いことでもしましたか……」
「おい、お前一体何言ってるんだ……」
林檎ちゃんがこちらに顔を向けた。紅い瞳、赤い目で、睨みつけてきた。涙に濡れ、砂に汚れてぐちゃぐちゃの顔で。
やり場のない怒りだか憎しみだかを必死に俺にぶつけている様だった。
顔を歪めて地面に拳を叩きつけるその様は、嘆いている様にも見え、何故だか祈っている様にも見える。
「何となく、気づいてましたよ、どうせ菅原さんは、何も知らないんでしょ? 菅原さんが孤児院を出て行ってから、何があったとか、まるで何も知らなさそうじゃ、ないですか」
「……ああ、そうだな。ちょうど今日孤児院に行く予定だったんだ。いきなり居なくなったんじゃ嘸かし大騒ぎしてるだろうと思ってね」
「やっぱり、本当に何も知らないんですね」
「悪いな。とりあえずお前は顔を拭け。話はそれからだ」
俺はボロボロになったスーツの袖でゴシゴシと顔を拭いてやった。
女の子を泣かせたのは保育園時代以来だな。理由なんて覚えちゃいないが、どうせオモチャの取り合いとかそんな下らない事だったろう。
俺は人に必要以上に干渉するのが何となく嫌な性質で、他人と関わるのは極力避けてきたが、思えばアレが元々の原因だったのかもしれない。人を泣かすのはあんまりいい気分ではない。
「あれ、その腕、どうしたんですか? そういえばその、眼帯も」
「ああこれか。まあ俺は俺で色々大変だったって事だ」
「そう、だったんですか、何かすみませんでした。その、スーツとか、ボロボロになっちゃったし」
「いいって、気にするな。別に新しいスーツが必要ってわけでもないんだ。それにそっちの服も汚れちゃってるじゃないか、女の子の服って高いんだろ?
ひとまずお相子ってことで」
「でも、何かしらお詫びしないと、ワタシの気が済みません」
最初は馬鹿っぽい子だと思ったが、案外律儀だ。これはちゃんと受け取っておかないと気まずくなるパターンのやつだな
「じゃあ飯でもおごってくれよ、安いのでいいからさ。昼飯は食ったばっかりだけどもう腹が減ってな。いやあ、最近腹が減りすぎて困る」
俺がそう言うと、林檎ちゃんはぱっと明るい顔になった。怒ったり泣いたり笑ったり、本当に忙しい子だな。
「ワタシ、最近喫茶店でバイト始めたんですよぉ。えへへ。お金は私が出しますんで、良かったらぜひウチで食べてってください」
ありがたい限りだ。
ふと思いついたようにポケットを漁り始めた。ポケットから出てきたのは会ったときに掛けていたサングラス。レンズは割れ、フレームはひしゃげていた。今のいざこざで壊れてしまったらしい。少し残念そうな顔をしていた。
服は無理だが、まあサングラスくらいなら買ってやれるかな。
俺達は二人してボロボロの格好で喫茶店へ向かった。
***
「おい、昨日言ってたお前らが拷問にかけたとか言った奴、どんな奴か少し分かったぞ。
どうやら敵さん側の新入りだとのことだ」
「へえ、ああそう」
「ああそうって……お前が調べろっつったから調べてきたんだぞ」
A市のアパートの一室、いつもの如く、仲間の仕入れた情報を聞く古庄恭弥と稲沢玄。情報は先日彼らから拷問を受けた人物についてだ。
「んで、アイツ等のアジトとか、その辺の情報はないの?」
「いや、それは分からなかったが……」
「そもそも手前よォ、その情報って手前が調べてるわけじゃねェんだろ? 手前は情報を横流ししてるだけだろうがよ。偉そうに『調べてきた』とか吐かしてんじゃねェっての」
「チッ……」
「まあまあ恭弥、そのくらいにしとこうぜ。流石に今ので全部ってわけじゃないっしょ? ねえ権蔵さん」
権蔵と呼ばれた壮年の男は面倒くさそうに、日に焼けた顔を顰め情報の続きを話し始めた。
「其奴の名前は『菅原リョウ』。能力者だそうだ。しかもただの能力じゃねぇ、何でも其奴は『不死』の能力を持っているそうだ」
「あァ? 不死? そんなスゲェ能力があるのかよ」
「ふむ、言われてみれば、やけに傷の治りが早かったぜアイツ。よくよく考えたら背骨折っといた筈なのに動けてたもんな。案外ありえるかもだぜ。」
「流石に頭吹ッ飛ばせば死ぬんじゃねェの?」
「うーん、どうだろう。なんならこっちから仕掛けてみようか」
「おお、面白そうだなァ」
蚊帳の外に追い出された権蔵は馬鹿馬鹿しくなって部屋を出た。
外に出てタバコを吸いながら、まだ見ぬリョウ少年の無事を静かに祈るのだった。
※キャラデータ※
名前:リーダー
年齢:20代半ば
肩書:頼れるリーダー
能力:???
備考:凛々しい顔でロン毛でスーツのよく似合うスイーパーのリーダー。頭もよく切れる。ちょっと弱気なところもあるがメンバーの前では頼れるリーダーである。好物はだし巻き卵。