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02-B

 この辺りにひしめく集合住宅の中には、人が出て行ってそのまま使われなくなった物もあるという。


 私が連れて来られたのはまさにそういった無人の廃墟の一つで、なるほど確かに、ここが診療所だとは誰も思うまい。



「随分汚いところだな。この建物は、使われなくなってもう随分経つんじゃないかね」

 先頭に立って廃墟の中を進むプライス警部は、通路の様子に辟易とした声を上げる。


「いつ無人になったのかはわかんないけど、先生がここの一階の部屋を買い取った時には、すでにこんな感じだったらしいですよ」


 モニカの言う“先生”というのは、私たちがこれから向かう診療所の主のことだ。

 名前は確か、ルッツ・ビエロフカだったっけ。


 私と同じくらいの歳の女の子に手を出して、逮捕されたような人のとこになんか行きたくないってのが正直な気持ちだけど、ほかにすぐに用意できる潜伏先も無いということなので仕方ない。


「私はこの街の生まれではないが、20年ほど前に赴任してきた時は、もう少し人が多かった気がするなぁ。少なくとも、人のいない集合住宅はここまで多くなかったはずだ。みんなどこへ行ってしまったんだろうねぇ」


 などと言うものの、警部の口調は淡々としていてあまり残念そうでも寂しそうでもなかった。




「奥の二部屋が、先生の診療所だよ」

 通路を左折すると、等間隔にドアが並んでいるのが見えた。


「二部屋?」

 振り向く警部に、モニカは「そう、二部屋」と頷く。


「一部屋じゃ診療所としては狭すぎるから二部屋買って、中を改装して繋げたんだって。おかげで貯金が無くなったとか言ってましたよ」

 モニカの説明に、警部は笑う。


「そこまでして診療所をやりたかったのか。しかもこんな人目につかないところでねぇ」

 確かに、変わった人だなとは思うね。


「あ、私が話をしてきます」

 ドアをノックしようとした警部を制し、モニカがドアをノックする。


 すると中から、「どうぞー」という声が小さく届く。


「いきなり来ちゃったけど、大丈夫かな」

 そう呟いてドアを開けたモニカは、「先生、おはよー」と言いながら中へ入っていった。




 待つこと数分。モニカが顔を出して「大丈夫だって」と私たちを手招きする。


「……!」

 部屋の中に入った私は、いや警部も、そこに広がる光景に思わず立ち止まった。


「なんだこれは。足の踏み場が無いぞ」

 警部の呆れ声の通り、玄関から繋がる廊下の左右の壁に沿って、箱やら本やら書類やらがずらりと並んで積み上げられていた。


 そのせいで、廊下は人一人がやっと通れるくらいの幅しか残っていない。

 本当にここ、診療所なのか?


「こっちこっち」

 廊下の右側には3つの部屋があり、ドアの開いている真ん中の部屋へモニカは入っていく。


 彼女に続いて私が入り、最後に警部が入った。




「お久し振りですね、プライス警部。お元気そうで何より」

「ああ、お前もなルッツ。少し白髪が増えたんじゃないか?」


 警部は、部屋にいた白衣の男と向かい合って語り合う。


「まぁ、僕ももう38ですからね。警部はあの頃とあまり変わっていませんねぇ」

「そうか? 見た目はそうかもしれんが、体力的な衰えは感じているよ」


 そこへ割り込むモニカ。


「ちょっと先生。警部さんとの話は後にしてよ。先生に会わせたいのは警部さんじゃなくて、この子なんだからね」

 そう言って、モニカは私をその男の前に引っ張り出す。


「会わせたいのって、こちらの警官さん?」

 きょとんとするルッツ。あ、そういえば私、今警官の格好をしてるんだった。


「違う違う。これは変装。病院から抜け出す時に必要だったの」

 モニカは、私が目深に被っていた警官帽を取った。帽子の中に入れていた髪が下りる。


「この子ティナっていうんだけど、さっき説明した通り、ちょっと訳ありで外を出歩けないの。で、腕とお腹に怪我もしててさ、ここならこの子を隠しておくのにぴったりかなーって」


「なるほどなるほど」

 ルッツは私の前に立ち、目を見つめてくる。


 ちょっと戸惑ったけど、逸らしちゃいけない気がしてじっと見つめ返していたら、「わかった。任せてくれ」と身を翻す。


「とりあえず、傷の状態を診たい。奥の部屋に来てくれ」

 私はモニカと顔を見合わせ、彼女と一緒にルッツの後を追った。




 短い廊下を進むと左右にドアが並んでいて、ルッツは「ここだよ」と、向かって左側の手前の部屋へ入っていく。


 そこは、私がいた病院の個室よりもさらに狭い部屋で、小さな窓近くの壁際に古ぼけたベッドが置かれていた。


「じゃあ、上着とシャツを脱いでそこのベッドに横になってくれる?」

「え? 脱ぐんですか?」

 動揺する私に、ルッツは苦笑いを浮かべる。


「脱いでくれなきゃ、傷を診られないだろう?」

 ……いや、そんなことないと思うけどな。まぁいいけど。


「私が脱ぐの手伝ってあげよっか?」

 そう言って、私の後ろからひょこっと顔を出すモニカ。


 それに対し私は「大丈夫です」と静かな口調で応じてから、制服のボタンを外していく。




 短い黒髪に白髪が目立つ、無精髭を生やした頼りないおじさん。

 それが、今私の傷の具合を診ているルッツという医者に対して抱いた印象である。


 着ている白衣はヨレヨレ。あまり外へ出ていないのか、かなり色白だ。

 身体は細く、押したら倒れるどころか骨が折れてしまいそうな感じ。


 こんな男に私と同じくらいの歳の女の子が惚れるなんて、ちょっと信じられない。

 一体、どこが良かったんだろうか。


 ……いや、人を見た目で判断するのは良くないな。もうちょっと観察してみよう。



 上半身のみ下着姿になってベッドに横たわる私をまじまじと見つめながら、ルッツは「なるほど」と呟く。


 ……どこ見て「なるほど」って言ってんの。傷があるのは腕と腹だけだぞ。


「どう、先生。治るのにどれくらいかかりそう?」

 ルッツの隣で同じく私の身体を見ていたモニカがそう問うと、彼は私に「もうシャツ着ていいよ」と言ってから返答の口を開いた。


「……腕の傷も腹の傷も結構深いね。完治には2、3週間はかかるかも」

 病院で言われたのと同じだな。どうやらこの人は、本当に医者のようだ。


「じゃあ、傷が全部治るまでお願いね、先生」

「いいけど、入院費はちゃんと払えるのかい?」

「入院費かぁ……」


 ルッツとモニカは、揃って私の顔を見る。

 急にそんな話になって焦ったけど、まぁ確かに、お金は必要だよね。


「えっと、そのぉ、……いくらですか?」

 完治までに3週間もかかるとなると、結構な額の入院費になるのでは?


「1日100ディース。3週間で計算するなら、合計2100ディースだね。その半分は、君をここに匿っておくための経費だと思ってくれ」


「先生、結構取るね。まぁでも、しょうがないか」

「そうそう。仕方ない仕方ない」

 なぜか楽しそうな2人。


 ……2100ディースか。仕事を15件くらいこなしてようやく稼げる額だな。

 怪我が治るまで働けないことを考えると、結構痛い額だ。


 でも……。


「わかりました。払います」

 またあの女に襲われて、取り返しのつかないことになるよりはマシだもんね。


「でも、お金を下ろすには私本人が行く必要があるので、支払いは完治してからでいいですか?」

 そう聞くと、ルッツは「もちろんだよ」と口の端を上げて立ち上がる。


「じゃあ、この部屋を使ってくれ。個室はここしか無いからね」

 そう言ってから、ルッツは隣にいるモニカを見る。


「この子、着替えは持ってるの? いつまでも警官の制服ってわけにはいかないだろう?」


 病院で着ていた病衣は、病室のベッドの上に畳んで置いてきてしまった。

 私が元々着ていた服もまだ病院にあるだろうし、この街に持ってきた着替えは宿の部屋に置きっぱなしだ。


 だけど、今更どちらにも行けないし……。


 するとモニカは、「大丈夫」と反らした胸を手のひらで叩く。


「着替えは全部私が用意するから。だから心配しないでね、ティナ」

「あ、はい。ありがとうございます」

 頼りになるお姉さんだ。……頼りにして、大丈夫だよね?


「じゃあ僕は、向かいの部屋で警部さんと話してるから。何か用があったら呼んでね」

 ルッツはそう言い残して部屋を出て行った。




 私の着替えを取りに行くためにモニカも部屋を出て行き、この狭く静かな個室で私は1人きりになった。


「……」

 とりあえず、部屋の中を見渡してみる。


 室内にあるのは、私が今横たわっている古いベッドに、金属製の小さなデスクと背もたれの無い丸い椅子。それから何か薬のような物が並べられている棚と、汚れたロッカーだけだ。


「……」

 ベッドのそばにある窓を少し開けてみれば、外側には格子が設置されていて、まるで檻の中にでも入れられてしまったような気分を味わえる。


 周囲にここと同じ高さの建物が並んでいるせいで、日当たりがあまり良くないのも、閉鎖的な雰囲気を色濃くする原因となっている。


 これからしばらく、日中もここから出られないとなると、相当気が滅入りそうだ。


 それに、これだけ建物があるというのに、外にまるで人の気配が無いというのも不気味だ。

 声どころか足音も聞こえない。この辺りの集合住宅にも、人は住んでいないのだろうか。


 溜め息一つ、窓を閉める。


 ……やれやれ。なんでこんなことになっちゃったのか。


「あの女、誰なのかな」


 こんなことになった原因は、私を刺したあの女。

 私はどうやら、あの女に殺意を抱かせるほどの何かをしてしまったらしい。


 もちろん、心当たりなんてあるわけがない。

 何が「ますます殺したくなった」、だ。意味わかんないっての。思い返すだけで腹が立ってくる。


 一方的に恨まれるというのは、非常に不愉快なものだ。

 一体、私が何をしたって言うの?


 ……それより、ここは本当に大丈夫なんだろうか。

 あの女はきっと、私が病院にいないことにすぐに気付くだろう。そしたら、この街を探し回るはずだ。


 とどめを刺すために病院にまで来るような奴が、行方がわからなくなったくらいで諦めるはずがない。


 探し回っていれば、いずれここに辿り着く。そうなったら、もう私は逃げられない。

 戦うしかない。


 だからそれまでに、出来る限り怪我を治しておく必要がある。


「……」

 万全の状態なら、私は負けない。


 とっ捕まえて、私を狙う理由を吐かせてやるんだ。

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