04-A
さらに1週間が経ち、ルッツの診断通り、私の身体の傷は完治した。
これでもう、こんなところで潜伏生活を送る必要も無くなったわけだ。
2週間世話になった部屋で、ベッドのシーツを整えたり服の片付けをしていた私のもとへ、モニカが訪ねてきた。
「……あれ? もう出て行くの?」
ひょこっと私の横へ並ぶモニカに、私は「ええ」と頷く。
「傷が治ったのに、いつまでも世話になるわけにはいきませんから」
とにかく私は、例の件を片付けることに意気込んでいた。
「ティナを刺した人、まだ捕まってないんでしょ? 大丈夫なの、外に出て」
「心配してくれてありがとうございます、モニカさん。でも、もう決めたので」
モニカに持ってきてもらった服や下着を畳み、きれいに重ねていく。
「いろいろ持ってきてくれて、ありがとうございました。とても助かりました」
「どういたしまして。で、その服どうするの? 持っていく?」
ひと目で、私の小さなバッグには入らないことがわかる量だ。
さて、どうするか……。
そうして、宿に置きっぱなしにしていた私の荷物を、警察が持ち出して保管していると聞かされていたことを思い出す。
着替えを入れてあるあのバッグなら、全部入れられそうだな。後で取りに行こう。
……待てよ?
「はい。貰っちゃってもいいんですよね?」
「もちろん。あなたのために買ってきたんだから」
……試してみるか。
「あ」
そうだ、その前にやることがあった。
「銀行って、もう開いてますよね?」
「え? うん、もう開いてる時間だとは思うけど。あ、もしかして、入院費のこと?」
「はい。2週間分の入院費を下ろしてこないと」
確か、1日100ディースだったよね。ってことは、1400ディースか。
「ちょっと行ってきます」
肩にバッグを下げて歩き出す私の背に、「ちょっと待って」とモニカが声をかけてくる。
「銀行の場所、知ってるの?」
「大丈夫です。この街に来た時に一度利用したので」
再び歩き出す私の前に、バッと人影が現れる。
「――リリアンさん?」
現れたのは、黒いワンピース姿のリリアンだった。
「話は聞かせてもらったよ。銀行に行くなら、あたしが送って行ってあげる」
腰に手を当て、得意げに宣言するリリアン。
「あ、いや、銀行の場所なら知って……」
「あたしが、馬車で送ってあげる」
「え? 馬車?」
私が驚くのを見て、リリアンはさらにふんぞり返る。
「リリアンさん、馬車の運転ができるんですか?」
「まぁね~。あれ? 言ってなかったかなぁ」
初耳だ。
「お客さんに教えてもらったんだっけ?」
いつの間にか私の横に来ていたモニカがそう言うと、リリアンは「そうそう」と頷く。
「まぁ、正確に言えば、そのお客さんのお屋敷で雇われてる御者のおじさんに教わったんだけどね。すぐに運転の仕方を覚えて、お屋敷のひろ~い敷地内を走らせてもらったんだ」
「へぇ~、すごいですね、馬車の運転ができるなんて」
御者と言えば男性ってイメージが強すぎたから、本当に驚きだ。
しかも、こんな小柄な人がねぇ。すごく意外だ。
「ふふん、そうでしょうそうでしょう。ちゃ~んと免許も持ってるんだから」
そう言って服の胸元に手を突っ込んで取り出したのは、手のひらサイズの小さなカード。
……どこに入れてるんだよ。
「馬車は外に停めてあるから。ほら、行くならさっさと乗りなよ」
「あ、はい。じゃあ、お願いします」
そうして私は、リリアンのちょっと荒々しい運転で銀行へ向かった。
ちなみに彼女が運転する馬車は、娼館が所有している物らしい。
「はい、確かに」
診療所へ戻り、ルッツに入院費を渡す。彼はそれをササッと数えて白衣のポケットにしまい込んだ。
「お世話になりました、ルッツさん」
「いやいや、僕は大したことはしてないよ。最初は、多少は面倒なことになるかなとか思っていたけれど、君は傷の治りが早かったから楽だった。おかげで、ほかの患者を診ることにも支障は無かったし」
この2週間で、診療所には数人の患者がやってきていた。
私はほとんど部屋の中にいたから見ていないけど、患者は全員娼館街の関係者だったらしい。
「それに、君は大人しくて真面目ないい子だったから、手を焼かされずに済んだ」
「そうですか……」
きっと、患者に手を焼かされた経験が何度かあるんだろうな。
「短い間だったけれど、女の子と一緒に暮らすことができて、僕は楽しかったよ」
「えっ。あ、あはは、そうですか。それはよかった……」
何言ってんだ、この人は。
……あ、そういえばこの人、昔私と同じくらいの歳の子に手を出したんだっけ。
忘れてたなぁ。
全然警戒してなかったけど、特に何も無かった。
話だって、食事と診察の時に二言三言交わすくらい。必要最低限の接触だった気がする。
「ホントに何もしてないでしょうねぇ、先生。何ヶ月後かに、ティナのお腹が大きくなったりしない?」
腕組みしながら私たちの話を聞いていたリリアンが、そう言いながら割り込んできた。
ルッツは両手を前に出して首と一緒にぶんぶん振って、「ないない!」と慌てる。
「そんなことは断じて無いよ。僕って、そんなに信用無い?」
苦笑いを浮かべるルッツに、リリアンは腰に手を当て「無いね!」と言い放つ。
「先生にあるのは、医者としての信用だけ。男としては信用ゼロだよ」
「そんなぁ」
しょんぼりうなだれるルッツを見て、モニカとリリアンは笑った。
あの女はおそらく、まだ私を探してる。
私が拠点にしていた宿の調べもとっくについているだろうし、もしかしたら、毎日その辺りに現れて見回りしているかもしれない。私が戻ってくるんじゃないかって。
それを利用して、あの女をとっ捕まえてやる。
「でもさぁ、もしその女に見つからなかったらどうすんの? いないとは限らないけど、いるとも限らないんでしょ?」
「その時は、この街を歩き回ります」
リリアンの疑問に答えて、私は握り拳を作る。
「私たちに、何か手伝えることってある?」
モニカのありがたい提案に、しかし私は首を横に振る。
「私1人でやります。モニカさんたちを危険に晒すわけにはいきません」
するとリリアンが肩をすくめる。
「見つからないうちに、さっさとこの街から逃げちゃえばいいのに」
もっともな意見だけど、ここで逃げることなんてできない。ずっと追われ続けるのなんて、まっぴらごめんだ。
「あの女が私を恨む理由を知りたいんです。もしかしたら、向こうがとんでもない勘違いをしてる可能性もあるし。もしそうなら、ちゃんと話し合わなくちゃいけないと思うんです」
その時はきっと、多少荒っぽい話し合いになるとは思うけど。
あの女が大人しく話し合いに応じてくれるとは思えないし、こっちだってそのつもりは無い。
「ちゃんと話し合いができればいいけどね~」
リリアンも、なんとなく察しているようだ。私がどういうつもりでいるのか。
「ティナ、絶対に無茶はしないでね?」
モニカは、心配そうな顔でそう言った。それに対し、私は「大丈夫です」と強気に発する。
そして私は診療所を後にし、宿へと向かった。
久しぶりに歩く街なかは、3週間近く前にここへ来た時とほとんど変わらない様子だった。
違うのは、警官の姿をやたら見かけることだ。
あの女の捜索は、ちゃんと続けられているみたいだな。
南西の集合住宅地帯からラベドラの中心部へ向かい、そこからさらに北へ。
小さな商店街のすぐ近くに、私が部屋を取っていた宿がある。
宿の前には、見張りの警官が立っていた。たぶん、プライス警部の指示だろう。
どうやら下っ端は私の顔を知らないようで、素通りできた。横を通る時にジロジロ見られたけどね。
宿に入って、まず受付へ。
宿の主人に、警察が来る前に私の部屋を訪ねてきた人物はいないか聞いてみたところ、黒いコートの若い女が来たと言う。
それが警察が追っている犯人だと聞かされて驚いたとも言っていた。
……やっぱり、来てたか。
さぁて、あの女は私が宿に入ったのを見たかな。
忘れ物をしたかもしれないからと、使っていた部屋に入る許可を貰った私は、階段を上がって二階へ。
部屋に入り、通りに面した窓を開ける。
「……」
これだけ見晴らしが良ければ、向こうからもこっちが丸見えなはず。
私はここにいるぞ。見ているか?
「さてと」
あまり長居はできないな。
部屋を出た私は、主人に礼を言って宿を出た。
昼食を適当に済ませた後、街の中心部へ戻る。できるだけ目立つように、大きな通りを歩いて。
中心部には人が集中していて、馬車が何台も行き交っている。
特にこの時間は賑やかだけど、都会ほど人は多くないため、辺りを見渡しながら歩くくらいの余裕はある。
……あの女は、私を見つけただろうか。
見つけたのだとしたら、一定の距離を保って私の後についてきているはずだ。
でも、ここで襲われることは無い。なぜなら、あの女の標的はあくまで私1人だからだ。
ほかの人に危害が及ぶような場所で、私を襲撃してくることは無い。……無いと思う。
いや、でも、周りにどんな被害が出ても構わず襲ってくる可能性はゼロじゃないんだよな。
あいつの標的は私だけ。私以外に危害は加えない。……私がそう勝手に考えて思い込んでいるだけなのだから。
……やっぱり、人の少ない通りへ移動しよう。
人があまり多くないとはいえ、ここだと気付かないうちにまた不意打ちを食らうことも考えられる。
「――!」
中心部から伸びる大通りへ入ろうとした時、いきなり左腕を掴まれた。
慌ててその手を振り払い、振り返りつつ後ろへ跳べば、びっくりして丸くなった瞳と出会う。
「……シェリーさん?」
そこにいたのは、綺麗なドレスで着飾ったシェリーだった。首に薔薇飾りのチョーカーをしているところを見ると、どうやら仕事中のようだ。
「ごめん、驚かせちゃった?」
「あ、いえ。……シェリーさん、仕事中ですか?」
「うん。ほら、あそこにいる人。あの方が、私のお客さんなの」
シェリーが指差す先には高そうな馬車が停まっており、その横に高そうなスーツを着た紳士が立っていた。結構若い男性だ。
「偶然あなたを見かけて、止めてもらったの。ティナちゃん、もう退院したの?」
「ええ。えっと、警察署で預かってもらってる荷物を取りに行こうと思って」
「そっか。……ティナちゃん、まだこの街にいるよね? それとも、もう行っちゃうの?」
縋り付いてくるシェリーに、私は「いや、まだ用事があるので」と答えると、彼女は「良かった」と微笑んだ。
紳士のもとへ向かうシェリーの後ろ姿を見送ってから、私は気を引き締め直し、身を翻す。
「――!」
軽い衝撃。私は、驚愕に目を見開いた。
目の前で揺れる黒いフード。
そして煌めく銀光は、深々と突き刺さっていた。