第7話 敗走凱旋ディスフォリア
━━3月5日 0:17 『地下基地』━━
俺、リーダー、ドクターの3人が基地に帰り着いた頃には、すっかり夜が更けていた。
今日はほんとに災難な一日だ。何より両手が失くなったのは不便で仕方ない。一人じゃ何も出来やしないし、意外なほどバランスを取り辛くなってしまって驚いた。
基地に入って最初に出迎えてくれたのはキャルメロさんだった。俺の顔と空っぽの袖を見るなり、あらどうしたのと大層驚いた様子である。状況を事細かに説明してやりたいとこだが生憎疲労がピークで、そんな余裕はない。ただ一言腹が減りましたと言うと大急ぎで夜食作りに取り掛かってくれた。
夜食が出来上がるのを待っていると、何事かとミサキが顔を出してきた。いつもどおりイライラした様子で髪を掻き毟りながら現れたが、俺達の様子を見てただ一言、ヒメが起きちゃうだろと文句を言って部屋に戻っていった。ミサキなりに気を使ったのだろうか。
そうこうしている内に夜食が運ばれてきた。運ばれてきたのは飴色に照りかがやく豚丼、他の二人の分より少し多めに見えるのは恐らく気のせいではないだろう。
早速食べようとして間抜けなことに気付く。
「しまったこれじゃ箸握れないじゃん……」
「ふふふ、わたしがアーンしてあげるわよ」
「え、ちょ、それは流石にちょっと……」
流石にこの年になってアーンはちょっとなぁ……、とは言っても他に方法はない。仕方なくキャルメロさんに食べさせてもらうことにした。この人にはもう一生頭が上がらないような気がするな。
肩と肩が触れ合うほどに近づいてくる。小麦色の細指が上手に箸を使い、一口分を取って俺の口まで運ぶ。恥ずかしさで顔から火が出そうになるのを押しとどめて口に含んだ。
えも言われぬ美味が口の中に広がっていく。甘辛いタレに食欲をそそられ、恥など最初の一口でどこかに行ってしまった。やっぱりキャルメロさんのご飯はうまい。これがきっと家庭の味というやつなんだな、母親の居ない自分なりにそう思った。大盛りの丼は瞬く間に米一粒残さず空になった。
豚丼を食べ終わると今度は急激な眠気に襲われる。
「嘸かし疲れてるだろうしお前らはゆっくり休め。説明は私がやっておく」
「あ、はい……お願いします」
リーダーに促され、俺とドクターはそれぞれの寝床へ向かった。
男子部屋の扉の前に立ちドアノブに手を伸ばそうとして動きを止める。やはりどうにも調子が狂うな。
仕方がないのでノックした。
「すみませーん、開けてくれますか?」
「ほいほい、もう帰ってきたのかい。お疲れ様だね」
おっさんがドアを開けてくれた。一目見て驚いた顔をされるのはまあ予想通りのことである。
「大変だったんだね」
「それはもう疲れましたとも」
「うんうん。ゆっくりお休みよ」
俺は這うようにして自分のベッドの中へ潜り込んだ。スーツのままだが気にしない。
そのまま意識を泥沼の中に沈めていった。
***
「それでリーダーさん、向こうで何があったの?」
「見ての通りだ、返り討ちに遭った」
「詳しく聞かせて下さるかしら」
「ああ」
キャルメロに私が見たこと聞いたことを事細かに話した。
厄介な能力者が味方に居たという事、予め『情報屋』なる人物から此方の情報を得ていたらしいという事、リョウが拷問を受け大怪我を負ったという事……。
一つ一つ頷きながら聞いていた。
大方話し終えたら、今度はキャルメロに意見を求める。彼女はウチで一番知恵の回る人だ。何か参考になる意見が聞けるかも知れない。
「どう思う……?」
「どうと言われましても。改めて思ったのだけれど、やっぱり依頼者の『某』って人? 怪しすぎないかしら。このまま依頼受け続けて大丈夫なの?」
「そこか? 怪しいのは確かだが、いや、でも一応信頼のできる人ではあるんだ」
「まあ、某さんに実際に会ったことあるのはあなただけですし、あなたがそう言うんならそうなんでしょうね」
彼女は必要以上に根掘り葉掘り聞いてくることはない。相談する側からしたら助かることだ。
某には色々と補助してもらう代わりに正体については口止めされているのだ。まあそもそも会ったことがあると言っても、殆ど素性は分からなかったんだが。
「それと情報屋ねぇ。こういうことあんまり言いたくないのだけれど……」
「……スパイ、か?」
「そんなとこかしらね。相手は駅で待ち伏せしてたって言ったんでしょ? 次のターゲットに出発日時や移動方法までばれてるなんて、何というか、ダイレクトすぎるもの。メンバーの誰かに内通者がいるとしか考えられないわ」
「……」
「ほら、そう落ち込まないで。犯人探しなんて後でいいのよ。あなただって疲れてるでしょうし今日はもうお休みなさい」
そうだな。確かに今日は疲れた。
だが最後に一つ、どうしても聞きたいことがある。これだけは聞かないと落ち着いて眠れない。スパイの可能性について、その不安感は、初めから頭の片隅に居座っていたのだ。
「なあ、もしメンバーに裏切り者がいたら、私はどうすればいいんだ。私達は一体どうなるんだ」
心配で堪らない、誰かとこの思いを共有したかったのだ。一人では抱えきれなくなった胸の内を打ち明けた。予てより抱えていた負の感情。
表の社会からはじき出されて、あの手この手を尽くし何とか独りで生きてきた。そんな中で得た、一人として掛け替えのない仲間なのだ。もう独りには戻りたくない。今度独りに戻ったならば、もう『次』は無いだろう。
キャルメロは私の言葉に、聖母の如き慈愛の微笑みで答えた。
「心配性ね。そう簡単にわたし達が散り散りになるなんて思ってるのかしら? 大丈夫。そんなに心配しなくても、きっと皆上手くやってくれるわよ。
それにね、あなただってメンバーの一員なんだから。
あなた一人ウジウジしてても仕方ないわ」
彼女から返ってきたのは、私が欲しかったまさにその言葉だった。結局私は、大丈夫、と自分の暗い考えを否定して欲しかっただけだったのだ。人間とは実に都合のいい生き物である。
だが、おかげで今夜は良く眠れそうだ。
**3月5日 11:56**
目が覚めると、既に見慣れた無機質な天井が目に映る。俺が寝ているのは二段ベッドの上の段であり天井が近い。
頭の中が痺れるような感覚がする。一寸寝すぎたかもしれないな。梯子で下に降りて、ベッド脇に置いてある机の上の時計を見ると、もう昼近い。
男子部屋の皆は何処かに行っているようだ、昼食を摂ってるとこかも知れないし、とりあえず広間に顔を出そう。部屋の扉は両肘でガチャガチャやってたら何とか開いた。
広間に居たのはニトーさん、メガネさん、そしてキャルメロさん。三人でカレーを食べていた。ここでは朝夕はみんなで揃って食事をするが、昼食はバラバラだ。持ち金で外食する者もいれば食べない者もいる。勿論キャルメロさんに頼めば作ってくれる。
「あらおはよう、じゃなくてこんにちはかしらね。カレー、リョウくんの分もあるわよ」
「あ、ぜひ頂きます」
席に着くとキャルメロさんはそそくさとカレーをよそいに行った。ニトーさんが話しかけてくる。
「おう新入り。邪気眼にでも目覚めたのかお?」
「じゃきがん……?」
「はあ、ネタが通じないのはつまらんお。で、どうしたんだおその眼帯」
「見ての通り抉られました」
「はあ? 何でそんな大怪我しとるんだお」
「え、普通に依頼で」
「え?」
「え……?」
「ああ、二トーはずっと部屋に篭ってネトゲしてたんだよ。新入り君がリーダーと一緒に出張してたのも知らないってわけ」
メガネさんが横から説明してきた。話が通じないと思ったらそういうことか、完全に蚊帳の外だったわけだ。いやでも、リーダーが依頼の話してたとき二トーさんもこの部屋に居た気がするんだが。……んん?
さては話全然聞いてなかったな、如何にも普段から参加してなさそうだし。因みにネトゲとはネットゲームの略らしい、パソコンユーザーには常識なのだろうか。インターネットでゲームできる時代なんだなぁ。
キャルメロさんがカレーをよそって戻ってきた。俺の前に差し出し、本人も当然のごとく俺の隣に座る。そしてアーン……。昨日もやったことなので何の戸惑いもなく雛鳥のように口を開けて食べさせてもらう。
「あちちっ、でも美味いっす」
「うふふ。そう言われると嬉しいわ」
「……いやあんたら何やってんだお」
「何って、見ての通り一人じゃ食べられないから食べさせてもらってるんですよ」
そう言って見せつけるように空っぽの袖をふりふり。
まあ正直、こういうのも悪くはない。というかむしろ甘えたくなる自分が居る。キャルメロさんってそこそこ美人だと思うし男として仕方ないだろう?
「ブフォッ、どんな羞恥プレイだよブホホォ」
「う、うらやま死刑……。おいらにも食わせてくれおぉ! アーンて、アーンてしてくれおおぉ!」
「あなたみたいな大きな子供はいらないわ。リョウくんだけで十分だもの」
俺も子供って歳じゃないと思うんだけどな。
まあいい、役得というやつだ。……ちょっと意味が違うか。
「ところで他の皆はどこへ行ったんですか、また依頼でも入ったんですか?」
「いや、依頼なんてそんなポンポンこないよ、それぞれ適当に暇つぶししてるのさ。こんな狭っ苦しい地下基地にずっと居ちゃあ息も詰まるっしょ」
「なるほどっすね」
「新入り君も何処かいい暇つぶし場所を探したらどうだよ。てか冗談抜きで依頼無い間暇でしょうがない」
そうなのか。考えてみれば、ここに来て休日っぽいのはまだ無かったな。2週間ほど寝てたというのは抜きにして、ここでの生活はちょうど一週間か。どうやら普通は依頼の間が結構開くらしい。
カレーを食べ終わり、序でに牛乳でカルシウムの補給をして、基地の外を適当に散策することにした。
気分転換も必要だろうしな。
「ご馳走様でしたっと。じゃあ一寸外歩いてきます、夕飯頃には帰りますんで」
「はーい。行ってらっしゃい」
「いってらー」
「てらノシ」
例のごとく肘でガチャガチャとやって外へ出た。
さて、どこへ行こうか。銭湯は……一人じゃまだ体洗えないしな。というかあの時は、その場の勢いで腕を切り離したりなどという行為をしたが、これちゃんと元通りになるのだろうか。折れた背骨がくっついたぐらいだし、ちゃんと生えてくると信じたい。蜥蜴の尻尾は切り離したあとちゃんと生えてくるんだったか。
そうだ、一寸孤児院の様子を見に行ってみるか。俺がいなくなって大騒ぎしているだろうかな。だが流石に3週間も姿を見せないんじゃ、もう諦めている頃かもしれない。
いや、そもそも『菅原リョウを捕まえろ』という依頼は孤児院が出したんだっけ? 捕まえたら好きにしていいとかそんな内容だった気がするが。……そもそも本当に孤児院からの依頼だったのか? 果たしてリーダーはそんなこと言っていなかったのではないか。
まあそれはリーダーから聞けばいいか。
孤児院に向けて歩いていると、大きなスクランブル交差点が見えてきた。歩行者信号は赤、立ち止まり、交通量の多い道を眺めながらぼーっと突っ立っていると、不意に人ごみの向こうから名前を呼ぶ声が聞こえた気がした。こんな雑踏の中でも、自分の名前を呼ばれると不思議と反応してしまうものだ。
また杉本か? いや、今のは女の子の声だった気がする。こんな人の多い街にいるのだから、まあ誰に会っても不思議ではない。
信号待ちの雑踏の中から声の主を探す。
「菅原さん! 菅原さんですよねぇ!?」
声の主を特定した。ふわっとしたショートカットの、中学生か高校生くらいの女の子。何故か女の子らしい格好とは似つかぬサングラスをかけている、そんな変ちくりんな格好の女の子が、道路を挟んだ向こう側から激しく手を振っていた。
俺の記憶にはこんな変な奴は居ないと思うが。ともあれ、会話がしやすいように人ごみから抜ける。
「えーっと、貴女は……どちら様でしたっけ?」
「ワタシですよワタシぃ、孤児院で一緒だった『三津浦 林檎』ですぅ!」
「あーハイハイ。林檎ちゃんね」
言われてみればそんな女の子が居たような居なかったような。女子とはほとんど話さなかったから正直いきなり話しかけられても困る。しかも道路越しで話すとか、結構気が引ける。
林檎ちゃん(仮)はおもむろにサングラスを外して紅い瞳をこちらへ向けた。そう、紅い瞳だ。
少なくともこの国の人間の瞳の色じゃない。遠目に見ても分かるほどに、血のように真っ赤な瞳だ。コイツ、普通じゃない。
「突然孤児院から抜け出しましたよねぇ。どこに行ってたんですか、ずっと探してたんですよぉ? 毎日毎日。やっと会えましたねぇ」
「は、探した? そりゃまたどうして」
薄く笑い、ぶらりと両手を下ろす。不意に雰囲気が変わった。さっきまでのぶりっこのような印象が揺らぐ。
わずかに前のめりになり、口からハァッと黒い吐息を吐いた。その奥にチラリと見えるのは、もはや人間のものと言うには不自然なほど長く伸びた犬歯。
スクランブル交差点の信号が青になった。人々が一斉に動き出す。
同時。
「惚ケルナアァアアアァァァァァァアアァァ!!!」
殺意の篭った怒号が放たれた。
通行人の視線が突き刺さる。だがそんなことには構っていられない。
稲沢の時には感じなかった漠然とした不安感と不快感に体を支配され、俺はその場から逃げ出した。
※キャラデータ※
名前:メガネ
性別:男性
年齢:20代半ば
肩書:依頼実行組
メガネの化身
能力:無し
備考:ただのメガネかけた人。メガネ外すとだれおま状態になる。前職は教師。